分裂と統合の日本政治

このたび千倉書房から『分裂と統合の日本政治』を上梓しました。『地方政府の民主主義』以来二冊目となる研究書ということになります。実証研究の部分である2章から7章までは,主に大阪市立大学に在籍していたときに書いたもので,それをまとめ直したものになります。大阪大学にいた2014年に,1章のもとになった原稿を比較政治学会で報告させていただいて,まとめる道筋は立てていたのですが,思いのほか時間がかかってしまいました。ホントはこの本を書いたうえで,『民主主義の条件』につなげるつもりだったのですが。
元の論文は地方政治の色彩が強かったように思いますが,まとめ直す過程で中央地方関係を意識して整理したつもりです。中央政府の政治的競争とは異なる地方政府に独自の政治的競争を扱った前著の一番最後で,

日本においても首長のポストとそれをめぐる政治的競争が重要になる中で,地方政府における政治的なアクターの行動が,中央政府レベルの意思決定や,地方政府の政策選択を規定する「ゲームのルール」に与える影響は検討されていくべきであると考えられる。…(中略)…国会議員の経験者にとっても,地方政府の首長ポストがより重要な意味を持つようになることに象徴されるように,地方政治が国政に単純に従属するという関係ではなくなることで,中央政府は地方政府に対してより強い関心を持つことになるのである。本書の分析は,あくまでも所与の「ゲームのルール」のもとでの地方政府における政治的なアクターの戦略的行動のみに注目する,いわば「各地方政府を閉ざされた小宇宙として捉える」(曽我・待鳥[2007:319])議論としての限界を持っている。しかし,本書において得られた知見は,地方政治から中央地方関係をとらえる,という新たな可能性を示すものであると考えられる。この可能性を手がかりに分析を進めていくことで,本書の限界を超えて,政治的なアクターの戦略的な行動を媒介とする中央政府・地方政府の動態についての研究を展開させ,地方自治の理解を深めることができると考える。

と書いているのですが(最終校正前),まあ結果的にはこの方向で進めることができたかな,という感じはあります。最後のところ,「地方自治の理解」そのものというよりは,「中央地方関係の政治的側面からの理解」くらいの方が妥当な気はしますが。
本書の分析から得られる制度改革の含意のひとつに地方議会の選挙制度改革があります。これは『地方政府の民主主義』とそれを踏まえて書かれた『大阪』,そして本書の理解を下敷きに書いた『民主主義の条件』でもすでに論じていることですが,個別的利益を強調しがちなSNTVではなく,地方政府における多元的な集合的利益の表出を可能にするために比例制などの選挙制度を考えるべきだろうということです(詳細は『民主主義の条件』の他,以前に民主党政権時代の「地方行財政検討会議」での募集に応じて書いたパブリックコメントをご覧ください)。さらに,本書の最後に書いたように,国政においても政党間の公平な競争を行うことができるようにするための必要な制度的見直しという意味もあります。折しも,ごく最近総務省で取りまとめられた「地方議会・議員に関する研究会」の報告書では,都道府県議会を中心に比例制の検討が謳われることになりました。本書の「あとがき」でも書いたように,選挙制度の再検討は簡単なものではないはずですが,見直しが議論されるようになったことについて,個人的には望ましいことだと考えています*1
本書の出版で,一応博士課程以来続けてきた地方政治・中央地方関係の仕事にはひと段落がつき,当面は都市・住宅政策を研究対象にすることになります。まずはミネルヴァ書房のPR誌『究』で二年間続けてきた連載を単行本にするという仕事に取り組みますが,在外研究の機会を頂いていろいろ考える中で,次の研究書の構想についても少し見えてきました。以前にシノドスに書いたエッセイを軸に,『建築と権力のダイナミズム』『縮小都市の政治学』に寄稿した論文,大阪都構想と広域連携について書いた『アステイオン』や中央公論の論文,UBCで書いた住民投票の論文二つと現在構想中の論文を加えて,都市(自治体)の再編とその意思決定について書けるのではないかというイメージを持つようになりました。まあ帰国後にそれをまとめ切る時間が取れるのかわかりませんが…。残りの在外研究の時間では,これまでの研究を再編成して英文誌への投稿を目指したり,次の研究書の目標を見据えながらサーベイをしたり方法論を学んだりできればと思っております。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

*1:とはいえ,長く政権の座にある自民党自身,1992年の「政治改革の基本方針」で地方議会選挙制度の見直しを謳っていたわけですが。

『知性は死なない-平成の鬱を超えて』ほか

 

那覇潤先生から『知性は死なない-平成の鬱を超えて』を頂きました。與那覇先生とは、以前に東洋経済の連載でご一緒して以来ですが、最近少し体調を崩されているということを人づてにお聞きして心配しておりました。それで出版されてから電子版で拝読していたのですが、大学にもお送りいただいていたようです。本書はその体調を崩された原因-うつ病-についての闘病記でありつつ、大学や社会の問題について鋭く批評する作品となっています。とりわけご闘病のところについては、うつ病という病気について私自身がいくつか根本的な誤解をしていたと分かったことも含めて大変勉強になりました。
大学や学問について書かれていることも,当事者のひとりとして身につまされる思いを感じながら読みました。相対的に高齢の「進歩的な」教員についての見方は私も近い感覚を共有しているように思いますし,幸か不幸かたまにマスメディアで機会を頂いて「論壇ごっこ」をすることになっている人間の一人としては耳の痛いところもありました。
ただまあその耳の痛い話は,きっと「知性」を信じる與那覇さんの激励なんだろう,とも感じるところではあります。自分自身,力不足で専門をはみ出て社会において積極的に戦うような議論を展開するようなことはなかなかできませんが,他方で社会科学が専門化・先鋭化することに(こちらも力不足で)ついていけない感じがするときもあります。この数年は本を書いていたことが多く、論文を中心に書いていた時より読者個人にとって必ずしも「利得」にならないものをどうやって読んでもらうか,ということを悩みながらモノを書くことが増えましたし,逆に今カナダにいることもあって,もう英語だけ書くような方向もあるのではないかと考えることもあります。しかし(おそらくいずれにせよ),最終的には「知性」を信じてボチボチやるしかない,ということなのでしょうね。

知性は死なない 平成の鬱をこえて

知性は死なない 平成の鬱をこえて

 

京都大学の外山文子先生から『21世紀東南アジアの強権政治』を頂きました。どうもありがとうございます。数年前に共同研究でインドネシアの調査に行って以来、東南アジア政治には何となく関心を持ち続けているのですが体系的に勉強できているわけではなく、たなざらしの論文も2本ほど抱える状態が続いています…それはともかく、先日のアジア研究学会Association for Asian Studiesでも、Contemporary Populism in Southeast Asiaという同じような趣旨のパネルがあって参加してみたのですが、まあ基本的には試論的な議論が中心だったので、既に多くの論文を書かれている著者の皆さんであれば内容的にはきっと貢献できるのではないか という気がしました。

21世紀東南アジアの強権政治――「ストロングマン」時代の到来

21世紀東南アジアの強権政治――「ストロングマン」時代の到来

 

京都女子大学の松本充豊先生から『現代台湾の政治経済と中台関係』を頂きました。松本先生は中台協定の決定過程について分析されているということです。台湾の政治制度は日本と似ているところもあって(もちろん似ていないところもたくさんある)、比較対象として興味深く、松本先生とご一緒する科研費プロジェクトも動いていますので、この機会にぜひ勉強してみたいと思っています。 

現代台湾の政治経済と中台関係

現代台湾の政治経済と中台関係

 

成蹊大学の西山隆行先生から『アメリカ政治講義』を頂きました。以前の『移民大国アメリカ』 につづくちくま新書ですね。同時期に東京大学出版会からも『アメリカ政治入門』を出版されていて(こちらは教科書ですね)、同時期の校正は本当にご苦労されたのではないかと思います。 トランプ政権になってから、前にもまして「アメリカ政治を理解する」需要が高まっていることもあるような気がします。

アメリカ政治講義 (ちくま新書)

アメリカ政治講義 (ちくま新書)

 
アメリカ政治入門

アメリカ政治入門

 

  大阪市立大学の守矢健一先生から『ドイツ法入門』を頂きました。9版ってすごいですよね…。今のところ僕自身がドイツ法に触れる機会って、それこそ守矢先生を通じてくらいしかないのですが、政党政治選挙制度のあり方についてドイツの考え方が参考になるところは少なくないように思います。今回の改訂ではそのあたりも一部加えられたとお聞きしていますので、帰国後にぜひチェックしてみたいと思います。

ドイツ法入門 改訂第9版 (外国法入門双書)

ドイツ法入門 改訂第9版 (外国法入門双書)

 

科学技術と政治+いろいろ

筑波大学の五十嵐泰正先生から、『原発事故と「食」』をいただきました。どうもありがとうございます。五十嵐さんは『社会が現れるとき』でもご一緒している大学院の先輩で、 多文化共生や外国人労働者の研究をされていますが、2011年の東日本大震災原発事故以降、「ホットスポット」となった柏市で生産者と消費者をつなぐ活動をされていることでも知られています。今回のご著書は、その柏での活動を起点としつつ、もともと研究されている多文化共生の問題へとつながるかたちで書かれているように思いました。

本書で強調されていることは、原発事故以降の問題について、【科学的なリスク判断】【原発事故の責任追及】【一次産業を含めた復興】【エネルギー政策】という相互に深く絡み合っている4つの問題を切り分けて、それぞれの問題を別個に論じなくてはならないということです。責任追及を重視するあまりに科学的なリスク判断を無視する、みたいなことが起こりうるわけですが、それをせずに責任は責任で、リスク判断はリスク判断で考えよう、ということになります。そのうえで、主に「食」について詳細なデータを検討していきながら、科学的なリスク判断だけでは語れない産業の復興の問題を論じていくという興味深いものでした。しばしば「風評被害」という言葉が使われるわけですが、その中にも色々なバリエーションがあり、問題になっている食品の消費量や他との代替性のようなものが実は重要であることを丁寧に示されているのは本書の読みどころのひとつだと思います。

科学的なリスク判断という観点からは、福島産食品への懸念は相当程度薄れているものの、依然として不安を持っている人を突き放さず、寄り添う姿勢を取るというのは五十嵐さんらしい本書の特徴だと思います。「科学」を強調すると、それを理解できない人を切り捨ててしまうという場面が出てこないこともないですが、本書では、政治化した専門家に対して厳しい批判がなされている一方で、理解が難しい問題に不安を感じる人々をどのように議論に取り込んでいくかということがさまざまなかたちで考えられています。ひとつの方策として議論されるのが、「人格的信頼」つまり「(身近な)この人が言うからには大丈夫」という信頼を軸に食品に対する信頼を取り戻していこうという戦略です。一般的な信頼(システム信頼?)が高いとは言えないなかで、生産過程や流通過程がブラックボックスのままではなかなか食品を信頼できない、そこで「顔が見える」人を通じて信頼を回復していこう、と。

本書で議論されていることは、原発事故後の食品以外にも大きな含意があるように思います。たとえば子育て支援のような社会保障政策なんかでも、いくつもの問題が複雑に絡み合う中で、個々の論者の一番注目したい論点のみが強調されて分断が引き起こされる、というようなことはありがちでしょう。論点を分けた上で、それぞれにどう対応するかを議論し、最終的にどういうパッケージを作っていくかというコミュニケーションの問題がもう少し検討されるべきなんだろうな、と感じたところです(まあここについては人格的信頼は難しそうですが…)。

 関西学院大学の早川有紀先生からは、『環境リスク規制の比較政治学』を送っていただきました。ありがとうございます。本書では、副題にあるとおりに日本とEUの化学物質規制政策を比較しているのですが、いろんな意味でチャレンジングなテーマだと思います。まず「規制」を比べるのが難しいし、それぞれの統治機構の中で規制を担当する組織は入り組んでるし、何より日本という国家とEUという超国家組織を並べるという難しさがあります。もちろん本書ではそのあたりの困難に目配りしたうえで、日本・EUの政策担当者のみならず、業界団体・企業や専門家などへの数多くのインタビューを行って、両者の違いについて論じようとしています。

議論としては、日本・EUのそれぞれにおいて、比較的早い段階で形成された(拘束的な?)制度が、現在の規制のあり方にも影響を与えているというものです。それぞれの規制の歴史を遡ることで、日本では規制政策の企画と実施にとどまらない広範な権限を持った部局(通産省経産省)が規制を行うようになったのに対して、EUの場合は基本的に規制のことだけを考える部局(環境総局)が中心的な役割を担うようになったことが示されます。結果としてどのようなタイプの規制でも、日本では事前に企業との調整が行われて比較的緩い規制になるのに対して、EUでは利害関係者との調整が後回しにされるトップダウン型の意思決定で厳しい規制が行われがち、という傾向が観察されるようです。

本書の基本的な発想はいわゆる歴史的制度論だと思うのですが(Critical junctureとかそういう言葉も出てくるわけで)、しかしよく考えると二つの国を並べてそういう分析するのって結構難しいんですよね。歴史的制度論の場合だと、制度の自己拘束性とかそういうものが注目されるわけですが、二つ並べてみても同じように拘束されるかどうかは必ずしもよく分からない。いっとき歴史的制度論の文脈で出てきた比較歴史分析Comparative Historical Analysisというような感じになるのかもしれませんが、これも具体的にどうやって分析するかというのはいまいち定型化されてないというか。そんな中で本書みたいに、制度が歴史的に形成されてきたことと、それらの制度が異なるアウトプットを安定的に出してくることに、実質的に分けて考えてみるのもひとつの方法かもしれません。とはいえまあどうしても制度変数の違いか国の違い(固定効果的な)かわかんないだろう、みたいな問題はついて回りますが、そこはメカニズムの説明でいかに説得的にできるか、ということにかかってくるようにも思います。 

年度末ということもあるのかもしれませんが、大学の方にもいくつか頂いておりました。まず著者の浅山太一さんから『内側から見る創価学会公明党』をいただきました。ありがとうございます。非常に魅力的なタイトルで、帰国したらぜひ読もうと思っておりました。今更言うまでもないですが、公明党はSNTVで行われる地方選挙において最も成功している政党であり、その分析は政治学者にとっても非常に重要なものです。一般的には組織の力を使った「票割り」が注目されやすいと思いますが、票割りは組織・支持層が固定的じゃないとできないところもあるわけです。なので票割りと組織拡大はやや背反するところもあると思いますが、この政党がその問題をどう扱っているのか、とか本書を読んで考えてみたいです。

 鳥取大学の塩沢健一先生から『政治的空間における有権者・政党・政策』をいただきました。ありがとうございます。中央大学で行われたプロジェクトの研究成果ということで、塩沢さんは18歳選挙権の問題を扱っているということです。これまで住民投票の研究をずっとされてこられて、住民投票はたまに20歳未満の住民にも選挙権を与えることが行われてましたから、その経験とデータを使って分析されているということなのではないかと思います。 

政治的空間における有権者・政党・政策 (中央大学社会科学研究所研究叢書35)
 

 北海道大学の前田亮介先生から『明治史講義【テーマ篇】』をいただきました。ありがとうございます。前田さんの担当は、「大日本帝国憲法ーー政治制度の設計とその自律」ということで、明治期の憲法体制について書かれているとのことです。最近は憲法改正の議論も出てきたわけですが、実際に日本で運用されていた「もうひとつの」憲法体制ということで、明治憲法体制を振り返るのも興味深いように思います。 

明治史講義 【テーマ篇】 (ちくま新書)

明治史講義 【テーマ篇】 (ちくま新書)

 

 国立教育政策研究所渡辺恵子先生から『国立大学職員の人事システム』をいただきました。ありがとうございます。渡辺さんが出された博士論文をもとにしたものだと思いますが、実際に国立大学で働いている身からすると非常に興味深いものになります。これまで国・地方自治体の官僚人事システムの研究は行政学で色々と蓄積されてきましたが、その外の機関の人事システムについて成果が発表されるのは珍しいように思います。自分の職場を知るうえでも勉強させていただきます。 

 早稲田大学の田中愛治先生から『熟議の効用、熟議の効果』をいただきました。ありがとうございます。「外国人労働者の受け入れ」をめぐって行われた熟議(ミニ・パブリクス)とその前後での調査を踏まえて、実証分析・規範分析の研究者が共同研究を行うという極めて野心的・魅力的なプロジェクトの成果ということです。準備から分析・出版までかなり大変なプロジェクトという感じを受けますが、やはり政治学でもこういう大規模な共同研究プロジェクトが増えていくのでしょう。 

熟議の効用、熟慮の効果: 政治哲学を実証する

熟議の効用、熟慮の効果: 政治哲学を実証する

 

 神戸大学の大西裕先生からは『選挙ガバナンスの実態 日本編』をいただきました。こちらも科研費による共同研究の成果ですね。数年かけて日本の選挙管理委員会の調査を行っていらっしゃいましたが、おそらく体系的な日本の選挙管理委員会の調査は初めてと言えるのではないでしょうか。調査のデータを使いながら、選管(職員)の自律性/首長との関係や、具体的な選挙の運営の問題などが論じられています。 

 早稲田大学の木下健先生からは『政治家はなぜ質問に答えないか』をいただきました。ありがとうございます。インタビューの事例分析を行っているということですが、計量テキスト分析とかなんですかね。上の『選挙ガバナンスの実態 日本編』にもありますが、最近は計量テキスト分析をする研究も増えているようで、なかなか勉強が大変です…。本書では、映像データの分析なども行われているようで、方法論の観点からも興味深いものがあるように思います。

政治家はなぜ質問に答えないか:インタビューの心理分析

政治家はなぜ質問に答えないか:インタビューの心理分析

 

社会が現れるとき

宣伝ですが,東京大学出版会から出版された『社会が現れるとき』という本に,「誰が自治体再編を決めるのか-「平成の大合併」における住民投票の再検討」という論文を寄稿しました。本書は,東京大学大学院総合文化研究科で博士課程の指導教員であった山本泰先生の退職記念論文集で,学生として指導を受けたことのある研究者が寄稿するものとなっています。まさに社会学のお歴々というような方々で,私がそこに寄稿させていただいていいのかよくわかりませんが,せっかくの機会ということで参加させていただきました。

解題で佐藤俊樹先生が「執筆者のなかには…現在では社会学者を名乗っていない人もふくまれる」と書かれてますが,まあ私もその一人ということになります。とはいえ,パラパラと見ていったところ,社会学者が中心に書いているとは言っても,対象も方法も文体もバラバラで,一貫した関心を持ってこの本を読む人がどのくらいいるのかというとよくわかりませんが…。解題の中に,「「駒場社会学」を形にしたものといえるかもしれない」とありますが,それが言い得て妙ということなのかもしれません。

佐藤先生が山本先生の大学院演習について述べているのが面白くて,少し引用してみます。

何か特定の具体的な対象がとりあげられ,その解明がめざされる。そのときに焦点になったのは,それを社会によってどこまで説明できるか,ではなかった。むしろ,社会というカードを出さずにどこまで頑張れるか,だった。…(中略)…

言い換えれば,全てを社会で説明しない,社会学にしない。例えば法や経済や政治の制度で説明できるのであれば,それでよい。あるいはその方がよい。そうした可能性を検討した上で,それでも説明できない何かが残る。そこでようやく社会が出てくる。社会なるものがはじめて議論の場に現れる。そういう語り方になっていった。…(401-2頁)

これはまさにそうなんですよね。以前,『政治学の第一歩』の座談会で,「この本の1つの特徴は、…「社会」という言葉が出てこないところなんですね。」と発言してますが,これはおそらく駒場のときに受けた教育の影響が相当に大きいということもあるのだと思います。なるべく「社会」という概念を持ってこずに説明する,それでも出てこざるを得ないときに「社会」が現れてくる,それがどこになるのかというのを考えながら読むと,意外と通読することも不可能ではないのかもしれません(本なのに…(苦笑))。

私自身は,平成の大合併で行われた住民投票がどのように始められたか,そして住民投票の結果を受けてどのように合併が行われたか/行われなかったか,さらに投票率や賛成率はどのような要因に左右されたか,というようなことを分析しています。データは総務省自治行政局が2008年に行った調査のデータを使わせて頂くことができ,大変感謝しています*1。個人的な解題をちょっとだけさせていただくと,しばしば地域社会の意思表明と理解される住民投票であっても,実際はそれが議題に乗るかどうか,あるいは表明された意思が実現に移されるか,ということは自明ではなくて,これを逆にたどっていくことで「地域社会の意思」を考えることのむずかしさの一端を示すことができれば本書の趣旨と合うかなあ,と思ったりしてました。

自分自身の研究の中での位置づけというと,これまで大阪都構想関係の住民投票を観察してきて,昨年は地方自治体の政策について行われた住民投票の比較分析の論文を発表してきたことがあり,一応これまで行われてきた住民投票についてはそれなりに網羅的に分析してきたことになったかな,と思います*2。この辺の論文と,「都市の中心」の移動がらみで書いた論文や大都市の再編関係の論文などを合わせていつか一冊の本にできれば良いのですが。この本単体だと政治学者のところにはなかなか届きにくいこともありますし。

 

社会が現れるとき

社会が現れるとき

 
政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

 

 

*1:というわけで市町村課に一冊献本したのですが,なぜこの本が来たのか…と混乱させてしまったら申し訳ありません…

*2:憲法95条に基づく住民投票について個別には見てませんが

『日韓国交正常化交渉の政治史』ほか

大阪市立大学の金恩貞先生から『日韓国交正常化交渉の政治史』をいただきました。どうもありがとうございます。外交交渉の議論は専門外ではありますが、外務省と大蔵省の対立を軸に日本政府の政策過程を中心に扱っていることもあり、非常に興味深く読むことができました。本書の最後でも少し論じられているように、日韓国交正常化に至る交渉とその背景にあるアイディアは、おそらく現在の難航する日韓交渉にも通底するものなのだと思います。

本書では、日本のみならず韓国・アメリカの外交史料を駆使しながら議論が組み立てられていますが、基本的には日本政府の側から交渉の経緯を追うかたちになっています。そこでポイントとなるのは、日本政府が当初から掲げていた法律論的な考え方です。あえてまとめると、日本による韓国併合は正当な手続きを経たものであり、その後に蓄積されていった韓国国内での(日本の)私有財産は保護されるべきものである、終戦期にその資産が没収されていったことは違法であり、日本(政府と国民)はその財産に対する請求権を持っている、という感じでしょうか。大蔵省は、このような請求権があるうえに、韓国から日本に対する請求権についても厳密な根拠がないものは支払わない(査定官庁!)という方針を取ることで、日本から韓国に支払うべき補償は多くならないと主張ていたわけです。

こういう法律論が出てくる背景には、他の国(主に西欧諸国)における植民地の精算の経験があって、そういう旧宗主国は「合法的に」植民地で私有財産を蓄積してきたのだから、日本だって同じだろうという理屈があります。日本からみたら、アメリカなんかもそういう理屈には反対しにくいだろう、と。とはいえ、第二次大戦によって敗北した帝国主義植民地主義という面もあるわけで、連合軍によって「解放」された韓国の方は、植民地支配自体が不法だと考えて、そんな請求権を認めるわけにはいきません。むしろ日本の不法な植民地支配の清算を請求する立場を取ります。大蔵省の査定に対しても、そもそも支配や戦争の中で資料を用意することなんてできないんだから、と。

そういう対立の中で、日本政府の中でも外務省(アジア局)は冷戦構造を所与にして韓国の反共と早期の経済発展を望むアメリカと歩調をあわせつつ、合意できるラインを探して努力します。日本としても自由主義陣営の仲間として韓国と協調する必要があるし、韓国としても国内から批判があっても厳しい経済状況の中で復興・経済開発のための資金が必要になるわけで、法律論や植民地支配の清算とは別に合意の余地があるわけです。その日韓交渉の過程では、岸信介大平正芳といった政治家の役割が強調されることが多いわけですが、本書では上記の法律論から出発して、請求権の実質的な相互放棄+一定の対韓援助、そして最終的な経済協力方式へと交渉をまとめ上げたアジア局の役割を評価するものになっています。政治家も重要ではありますが、あくまで外務省と同じ方向を向いたときにそのリーダーシップが発揮されるという評価になっています。

詳細はお読みいただきたいところですが、こういった難しい交渉の過程を上手に再構成した本書は、現在の難航する日韓交渉にも貴重な含意があるように見えます。韓国が経済成長していったことで韓国側から妥協して合意する余地は薄れた上に、「落としどころ」を伝える仲介者としてのアメリカももはやいないように見えます。最近では徴用工問題など、実質的に放棄したはずの請求権に基づいて補償を求める動きもあって、これなどは日本側から見れば最終的な解決をしたはずの問題の「蒸し返し」にほかならないわけですが、それは両国の問題の始点を近代化以降に求めるか、終戦時点に求めるかという立場の違いによるものでもあります。そのような合意が簡単ではなく、日韓国交正常化の合意を可能にした条件の多くが失われているであろうことを考えると、その難しさは増すばかり、ということを本書は非常に上手に伝えているように思います。 

日韓国交正常化交渉の政治史

日韓国交正常化交渉の政治史

 

 その他にもいくつか書籍を頂いておりました。まず成蹊大学の高安健将先生からは『議院内閣制』をいただきました。ありがとうございます。ウェストミンスターモデルと呼ばれる議院内閣制の典型であるイギリスについて論じつつ、近年の権力分立的な方向性を評価するような議論、というかたちでお聞きしました。日本の方は埋め込まれていた権力分立的なところを残しつつ、ウェストミンスターモデルを志向したというようなところがあるように思いますが(なので無理も出てくる)、含意も含めて興味深い本だと思います。

議院内閣制―変貌する英国モデル (中公新書)

議院内閣制―変貌する英国モデル (中公新書)

 

やはり成蹊大学の今井貴子先生からは『政権交代の政治力学』をいただきました。ありがとうございます。博士論文をもとにしつつ、最近いらっしゃっていた在外研究の成果を活かしたものだと思います。ウェストミンスターモデルを考えるときに政権交代は欠かせない要素になりますが、日本ではまだそれが端緒についたばかりで、イギリスに学ぶところは非常に多いと思います。高安先生の本と合わせて勉強させていただきたいと思います。ていうか成蹊大は本当に各国政治の専門家がすごいですね!

政権交代の政治力学: イギリス労働党の軌跡 1994-2010

政権交代の政治力学: イギリス労働党の軌跡 1994-2010

 

東京大学の金井利之先生からは『行政学講義』をいただきました。ありがとうございます。「被治者」としての立場から統治を見るというかたちで行政を論じられているということです。在外研究から戻るとすぐにまた行政学の講義をすることになりますので、ぜひ勉強させていただきたいと思っております。 

行政学講義 (ちくま新書)

行政学講義 (ちくま新書)

 

大阪大学の上川龍之進先生からは『電力と政治』(上・下)をいただきました。ご一緒した『二つの政権交代』でも電力と政治について論じられていますし、東日本大震災研究で原発や電力の問題を扱われてきた成果だと思います。副題の「日本の原子力政策 全史」というのは本当に壮大ですが、非常に精緻に政策過程を追うことができる上川先生が二巻本で書かれているわけですから、まさにそのとおりのものとなっていると思います。読むのがとても楽しみな一冊(二冊)です。 

電力と政治 上: 日本の原子力政策 全史

電力と政治 上: 日本の原子力政策 全史

 
電力と政治 下: 日本の原子力政策 全史

電力と政治 下: 日本の原子力政策 全史

 

立命館大学の佐藤満先生からは『政策過程論』をいただきました。ありがとうございます。立命館の政策科学部関係のみなさんで書かれている教科書のようです。目次を見ると、理論と事例に分かれていて、理論の方は割とクラシックな感じはしますが、よく考えたらそういう理論をまとめてる公共政策の教科書ってあんまりなかったような気もします。また勉強させていただきたいと思います。

政策過程論―政策科学総論入門

政策過程論―政策科学総論入門

 

最後に微妙な宣伝ですが、一応共著というかたちで2章ほど協力したJapan's Population Implosionが出版されました。以前に出版された『人口蒸発「5000万人国家」日本の衝撃』の英訳ですが、前回と違って今回は共著者として名前が出ることもあり、日本語版よりも手が入っているような気がします(編集過程はいろいろ大変でしたが…)。都市計画と地方財政制度や選挙制度の話を扱っているもので、時期的には最近やってる研究の初期の議論をまとめたもの、という感じでしょうか。 

Japan’s Population Implosion: The 50 Million Shock

Japan’s Population Implosion: The 50 Million Shock

 
人口蒸発「5000万人国家」日本の衝撃──人口問題民間臨調 調査・報告書

人口蒸発「5000万人国家」日本の衝撃──人口問題民間臨調 調査・報告書

 

 

『平成デモクラシー史』ほか

ちょっと東京に戻ったときに,日本経済新聞社の清水真人さんから『平成デモクラシー史』を頂いておりました。ありがとうございます。あとがきに書かれている問題意識にもありましたが,特に民主党政権までのあたりについては,大きな枠組みをもとにこれまでのお仕事を再構成されていたようなところもあると思います。その中でも,個人的には民主党政権がどういう意思決定プロセスを取るべきだったかという議論が面白かったです。本書の中では「ドイツ式」というような方法の可能性が議論されていましたが,議員(と国会)の自律性を極端に高めるわけでもなく,さりとてイギリスのように政党規律で押し通すのではないようなやり方を考える必要があるのだと思います。このあたりは,清水唯一朗さんが博論をもとにした本で論じられていた戦前の話とも連続するところなのだと思いますが,制度化を考えるとなかなか簡単な話ではないんだろうなあという感想を持ったところです。

最後の安倍政権のところも,知らない事実が多く非常に興味深かったです。安倍内閣ではやはり内閣の凝集性が高くなっていると思われますが,これは政党規律の向上を背景に総理大臣から大臣への委任(と大臣から官僚への委任)がうまくコントロールされているのか,あるいは大臣への委任よりも総理が直接官僚をコントロールする形が強まっているのか(内閣組織の拡大?)というようなことを考えるところです。制度改革によって政党規律が高まっていることだけではなく,内閣/総理のキャパシティ・ビルディングが進んでいるということもあるんだと思います。両者がそもそも峻別できるのかはよくわからないところもありますが。
久しぶりに民主党政権期の話を読み,そこから安倍政権の話を読むと,政党陣笠議員のフォロワーシップが重要というのはもちろんですが,そもそもリーダーをどう選ぶか,リーダーをどうコントロールするかというのが極めて重要な問題なのだなあと思いました。日本だと何となく衆目の一致するリーダーみたいなのが作られていくような気がしますが,民主党トロイカに典型的なように,そういう人たちの変に自律的な行動が組織を毀損するということはしばしば起こっているような気がします。それもある意味(党内の)選挙制度の話なのかもしれませんが,小泉氏はともかく,今回の安倍氏は政権が続く中で自民党議員たちが自分たちで(やむを得ずでも)選んでるリーダーであるということを再確認しているような印象があって,それが民主党系の野党とは大きく違うような気がしました。

平成デモクラシー史 (ちくま新書)

平成デモクラシー史 (ちくま新書)

 
政党と官僚の近代―日本における立憲統治構造の相克

政党と官僚の近代―日本における立憲統治構造の相克

 

この間溜まっておりましたが,大学にいくつか書籍を送っていただいておりました。まず東京大学鹿毛利枝子先生からWho Judges?を頂いておりました。日本の陪審員制度の導入を中心に司法制度の比較分析をされている本です。鹿毛先生は一冊目に続きケンブリッジ大学出版から ご著書を出版されるということで,これは本当にすごい!司法政治は個人的にもいつかやってみたいと思うテーマなので,日本に戻ったらぜひ勉強させていただきたいと思います。

Who Judges?: Designing Jury Systems in Japan, East Asia, and Europe

Who Judges?: Designing Jury Systems in Japan, East Asia, and Europe

 

首都大学の松井望先生からは,『自治体政策法務の理論と課題別実践』を頂いておりました。行政法学の鈴木庸夫先生の古稀記念論文集ということで,行政法系の方が執筆されているようです。取り上げられているテーマはかなり多岐にわたっていますが,松井先生は受動喫煙防止規制というホットなテーマで書かれているようです。 

自治体政策法務の理論と課題別実践-鈴木庸夫先生古稀記念

自治体政策法務の理論と課題別実践-鈴木庸夫先生古稀記念

 

中央大学の横山彰先生からは,『日本の財政を考える』を頂いておりました。ありがとうございます。財政再建社会保障・税制・地方財政の4部構成になっているテキストです。行政学の授業ではやりたいもののなかなか扱いにくい財政の各論について書かれているようで,たとえば行政学の副読本みたいな感じでもいいのかもしれません。

日本の財政を考える

日本の財政を考える

 

名古屋大学の川島佑介先生からは,『都市再開発から世界都市建設へ』を頂きました。ありがとうございます。博士論文を書籍にされたもので,ロンドン・ドックランズの再開発を論じられています。川島さんは都市政治や防災の分野でも興味深い仕事をされていてそちらはよく読んでいたのですが,博士論文の方は未読でしたので楽しみに読ませて頂こうと思います。

都市再開発から世界都市建設へ ――ロンドン・ドックランズ再開発史研究

都市再開発から世界都市建設へ ――ロンドン・ドックランズ再開発史研究

 

 同志社大学の山谷清秀先生からは『公共部門のガバナンスとオンブズマン』を頂きました。ありがとうございます。オンブズマンを通じた救済制度についてまとまった研究ってなかなか思いつかないので,重要な貢献だと思います。これは以前に頂いた橋本圭多さんのご著書と同じシリーズということでしょうか。だとすると大学の支援もあるのかなあと思いますが,博論を出して,それを書籍化するというのをシステマティックにやられるとしたら結構すごいことですね。

山田真裕先生と前田幸男先生からは,『「日本人」は変化しているのか』を頂きました。ありがとうございます。3つの大規模な国際比較調査データを用いて,日本人の価値観などを中心に分析が行われているようです。「価値観」というのはしばしば思い込みや固定観念で議論されてしまいやすいところですが,データに基づいた信頼できる研究が発表されるのは素晴らしいことだと思います。

 

地方議会に非拘束式比例制を導入するとどうなるだろうかー疑問にお答えして

大佛次郎論壇賞を受けたことで,先日朝日新聞に割と長い寄稿を行う機会を頂きました。これまでも同じ朝日新聞の「耕論」欄や日本経済新聞の「経済教室」欄で割と長い寄稿の機会を頂いて,地方議会の選挙制度の問題点について触れることがありましたが,残念ながら具体的にどういう案があるかということに触れるほどの紙幅はなかなかありませんでした。ただ先日「経済教室」欄にそのようなことを書いたこともあり,今回はせっかくなので提案についてなるべく具体的に書いてみることができました。基本的には,2015年に『地方議会人』という業界誌(?)に書いたものを縮小したものです。より具体的にはこちらをどうぞ。校正前原稿です。

具体的に非拘束式の比例制を導入してはどうか,と書いたこともあり,大変ありがたいことに,ツイッターで見る限りですが当事者である地方議員の方からも反応を頂きました。検索で確認できた範囲でのコメントとしては,地方議会の問題はその通りだと思うけど/国政との連動を強調するのは疑問,というものが多かったと思います。現に地方議員として活動されている方々から見ればもっともなお話で,できる範囲でお応えすべきではないかと思いブログを書こうと思いました。

地方議会で比例制を入れたときに,国政との具体的に関係がどうなっていくか,という問いについては,大変残念ですが確定的なことは言えないというのがまず申し上げるべきことだと思います。現状の選挙制度に問題が大きく,その問題を緩和しつつ,移行可能性の高い,よりマシな制度を考えるべきではないかというのが私の基本的なスタンスです(このあたりのスタンスについては,九州大学の岡崎先生のブログで少しお話したことがあります)。現行の衆議院総選挙での小選挙区比例代表並立制を維持するのであれば,地方議会でも小選挙区制や完全連記制が考えられると思いますが,選挙区割りをしたり議員定数削減をしたりする必要が出るでしょうし,同じような多数制である首長との役割分担をどう考えるかも難しくなります(このあたり,『地方議会人』の原稿にもう少し詳しく書いています)。

やや余談ですが,実は滞在先のバンクーバー市(人口60万弱)は,首長と市議会が並立し,市議会は定数10の完全連記という制度を採用していて,それを見るに個人的には議員定数をかなり削減して完全連記というのはアリだと思っているのですが,日本で人口60万だと50人近くいる議員を一気に40人も減らすのは政治的にあまり現実的とは言えないだろうと。また二桁の議員を完全連記で選ぶというのは,有権者に過度の負担を与えることが予想され,私にはこれも現実的とは思えません。

小選挙区制の導入で二大政党制ができる」みたいなことを言えればいいのかもしれませんが,それができないのは,国政で多数制/地方で比例制というのは例が少なく,その効果を予想するのは難しいからです。有名なところだと,国政が小選挙区制のイギリスで,スコットランドでは日本でいういわゆる連用制を使っている例がありますが,この連用制ではSNPが相当議席を取っていて,かなり小選挙区部分が強く効いているように見えます。これも滞在中のブリティッシュコロンビア州で比例制導入の議論をしてますが,ぜひその効果を見てみたいものです。

 その中であえて効果を予測するとすれば,日本の場合ポイントになるのは長の強さだと思います。長が強い影響力を持つところでは長とあゆみを同じくする地方政党みたいな政党がある程度議席を取るのではないかと思います(もちろん前提として,簡単にでも地方政党/議員グループを法定する必要があります)。また,潜在的な長の候補となるようなスター議員候補者(たくさん票を獲って仲間に分けることができる)を持つ地域政党も同じような理由で生まれるでしょう。つまり,得票の源泉になるようなところが重要であって,それが地方レベルであれば一定の議席を獲得する地方政党の伸長が予想されるわけで,その時のカギが長の職だろうということです。そうやってできる地方政党は,必ずしも国政政党との一貫した連携関係を持たないでしょうし,むしろ地方政党が支持する国政政党を選ぶという場面が出てきても不思議ではないと思います。

他方,国政レベルでの政党ラベルを票の源泉とするなら国政政党が地方でも伸びても不思議ではありません。現在の地方財政制度を前提に考えると,補助金に頼らざるを得ない地域では,国政の政権党との関係が重視され,そことのパイプを持つ政党(まあ国政与党ですね)が強くなる可能性があると思います。国政野党はどうするんだ,ということですが,これは『分裂と統合の日本政治』でも議論してきたところですが,政策的なプログラムで票を集める戦略を採らざるを得ないので,それで戦えるのはまずは都市地域となるように思います。それでも現在の分裂状況よりは一貫した戦略を持って戦いやすいのではないかと思います。

ご批判いただいた「連動」という表現ですが,私自身は,どのような選挙制度の組み合わせをとっても「連動」は生じると考えています。もちろん現在の制度でもそうで,それは国政与党と国政野党が非対称なかたちで「連動」することになるという理解です。「連動」を国政政党の影響力増大と理解するならば,特に野党の地方議員にはそのような特定のかたちでの「連動」が起きにくいのが現在の組み合わせだろう,と。つまり私の理解は,どうせ「連動」が生じるならば,もう少しこのような非対称を緩和するかたちでの「連動」を考えることが,制度改革の必要性を生み出している理由のひとつだという理解です。

ツイッターのコメントでも納得する部分があると言っていただいているように,本筋は地方議会自体の機能不全をどうするか,というのが重要な議論です。ひとつには,寄稿で論じたように,当選に必要な得票数をあげることによってアカウンタビリティを高めるということがあります。さらには私自身が『地方政府の民主主義』や『大阪』で継続的に論じてきたことですが,地方議会で議員候補者の当選の閾が低いためにどうしても関心が個別的利益によってしまうこと,そしていわゆる二元代表制のもとで地域全体の集合的利益が首長に一元的に代表されてしまう(悪く言えば,いろんな集合的利益を「何でもやる」かたちで取り込んでしまう)問題に対して,地方議会が多元的に集合的利益を代表するようにできる制度としても比例制は検討すべきだと考えています。そのうえで,有権者が,ある程度一貫性・永続性を伴って集合的利益を主張する議員のグループ(これを政党と呼んでも呼ばなくてもいいでしょう)を選ぶようにできないものかと。

今回の寄稿で,1%以下の人々を代表しようとする議員ばかりになってしまうことが弊害のひとつだと書きました。少数であっても代表されるべきだ,というのはもちろんその通りですが,その少数がまわりの人々と協力して何とか多数を作り出していくというのが議会に期待されることだと思います。厳しい言い方をすれば,議員には,少数の代表としてその立場から正論を言う,それを聞かない方が悪いという立場は求められていないのではないかと。しかし現行制度にはそのような立場を作りやすい性格があるように見えます。非拘束式の比例制になれば,もちろんそういう一人政党で実質無所属を貫くことも不可能ではありませんが,協力する仲間を作った方が色々有利なことになるだろうとは思われます。

確定的なことはわからないといって提案するのは無責任だ,というご批判もあるかもしれません。比べればマシになる蓋然性が高い理屈は用意できるという程度だと言われればその通りだと思いますが,せっかくメディアで問題提起をする機会を頂いて,真面目な反応もいただいたので,私なりに足りない部分を説明できればなあと思ったところです。議論を深めるきっかけになれば幸いです。