年の瀬

今年はなんか仕事した感のある年だった。まあ前の3年間はどっかで在外研究に引っかかってるから,一年がっつり仕事をしてるというのは4年ぶりということで,確かにこんなにたくさん書いたものが出たのは2015年以来。論文もまああるけど,コラムや長めの取材起こしがめちゃくちゃ多かった気がする。

さてその仕事はというと,この2年間続いたのでさすがに今年は単著の本はなし。ただ来年末くらいをめどにまとめる話が進んだ。あとやることは1章を書くことと,来年度ファンドが取れたらひとつ調査をしてそれを盛り込むということか。それが来年のメインの仕事になりそう。出版された本としては,いずれも昨年までに書いていた分担執筆ものが。『東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析-タイ,フィリピン,インドネシアの地方エリートサーベイから』はもう5年以上前に原型ができていて、『オーラル・ヒストリーに何ができるか-作り方から使い方まで』はUBCで,『社会のなかのコモンズ』は帰国してから書いたもの。

今年書いたものとしては,都市センターの『都市とガバナンス』でマンションの管理組合について書いた「転換期の分譲マンション-持続可能性と公的介入」が個人的には一番大事な仕事。国交省にマンション総合調査の個票データを使わせてもらって書いたもので,国や地方自治体とは違うところで行われる「政治」について分析した珍しい研究ではないかと。あとは統治機構関係のものを書いていて、まず最近衆議院調査局の『RESEARCH BUREAU 論究』という雑誌に発表された「地方議会の選挙制度をめぐる問題点と改革の論点」(リンク先重いPDF注意)という,10年くらい前に書いたパブリックコメントをベースに最近の研究を加えてアップデートしたものと,憲法学者とのコラボでもうちょっと広く憲法上の地方自治制度について書いたものがひとつ。あとはなぜか最近右翼政党の研究をしていて一応カタチになったものがひとつ。これはたぶん来年出版だとは思うけど,何か編者の方々との見解の相違が大きくてどうなるのか不明。

今年はたぶん今までで一番海外出張が多い年でもあった。学会報告が2回とセミナーで2回かな。学会報告のほうは去年までに書いてた「選挙疲れ」論文とレヴァイアサンの大都市についての論文。せっかく英語にしたのでこれも投稿していかなくては、と思いつつ、改稿する時間がなかなか取れず…というのは言い訳ですが早く進めなくては。出版までたどり着けていないのに先々まで考えるのはどうかと思いますが,できれば再来年には『新築がお好きですか?』をもとに英語の原稿を作るような作業にもチャレンジしてみたいとは思うところ。まあ問題はバタバタと入ってくる仕事とどう向き合うかにかかっているような気ガガガ。 

社会のなかのコモンズ:公共性を超えて

社会のなかのコモンズ:公共性を超えて

 
オーラル・ヒストリーに何ができるか: 作り方から使い方まで

オーラル・ヒストリーに何ができるか: 作り方から使い方まで

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/03/27
  • メディア: 単行本
 

 今年もいろいろ面白い本を読む機会がありました。どれか一冊というのも難しいところですが,個人的に一番印象に残ったのは遠藤さんとウィリーの『イデオロギーと日本政治』でしょうか。あとはいまさら言うまでもなくという感じですが,曽我さんがこの20年くらいの地方政治研究についてまとめたともいえる『日本の地方政府』。どちらも読み継がれる本になるのではないかと思います。 

イデオロギーと日本政治―世代で異なる「保守」と「革新」

イデオロギーと日本政治―世代で異なる「保守」と「革新」

 
日本の地方政府-1700自治体の実態と課題 (中公新書)

日本の地方政府-1700自治体の実態と課題 (中公新書)

 

移民受け入れと社会的統合のリアリティ

旧い友人でもある是川夕さんの『移民受け入れと社会的統合のリアリティー現代日本における移民の階層的地位と社会学的課題』勁草書房,を読みました。すごく面白い本で感想を書きたいなあと思ってるうちに本人がシノドスで解題を書いてしまいましたので,詳しい内容はそちらを。是川君は,学部のときから本当に優秀な人で,ああこういう人が研究者になるんだろうなあと仰ぎ見るような存在でしたが,サクッと就職を決めて内閣府に行くことになってたぶんみんな驚いてたと思います。当時は社会理論の方に関心があったと思いますが,就職してからカリフォルニア大学アーバイン校で人口学を勉強することになり今の方向に行ったのかと。アーバインからメキシコに一緒に行ったのは,個人的に今でも忘れない人生の思い出の一つで,(たぶん)それを共有するであろう是川君がこういう面白い本を出してるのは僕も非常に感慨深いです。

読みどころはたくさんあるんですが,個人的には先行研究の整理から本書の位置づけを展開してるところが非常に彼らしいなあと。まず移民研究の世界的な潮流について紹介し,日本で行われてきた研究をリスペクトしながら,しかしそれが世界の移民研究とはちょっと違ったテイストで独自に行われていることを指摘します。「同化」というと日本の文脈では社会的・文化的な同化,という印象が強くて,何というか移民を日本の社会・文化に合わせるような感じがするわけですが,そういう社会的・文化的なものではなくて,経済的な統合に焦点を合わせて「同化」を検討すると。つまり,移民も受け入れ国で経済的な達成を遂げていくわけで,それを階層論の理論的な枠組みのもとで評価して,その移民の経済的な地位達成の仕方が,受け入れ国の国民とどの程度同じか・違うかを考えていくわけです。

僕みたいなのは,どちらかというと,移民が受け入れ国の国民と同じような経済的達成をする国とそうでない国があって,なんでそんな違いが生じるのだろうか,みたいなことを考えがちなわけですが,本書で行われているのは,受け入れ国の国民と移民が同じような経済的達成をしてるのかどうかをそもそも検証するということです。そこで検証の対象になるのは,移民第一世代の移民男性の労働市場への統合,移民女性の社会的統合,そして第一世代と第二世代の階層的地位の世代間移動,という3つの領域での統合です。ここは僕の誤解かもしれないですが,「なぜ」みたいな問いよりは,移民が増えていく受け入れ国では長期的にはそういう同化/統合が行われていく方向に進んでいくので,日本でもそうなってるか検証しよう,というモチベーションに近いのかな。本書の先行研究の整理でも議論されているように,日本の場合はそもそも日本国民と移民とが構造的に分断されているという理解が非常に強いので,そういう統合がほんとに起きるもんなの??というところからスタートするわけですが,本書では国勢調査の個票データという膨大な量のデータを使って,2010年までの段階でそれなりの統合が達成されていることを実証的に示しています。ブラジル系移民は,しばしば指摘されているようにやや独自の世界を作っているようなところもあるような気がしますが,中国系の移民を見ると,日本人との階層的な地位が縮まる傾向にあると。

一番の発見は,ご本人の解題でも強調されてると思いますが,移民女性を見ることによって浮き彫りになってくる日本人女性の位置づけではないでしょうか。移民女性の方はどちらかといえば「男性的」なかたちで労働市場に統合されていて,日本人女性ほどにジェンダー的な意味での「女性」としての役割を付与されていない傾向にあるとされます。逆に言えば,日本人の女性は相当に強く(移民女性では代替されないかたちで?)「女性」としての役割を負っていることになるわけで,これは相当根深い問題であると。もちろん,日本人男性と結婚して日本の「女性」としての役割を与えられることになる移民女性,という存在もこれから増えていくでしょうし,他の先進国で見られるように社会進出する日本人女性が移民の女性に「女性」としての役割を担ってもらうということもあるでしょう。ただ,現状のこの極端と言ってもいいような性別役割分業のあり方についていろんな角度からの研究が必要なのだということを改めて示唆するものでもあるように思います。 

とこのように,非常に勉強になる研究なのですが,一点だけ文句を。なんか微妙に表記ゆれがあるような気がしたのですが気のせいでしょうか。特に気になったのは「分節化された同化理論」と「分節化した同化理論」とか「家族投資理論」「家族投資仮説」とかみたいに,たぶん同じことを言っているであろうものが微妙に違う表現になってるときがあることで,「同化」と「統合」とか似たような概念を慎重に分けて議論してるんだからその辺も…という気はしました。

 

最近のいただきもの

大阪大学でお世話になった竹中浩先生に,『模索するロシア帝国』を頂きました。どうもありがとうございます。本書では,19世紀末のロシア政治思想,具体的に言えば自由主義について検討されています。自由主義に基づいた「個人に自由な活動領域を保障することによって社会の活力を引き出すことのできる制度の構築」は,近代化の過程であらゆる社会として取り組むべき課題になる中で,それが単に「西欧化=西欧で導入されていた制度の採用」では十分ではなく,それぞれの国が実現可能な道を模索していくと考えられます。その中で帝政といういわば自由主義と両立しがたいような政治体制を敷いていたロシアの経験はどのようなものであったかについて,代表・宗教・国際関係といった問題に焦点を当てながら論じていくのが本書の取り組みになっています。

検討の中心は,ポーツマス条約で小村寿太郎と交渉したヴィッテですが,彼が自由主義に理解を示しつつも西欧化を追求したわけではなく,統治の制度がその国の条件に適したものであるべきという信念のもとで,西欧諸国とは異なる経路で大国としての地位を築こうとしたことが議論されます。それが望ましいことなのかどうかということを判断するのは難しいですが,このようなかたちで非西欧国家としてのロシアの経験を相対化することは,同じような非西欧国家として近代化を果たそうとする日本にとっても重要な視点なのではないかと思います。

非常に幅広い分野を検討されていて,僕みたいに日本の研究しかしてない人間にはなかなか咀嚼できないところですが,このように英語はもちろんロシア語で,しかも100年前の資料を駆使した研究が発表されるというのは素晴らしいことだと思います。英語がドミナントになる中でこのようなかたちの研究がこれから先も維持できるのかというと心許ないような気もしますが…。しかも竹中先生は長く法学研究科長を務められた後に,昨年大阪大学を退職されたのですが,管理職でお忙しい時期が続いた後でもこのような重い研究を発表されているわけで,様々な意味で刺激のある著作だと思います。 

模索するロシア帝国

模索するロシア帝国

 

 獨協大学の大谷基道先生からは,『東京事務所の政治学』を頂きました。どうもありがとうございます。資料が非常に限られた,いわば「マニアック」なテーマですが,ご経験に基づく聞き取りやアンケート調査などを駆使してまとめられた興味深い研究で,このテーマから中央地方関係についての含意を導き出そうとするものとなっています。

議論としては,情報とそれから人事の結節点として東京事務所が位置づけられています。行政学の教科書ではコントロールの手段として,権限・財源・人事・情報と出てくるわけですが,他と比べると情報については統計以外の話がなかなかしにくくて,個人的にも学生から質問が出て困ったこともあります…。しかし本書で議論されているように東京事務所が法律や補助金に関するものなど中央・地方における情報の結節点として,情報を整理・流通させる機能を持っているとすれば,一つの興味深いイメージになるかなと思います。もちろん,そこで東京事務所が自律性を持つのか,あるいは知事に従属するのか,など,その機能を統制しているのは実質的に誰なのか,という問題が次に出てきそうではありますが。

さらに東京事務所に関する話として,中央省庁における県人会の話も紹介されています。県人会というのがあるというのはよく聞くわけですが,これもやはり情報のコントロールという文脈で議論されるとなるほどな,と思うところはあります。都道府県の場合は地元出身や出向経験のある官僚が知事に立候補することは少なくないわけですから,そこで情報と知事という最も主要な人事を結び付けるかたちで機能させている可能性もあるかのもしれません。

最近のいただきもの

大阪成蹊大学の小田勇樹先生に『国家公務員の中途採用』を頂きました。どうもありがとうございます。非常に重要でかつ変化のあるテーマで,私自身も(日本の話としてですが)興味を持っていて,とても面白く読ませていただきました。日英韓の分析となっていますが,中心的にはイギリスを対象にされているように思います。

公務員の人事システムを考えるときに,日本のように閉鎖的なキャリアシステムと,アメリカのような職に人を充てるポジションシステムというのがあるということが言われます。キャリアシステムでは内部登用で,ポジションシステムでは外部労働市場が重要,と言われてまあ教科書的にはそう教えるわけですが,本書の議論では,ポジションシステムであっても最終的には政府内部で習得される技能が重要であって,政策形成の場面ではそのような技能を持つ人々が登用されることになる,ということがイギリスの例から論じられています。これは常識的ではあるかもしれませんが重要な示唆だと思います。日本の場合,どうしてもアメリカという巨大な例外を見てしまうのでポジションシステムの理念型みたいなものに引っ張られますが,アメリカでも実際は内部で職位を向上させていく職員が重要だということはよく聞きます(そして授業でも言います)。そのような理念型が持つ神話を解体して,現状の日本に必要な示唆を出されている本なのではないかと感じました。

日本についての示唆は,いちいちご指摘の通りだなあと思いながら読んでおりました。基本線としては変わっていない中で最大動員のシステムの延長線上で働き方改革をしていると言いますか。結局のところ,システムの話は総定員法の問題と解雇というか雇用終了をどうするかという問題に行きつくように思います。雇用終了が本丸だ,というのはおそらく20年前から全く正しいと思うのですが,周辺領域を変えて本丸に至るのではなく,初めから本丸に突撃した改革が進められてきたのが一つの不幸の原因なんだろうなあと。イギリスなんかもそうなんでしょうが,ポジションシステムで運用してどっかのタイミングで雇用終了する,例外的なところを導入しながら移行していくというのが大事なんでしょうけど,移行のイメージ・移行後のイメージがなかなか共有されないのが難しいところであるように思います。本書で取り上げられているイギリスの例は,ひとつの移行後のイメージなんだろうなあ,と。 

国家公務員の中途採用:日英韓の人的資源管理システム

国家公務員の中途採用:日英韓の人的資源管理システム

 

 東京大学前田健太郎先生には『女性のいない民主主義』を頂きました。どうもありがとうございます。ジェンダーの観点から政治学を展開するという本書の議論は,現在本当に喫緊の課題だと思います。自分もこの数年海外とやり取りすることが少しずつ増えて,日本の同僚に女性がいないことについてコメントされたり逆にコメントを求められることも少なくありません。女性がいないとパネルの申し込みができない国際学会もでてきましたし,単にエンパワメントを言うだけではなくリクルートも含めて積極的に女性に入ってきてもらう努力をしないと真剣にまずいように思います。

本書の議論の中では,「女性のいない」民主主義体制の発展に焦点を当てたとりわけ2章を興味深く読みました。政策形成や政党組織に女性がいない,というような点は意識するところもあるのですが,民主主義体制自体については,歴史的に形成されたものでもあり,本書のようにシステマティックに考えてみたことはなく,とても勉強になりました。なお,本当にたまたまなのですが,ご依頼を受けて最近女性と議会といったような話(砂原庸介・芦谷圭祐「女性の代表と民主政治の活性化」『月刊Dio』351号)を寄稿しておりまして,本書の3章のような話を書いておりました。そのようにご紹介するのもお恥ずかしい限りですが,よろしければご覧ください。 

女性のいない民主主義 (岩波新書)

女性のいない民主主義 (岩波新書)

 

近畿大学辻陽先生からは『日本の地方議会』を頂いておりました。どうもありがとうございます。二元代表の制度の説明から始まって,議員の仕事や選挙,お金といった必ずしも制度で規定されていない実態について現場をよくご存知の辻さんらしく丁寧にまとめられたものかと思います。5章の議会改革のところでは,拙論もご紹介頂きどうもありがとうございます。
数年前はほとんど見向きもされなかった議会の選挙制度改革が,色々なところで議論されるようになってきて,個人的には大変素晴らしいことだと思います。私自身は,他の国のプラクティスを見たうえで,同じような発想で改革をした方がよいように思いますが,そうではないということもあるのかもしれません。ただ,『女性のいない民主主義』4章にも通じる話ですが,日本の,特に地方の選挙では依然として「女性のいない民主主義」であって,今少しずつ議論が出始めた地方議会の選挙制度の話も,そのような視点から考えられるべきだと思います。

那覇潤先生からは,『歴史がおわるまえに』を頂きました。ありがとうございます。前著『知性は死なない』で明らかにされたようにしばらく体調をくずしておられましたが,その前に行われた対談を収録した一冊になっています。呉座さん・河野さんをはじめとして非常にキレのある方々との対談はスリリングで面白いものになっています。自分も以前読ませていただいたものが多かったのですが,懐かしさを感じつつ新たに思うところもある読書体験となりました。最近ご一緒することもあるのですが,やはり大胆な着想と同時に細部を忘れないご議論は素晴らしく,ご用意されているという学術論文を中心とした次著もとても楽しみです。 

歴史がおわるまえに

歴史がおわるまえに

 

最近のいただきもの

なかなかご紹介できてなかったのですが、いろいろとご著書を頂いておりました。

ちょっと前になりますが、坂井豊貴先生からは『暗号通貨 vs. 国家』を頂いておりました。個人的にも暗号通貨に興味を持っていたところがあり非常に興味深く読みました。ごく最近(中央公論10月号)も坂井先生のインタビューでそういう感じが出てましたが、暗号通貨を単に資産としてとらえるのではなくて、人と人を結びつけるツール、ある種の世界観の表現、としてとらえるのが坂井先生の分析の特徴でありかつ魅力ではないかと思います。「儲かりますよ」といわれるよりむしろこういうアプローチのほうが魅力的、という気分がして、僕もちょっと触ってみようかなあと思わせるところがありました(まだですが…)。 

暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない (SB新書)

暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない (SB新書)

 

中北浩爾先生には『自公政権とは何か』を頂いておりました。ありがとうございます。『自民党政治の変容』(NHKブックス)『自民党』(中公新書)に続く三部作という位置づけで、この20年続く自公政権についての詳細な分析が行われています。連立政権についての理論を紹介しながら、自公政権形成と発展の歴史、政策調整のやり方、選挙協力について論じていくという感じで、新書ではありながらかなり詳細に論じられています(そして厚い!)。やはり連立政権でもあった民主党政権がなぜ失敗したのか、ということを自公政権との対比というかたちで描いていて、連合が求められている現在の野党が自公政権からどのようなことを学ぶべきか、という議論も実践的な問題関心に対する答えといえるでしょう。

個人的には、地方レベルでの選挙協力はもう少し掘り下げることができるようにも思います。もちろん、選挙制度を考えると自公が競争相手になるというのは間違いないのですが、他方で公明党は常に地方レベルで「与党」であろうとして行動する傾向もあり、単に競争相手になっているだけではない、中選挙区的な「棲み分け」をしていることも考えられます(それが維新とはなかなか難しいわけですが)。そのような研究を展開していくにあたってのヒントも多く含まれている本であるように思います。 

自公政権とは何か (ちくま新書)

自公政権とは何か (ちくま新書)

 

岡本全勝先生から『管理職のオキテ』を頂いておりました。ありがとうございます。主に公務員での管理職を念頭に置いて書かれているもので、基本的に個人営業の私などにはあんまり関係ないような気もしていたのですが、最近大学院生と共著する機会が増えてきて、実は「管理職的な」仕事もあるんだなあという気がしていたところです。いやもちろん 直接当てはまるのかわかりませんが、ちょこちょこと参考にさせていただいております…。 

明るい公務員講座 管理職のオキテ

明るい公務員講座 管理職のオキテ

 

土倉莞爾先生からは『ポピュリズムの現代』を頂いておりました。ありがとうございます。フランスにおけるポピュリズムに注目して書かれた論文を中心に、イギリスのブレグジット、日本の大阪都構想についてもポピュリズムという関心から書かれた論文をまとめられたものになっています。政治文化に注目して、選挙や政策の帰結を解釈していくというような方法で説明が行われています。しばしばなされていますが、ポピュリズムという概念を使うことで、有権者の行動が間違っているとか愚かであるとかそういう暗黙の決めつけをしてしまっていないか、という批判があります。本書では、そんな批判を受け止めながら、それでもポピュリズムという広い意味での文化的な概念を使って分析すべきだ、という意思のようなものを感じるところもありました。もちろん、簡単ではないですし、最終的には読み手の判断、ということになるのでしょうが。 

ポピュリズムの現代 ー比較政治学的考察ー

ポピュリズムの現代 ー比較政治学的考察ー

 

 金井利之先生からは、『自治体議会の取扱説明書』を頂きました。ありがとうございます。多くは『議員ナビ』という媒体に執筆されていたものを再構成してまとめられたものということです。地方議会・議員に対してなかなか厳しい見方が展開されていますが、それは住民が自分たちの代表を「使いこなす」ために何を考えないといけないか、という観点から議論がされているということだと思います。私などはどうしても制度に注目していろいろ考えがちですが、本書の第三部での「人間としての議員」に注目して議論を展開されているのを興味深く読みました。最後に書かれているように、金井先生の観察に基づく規範論、ということだと思うのですが、この規範がどのくらい妥当するのかについて、他の規範的な立場からの議論や実証的な議論が出てきてやり取りが生まれると面白いようにも思います。 

自治体議会の取扱説明書―住民の代表として議会に向き合うために―
 

吉富有治さんからは『緊急検証 大阪市がなくなる』を頂きました。ありがとうございます。吉富さんは,大阪維新の会の結成よりずっと前,大阪市の職員厚遇問題などが発覚するころからずっと大阪の状況について取材されてきたジャーナリストです。4月に行われた統一地方選挙――大阪クロス選挙――についてのエッセイを中心に対談を交えたかたちのものを出版されています。維新に対して批判的なスタンスではありますが,何でもかんでも悪いという感じではなく,なぜ強くなっているのかをきちんと探ろう,どうやったら対抗勢力ができるんだろうか,というようなスタンスで書かれているように思います。 

緊急検証 大阪市がなくなる

緊急検証 大阪市がなくなる

 

松宮貴之先生から『書と思想』を頂きました。ありがとうございます。この本では,同じ時期の日本と中国における「書」を並べつつ,そこから背景にある共通の思想や発想法について探っていく,という非常にユニークな方法が取られています。初めの方はもちろん中国中心で,人物としては張芝にはじまり三国志にも出てくる鍾繇とか,言わずと知れた王義之(以上が「三賢」)という感じで始まるのですが,次の章では欧陽詢,そして同時代人の聖徳太子光明皇后の書,そして顔真卿の次に最澄空海が並べられていく…というかたちで議論が展開していきます。中華文明が基軸となりながら,当時の共通言語である「書」を扱う,聖徳太子以降のいわばマルチリンガルの日本史上の人物を配置することで,東アジアの文化政治のようなものを描き出す試み,と言えるのかもしれません。率直に言って,私自身はそのような試みについてアカデミックに評価するようなことはできませんが,著名な歴史上の人物を通常の歴史書とは異なるかたちで配置し,日本史・中国史とはおそらく異なる東アジア文化史のようなものを示す本書は個人的にとても面白かったです。 

書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化 (東方選書  51)

書と思想 歴史上の人物から見る日中書法文化 (東方選書 51)

 

『ポスト政治の政治理論』

法政大学の松尾隆佑先生から『ポスト政治の政治理論-ステークホルダー・デモクラシーを編む』を頂きました。どうもありがとうございます。松尾さんとはリアルでは2回くらいしかお会いしたことないと思いますが(間違ってたらごめんなさい),インターネット上の付き合い(?)はもう10年以上になるような気がします。松尾さんはたぶん学部生から院生になるくらいからブログを始めてて,よく話題になってたのを感心しながら眺めていたものでした。このブログであまり絡むことはなかったですが,たぶん唯一のこのエントリは懐かしいですね。ツイッターをやるようになってからも継続的にお仕事を拝見する機会があるわけですが,今回こうやって博士論文としてまとめられたものを見ると,僕なんかでも勝手に感慨を持ったりします*1

帯にもある「影響を受ける人びとこそ政策の決定にかかわるべきだ」というステークホルダー・デモクラシーが主題の本書ですが,その構想が興味深いのはもちろんのこと,経験的な研究とその含意に対する理論的な関心の持ち方,というのを非常に興味深く感じました。まあそれは昔から松尾さんのブログ見たりしてるから,という気もしますが,ステークホルダー・デモクラシーについての完結した理論をまとめようというよりも,経験的な研究の成果の上に立ってそちらからの批判にも開かれた形で構想を提示しよう,というようなある種非常に野心的な試みを考えているような。本書の最後では,「異なる分野や文脈における雑多な議論を寄せ集めたパッチワーク的な立論」のような批判がありうることを書いてましたが,不十分な理解であるにせよ,僕が読ませてもらった感想としては「良いパッチワーク」というよりは,クリアな見通しを与えてくれる質の高いマップだ,という印象です。

特に印象的だったのが第3章で,これは何ていうか,僕自身も別のいくつかのプロジェクトで考えてたこと/考えようとしてたことを,はるかに明晰なかたちで言語化されているものであったように思います。その中核的な問題は,必ずしも直接的に資源を所有しない人の自律性をどう考えるか,というところで,それを新しい社会的リスクや普遍主義的な福祉,そして福祉ガバナンスの制度体系と結び付けて描いているのは非常に興味深い議論でした。詳細は本書を,という感じではありますが,その中で義務と権利の関係をどのように考えるべきか,といった部分はとりわけ刺激的なところだったように思います。

本書で論じられているステークホルダー・デモクラシーの構想については,確かに(地図上の)「位置づけ」はわかる一方で,どう動くかについてはややイメージしにくいなあとは思いました。選挙だけが政治参加でないのは当然で,「評判」の機能などが極めて重要というのも同意するわけですが,たぶん実際そういう機構がないわけじゃなくて,だとするとどういうときにステークホルダー・デモクラシーが機能しうるのか,という作業仮説みたいなものはちょっと欲しかったなあ,とは思ったり。具体的なことをひとつ言うと,制度的なヴィジョンとして,政党の位置づけはもう少し別の議論もできるのではないかという感じもありました。本書でもあるように,他の団体と同じような団体と位置付けられないとすれば何が違うのか,ということを考えないといけないわけですが,そこはやはり様々な領域を架橋するところに求められるのではないかと。ステークホルダー・デモクラシーがさまざまな「ステークホルダー共同体」によって構成されるとすれば,そのマルチレベルの共同体を超えて調整する団体としての政党,みたいな構想もあり得るのかもしれません。国政政党と地方政党が「政党ラベル」を共有してお互いにその価値を毀損しないように行動する,なんていうのはまさにそういう話だと思うし*2

理論的な研究の理解について自分自身での蓄積がないのでよくわからないのですが,これまでのデモクラシーで,社会の多様性・複雑性が増すなかで「共通の利益」についてうまく合意できないことが問題視されてる裏返しとして,ステークホルダー・デモクラシーは「共通の利益」の方から括り出すような試みなのではないか,という直観も持ちました。仮に前者が難しい中で後者の方がやりやすいとしたらなんでだろう,という感想もありますが。僕が研究してる分野でいえば,たとえば自治体の境界を超えて公共交通を考えないといけない時に,公共交通だけを担当するガバナンス機構みたいなものを考える,というような例が当てはまるのかもしれません。そういう機構は選挙で選ぶのか,あるいは誰かが専門家を任命するのか…とか制度設計的にもいろいろ考える余地はありそうです。なんだか色々まとまりませんが,それは上にも書いたように,本書が理論的な完結性よりも読者が考えるためのマップを提供することを志向してるからかなあ,と思ったりしますが,それは単に僕が隣接分野の人間だからかもしれません。そういう意味では専門家がどういう風に本書を読むのかな,というのも興味深いところです。

ポスト政治の政治理論: ステークホルダー・デモクラシーを編む
 

*1:誰も読んでないような某論文も数回引用していただいてありがとうございます。

*2:たとえばHamilton's Paradoxに出てくるドイツでの"political externality"の例 

Hamilton's Paradox: The Promise and Peril of Fiscal Federalism (Cambridge Studies in Comparative Politics)

Hamilton's Paradox: The Promise and Peril of Fiscal Federalism (Cambridge Studies in Comparative Politics)

 

東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析

 晃洋書房から『東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析-タイ,フィリピン,インドネシアの地方エリートサーベイから』という本が出版されました。この中で,私も京都大学の岡本正明先生と共著で「インドネシア地方自治体における政治的リーダーシップ,地方官僚制,及び自治体パフォーマンス」という章を寄稿しています。

何でインドネシアの論文なんて書いてるんだ,と思われるかもしれません。本書のあとがきに結構詳しく書かれていますが*1,このプロジェクト自体は2005年くらいから大阪市立大学の永井史男先生が始められてまして,ちょうど10年ほど前,大阪市立大学に赴任した直後にお誘いを受けて科研に参加したのでした。ブログでもインドネシアの話がちょこちょこ出てきますが(インドネシアの地方自治とかインドネシアの地方自治2とか)それはだいたいこのプロジェクトがらみの話です。科研プロジェクトは,地域研究者(タイ・フィリピン・インドネシア)と政治学者・行政学者・社会学者の邂逅,みたいな感じで行われていて,特定地域について強みを持つ人たちは地域についての情報を整理・提供し,普段別の研究してる人たちはサーベイの手法やら理論研究やらを持ち寄って一緒に考える,というものでした。私は他の仕事が忙しくなったこともあり,2014年くらいからメンバーを外れていますが,プロジェクト自体はとても楽しかったですし,個人的にも学ぶところは非常に多くて,その後にもいろいろ影響を受けているように思います。

論文については,あんまり知らないところの話を,しかもサーベイを使って描くということで大変でしたが共著者の岡本先生に教えられながらなんとか書いた,って感じです。ざっくりですが序章でのまとめにあるように,「グッドガバナンスのような地方政府全体のパフォーマンスを考慮する場合に強力な政治的リーダーシップが重要になる傾向が存在する一方で,公衆衛生や教育のように官僚組織での調整を必要とする分野では官僚の自律性が大きな役割を果たすことが示唆された」ということを書いています。2013年初頭に国際シンポジウムをやったときに一応論文の原型(英語)ができていて,そのあと2015年の政治学会で日本語にしてしゃべったのかな。そのあと在外研究中に先行研究とか理論の部分をかなり変えて英文誌に投稿したものの,一回リジェクトでまあそうだよねー直さないと~と思ったものがそのままになっていたところ,昨年中に日本語の出版という話となって,リジェクトされたときに言われたことを修正して日本語にして出した,という感じです。また英語に戻して投稿するかというとなかなか微妙,ってところですが…。

東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析―タイ,フィリピン,インドネシアの地方エリートサーベイから( (シリーズ転換期の国際政治11)

東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析―タイ,フィリピン,インドネシアの地方エリートサーベイから( (シリーズ転換期の国際政治11)

 

*1:ちなみにこのあとがきはまあ長いんですが,一つのプロジェクトの誕生と展開の歴史,というのが語られていてなかなか面白いものではあります。