自治体/政策研究

年度末になると出版助成の締め切りということもあって単著を頂くことが増える傾向にあるのですが,今年も色々といただいております。コロナウイルスでさまざまな会議がキャンセルとなり,子どもが家にいる中での「在宅勤務」をしていて,子どもの勉強を見ながらすることとしては頂いた本を読む,ということがありますので(なかなか集中できませんが)ある意味で少しはかどってるような気もします。

まず学習院大学の伊藤修一郎先生から,『政策実施の組織とガバナンス』を頂きました。どうもありがとうございます。本書では,地方自治体による「屋外広告規制」,つまり商店が広告のために出している構築物とかビラとかについて規制するという,通常はあまり目立たないような政策分野について扱うものです。規制というと,政府や自治体が命令してここでいう商店などの被規制者がそれに従うという関係が単純に想定されそうですが,対象となっている屋外広告規制の周囲には,議員が選挙のために出すポスターとかの「表現の自由」と絡んだり,強制的な手段を嫌う政府と機会主義的な被規制者との戦略的な関係があるとか,非常に複雑な,興味深い環境が作られています。そういう環境のもとで,自治体による規制が行われてながらも同時に多くの違反が存在するという状況が生まれているのです。

このような屋外広告規制について,本書は政府による規制とその実施にかかわる様々な先行研究とそれに基づく理論,そしてその検証にアンケートやインタビューなど様々な手法を駆使して「法令違反を行政はなぜ取り締まらないのか」「どのような条件が整ったら違反対応を実行できるのか」という問いに迫る非常に説得的な研究だと思います。僕なんかは,いつもどっちかというとざっくりとした証拠をもって検証したと書いてしまうことも少なくないと反省しきりなのですが,本書では屋外広告規制という一つのテーマを多面的に丁寧に検証されていて,その積み重ねが説得力を与えていると感じます。個々の議論についてもなるほどと思うところが多く,とりわけなぜ行政が法令違反を取り締まらないのか,という問いについて,過少人員で定型業務に傾斜しがちな大部屋主義による実施という問題があるという主張は,まさにその通りというように感じます。さらに本書の特徴として挙げられるのは,そのような理論的・実証的なインパクトを持ちつつも,前著『政策リサーチ入門』で議論されているような政策の妥当性の検証というものを意識しているところで,その意味で非常に教育的な著作であるとも思いました。

政策リサーチ入門―仮説検証による問題解決の技法
 

常葉大学の林昌宏先生からは,『地方分権化と不確実性』を頂きました。ありがとうございます。林さんは,もう10年前に大阪市大で初めて大学院ゼミを持った時に博士の院生ながら参加してくれたり,その後も震災プロジェクトでご一緒したりなどもうだいぶ長いお付き合いになります。博論を書いてからずっと出版をどうしようかと悩んでましたが,このたび吉田さんと会っていいかたちで出版されたということで,個人的にもなんとなく感慨深いです。当時から議論されていたことですが,中央・地方のいろいろな主体が多元的なかたちで意思決定を行うために,帰結が極めて不確定的になるという議論が様々な歴史的な資料に基づいて重層的に描かれていると思います。個人的にも,西宮の話とか改めて読んで地元民としても勉強になりました。

本書で面白いのは,「大規模化」と表現されていますが,自治体が管理する港湾がその「身の丈」と比べて大規模になっていくプロセスを描くところでしょう。ここでいう「大規模化」は,グローバルで見たら規模は小さいのに局地的には過度に大きなものが作られていて供給過剰になりがちという話で,その原因として考えられるのは港湾に関わる多元的な意思決定主体の存在ということなのだと思います。具体的には大阪市や神戸市のような有力な都市であり,それと対抗関係にある府県であり,さらにはグローバルを見据える国であると。他方もう一つポイントとしてありうるのは,どの港湾が局地的にであっても大規模化されるのかについてはやはり国や都道府県といった広域主体の影響が大きかったのではないかと。これは僕が(林さんとも一緒に書いてる)『縮小都市の政治学』で議論したことでもありますが,函館や下関のようにそもそも大規模化できなかったところもあるわけですよね。その辺の選別がどのようにして働きえたのか,ということがわかるとさらにいろいろな含意があったように思いました。阪神・西宮のあたりはそういう話でもあるように思いますし。 

地方分権化と不確実性――多重行政化した港湾整備事業
 
縮小都市の政治学

縮小都市の政治学

  • 発売日: 2016/01/29
  • メディア: 単行本
 

もうひとつ,関西学院大学の宗前清貞先生から『日本医療の近代史』を頂きました。ありがとうございます。ギリシャや江戸での医療の歴史から語り起して現代の日本医療が完成する時期までのありようを描くというのはまさに「近代史」を意識されているんだろうと感じました。面白いなあと思ったのはその視点で,僕なんかが医療のことを考えるときは基本的に保険者目線で物事を考えがちなのですが,宗前先生の本では,医師というより医師を含めた「医療者」みたいなところから観察しているように思いました。だからだと思うのですが,研究対象の外延も必ずしも一般的に考えられるような「医療」とは違っていて,読みながらなんどかこれは医療というより公衆衛生の本なんじゃないの?と思ったときがありました。
あんまり考えたことなかったのですが,その境界というか関係ってやはり重要で,いまのコロナ禍が典型的にそうですが,医療と公衆衛生は基本的に補完的な関係にあるかもしれないとしてもトレードオフみたいになることがありうるんじゃないかという気がします。試しに言い変えてみると,不確実性に対応する医療とリスクを考える公衆衛生というか,患者を平均的に扱う公衆衛生に対してより個別性を強調する医療というか。本書を読んでいると,公衆衛生という観念がない中で呪術の要素を持っていた医療,という関係から科学化とともに次第に公衆衛生の方が強くなっていき,最終的にはそれが保険というものを通じて統合されていくというストーリーにも見えます(いや全然こういう問いとは違うんですけど)。そうやって国民総保険が成立した後も,日本でいえば中医協の中で見られるような医療/公衆衛生の潜在的な対立は続くわけですが,その中で医療の方が最後に前景化したのが保険医総辞退という事象だったのかなあ,というように感じました。…というのはちょっと特殊な読み方のような気がしますが,射程がすごく長いこともあっていろんな読み方を許容する本のように思います。

『二重らせん』

すき間時間に読み進めていた中川一徳『二重らせん』をやっと読んだ。前著『メディアの支配者』を引き継ぐものでめちゃくちゃ面白いテーマで詳細な記述は相変わらずすごいけど,今回は(たぶん前回よりも)知らない人名がいっぱい出てくるのですき間で読むのは大変だった…。

『メディアの支配者』から引き継ぐテーマとして,電波という公共の資産を使っている放送局が,いかに公共の利益よりも私的な利益の追求に向かいがちになっているかということがこれでもかというくらい描かれる。テレ朝・旺文社の赤尾氏をはじめ,テレビ局や新聞社の創業に関わった人たちが,それ故に多くの株式をもって公益企業に影響を与えつつ,自己利益を追求しようとする姿勢は,正直読んでるだけで嫌気がさしてくる。そして,創業期に生まれたいびつな資本構成がよくわからない利益追求の余地を生み,それを狙う新規参入者が出現する…とその繰り返し。

もちろん,『メディアの支配者』以降のライブドア村上ファンドとフジテレビや関連会社・鹿内宏明氏らを含めたニッポン放送の争奪戦の部分は細かい描写も充実しているし,著者の見立てや感想も非常に面白いのだけど,個人的にはそれより前史的な第1章の話やあまり詳らかにされてこなかったテレビ朝日についての話が興味深かった。戦後,電波という希少な資源をめぐって競争が生まれる中で,いかにも「日本的」な足して二で割るみたいな解決で放送局の資本構成が決まり,全国レベルの放送局がその桎梏に苦しみながらも地方レベルで同じような放送局を巡る競争を行って,またいびつな資本構成の企業が生み出されていく,という。全国レベルの番組を買ってきて地方レベルで流すだけ,という地方局は,地方レベルの資本家にとってめちゃくちゃおいしいビジネスだし,その裁定を行う田中角栄やそれに連なる政治家が,その利益を梃子に影響力を拡大するというのはなるほどなあと。まあ「公共の資産」である電波を使って行われてることなんですが。

こういう描写っていうのは,企業における政治みたいな研究につながってくるものなんでしょうかね。企業における政治っていうと何となくアクターは従業員と資本家,って感じなのかなあという印象があったけど,こういう本を読んでいると,株式を持っている資本家が影響力や利益の最大化を図って合従連衡するのはまさに「政治」のように見える。一般化するのは難しそうだけど。 

二重らせん 欲望と喧噪のメディア

二重らせん 欲望と喧噪のメディア

 

都市政治・自治体行政

最後は都市政治や自治体行政に関する研究書。まず,都市政治と言っていいのかわかりませんが,筑波大学の五十嵐泰正先生から『上野新論』を頂きました。どうもありがとうございます。五十嵐さんは大学院の先輩でもありますが,本書につながった研究として,ずっと博論ゼミなんかで上野を中心に都市における多様性やコミュニティの報告をされていたことを思い出します。細かい内容は忘れてて(すみません!)どのくらい本書につながっているのか正確にはわからないのですが。

それはともかく,本書は,五十嵐さんが研究されてきた,都市における重要な要素である多様性と,時に凝集化して多様性を排除してしまうコミュニティのせめぎ合いの中でいかに「上野」という都市が成り立っているかを論じたものとなっています。上野は,様々な性格を持った商店(街)が存在する商業的に多様な街で観光客も非常に多いというだけではなく,日本でも有数の民族的に多様な地域で,もちろん地元の商業に関係ない人たちもたくさん住んでいます。そういうところでは,どうしても地域の規範のようなものが成立しにくく,できたとしてもそこからの逸脱行動が頻繁に生じてしまう可能性がありますが,その中で地域の「旦那衆」を中心に自生的なコミュニティが作られ,葛藤を抱えながら前進する様子が描かれています。ジェイン・ジェイコブスを引くまでもなく都市における多様性はしばしば称揚されますが,多様性を尊重しつつときにその多様性を制限するように見えてしまうコミュニティの論理にも寄り添いながら都市のあり方を描くのは,まさに五十嵐さんらしい姿勢だと思いました。

個人的には,たまたま来年度の授業の準備のために読んでいたCreating Public Valueの議論と大いに重なるところを感じて触発されました。これは基本的には政府,とりわけ政府におけるマネージャー/マネジメントの話をしているのですが,経済的なものに還元しやすいプライベートセクターの価値とは違う公的な価値を(特にマネージャーが)どのように考えるのか,ということが論じられています。重要なのはあるプロジェクトに複数の側面があって,それをどのように強調するかという戦略だというわけなのですが,本書で言えば,まさに「下町」や「アメ横」についてのPublic Valueをどのように形成するかということが大きな問題になります。それは経済的利益を生み出す観光地としての側面であったり,東京のほかの部分と比べて格差の存在する地域であったり,日本の中では民族的な多様性が多い地域であったりするわけですが,それらのイメージやアイデンティティをどのように活用しながら価値が形成されていくか,と。Public managemenというと政府や行政官の視点で語られることが多いわけですが,それを上野の商店街/旦那衆から見ている事例研究としても興味深いもののように思いました(その分「格差」のような視点は弱くなるのかもしれませんが)。 

上野新論

上野新論

 
Creating Public Value: Strategic Management in Government

Creating Public Value: Strategic Management in Government

 

福岡工業大学の木下健先生から,『地方議会改革の進め方』を頂きました。ありがとうございます。データの制約などの問題から,日本の市町村議会の研究はまだまだ限られていますが,本書では自治体議会の実態調査を用いているために,データが2013年に限られるものの,その新しい分野に飛び込む挑戦的なものかと思います。
議会改革を実施する際に,改革を議論する組織の違い――議会運営委員会か特別委員会か常設の議会改革推進組織かなど――が住民参加や透明性、討議機能・立法機能に違いをもたらすというのは興味深い発想だと思います(もう一つ重要な変数として扱われてるのは党派性)。ご本人による紹介はこちら。基本的に関心を持っている説明変数は同じで,各章で様々な結果変数について検討するというスタイルで,最後に結果を並べて解釈する,という感じ。ダミー変数を使って効果を見る感じなので,もう少しレファレンスグループが何かというものがはっきりわかるとよかったのですが,やや解釈しにくいような気もしました。しかし議会改革というものの評価がしばしば定性的な形で行われる中で,計量分析によって評価をしようとした貴重な研究だと思います。 

地方議会改革の進め方

地方議会改革の進め方

 

福島大学の林嶺那先生から,『学歴・試験・平等』を頂きました。どうもありがとうございます。これは博論をベースとしたものですが,大阪市・東京都・神奈川県という3つの自治体で,それぞれの人事管理がどのように行われているかを細部にわたって描き出すという,3つ分の歴史研究ともいうべき力作です。おそらくひとつの自治体だけでもこれだけの史資料を処理することは本当に大変だと思いますが,それを3つもやられているのは単純にすごいことだと思いました。

日本の公務員制度というと,稲継裕昭先生が描かれた「二重の駒形モデル」がおそらく支配的な理解でしょう。官僚がキャリア・ノンキャリアというかたちで分けられて,前者は幹部候補生として課長級まで同様に昇進するものの,そこからup or outが始まり競争に敗れると退職勧奨でどんどん外に出されていく。後者については基本的に定年まで働くものの,キャリアとは別の選抜がある。いずれにしても,選抜の結果を遅くまで明らかにせずにモチベーションを保つ「遅い昇進」と,長期にわたって業績を評価する「積み上げ型褒賞システム」に特徴づけられるのだという理解です。確かにこのモデルは中央省庁の人事管理をよく説明するものだと思われますが,本書で初めの方に示されるように,地方自治体の方を見るとバリエーションはかなり大きくなってます。例えば昇任・給与の面でどの程度大卒者を優先してるかなどは自治体によって相当違う。

本書は,同じように公務員の働くモチベーションについて重視しながら地方自治体の人事管理について研究するものですが,そのような人事管理のモデルが複数存在することを明らかにするものです。それぞれのモデルで重視されているものが,タイトルにもなっている学歴・試験・平等ということになります。すなわち,学歴という入口を重視してエリートを選抜しそれに合わせて研修や配置を変えるというモデル,入口は問わなくても試験による選抜で研修や配置を変えるモデル,そしてエリート・ノンエリートの区分をせずに皆に同じような研修・配置を行うモデル,というかたち。歴史研究として非常に優れている点は,その極端とされる事例において,それぞれのモデルで説明される人事管理のあり方がどのように制度化されてきたかについて膨大な史資料をもとに重層的に描き出しているところです(だから長いわけですが)。

それぞれの比較や,なぜそういうモデルが採用されているかといったような因果的な議論について著者は禁欲的ですが,非常にいろいろな解釈を生み出す興味深い研究だと思います。地方自治体には稲継先生が示したモデルとは違うモデルがあるということを極めて説得的に実証しながら,稲継先生が提示した議論をより精緻なものにしているところもあると思いますし,これから読まれていく本になるのではないか,と思います。中央省庁も含めて,外部環境が大きく変わってこれまでのように自律的な性格の強い人事管理が難しくなり,新しい管理のあり方を考えるためにも,これまでの人事管理について教えてくれる本書は重要な貢献になるでしょう。 

学歴・試験・平等: 自治体人事行政の3モデル

学歴・試験・平等: 自治体人事行政の3モデル

 
日本の官僚人事システム

日本の官僚人事システム

 

日本政治/政治史

前回は比較政治・国際政治研究でしたが,今回は日本政治と歴史関係での最近の研究の紹介。なおこのシリーズもう一回続きます…。それはともかく,村井良太先生からは『佐藤栄作』を頂きました。ありがとうございます。私自身も研究してます住宅政策を含めた「社会開発」から長期政権がスタートしながら,やはり政権後半は「沖縄」に傾斜していくかたちなのだなあ,という読後感を得ました。沖縄への傾斜というのは,(山中貞則の描き方もそうだと思いますが)やはり国民統合を図る保守の政治家の本懐,という感じにも思えます。ノーベル平和賞を受賞したこと,やや国内的には批判があったことは有名なわけですが,私なんかはその時まだ生まれてもいないわけで,なるほどこういう雰囲気だったのかと妙に納得しました。
どうしても沖縄の方に力点が置かれることになるのですが,個人的には,『社会におけるコモンズ』で描いた日本の住宅政策の転換期がずっと佐藤政権だったのだ,ということを改めて感じました。単純に期間だけを見るとまあ当たり前の話ではあるのですが,当該論文を書いたときはそれほど意識してませんでした。ひょっとすると佐藤政権という文脈があったからこその「転換期」であり,しかもそれが現在の方向に行くのは田中政権になってからということにももう少し意味があったのかもしれません。これもまたちょっと仕事関係で読んでる下河辺淳氏のオーラルヒストリーで次のようなくだりがありますが,このあたり,これから歴史(学)的にも分析されていくのだと思います。

佐藤さんというのは,本能的に総理を長期つとめていますから,分析するのは難しい。沖縄復帰についても,佐藤総理論というのはいろいろな意見になり得るのではないか。自民党のその後のトラブルは,佐藤内閣の時に火種があると考える人が多いでしょう(下河辺[1994]240頁) 

 それから村井先生には,清水唯一朗先生・瀧井一博先生とご共著の教科書『日本政治史』もいただきました。明治初期の国家形成から研究されている瀧井先生と大正デモクラシー以降の政党政治を中心に研究されている清水・村井両先生によるもので,近年の質的研究の方法論や政治制度,特に民主体制や政党の研究を意識されているようにも思いました。歴史の教科書というと,時系列にいろいろな出来事が記述されていくようなイメージが強いのですが,この教科書の場合には,もちろん時系列を考慮しながらも,比較的大きなテーマを扱う1つの節のもとで,3つくらいのトピックに分節化する感じで進められていて,個々の重要な出来事が政治学的に説明されている傾向が強いように思いました。

佐藤栄作-戦後日本の政治指導者 (中公新書)

佐藤栄作-戦後日本の政治指導者 (中公新書)

 
戦後国土計画への証言

戦後国土計画への証言

 
日本政治史 -- 現代日本を形作るもの (有斐閣ストゥディア)

日本政治史 -- 現代日本を形作るもの (有斐閣ストゥディア)

 

同志社大学の北川雄也先生から,少し前に出版された本ですが,『障害者福祉の政策学』を頂きました。ありがとうございます。本書は,主に日本の中央省庁レベルに焦点を当てて,障害者政策という分野において政策の効果をどのように把握するか,そしてどのように評価するかという問題について主にその制度面を論じたものです。自分自身,もともと政策評価や行政評価に興味を持っていて,修士論文で取り組んだりあまり誰も読まないような論文を書いたりしておりまして,興味深く拝読しました。

本書の議論では,府省における制度的な評価は行われているものの,障害者政策がその目的を達成していることを示すアカウンタビリティの確保が不十分であるという指摘がなされています。本来は結果によっては担当者を変えたり政策を変えたりすることが想定されるのでしょうが,日本の場合それがなかなか機能しないので,担当者や政策を変えないという結果が前提とした「常に正しい」評価データが出てくることになっているということなのかなあと思いました。その理由の一つはおそらく評価軸が官庁に独占されているからで,その意味で,本書の最後に府省だけでなく障害者当事者団体が行うものを含めた調査活動の話をされているのはなるほどなあと思います。官庁外部も含めて評価軸が形成されてくれば,本来の意味でのアカウンタビリティが発揮されるというときも来るのかもしれません。 

障害者福祉の政策学-評価とマネジメント- (ガバナンスと評価)

障害者福祉の政策学-評価とマネジメント- (ガバナンスと評価)

 

 與那覇潤先生からは,論文集『荒れ野の60年』を頂きました。2006年ころから体調を崩される2014年ころまでに書かれた論文をまとめられたもので,それぞれの論文についての背景の解説を含めた「あとがき」もつけられています。ほぼ同年代ということもあり,いろいろな感慨を持ちながら「あとがき」を読ませていただきました。

時間を見つけてほかの論文も読みたいと思いますが,まずはその「あとがき」で「大学教員として残したなかで,もっとも優れた論文」と書かれて,本全体のタイトルにもなっている「荒れ野の60年」だけ読みました。近代国家となった日本が,「西洋化」と遅れてきた「儒教化」のメリットを享受しながら対外的に拡張していくものの、中心となるアイデンティティを付与する教典のようなものがない中で,統合がなく分断統治が行われ,求心力を失いながら崩壊していく,という絵にはいろいろと納得するところがありました。日清戦争からの植民地主義ついての思想の変遷を鮮やかに論じるというだけではなく,日本の近代そのものについても考えさせられる,こちらもいろいろな感慨を持って読むことができるものだったと思います。 

荒れ野の六十年―東アジア世界の歴史地政学

荒れ野の六十年―東アジア世界の歴史地政学

 

 御厨貴先生からは,『時代の変わり目に立つ』を頂きました。ありがとうございます。主に平成から令和への変わるころに行われた講演や雑誌等への寄稿,対談などをまとめられたもので,なんとこれで通算100冊目の出版となるそうです。なんというか桁が(二つくらい)違うという感じで,それだけ求められるのも,それに応えられているのもすごい話です。僕もいただいたりしてそれなりの冊数持ってるはずなんで,一瞬数えてみようかと思ったんですが,とても多くて研究室・自宅に散らばっているので断念しました。

本書ではやはりご自身が有識者会議で深くかかわられた天皇の退位について触れられているところが多いという印象を受けました。代替わりに非常に近いところで立ち会われて,改めて「時代」が変わるということを感じられているということのようにも思います。その他,個人的には「東京を「広場」と「壁」から考える」が面白かったですね。基本的には城壁を持たない日本の都市の話から始まって,広場もないけどそれをある種代替していた政党本部という「権力の館」,みたいな展開は,まあもちろん仮説検証するような話とは違いますが,いろんなインスピレーションをもたらす「面白い」話だと思いました。

時代の変わり目に立つ――平成快気談

時代の変わり目に立つ――平成快気談

  • 作者:御厨 貴
  • 出版社/メーカー: 吉田書店
  • 発売日: 2020/01/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

比較政治・国際政治研究

これまで年末に頂いた本をざっと紹介していたりしたのだけど,去年は最後までバタバタしていたおかげでなかなかその時間が取れず,年明けにやろうと思っても体調を崩してこれもまた難しかった。まあ時間がないのも原因ですが,何よりたくさん研究書が出ていてそれを頂いていたりするので追いつかないというのが実情です。

せめて単著本は頑張って読みたいと思っているところですが,まず最近頂いたもののうち,比較政治・国際政治に関わるものをご紹介します。筑波大学の外山文子先生から『タイ民主化憲法改革』を頂きました。ありがとうございます。本書では,しばしばクーデターが起きて「憲法改革」が行われるタイにおいて,そこで強調される「立憲主義」と民主化について論じられるものです。最近の日本でもそうですが,一般的に,立憲主義というのは民主主義とともにある考え方で,「法の支配」というかたちで強調されるわけですが,実際のところ民主主義というよりは個人の人権を守ることを志向する自由主義の発想に近いわけです。比較政治の分野で立憲主義というと違憲審査のように通常の民主的なプロセスで作られた法よりも高次の法Higher lawがありうるか,みたいな感じで測られたりするわけですが,そこでポイントとして,誰がその自由主義の守護者になるか,という論点が出てきます。

いわゆる先進民主主義国であれば,民主的に選ばれた政府が,いわば「賢明なる自己抑制」として,専門的な裁判官を選び,政府が間違いうることを認めたうえで個人の人権を守るための機構として裁判所のような非選出の独立機関を作ります。それに対して,本書が扱うタイの事例では,必ずしも立法府の「賢明なる自己抑制」とは違っていて,むしろ(クーデターで民主政権を転覆させる)軍や官僚などが「立憲主義」という名のもとに立法府の権限を弱めていくことが論じられます。近年途上国を中心に「政治の司法化」のようなことが論じられ,民主的なプロセスを経て立法を行うところよりも,法的な判断を扱うところが政治的な争点になることが議論されることがあるわけですが,本書ではタイにおいてそういった「政治の司法化」が起きている歴史的,そして知識社会学的な背景を論じつつ,具体的に裁判所を中心とした独立機関(選挙管理委員会なども含む)が選挙・政党のあり方について詳細な規制を行ったり,汚職の定義を拡げたりしていくことで,政党や政治家という民主主義のプレイヤーに対して強い影響を与えていることが説明されています。

裁判所だけではなく選挙実施機関なんかもすごく強くなるというのは,タイに限らず他の国,アジアであればインドネシアや韓国などでも見られることで,非常に興味深い事例研究になっていると思います。なぜそれが起こるかということを確定的に論じることは難しいですが,本書の議論では,立憲主義の導入によって民主主義の質を高めるということがうたわれつつ,旧体制エリートの権益保護という側面もあるのではないかという興味深い指摘も行われています。

すごい細かい点なんですが,一個だけ気になったのが,タイの1997年憲法改革以前の選挙制度で,本書では中選挙区制(たぶん日本と同じSNTV)と書かれてるんですが,1990年代以前の制度はSNTVじゃなくてBlock Voteじゃないですかね(以前に何かで読んだ記憶とネットでざっと調べた範囲なのであんま自信ないですが)。ひとつの選挙区から複数選出なのは一緒ですが,有権者の方が複数票を持つということで,そうすると「票買いvote buying」が起こりやすいのもまあわかるかなあと。あと,たぶん2007年はSNTVなんだと思うのですが,これは基本的に定数が3以下ということのようなので,日本的な中選挙区制というよりは,小選挙区もあって二人区が多い,(悪名高い)チリの「比例制」っぽい選挙制度のように思いました。 

タイ民主化と憲法改革: 立憲主義は民主主義を救ったか (地域研究叢書)

タイ民主化と憲法改革: 立憲主義は民主主義を救ったか (地域研究叢書)

 

 続いて,早稲田大学の久保慶一先生から,『争われる正義』を頂きました。どうもありがとうございます。旧ユーゴのセルビアを中心として,戦後の移行期正義について検討された研究です。歴史的な経緯の記述や政権ごとの事例分析に加えて,新聞記事のテキスト分析や地元の研究機関と一緒に実施された社会調査の分析など,まさにマルチメソッドの非常に充実した分析だと思います。個人的には,極めて複雑な歴史的過程と,おそらく日本人には非常に覚えにくい人名・地名・政党名に苦しみましたがとても勉強になりました。これだけのものを書かれる背後にはさらに複雑・難解な事実の積み重ねがあるのだろうと想像すると,執筆は本当に大変なご苦労だったことかと思います。

本書を通じて,もちろん旧ユーゴの和解が非常に困難なプロセスだということを理解できるのですが,同時に日韓関係のような関係の難しさも浮き彫りにされているような気がします。政権や政党の立場によって責任追及や謝罪の行われ方が変わるという困難は同じでしょうし,それに加えて旧ユーゴの場合には色々問題含みであるとしても和解を促進する重要なアクターであるEUのような超国家機関があるわけですが,日韓(というか普通の二国間関係)の場合にそういう機関はないわけで…。バイの関係だとどうしてもゼロサムになりがちななか,下支えするマルチな関係というのが不可欠なのではないかと感じるところがありました。現状の東アジアだとそういう機関の構想はなかなか難しそうですが…。

争われる正義 -- 旧ユーゴ地域の政党政治と移行期正義

争われる正義 -- 旧ユーゴ地域の政党政治と移行期正義

 

 同じく早稲田大学の多湖淳先生からは『戦争とは何か』を頂きました。多湖さんは年末に日本学術振興会賞を受賞して(おめでとうございます!),さらに新書と大活躍です。本書は,「あとがき」にも書かれていますように,一緒に作った『政治学の第一歩』の10章の議論を大幅に(本になってるわけですから)増補したものになっていて,なぜ戦争が起こるのかということを,交渉の失敗という観点から,科学的な実証研究の知見を説明していくものとなっています。新書ですし広く読んでいただきたいと思うのですが,知的な関心として戦争が起きる原因を探求するというだけでなく,過去の経験に学んで原因を知り,将来の不毛な戦争を回避すべきだという著者の強い意志が感じられるものになっていると思います。

科学的な研究というと,それぞれに特性や歴史的な経緯を持つ個々の国/事例について述べることは少ないと思われがちで,だからこそ具体的な政策形成の場面などでは政治史・外交史の知識のほうが有用視されがちというところはあります。本書では,もちろんそういった知識の重要性を認めたうえで,科学的な実証研究から個別のケースである日本についてどのような示唆を得ることができるかについて1章を割いているのは重要な特徴でしょう。まず先行研究から日本の現状の安全保障環境について解説したうえで,多湖さん自身がやってるサーベイ実験などを通じて,現状の日本が抱える領土問題や抑止の問題について科学的な知見を提供しています。もちろん,そう言った実証分析が重要なのは間違いないんですが,本書がそれだけでないのは,あくまで理論的な見通しに基づいた実証分析が行われている,ということだと思います。理論があるからこそ集めたデータについて解釈できるし,それに基づいて示唆を議論できる,そういうことをきちんと示そうとする本であるように思います。 

戦争とは何か-国際政治学の挑戦 (中公新書)

戦争とは何か-国際政治学の挑戦 (中公新書)

 
政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

 

 もうひとつ,これもやはり早稲田大学の政所大輔先生から『保護する責任』を頂きました。どうもありがとうございます。深刻な人道危機が起きてその当事国で危機にある人々を保護できないとき,国際社会が介入して保護を行うべきかということは,個人の普遍的な人権の尊重と国家主権への不可侵という二つの重要な命題の間で困難な問題となってきました。近年では,人道危機から個人を保護することを国家と国際社会に求め,最終的に国連を中心に武力を用いて介入することまで認められることのある「保護する責任」という発想が広がっています。本書では,この「保護する責任」という発想が,規範として形成される動態について跡付けて分析したものです。この規範を掲げるアクターが戦略的に行動し,様々な他のアクターを巻き込み規範を変容させながら,規範が具体的に保護/介入として実現されていく過程を描いています。

本書はコンストラクティビズムに依拠して規範に分析しているもので,基本的に「保護する責任」という規範自体に内在する意味や論理,それから関係者による解釈が中心となっています。しかし,こうやって「保護する責任」という概念が広がっていくのを見ると,同時期(少し前?)に日本も中心となって提示された「人間の安全保障」というよく似た概念のことを思い起こさずにはいられません。慶応の鶴岡先生が書かれているこちらの記事で,「日本が主導したはずの「人間の安全保障」についても、行動ではなく理念ばかりが議論されることになってしまったことを、緒方氏は嘆いたのである」とありますが,これは本書で議論されているようにアクターの戦略の違いや,実施との関係が重要であったということを示すのかもしれません。 

www.nippon.com

保護する責任: 変容する主権と人道の国際規範

保護する責任: 変容する主権と人道の国際規範

 

年の瀬

今年はなんか仕事した感のある年だった。まあ前の3年間はどっかで在外研究に引っかかってるから,一年がっつり仕事をしてるというのは4年ぶりということで,確かにこんなにたくさん書いたものが出たのは2015年以来。論文もまああるけど,コラムや長めの取材起こしがめちゃくちゃ多かった気がする。

さてその仕事はというと,この2年間続いたのでさすがに今年は単著の本はなし。ただ来年末くらいをめどにまとめる話が進んだ。あとやることは1章を書くことと,来年度ファンドが取れたらひとつ調査をしてそれを盛り込むということか。それが来年のメインの仕事になりそう。出版された本としては,いずれも昨年までに書いていた分担執筆ものが。『東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析-タイ,フィリピン,インドネシアの地方エリートサーベイから』はもう5年以上前に原型ができていて、『オーラル・ヒストリーに何ができるか-作り方から使い方まで』はUBCで,『社会のなかのコモンズ』は帰国してから書いたもの。

今年書いたものとしては,都市センターの『都市とガバナンス』でマンションの管理組合について書いた「転換期の分譲マンション-持続可能性と公的介入」が個人的には一番大事な仕事。国交省にマンション総合調査の個票データを使わせてもらって書いたもので,国や地方自治体とは違うところで行われる「政治」について分析した珍しい研究ではないかと。あとは統治機構関係のものを書いていて、まず最近衆議院調査局の『RESEARCH BUREAU 論究』という雑誌に発表された「地方議会の選挙制度をめぐる問題点と改革の論点」(リンク先重いPDF注意)という,10年くらい前に書いたパブリックコメントをベースに最近の研究を加えてアップデートしたものと,憲法学者とのコラボでもうちょっと広く憲法上の地方自治制度について書いたものがひとつ。あとはなぜか最近右翼政党の研究をしていて一応カタチになったものがひとつ。これはたぶん来年出版だとは思うけど,何か編者の方々との見解の相違が大きくてどうなるのか不明。

今年はたぶん今までで一番海外出張が多い年でもあった。学会報告が2回とセミナーで2回かな。学会報告のほうは去年までに書いてた「選挙疲れ」論文とレヴァイアサンの大都市についての論文。せっかく英語にしたのでこれも投稿していかなくては、と思いつつ、改稿する時間がなかなか取れず…というのは言い訳ですが早く進めなくては。出版までたどり着けていないのに先々まで考えるのはどうかと思いますが,できれば再来年には『新築がお好きですか?』をもとに英語の原稿を作るような作業にもチャレンジしてみたいとは思うところ。まあ問題はバタバタと入ってくる仕事とどう向き合うかにかかっているような気ガガガ。 

社会のなかのコモンズ:公共性を超えて

社会のなかのコモンズ:公共性を超えて

 
オーラル・ヒストリーに何ができるか: 作り方から使い方まで

オーラル・ヒストリーに何ができるか: 作り方から使い方まで

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/03/27
  • メディア: 単行本
 

 今年もいろいろ面白い本を読む機会がありました。どれか一冊というのも難しいところですが,個人的に一番印象に残ったのは遠藤さんとウィリーの『イデオロギーと日本政治』でしょうか。あとはいまさら言うまでもなくという感じですが,曽我さんがこの20年くらいの地方政治研究についてまとめたともいえる『日本の地方政府』。どちらも読み継がれる本になるのではないかと思います。 

イデオロギーと日本政治―世代で異なる「保守」と「革新」

イデオロギーと日本政治―世代で異なる「保守」と「革新」

 
日本の地方政府-1700自治体の実態と課題 (中公新書)

日本の地方政府-1700自治体の実態と課題 (中公新書)

 

移民受け入れと社会的統合のリアリティ

旧い友人でもある是川夕さんの『移民受け入れと社会的統合のリアリティー現代日本における移民の階層的地位と社会学的課題』勁草書房,を読みました。すごく面白い本で感想を書きたいなあと思ってるうちに本人がシノドスで解題を書いてしまいましたので,詳しい内容はそちらを。是川君は,学部のときから本当に優秀な人で,ああこういう人が研究者になるんだろうなあと仰ぎ見るような存在でしたが,サクッと就職を決めて内閣府に行くことになってたぶんみんな驚いてたと思います。当時は社会理論の方に関心があったと思いますが,就職してからカリフォルニア大学アーバイン校で人口学を勉強することになり今の方向に行ったのかと。アーバインからメキシコに一緒に行ったのは,個人的に今でも忘れない人生の思い出の一つで,(たぶん)それを共有するであろう是川君がこういう面白い本を出してるのは僕も非常に感慨深いです。

読みどころはたくさんあるんですが,個人的には先行研究の整理から本書の位置づけを展開してるところが非常に彼らしいなあと。まず移民研究の世界的な潮流について紹介し,日本で行われてきた研究をリスペクトしながら,しかしそれが世界の移民研究とはちょっと違ったテイストで独自に行われていることを指摘します。「同化」というと日本の文脈では社会的・文化的な同化,という印象が強くて,何というか移民を日本の社会・文化に合わせるような感じがするわけですが,そういう社会的・文化的なものではなくて,経済的な統合に焦点を合わせて「同化」を検討すると。つまり,移民も受け入れ国で経済的な達成を遂げていくわけで,それを階層論の理論的な枠組みのもとで評価して,その移民の経済的な地位達成の仕方が,受け入れ国の国民とどの程度同じか・違うかを考えていくわけです。

僕みたいなのは,どちらかというと,移民が受け入れ国の国民と同じような経済的達成をする国とそうでない国があって,なんでそんな違いが生じるのだろうか,みたいなことを考えがちなわけですが,本書で行われているのは,受け入れ国の国民と移民が同じような経済的達成をしてるのかどうかをそもそも検証するということです。そこで検証の対象になるのは,移民第一世代の移民男性の労働市場への統合,移民女性の社会的統合,そして第一世代と第二世代の階層的地位の世代間移動,という3つの領域での統合です。ここは僕の誤解かもしれないですが,「なぜ」みたいな問いよりは,移民が増えていく受け入れ国では長期的にはそういう同化/統合が行われていく方向に進んでいくので,日本でもそうなってるか検証しよう,というモチベーションに近いのかな。本書の先行研究の整理でも議論されているように,日本の場合はそもそも日本国民と移民とが構造的に分断されているという理解が非常に強いので,そういう統合がほんとに起きるもんなの??というところからスタートするわけですが,本書では国勢調査の個票データという膨大な量のデータを使って,2010年までの段階でそれなりの統合が達成されていることを実証的に示しています。ブラジル系移民は,しばしば指摘されているようにやや独自の世界を作っているようなところもあるような気がしますが,中国系の移民を見ると,日本人との階層的な地位が縮まる傾向にあると。

一番の発見は,ご本人の解題でも強調されてると思いますが,移民女性を見ることによって浮き彫りになってくる日本人女性の位置づけではないでしょうか。移民女性の方はどちらかといえば「男性的」なかたちで労働市場に統合されていて,日本人女性ほどにジェンダー的な意味での「女性」としての役割を付与されていない傾向にあるとされます。逆に言えば,日本人の女性は相当に強く(移民女性では代替されないかたちで?)「女性」としての役割を負っていることになるわけで,これは相当根深い問題であると。もちろん,日本人男性と結婚して日本の「女性」としての役割を与えられることになる移民女性,という存在もこれから増えていくでしょうし,他の先進国で見られるように社会進出する日本人女性が移民の女性に「女性」としての役割を担ってもらうということもあるでしょう。ただ,現状のこの極端と言ってもいいような性別役割分業のあり方についていろんな角度からの研究が必要なのだということを改めて示唆するものでもあるように思います。 

とこのように,非常に勉強になる研究なのですが,一点だけ文句を。なんか微妙に表記ゆれがあるような気がしたのですが気のせいでしょうか。特に気になったのは「分節化された同化理論」と「分節化した同化理論」とか「家族投資理論」「家族投資仮説」とかみたいに,たぶん同じことを言っているであろうものが微妙に違う表現になってるときがあることで,「同化」と「統合」とか似たような概念を慎重に分けて議論してるんだからその辺も…という気はしました。