在外研究終了のごあいさつ

2016年8月からちょうど二年間にわたった在外研究が終了することになりました。40近くになって初めての海外生活ということもあり,行く前は不安ばかりでありましたが,バンクーバーでの生活はあらゆる意味で満ち足りたものとなりました。当地でお付き合いを頂いた皆さんをはじめ,機会を与えてくださった方々に改めて感謝申し上げたいと思います。また,帰国後ご一緒する皆さまには当初使い物にならなくてご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが,改めてご指導のほどどうぞよろしくお願いいたします。

さて,このブログでも何回か書いておりますが,この二年間は基本的にこれまでの研究の整理にあてられた時間が長かったと思います。10年くらいやってきた政党の中央・地方関係についての研究は『分裂と統合の日本政治-統治機構改革と政党システムの変容』にまとめられ,大佛次郎論壇賞を受けるという過分なご評価を頂くことができました。また,2014年ころから始めた住宅についての研究も『新築がお好きですか?-日本における住宅と政治』という著書にまとめることができました。何回か経験していることではありますが,本をまとめるためにはそれなりにまとまった時間を必要とするところがあり,この機会がなければそれぞれの仕事にさらに数年かかっていたように思います。

本のまとめに時間がとられてしまったために,新しい仕事が思ったほどできなかったというのは残念なところであります。新しい方法論の習得や英語,ということですが,結局ほとんどUBCの授業には出なかったこともあり(関係するセミナーは一生懸命出たつもりですが…),まあこの点やや悔いが残るところではあります。とはいえ,自分のスタイルとしても,論文執筆と切り離して方法論の勉強をするのが苦手なこともあり,時間があってもできたかはやや不透明ですが…。英語はやはり大学に客員研究員で滞在するだけではなかなか話す機会を得られないというのは(自分自身に)残念なところでした。なのでまあ客員で二年いた程度の英語ではありますが,一応来る前と比べて英語でのアウトプットに対する抵抗感がずいぶん薄れたというようには思います。

論文仕事で言うと,著書になった連載を除いてこちらで書いたのは住民投票についてのものが二本(『社会が現れるとき』と『公共選択』)と,大都市の比較について書いたもの(『レヴァイアサン』近刊)の三本がメインになると思います。これに『建築と権力のダイナミズム』『縮小都市の政治学』に寄稿した論文,大阪都構想と広域連携について書いた『アステイオン』『中央公論』の論文を加えて,シノドスに書いたエッセイを軸にまとめる感じで次の研究書を書くことができればいいかなあと思うところです。あと1-2本論文を足すとか,先行研究を整理しなおすとかのまとまった時間が取れるのかはよくわからないところがありますが…。まあ研究書の場合はだいたい一冊10年弱くらいなので,あと4-5年はかかるでしょうが。このプロジェクトの他には,オーラルヒストリーを利用した長めのエッセイを書いてますので,日本語論文は4本というカウントでしょうか。

英語については,学会発表を4回とUBCで1回発表したものがあります。もうちょっとでできたかなあという気もしますが,はじめの一年が本当に手探りだったことを考えるとまあこんなものでしょうか。しかし発表は全てこちらにいるタイミングがちょうどよくてご厚意でお誘いを受けて参加させてもらったものばかりで,貴重な機会を頂いたことに感謝しています。これから先は自分でそういう機会を作らないといけないなあと思います。二年目に入ってようやく自分の研究を投稿することを始めましたが,うまくいかなくても継続するというのが目下の目標になります。

というわけで,棚卸をしてみると,著書2冊,論文4本,学会発表5回(国際4・日本1),エッセイ・書評・査読などはそれなりに多数,ということになり,一定の仕事はできたかな,と思います。しかし個人的に何よりも素晴らしかったことは,家族が学校・地域社会にうまく溶け込んでくれたことであり,家族を通じて私もいろいろな経験をさせてもらいまったことです。普通,家族を連れていった方がいろいろな機会を提供するもんなんでしょうが,妻をはじめ家族に本当に助けてもらい,充実した在外生活にしてもらった感じが強いです。忸怩たるところもありますが,帰国後には少しずつそのお返しもしなくては,と感じています。

戻ってみると,この二年間が夢のようなものであったという感覚を覚えそうな気がします。ただ,せっかくの機会をいただいたわけですから,きちんと実体化すべく得られたコネクションを維持したり,英語での公刊を進めるという努力は続けなくては,と思うところです。帰国後の日程調整などをしていると不安は高まる一方ですが…。自分の研究についても,上記の三冊目の構想以降,研究書の構想があるわけではないので,それもボチボチ考えていく必要があるんだろうなあと。単著の研究書を書けるとしたらその辺が最後かもしれませんし。英語仕事とどちらか,という選択の問題になっていくのかなあ…という感じ。しかしそれでも帰国に合わせていくつかのプロジェクトが回り始めそうなので,しばらくはこれ以上に手を広げて新規にお仕事をするのは難しくなりそうです。要は一歩一歩,ということなのでしょうけど。 

分裂と統合の日本政治 ― 統治機構改革と政党システムの変容

分裂と統合の日本政治 ― 統治機構改革と政党システムの変容

 

 

新築がお好きですか?日本における住宅と政治

このたびミネルヴァ書房から『新築がお好きですか? 日本における住宅と政治』という本を上梓しました。何か研究書っぽくない変なタイトルですが*1,英語タイトルも同時に考えていて,そちらの方はNeophilia? Housing and Politics in Japan ということになっています(一応目次の最後に書いてあるんですが,たぶんすごく分かりにくい)。Neophiliaというのは「新しいもの好き」みたいな意味で,まあ要するに日本人は新しいもの好きだから新築住宅を買うのか?-いや必ずしもそんなことはないだろう,というかたちで議論を展開していくことになります。じゃあなぜ日本は諸外国と比べて中古住宅よりも新築住宅が多いかといえば,それを促す制度が強固に持続してきたからだ,というのが本書の主張になります。政府の住宅に対する補助や都市計画を通じて,人々が中古住宅や賃貸住宅よりも新築住宅を購入しやすい環境が形成され,実際に新築住宅が多く購入されることを通じてフィードバックが生じ,新築住宅を購入するという行動がさらに正統化されるという制度の自己強化が起こった,という見立てです。

具体的な制度とその形成過程についてはぜひ拙著をご覧いただきたいところですが,本書を通じて議論したかったのは,日本において住宅・土地に対する集合的決定を適用するのが極めて難しかったということです。他の分野でも所有権は非常に強い権利だと思いますが,住宅・土地の所有権が非常に強いものとされているために,すでに住宅が建設されている地域の再開発や集合住宅の建て替え,中古住宅のインスペクションに関する制度などに関わる集合行為問題の解決ができず,またそれ故に家賃補助のような形での住宅保障が困難になっているのではないかというように考えています(その最後のところまで書ききれているかどうかは微妙ですが)。そして,住宅・土地の所有権を極めて強く保護することが,現在進行形の問題である負の資産-空き家や被災住宅-への対応について大きな困難をもたらし持続可能性を低めているのではないか,そしてこの問題があるからこそ近い将来制度が変わりうるのではないかと論じています。

本書はミネルヴァ書房のPR誌「究」での連載が元になったもので,さらにその元になったものとしては2014年度の首都大学東京での都市政治論の授業があります。いつの間にか4年の月日が流れてしまいましたが,この間いろいろと勉強してきたことを盛り込みつつ一つの本としてまとめることができてホッとした気分です。日本語の文献については,日本にいたときにある程度整理が終わっていて,UBCでは必要な英語文献にアクセスしやすかったので在外研究中に仕上げることができたという感じでしょうか。それでもそれでも少なからぬ本を買い足すことになりましたし,書き終わってからいくつか追加したいと思った書籍・論文も見つけることになりましたが…。

実際,研究しているといっても(都市についてではなく)住宅についての論文を書いた経験は少なかったわけで,考えていることがあっても論文というかたちでまとめるのは難しいなあ,という印象を持っていました。せっかくなので本の長さだからこそできる論じ方をしてみたいと思っていましたが,本書では一応そういう試みができたと思いますし,またこうやって本を書いたことで論文でどこに焦点を絞って書けばよいかということも見えてきたように思います。 とりあえず一本夏休みの宿題をこなさなくては…。

 

 

*1:とはいえ初めに考えてた『住宅と都市の政治経済学』とかだと売るのは難しそう…

分裂と統合の日本政治

このたび千倉書房から『分裂と統合の日本政治』を上梓しました。『地方政府の民主主義』以来二冊目となる研究書ということになります。実証研究の部分である2章から7章までは,主に大阪市立大学に在籍していたときに書いたもので,それをまとめ直したものになります。大阪大学にいた2014年に,1章のもとになった原稿を比較政治学会で報告させていただいて,まとめる道筋は立てていたのですが,思いのほか時間がかかってしまいました。ホントはこの本を書いたうえで,『民主主義の条件』につなげるつもりだったのですが。
元の論文は地方政治の色彩が強かったように思いますが,まとめ直す過程で中央地方関係を意識して整理したつもりです。中央政府の政治的競争とは異なる地方政府に独自の政治的競争を扱った前著の一番最後で,

日本においても首長のポストとそれをめぐる政治的競争が重要になる中で,地方政府における政治的なアクターの行動が,中央政府レベルの意思決定や,地方政府の政策選択を規定する「ゲームのルール」に与える影響は検討されていくべきであると考えられる。…(中略)…国会議員の経験者にとっても,地方政府の首長ポストがより重要な意味を持つようになることに象徴されるように,地方政治が国政に単純に従属するという関係ではなくなることで,中央政府は地方政府に対してより強い関心を持つことになるのである。本書の分析は,あくまでも所与の「ゲームのルール」のもとでの地方政府における政治的なアクターの戦略的行動のみに注目する,いわば「各地方政府を閉ざされた小宇宙として捉える」(曽我・待鳥[2007:319])議論としての限界を持っている。しかし,本書において得られた知見は,地方政治から中央地方関係をとらえる,という新たな可能性を示すものであると考えられる。この可能性を手がかりに分析を進めていくことで,本書の限界を超えて,政治的なアクターの戦略的な行動を媒介とする中央政府・地方政府の動態についての研究を展開させ,地方自治の理解を深めることができると考える。

と書いているのですが(最終校正前),まあ結果的にはこの方向で進めることができたかな,という感じはあります。最後のところ,「地方自治の理解」そのものというよりは,「中央地方関係の政治的側面からの理解」くらいの方が妥当な気はしますが。
本書の分析から得られる制度改革の含意のひとつに地方議会の選挙制度改革があります。これは『地方政府の民主主義』とそれを踏まえて書かれた『大阪』,そして本書の理解を下敷きに書いた『民主主義の条件』でもすでに論じていることですが,個別的利益を強調しがちなSNTVではなく,地方政府における多元的な集合的利益の表出を可能にするために比例制などの選挙制度を考えるべきだろうということです(詳細は『民主主義の条件』の他,以前に民主党政権時代の「地方行財政検討会議」での募集に応じて書いたパブリックコメントをご覧ください)。さらに,本書の最後に書いたように,国政においても政党間の公平な競争を行うことができるようにするための必要な制度的見直しという意味もあります。折しも,ごく最近総務省で取りまとめられた「地方議会・議員に関する研究会」の報告書では,都道府県議会を中心に比例制の検討が謳われることになりました。本書の「あとがき」でも書いたように,選挙制度の再検討は簡単なものではないはずですが,見直しが議論されるようになったことについて,個人的には望ましいことだと考えています*1
本書の出版で,一応博士課程以来続けてきた地方政治・中央地方関係の仕事にはひと段落がつき,当面は都市・住宅政策を研究対象にすることになります。まずはミネルヴァ書房のPR誌『究』で二年間続けてきた連載を単行本にするという仕事に取り組みますが,在外研究の機会を頂いていろいろ考える中で,次の研究書の構想についても少し見えてきました。以前にシノドスに書いたエッセイを軸に,『建築と権力のダイナミズム』『縮小都市の政治学』に寄稿した論文,大阪都構想と広域連携について書いた『アステイオン』や中央公論の論文,UBCで書いた住民投票の論文二つと現在構想中の論文を加えて,都市(自治体)の再編とその意思決定について書けるのではないかというイメージを持つようになりました。まあ帰国後にそれをまとめ切る時間が取れるのかわかりませんが…。残りの在外研究の時間では,これまでの研究を再編成して英文誌への投稿を目指したり,次の研究書の目標を見据えながらサーベイをしたり方法論を学んだりできればと思っております。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

*1:とはいえ,長く政権の座にある自民党自身,1992年の「政治改革の基本方針」で地方議会選挙制度の見直しを謳っていたわけですが。

『民主主義にとって政党とは何か』

京都大学の待鳥聡史先生に『民主主義にとって政党とは何か』を頂きました。ありがとうございます。政党についての歴史的・実証的研究を踏まえたうえで,日本を対象に戦前から現代にかけてその果たしてきた機能を確認し,将来の政党の役割を論じています。こういう大きな見取り図のもとで議論されるのはさすがだなあと思いました。政党については政治理論の研究者による議論は必ずしも多くないと思いますが,実証研究に関心を持っている側から政党についての政治理論(たとえば「情報縮約のための政党」とか)が提起されているわけですから,ぜひ応答(?)を読んでみたいものだなあと思ったところです。
しかし戦前の政党政治から議論するというのはなかなか大変だったと思います。私自身もいつか戦前の地方政治の話をしてみたいと思ってるのですが,地方になると結構気の遠くなるような話で…。本書だと,元老の役割とか議院内閣制じゃなかったこととか,政治史の人が必ずしも明示的に言わないようなことについて理論を根拠にした話が端々で展開されていて,個人的にその辺興味深かったです。
内容について,3章の理論的な部分などは,ほとんど同じような文献で勉強していると思いますので齟齬を感じないのはもちろんですが,何より同意したのは,165-166ページの1970-80年代についての評価です。

今から振り返れば,石油危機からバブルが崩壊するまでの15年ほどの期間というのは,日本の社会や経済にまだ十分な活力があり,だからこそ将来のための布石ができた時期ではありました。…(中略)…全体としてこの時期に十分な手を打ちきれなかったことは,その後の日本の社会経済にとって非常に大きなマイナスの影響を及ぼしたといわざるを得ません。近年,バブルが崩壊してから今日に至る期間を「失われた20年」と呼ぶことがあります。しかし,実は本当に失われた時間はここにあったのではないかという気がしてなりません。

拙著『大阪』(地方制度改革)でも今度の本(住宅への公的介入)でも,石油危機前後が一番制度改革の可能性があった時期で,その機運もあったのに結局できなかったのではないかという問題意識を持っています。本書では自民党の組織や政策決定過程からその理由を説明していますが,個人的に持っている仮説としては,そこで野党の行動が当時の政治制度に制約されていて,(今から見れば)変わるべきだったのにうまく変われなかったのが,そのあとに大きな禍根を残したのではないかと思うところですが。

政党なんていらんのだ,みたいな耳当たりのいい議論をする人たちが少なくない中で,本書に基づく理解がどのくらい広がるものかというとやや悲観的ではありますが,ぜひ多くの人に読まれることを祈っております。 

 

『現代ベルギー政治』ほか

ふだんUBCのオフィスを間借りして仕事をしているのですが、今週からはオフィスのあるフロアのカーペットを変えるということで、しばらく部屋を離れることになりました。そうこうしている間に帰国まで二か月を切ることもあって、今後は基本的には自宅と図書館で仕事をすることになりそうです。カーペットの変更には一月(以上)かかるという説と一週間で終わる説があってよくわからないのですが、まあ復帰できると嬉しいなあと思いつつ、在外研究中の最後の宿題(6月〆切!)をする今日この頃です。

もう帰るので、こちらに本を送ってもらうこともなくなりましたが(予定ではあと一冊のみ)、大学の方にはいくつか本を送っていただいているということですのでご紹介させていただきたいと思います。まず、早稲田大学の日野愛郎先生からは『現代ベルギー政治』を頂きました。どうもありがとうございます。サブタイトルにもある通り、ベルギーは単一国家から連邦国家に明示的に転換したかなり珍しい国で、政党政治のあり方も非常に特殊な興味深い国です。それほど大きい国ではないのに多くの優れた研究者がいてこのような編著が出版されるというのは、この国の興味深さを示している証拠であるように思います。 

現代ベルギー政治:連邦化後の20年

現代ベルギー政治:連邦化後の20年

 

次に、著者のみなさまから『公共政策学』を頂きました。ありがとうございます。出版前から目次を拝見していて非常にバランスの取れた構成だなあと思っておりました。公共政策関連だと、有斐閣が出している『公共政策学の基礎』がよく使われているように思いますが、あれとは少し違う角度から公共政策を論じるものになっているように見受けられます。いずれにしても帰ってから勉強させていただきたいところです。 

公共政策学

公共政策学

 
公共政策学の基礎 新版 (有斐閣ブックス)

公共政策学の基礎 新版 (有斐閣ブックス)

 

東京大学池内恵先生からは『【中東大混迷を解く】シーア派スンニ派』を頂きました。ありがとうございます。『サイクス=ピコ協定』に続くシリーズ二冊目ですね。前回は非常に広い視野から平易に現状の問題を説かれていたと思いますが、きっと今回もまた別の切り口から興味深い議論をされているのではないかと思います。新潮選書は細谷先生のシリーズももうすぐ二冊目が出ると聞きましたがそちらも楽しみですね。 

【中東大混迷を解く】 シーア派とスンニ派 (新潮選書)

【中東大混迷を解く】 シーア派とスンニ派 (新潮選書)

 
【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

 

『知性は死なない-平成の鬱を超えて』ほか

 

那覇潤先生から『知性は死なない-平成の鬱を超えて』を頂きました。與那覇先生とは、以前に東洋経済の連載でご一緒して以来ですが、最近少し体調を崩されているということを人づてにお聞きして心配しておりました。それで出版されてから電子版で拝読していたのですが、大学にもお送りいただいていたようです。本書はその体調を崩された原因-うつ病-についての闘病記でありつつ、大学や社会の問題について鋭く批評する作品となっています。とりわけご闘病のところについては、うつ病という病気について私自身がいくつか根本的な誤解をしていたと分かったことも含めて大変勉強になりました。
大学や学問について書かれていることも,当事者のひとりとして身につまされる思いを感じながら読みました。相対的に高齢の「進歩的な」教員についての見方は私も近い感覚を共有しているように思いますし,幸か不幸かたまにマスメディアで機会を頂いて「論壇ごっこ」をすることになっている人間の一人としては耳の痛いところもありました。
ただまあその耳の痛い話は,きっと「知性」を信じる與那覇さんの激励なんだろう,とも感じるところではあります。自分自身,力不足で専門をはみ出て社会において積極的に戦うような議論を展開するようなことはなかなかできませんが,他方で社会科学が専門化・先鋭化することに(こちらも力不足で)ついていけない感じがするときもあります。この数年は本を書いていたことが多く、論文を中心に書いていた時より読者個人にとって必ずしも「利得」にならないものをどうやって読んでもらうか,ということを悩みながらモノを書くことが増えましたし,逆に今カナダにいることもあって,もう英語だけ書くような方向もあるのではないかと考えることもあります。しかし(おそらくいずれにせよ),最終的には「知性」を信じてボチボチやるしかない,ということなのでしょうね。

知性は死なない 平成の鬱をこえて

知性は死なない 平成の鬱をこえて

 

京都大学の外山文子先生から『21世紀東南アジアの強権政治』を頂きました。どうもありがとうございます。数年前に共同研究でインドネシアの調査に行って以来、東南アジア政治には何となく関心を持ち続けているのですが体系的に勉強できているわけではなく、たなざらしの論文も2本ほど抱える状態が続いています…それはともかく、先日のアジア研究学会Association for Asian Studiesでも、Contemporary Populism in Southeast Asiaという同じような趣旨のパネルがあって参加してみたのですが、まあ基本的には試論的な議論が中心だったので、既に多くの論文を書かれている著者の皆さんであれば内容的にはきっと貢献できるのではないか という気がしました。

21世紀東南アジアの強権政治――「ストロングマン」時代の到来

21世紀東南アジアの強権政治――「ストロングマン」時代の到来

 

京都女子大学の松本充豊先生から『現代台湾の政治経済と中台関係』を頂きました。松本先生は中台協定の決定過程について分析されているということです。台湾の政治制度は日本と似ているところもあって(もちろん似ていないところもたくさんある)、比較対象として興味深く、松本先生とご一緒する科研費プロジェクトも動いていますので、この機会にぜひ勉強してみたいと思っています。 

現代台湾の政治経済と中台関係

現代台湾の政治経済と中台関係

 

成蹊大学の西山隆行先生から『アメリカ政治講義』を頂きました。以前の『移民大国アメリカ』 につづくちくま新書ですね。同時期に東京大学出版会からも『アメリカ政治入門』を出版されていて(こちらは教科書ですね)、同時期の校正は本当にご苦労されたのではないかと思います。 トランプ政権になってから、前にもまして「アメリカ政治を理解する」需要が高まっていることもあるような気がします。

アメリカ政治講義 (ちくま新書)

アメリカ政治講義 (ちくま新書)

 
アメリカ政治入門

アメリカ政治入門

 

  大阪市立大学の守矢健一先生から『ドイツ法入門』を頂きました。9版ってすごいですよね…。今のところ僕自身がドイツ法に触れる機会って、それこそ守矢先生を通じてくらいしかないのですが、政党政治選挙制度のあり方についてドイツの考え方が参考になるところは少なくないように思います。今回の改訂ではそのあたりも一部加えられたとお聞きしていますので、帰国後にぜひチェックしてみたいと思います。

ドイツ法入門 改訂第9版 (外国法入門双書)

ドイツ法入門 改訂第9版 (外国法入門双書)

 

科学技術と政治+いろいろ

筑波大学の五十嵐泰正先生から、『原発事故と「食」』をいただきました。どうもありがとうございます。五十嵐さんは『社会が現れるとき』でもご一緒している大学院の先輩で、 多文化共生や外国人労働者の研究をされていますが、2011年の東日本大震災原発事故以降、「ホットスポット」となった柏市で生産者と消費者をつなぐ活動をされていることでも知られています。今回のご著書は、その柏での活動を起点としつつ、もともと研究されている多文化共生の問題へとつながるかたちで書かれているように思いました。

本書で強調されていることは、原発事故以降の問題について、【科学的なリスク判断】【原発事故の責任追及】【一次産業を含めた復興】【エネルギー政策】という相互に深く絡み合っている4つの問題を切り分けて、それぞれの問題を別個に論じなくてはならないということです。責任追及を重視するあまりに科学的なリスク判断を無視する、みたいなことが起こりうるわけですが、それをせずに責任は責任で、リスク判断はリスク判断で考えよう、ということになります。そのうえで、主に「食」について詳細なデータを検討していきながら、科学的なリスク判断だけでは語れない産業の復興の問題を論じていくという興味深いものでした。しばしば「風評被害」という言葉が使われるわけですが、その中にも色々なバリエーションがあり、問題になっている食品の消費量や他との代替性のようなものが実は重要であることを丁寧に示されているのは本書の読みどころのひとつだと思います。

科学的なリスク判断という観点からは、福島産食品への懸念は相当程度薄れているものの、依然として不安を持っている人を突き放さず、寄り添う姿勢を取るというのは五十嵐さんらしい本書の特徴だと思います。「科学」を強調すると、それを理解できない人を切り捨ててしまうという場面が出てこないこともないですが、本書では、政治化した専門家に対して厳しい批判がなされている一方で、理解が難しい問題に不安を感じる人々をどのように議論に取り込んでいくかということがさまざまなかたちで考えられています。ひとつの方策として議論されるのが、「人格的信頼」つまり「(身近な)この人が言うからには大丈夫」という信頼を軸に食品に対する信頼を取り戻していこうという戦略です。一般的な信頼(システム信頼?)が高いとは言えないなかで、生産過程や流通過程がブラックボックスのままではなかなか食品を信頼できない、そこで「顔が見える」人を通じて信頼を回復していこう、と。

本書で議論されていることは、原発事故後の食品以外にも大きな含意があるように思います。たとえば子育て支援のような社会保障政策なんかでも、いくつもの問題が複雑に絡み合う中で、個々の論者の一番注目したい論点のみが強調されて分断が引き起こされる、というようなことはありがちでしょう。論点を分けた上で、それぞれにどう対応するかを議論し、最終的にどういうパッケージを作っていくかというコミュニケーションの問題がもう少し検討されるべきなんだろうな、と感じたところです(まあここについては人格的信頼は難しそうですが…)。

 関西学院大学の早川有紀先生からは、『環境リスク規制の比較政治学』を送っていただきました。ありがとうございます。本書では、副題にあるとおりに日本とEUの化学物質規制政策を比較しているのですが、いろんな意味でチャレンジングなテーマだと思います。まず「規制」を比べるのが難しいし、それぞれの統治機構の中で規制を担当する組織は入り組んでるし、何より日本という国家とEUという超国家組織を並べるという難しさがあります。もちろん本書ではそのあたりの困難に目配りしたうえで、日本・EUの政策担当者のみならず、業界団体・企業や専門家などへの数多くのインタビューを行って、両者の違いについて論じようとしています。

議論としては、日本・EUのそれぞれにおいて、比較的早い段階で形成された(拘束的な?)制度が、現在の規制のあり方にも影響を与えているというものです。それぞれの規制の歴史を遡ることで、日本では規制政策の企画と実施にとどまらない広範な権限を持った部局(通産省経産省)が規制を行うようになったのに対して、EUの場合は基本的に規制のことだけを考える部局(環境総局)が中心的な役割を担うようになったことが示されます。結果としてどのようなタイプの規制でも、日本では事前に企業との調整が行われて比較的緩い規制になるのに対して、EUでは利害関係者との調整が後回しにされるトップダウン型の意思決定で厳しい規制が行われがち、という傾向が観察されるようです。

本書の基本的な発想はいわゆる歴史的制度論だと思うのですが(Critical junctureとかそういう言葉も出てくるわけで)、しかしよく考えると二つの国を並べてそういう分析するのって結構難しいんですよね。歴史的制度論の場合だと、制度の自己拘束性とかそういうものが注目されるわけですが、二つ並べてみても同じように拘束されるかどうかは必ずしもよく分からない。いっとき歴史的制度論の文脈で出てきた比較歴史分析Comparative Historical Analysisというような感じになるのかもしれませんが、これも具体的にどうやって分析するかというのはいまいち定型化されてないというか。そんな中で本書みたいに、制度が歴史的に形成されてきたことと、それらの制度が異なるアウトプットを安定的に出してくることに、実質的に分けて考えてみるのもひとつの方法かもしれません。とはいえまあどうしても制度変数の違いか国の違い(固定効果的な)かわかんないだろう、みたいな問題はついて回りますが、そこはメカニズムの説明でいかに説得的にできるか、ということにかかってくるようにも思います。 

年度末ということもあるのかもしれませんが、大学の方にもいくつか頂いておりました。まず著者の浅山太一さんから『内側から見る創価学会公明党』をいただきました。ありがとうございます。非常に魅力的なタイトルで、帰国したらぜひ読もうと思っておりました。今更言うまでもないですが、公明党はSNTVで行われる地方選挙において最も成功している政党であり、その分析は政治学者にとっても非常に重要なものです。一般的には組織の力を使った「票割り」が注目されやすいと思いますが、票割りは組織・支持層が固定的じゃないとできないところもあるわけです。なので票割りと組織拡大はやや背反するところもあると思いますが、この政党がその問題をどう扱っているのか、とか本書を読んで考えてみたいです。

 鳥取大学の塩沢健一先生から『政治的空間における有権者・政党・政策』をいただきました。ありがとうございます。中央大学で行われたプロジェクトの研究成果ということで、塩沢さんは18歳選挙権の問題を扱っているということです。これまで住民投票の研究をずっとされてこられて、住民投票はたまに20歳未満の住民にも選挙権を与えることが行われてましたから、その経験とデータを使って分析されているということなのではないかと思います。 

政治的空間における有権者・政党・政策 (中央大学社会科学研究所研究叢書35)
 

 北海道大学の前田亮介先生から『明治史講義【テーマ篇】』をいただきました。ありがとうございます。前田さんの担当は、「大日本帝国憲法ーー政治制度の設計とその自律」ということで、明治期の憲法体制について書かれているとのことです。最近は憲法改正の議論も出てきたわけですが、実際に日本で運用されていた「もうひとつの」憲法体制ということで、明治憲法体制を振り返るのも興味深いように思います。 

明治史講義 【テーマ篇】 (ちくま新書)

明治史講義 【テーマ篇】 (ちくま新書)

 

 国立教育政策研究所渡辺恵子先生から『国立大学職員の人事システム』をいただきました。ありがとうございます。渡辺さんが出された博士論文をもとにしたものだと思いますが、実際に国立大学で働いている身からすると非常に興味深いものになります。これまで国・地方自治体の官僚人事システムの研究は行政学で色々と蓄積されてきましたが、その外の機関の人事システムについて成果が発表されるのは珍しいように思います。自分の職場を知るうえでも勉強させていただきます。 

 早稲田大学の田中愛治先生から『熟議の効用、熟議の効果』をいただきました。ありがとうございます。「外国人労働者の受け入れ」をめぐって行われた熟議(ミニ・パブリクス)とその前後での調査を踏まえて、実証分析・規範分析の研究者が共同研究を行うという極めて野心的・魅力的なプロジェクトの成果ということです。準備から分析・出版までかなり大変なプロジェクトという感じを受けますが、やはり政治学でもこういう大規模な共同研究プロジェクトが増えていくのでしょう。 

熟議の効用、熟慮の効果: 政治哲学を実証する

熟議の効用、熟慮の効果: 政治哲学を実証する

 

 神戸大学の大西裕先生からは『選挙ガバナンスの実態 日本編』をいただきました。こちらも科研費による共同研究の成果ですね。数年かけて日本の選挙管理委員会の調査を行っていらっしゃいましたが、おそらく体系的な日本の選挙管理委員会の調査は初めてと言えるのではないでしょうか。調査のデータを使いながら、選管(職員)の自律性/首長との関係や、具体的な選挙の運営の問題などが論じられています。 

 早稲田大学の木下健先生からは『政治家はなぜ質問に答えないか』をいただきました。ありがとうございます。インタビューの事例分析を行っているということですが、計量テキスト分析とかなんですかね。上の『選挙ガバナンスの実態 日本編』にもありますが、最近は計量テキスト分析をする研究も増えているようで、なかなか勉強が大変です…。本書では、映像データの分析なども行われているようで、方法論の観点からも興味深いものがあるように思います。

政治家はなぜ質問に答えないか:インタビューの心理分析

政治家はなぜ質問に答えないか:インタビューの心理分析