専門家・専門知識

東京大学の若林悠先生に『日本気象行政史の研究』を頂きました。どうもありがとうございます。本書は,気象行政というややマイナーな領域を対象としつつ,その領域において官僚制がどのようにその専門性を発展させていったのかについて非常に刺激的な議論をしているものです。重要なのは社会における「専門性」の評価であるところの「評判」で,「専門性」と「評判」はまあ先行研究でもしばしば結び付けられる話ですが,それを考えるにあたって「エキスパート・ジャッジメント」と「機械的客観性」という聞きなれない言葉が本書の鍵概念となっています。前者は専門家としての(優れた)判断であり,後者は専門家であればいわば誰がやっても同じ結論を出すという判断,ということになるかなと。気象行政における官僚制は,もともと他にいない専門家としての「エキスパート・ジャッジメント」を社会に評価される(=評判を高める)ということを重視してきたものが*1第二次世界大戦後の気象行政の再構築の中で防災官庁としての意義を強調し「機械的客観性」を重視するようになってきた,と。しかし,1980年代ころから天気予報解説などに関わる民間の気象会社が存在感を増している中で,それとの競争のなかでの「エキスパート・ジャッジメント」を意識するかたちになっている,という感じでしょうか。 

このような議論を行うときに,気象行政というのはとてもうまい題材だったと思います。その一方で,他の分野についてはどうなんだろう,という感じもありました。普通の「専門性」といえば,まあ伝統的には技官ですし,最近であれば本書で最後にちょっと触れられている経済学者みたいなものも入ると思いますが,そういうものの場合,官庁が独占的に「専門性」を保持していたり,まあその言いかえですが,官庁の外部よりも優れた「エキスパート・ジャッジメント」ができるということはやや考えにくいのではないか,という気がするところです。多くの「専門性」が出てくる領域では,官庁の外に養成機関や試験などがあって,必ずしもその中のベスト&ブライテストが官庁に入ってくるとも言えないわけで(まあ日本はそれでも比較的優秀層が入ってたんでしょうが)。
そういう前提のもとで,「専門性」をもった領域が必ずしも自律的であるというわけではなくて,その領域の中に存在する行政組織の内と外に強い境界がある,という問題が出てくるんだと思います。専門家が行政組織で働いているというのではなくて,行政組織で働く人を専門家と呼ぶ,みたいな。日本の官庁の場合,ふつうに「エキスパート・ジャッジメント」で戦うと民間(というか官庁組織の外)に負ける可能性が低くない中で,官庁が情報を独占することによって別の土俵で競争することにしていたようなところがあるのではないか,という印象があります。気象庁の場合にはウェザーニュースに「指導」できたりするわけですが,それはやや特殊なところがあるのではないか,と。とはいえ,その特殊性自体は本書の中でも認識されているように思いましたし,うまく浮彫にされているとは思いましたが。

今後という意味では,民間の気象会社が衛星を打ち上げたりして情報を独自に獲得するようになるでしょうから,そのときにどうなるかというのが論点かもしれません。ただ個人的にはそれに加えて「防災官庁」としての行く末が気になるところです。正直,本書を拝読するまでは気象庁が「防災官庁」であるという意識はあまりなかったのですが,確かに防災においては重要な役割を果たすと思います。現在防災(復興)庁も含めていろいろ議論が出ているわけで,その中で気象庁はどういう位置に置かれるんだろうか。

日本気象行政史の研究: 天気予報における官僚制と社会

日本気象行政史の研究: 天気予報における官僚制と社会

 

もうひとつ,アジア・パシフィック・イニシアティブの船橋洋一先生から『シンクタンクとは何か』を頂きました。どうもありがとうございます。アメリカを中心とした他のシンクタンクとの比較を踏まえつつ,ご自身がシンクタンクを立ち上げるという経験をされている中で考えられたことを中心にシンクタンクについて論じられています。海外のシンクタンク事情については知らないことばかりですし,何より登場するシンクタンクの人々が活き活きと描かれているのを非常に面白く読みました。

本書で扱われているのは,基本的に社会科学系の「専門性」に依拠したシンクタンクで,そこで重要になってるのはまさに「評判」なんですよね。若林先生の分析枠組みを借りると,経済学については自然科学っぽいところもあるかもしれませんが,政策アナリストや特に国際政治に関するシンクタンクの場合は「機械的客観性」を担保するのはほとんどムリなわけですから,そこで重要になってくるのは「エキスパート・ジャッジメント」ということになってくると思います。シンクタンクにとっては他より優れた「エキスパート・ジャッジメント」ができるといったような評判を作ることが組織を維持するのに大事になるわけで,それをめぐる競争というのを垣間見ることができます。

本書では基本的にシンクタンクの方に焦点を当ててるわけですが,やはり若林先生の本を踏まえて考えてみると,そういうシンクタンク間の競争が重要だというときに,官僚組織はどういう役割を果たすんだろうというのも気になるところです。官僚組織にしかない情報やデータというのがあって,(もちろんシンクタンクが独自に情報を取るとしても)それがシンクタンクにとっても死活的に重要になってくるのだと思うのですが,官僚組織としても競争相手なので喜んでディスクローズしたいってわけでもないと思うんですよねえ。「回転ドア」という労働市場を通じてつながってるからこそ情報の流通が起きるのかもしれませんが…と,読んでるときはあんまり考えてませんでしたが,二冊一緒に読むとより面白いかもしれません。 

*1:まあ結局軍部との「エキスパート・ジャッジメント」の競合があってうまくいかないという話になるわけですが。

地方自治研究3冊

東洋大学の箕輪允智先生から『経時と堆積の自治』を頂きました。どうもありがとうございます。博士論文をもとにした出版で,旧新潟三区の三条市柏崎市栃尾市加茂市を対象に,詳細な自治体の歴史を描くことで,それぞれの地域での「自治」のあり方がいかに形成されてきたか,ということを分析しようとするものです。私なんかもそうですが,近年の地方自治研究では,一般的に妥当する理論を検証することを念頭に置きつつ,自治体そのものの個性を重視するというよりは,何らかの変数で特徴づけられた存在として認識することが多くなっています。それに対して,本書は都市ガバナンスの先行研究をふまえた上で,個々の自治体がそれぞれに歴史と文脈をもって「自治」を作り出してきたことを論じようとしています。それぞれの自治体がもつ地理的環境や人的資源,組織・伝統的資源などの影響を受けながら自治体の来し方行く末が決まっていくと。

本書を通じてわかることのひとつは,全ての自治体を一般的に捉えるということはまあある種のフィクションであって,それぞれの自治体が固有の歴史を持ち,経路依存を前提に意思決定をしているんだ,ということでもあります。まあ私なんかはそういう研究してるわけですが,一定の仮定を前提に自治体の一般的な行動や決定について分析していることを忘れてはいけないということでしょう。本書でも,一般的な理論・仮説の妥当性を検証するような研究を否定しているわけではなく,自治体の個性が重視される時代にはその個性の源泉である歴史や文脈について確認する視点が必要になることを強調しているわけです。もちろん,原発立地自治体で様々な研究の対象になっている柏崎市をはじめそれぞれの自治体の多様性の「特異的な因果関係」について教えてくれる著作ではありますが,バランスを保ちつつ他の視点に学ぶ姿勢が大事,ということを改めて示すものとしても読めるように思います。

経時と堆積の自治――新潟県中越地方の自治体ガバナンス分析

経時と堆積の自治――新潟県中越地方の自治体ガバナンス分析

 

大阪市立大学の阿部昌樹先生から『自治基本条例』を頂きました。どうもありがとうございます。元同僚ですが私は前からのファンの一人で,『ローカルな法秩序』『争訟化する地方自治』ともに本当に好きな著作です。その阿部先生が自治基本条例について研究をされているのは知っていて,本書の出版をとても楽しみに待っておりました。本書はおそらく初めて自治基本条例を体系的・実証的に分析したもので,この「自治体の憲法」と呼ばれる(呼ばれたがる?)条例が自治体において住民が相互に結びついているような感覚,「集合的アイデンティティ」の構築に関わるという議論は非常に説得的だと思います。自治基本条例の歴史的な経緯を説明するだけではなく,調査時点での全条例を用いた計量テキスト分析,米原市で行われた住民アンケート調査を利用した二次分析,阿部先生ご自身による自治体担当部局を対象としたアンケート分析を用いて実態への接近が図られていて,政治学行政学への貢献も非常に大きいと思いました*1

実は私も大学院生のときにある市で制定された自治基本条例の初期段階に関わっており(まあ引っ越しでそこからは離れてしまいましたが),また就職してからもいくつかの自治体でこの条例の評価・チェックに携わる審議会等のお手伝いをさせていただいたので懐かしく読んだところもあります。本書では,社会運動論のレビューなども踏まえた議論がなされていますが,まさに「運動」のようなところもあり,また一度「制度」として出来上がったものをどうやって運用するかというのが重要な論点にもなります。本書でも,自治基本条例を根拠として住民が行政に提案・要求を行うというような可能性,そしてそれが「集合的アイデンティティ」を作り出していくのではないか,という可能性についても論じられていますが,以前「運動」の中で自分もそんなことを漠然と思ったことがあるなあ,と懐かしい気分になりました。 

なかでも,阿部先生が独自に集められたアンケートデータを利用した「インパクト」の分析をされた5章を興味深く読みました。主要な論点のひとつとして,自治基本条例が制定されてからの時間がたつことが住民や職員の行動を変えた可能性について論じられています。ただ,それで満足するのではなく,探索的に色々な分析を行うことで,単に時間が経過しているだけでなく,何かの試みをしていること時間との交差項が効果を持つ可能性があることを論じられているのは個人的には説得的でした。結構独立変数間の相関があるのである程度整理してもよいのかなあとは思いましたが,そういう相関を踏まえつつ推定結果を「読む」というのは,技術的にとても優れている研究者でも簡単ではないことで(なんていう僕は全然だめですが),そういう点も大変参考になると思いました。 

 最後に,京都大学の曽我謙悟先生から『日本の地方政府』を頂きました。ありがとうございます。何というか,この構成や展開はすごいですね。読んでいる文献も相当程度重なっていて,議論のもとになる理論を共有しているわけですから,ほとんど違和感なくすぐに読んでしまったのですが,そもそもこういうかたちで議論を組み立てる俯瞰的な目線が本当にすごいと思います。20年くらい前から曽我先生がリードしてきた研究が,20年後に回収されるとこんな感じになるんだ,という感慨を持ちつつ読んだところもあります。まあ教科書とは違うわけですが,地方の研究する多くの若い人が初めの方で読む一冊になるでしょうし,かなり長く地方政治研究を規定するものになるような気がします。その意味でも上の箕輪さんのような観点も改めて重要になると思いますが。

統一的な視点から極めて見通しよく「日本の地方政府」について整理し,問題を析出されているわけですから,本書は改めて自分の研究を見直すときにも非常に有益になります。私の場合,本書の5章(中央政府との関係)のところから研究を始めて,1章(首長と議会)と3章(地域社会と経済)に大きく関連するところで著作を書き,次の本は2章(行政と住民)と4章(地方政府間の関係)に絡むところかな,と感じつつ,関連文献を見直そうか,などと思いました。また,最近他の仕事との関係で,2章の行政改革の部分の実証的な研究が実は少ないんだろうな,という印象も受けていて,このあたりについて掘り下げることもできるかな,という感じもします。もちろん,新しい研究の助けになるだけでなく,析出された問題についての議論を呼ぶものにもなるでしょうから,そのためにも広く読まれることを願いたいと思います。

日本の地方政府-1700自治体の実態と課題 (中公新書)

日本の地方政府-1700自治体の実態と課題 (中公新書)

 

*1:阿部先生のご専門は法社会学なので/政治学者・行政学者と一緒に仕事されることも多いですが。

番号を創る権力

東京大学の羅芝賢先生から,『番号を創る権力-日本における番号制度の成立と展開』を頂きました。どうもありがとうございます。最近,私自身がマイナンバーのような番号制度に関心を持っていることもあり,本当に面白く読ませていただきました。これは番号制度や電子政府はもちろん,広く社会保障行政改革に興味を持っている人必読といっていいんじゃないですかね。

本書を通じて勉強になることばかりでしたが,特に日本における医療や年金,運転免許の番号の発展を分析した1章の3節には感銘を受けました。それぞれの分野において一定の統合が図られる契機があり,それには事務の膨張や行政の電子化が関わっている,という議論です。私自身,番号制度に関心を持つ中で,これらの番号についても考えることがありましたが,本書で批判されているような,分散的な性格を過度に強調するような発想があったことを否定できません。ただ他方で,それぞれの政策分野が自律的に発展していく傾向にあるのではないかとは感じており,その点については本書の議論とパラレルな部分があるような気がします。

他の章についても,重要な示唆がたくさんありました。2章では革新自治体の台頭と番号制度導入の失敗というのはなるほどと思いました。しばしば労働組合が電子化に抵抗する,という話があるわけですが,電子化の初期の時点と革新自治体の隆盛の時期が重なっていて,しかも議会に対して劣勢に立ちがちで住民へのアピールを考える革新市長が「プライバシー保護」を強調しようとするのは納得できます。さらに,3章は日本において本来もっと研究が進んでいるべき電子政府化の歴史についての重要な貢献になっています。電子政府化というのは重要なテーマでありつつ,なかなか切り口が難しいような印象を持っていましたが,本書のような形で整理されて番号制度とリンクされたのは慧眼だと思います。よく考えれば,管理のために電子ファイルを作る時点でどうやっても付番されるわけですから,電子政府と番号というのは切っても切れないものになるわけですし。

さらに,4章・5章について,本書の主要なメッセージである,「本人確認が極めて権力的・暴力的な営みである」ということにもついても考えさせられました。日本のマイナンバーは,結局のところそのような暴力的な営みを可能な限り回避しようとしている結果として,全く使えないもの,あるいは統合どころか単に制度を追加しただけのものになっているのかもしれません。これは今後の番号制度を考えるうえでも非常に示唆的で,日本のような国家においてはこれから統一的な番号を付与するのが難しいということなのだと思います。結局のところ年金番号のようなものを追加していった方がよいのではないかと。他方で,小選挙区制の導入以降の多くの政党が掲げる普遍主義的な方針が貫徹すれば(ある面でスウェーデンのように)強い本人確認の制度もありうるのかもしれない,と思うところもあります。もちろんそれは本書の結論で指摘されるように,福祉国家を縮退させかねないものでもあるわけですが。また,日本においても外国出身の方が増えている中で,強い本人確認の制度については慎重に検討されるべき事項なのは間違いないでしょう。 

番号を創る権力: 日本における番号制度の成立と展開

番号を創る権力: 日本における番号制度の成立と展開

 

 

行政組織の改革

金沢大学の河合晃一先生から『政治権力と行政組織』を頂きました。どうもありがとうございます。行政組織の変更を行うときに,新しい組織が政府から独立性の高い組織になるかどうかというのはいつも議論されるところです。よく出てくるのは,新しい組織を合議制の委員会として作るか,独任制の省庁として作るか,というような話で,理論的な予想としては前者の方が独立性が高くなると考えられます。さらにはその委員会を内閣に置くか省庁の一つと同格にしとくか,人事院会計検査院(さらには裁判所!)のように格別の独立性を与えるか,ということは大きな論点になります。

本書はこのような行政組織の新設・変更について,政権党が野党と合意するときに必要な「コンセンサス・コスト」が重要なんだ,という説明を行おうとするものです。一般に独立性が高い組織を作ろうとすると,その組織が政権の言うことに従わないかもしれないことでエイジェンシー・コストが生じると考えられます。アメリカの行政組織の研究だと,そのエイジェンシー・コストを低くするために新たな組織を強く縛ったり,独立性を低くさせたりすると立法コストやコミットメント・コストがかかることが論じられています。それに対してこの研究では野党との合意にかかるコストこそが重要なんだ,ということが仮説で,政権はなるべく独立性の低い組織を作りたいけども,コンセンサス・コストが高まれば(仕方ないので)多少なりとも独立性の高い組織を作る,ということが予想されます。それを金融監督庁・金融再生委員会,消費者庁,復興庁で検証しようとしています。

コミットメント・コストの説明って,自分でも授業でしたりするわけですが,「ほんとかな」と思うこともあるわけで,確かに本書で批判的に論じられるように,アメリカ特殊的な発想のような気もします。他方,「コンセンサス・コスト」の方も立法コスト都の違いをどう議論するか,というのはもうちょい議論の余地もあるような気がします。あと,出てくる事例は確かに興味深いのですが,これ全部内閣府の内側の話なので,内閣の外の省庁に関するような事例,具体的に言えば防衛庁の省「昇格」や東日本大震災後の原子力規制委員会の設置なんかも視野に入ってもよかったのかも,と思うところではありました。うまくやれば日銀の同意人事なんかも説明できたりするのかもしれませんし。 

政治権力と行政組織: 中央省庁の日本型制度設計

政治権力と行政組織: 中央省庁の日本型制度設計

 

 河合先生からはもう一冊,他の著者のみなさんとともに『現代日本の公務員人事』を頂いております。本書は稲継裕昭先生の還暦記念で編まれたというもので,各章では最近の公務員制度改革の効果や,人事慣行の変化について論じられています。ちょうど行政学の授業で人事関係のところをアップデートしたいと思っていたのでぜひ参考にさせていただきたいと…。個人的には,(授業で時間的に地方の話をできるのかよくわかりませんが)地方自治体の新たな人事慣行について扱った6章(小野英一先生)と7章(大谷基道先生)は詳しく知らないところだったので,非常に興味深く読みました。 

現代日本の公務員人事――政治・行政改革は人事システムをどう変えたか

現代日本の公務員人事――政治・行政改革は人事システムをどう変えたか

 

 もう一冊,行政組織の改革に絡む研究として,山口大学の西山慶司先生から『公共サービスの外部化と「独立行政法人」制度』を頂きました。どうもありがとうございます。個人的にも最近エイジェンシー化や民営化を含む行政改革に少し関心を持っておりまして,勉強になります。

本書では,エイジェンシー化という問題が出てきた理論的背景,国際比較,そして日本的に受容した「独立行政法人」の制度設計と運用,その変化というかたちで論じられています。雑ぱくな感想ですが,日本の場合にはやはり初めに「減量」ということが強調されたことが非常に大きくて,その後の運用や変化においても何というか「減量」できるものだ,するべきものだ,として扱われているような気がします。省庁の側もある種人身御供的に「独立行政法人」を切り出しているところがあってその傾向が強まっているところもあるのでしょうが。

個人的には,(民営化を含めて)公共サービスの外部化・民間化を考えるときに重要になるのはディマンド・サイドの購買力をどのように設定するかということではないかと思っています。本書にあるように,特に最近のNPMの議論の文脈では「市場化」は限定的なものとして捉えられる傾向にあるように思いますが,しかしやはり重要なのは(疑似的なものでも)市場による評価であり,サービス提供者が「利益」を出すことが重要で,それができないときにサービスが不要であるという判断につながってくるのではないかなと。そのためにはサービスの買い手(政府自身も含めて)が非常に重要であることは間違いなく,また必要なサービスを購入できるだけの購買力をどうやって保障するか,ということが制度設計上重要だろうと考えるところです。ただ,日本の場合には「減量」が中心であり,そもそも利益なんてとんでもない,という発想が強いことが,この制度の運用を難しくしているようにも思います。 

公共サービスの外部化と「独立行政法人」制度 (ガバナンスと評価 6)
 

Dynasties and Democracy

Daniel Smithさんの著作,Dynasties and Democracy: The Inherited Incumbency Advantage in Japan の書評を依頼されて書きました。年度末〆切だったのに遅れてしまいご迷惑をおかけして本当に申し訳ないです…。相変わらず英語は下手でしょうがないのですが,最近は適当に日本語で書いたものを英語にするという技術を覚えて多少の省時間化を図ることができるようになってきた気が…(意味なくポジティブ)。それはともかく,本自体面白いものだと思うので,一部をご紹介したいと思います。

世襲」は日本政治ではしばしば観察されるもので,固有の文化によるものだと解説されることもあるわけですが,本書で著者は比較の視点から,世襲が日本における文化を反映しているものというよりも,選挙制度を中心とする政治制度の配置によって生み出されているものであることを明らかにしています。そのために,第二次大戦後の日本における国政選挙の候補者について,血縁の国会議員が存在したかどうかを含めた詳細なデータを集めるだけでなく(下のリンク),12の先進国について国政レベルの議員がDynasty出身かどうかについての膨大なデータを集めて検証が行われています。

dataverse.harvard.edu

本書の議論の特徴は,世襲候補者を求める需要側の要因と,世襲議員・候補者の側の供給側の要因を分けたうえで,それぞれについて様々な角度から検証していくことです。供給側の仮説として設定されるのは,長く選挙で勝利し続けた現職がその家族を自分の後に続く候補として送り出しやすくなるとか,Dynastyに所属する人が政治の世界に出やすいとか。他方需要側の仮説として設定されるのは,そもそも現職議員であることの選挙上の有利さを後継者に引き継ぐことができるかということである。さらに,システムレベル-個人投票重視の選挙制度かどうか,政党レベル-市民社会における組織との関係・候補者選定プロセスの性格,個人レベル-前任者の死亡といったことが具体的に世襲候補の擁立につながるという仮説になってます。読むまで知らなかったんですが,アイルランドでは日本以上に世襲が多くて,それがやっぱり個人投票を招くSTV(単記移譲式投票)とつながっているだろうというのは面白いところ。

比較分析を踏まえて,日本についての詳細な検討をしてるわけですが,SNTVからFPTPへと変更された選挙制度改革によって世襲候補に対する政党からの需要が大きく変わったことが論じられてます。まあこれ自体はそうだよねーという感じなわけですが,面白いのは供給側の方の変化で,本書によれば,選挙制度改革後は一般的に世襲候補が擁立されにくくなっているものの,一部強いDynastyの候補者は擁立される傾向があるということ。制度改革後の世襲が単に慣性によって決まるのではなく,明確な傾向を持って決められているとすれば面白いように思います。

更に関連して,個人的に最も面白かったのは,選挙制度改革後,一部の有力政治家のDynasty出身の政治家が昇進しやすくなっている,というところ。世襲議員が相対的に若い時期から政治の世界に参入できることから,単にシニョリティ・ルールを反映しているだけではないかという疑問はあるわけですが,本書ではそれを反証するデータを提出しつつ,有力なDynastyにおいて政治の世界に特殊な資源やコネクション,知識などが直接的に重要であることを示唆してます。もちろんさらなる検証は必要でしょうが,知識や経験を共有した有力なDynastyがコアを担うようになっているとすれば,その観点から自民党の変質に迫ることもできるんじゃないかと思ったり。

本自体すごく面白いと思いますが,それは著者が日本語のものも含めていろいろ読んで日本政治についてすごい詳しいから,ということがあります。アネクドートとか,なんでそんなん知ってるの?みたいなこともあるし,ある面で現代日本政治の通史風になっているところもあって,大学院生が日本政治の展開について説明するときに参考になるんじゃないかなあ,という印象も受けました。ご関心のある方はぜひ! 

 

 

オーラル・ヒストリーに何ができるか-作り方から使い方まで

宣伝ですが,御厨貴編『オーラル・ヒストリーに何ができるか-作り方から使い方まで』が岩波書店から出版されました。私はこの中で「「行革官僚」の成功と挫折」という短い文章を寄稿しています。大学院生の時に参加した田中一昭氏のオーラル・ヒストリー以来,いくつか参加している行政改革・民営化に関するオーラル・ヒストリーの成果を並べつつ,第二臨調を契機に出現したように見えた「行革官僚」とはどういう存在だったんだろうか,ということを考えてみたものです。今回は紙幅の都合もあって論じたりないところもありますが,今後もう少し行政改革や民営化について別のプロジェクトでも考えてみたいと思っています。

私は具体的にオーラル・ヒストリーを「使う」という感じのもので,本書の中で似たようなものとしては竹中治堅先生,高橋洋先生,佐々木雄一先生,あと前田亮介先生のものも似てると言えば似てるかもしれません。いずれもオーラル・ヒストリーの記録を使って何らかのテーマについて分析したものです。より古い回顧録を使っている前田さんのもの以外は「事例的考察」というくくりの中に入ってますが,他方でこの括りの中でも特定のテーマというよりも文部科学官僚について実施されたオーラル・ヒストリーについて分析する本田哲也先生のものも入っていて,「使う」については特に現代政治に関心を持つ研究者を中心とした多彩な感じになっています。

個人的には「応用的考察」のところが面白かったですね。こちらは歴史への志向がより強い感じでしょうか。牧原出先生によるオーラル・ヒストリーの記録の読み方,村井良太先生による「東京学派」(!)の歴史と可能性,手塚洋輔先生によるオーラル・ヒストリーの準備についての考察があります。それに加えて,特に一番若い世代である佐藤信先生と若林悠先生がオーラル・ヒストリーの「残し方」について検討しているものが広く読まれるといいな,と思いました。だいたいプロジェクトを始めた世代は拡大を考えて(持続可能性とは別に)方法論を確立することに熱心になり,自分も含めて定着してきた世代ではその中身について関心を強くしている,というカラーがあるような気がしますが,それに対してもっと若い世代では持続可能性や公開というテーマについて考えて刷新を提案する,という感じのようにも思います。 

『第一次世界大戦期 日本の戦時外交』ほか

帝京大学の渡邉公太先生から『第一次世界大戦期 日本の戦時外交-石井菊次郎とその周辺』を頂いておりました。ありがとうございます。外交史,しかも戦前の話なので,十分に理解できるわけではありませんが,興味深く読ませていただきました。基本的には,第一次世界大戦前の外交官中心であったいわゆる「旧外交」から,秘密外交の禁止・民主的統制・民族自決などを謳う「新外交」へと変わっていく期間における日本外交の歴史について論じられたものだと思います。石井菊次郎とその周辺,という副題になっていて,冒頭でも石井の話が出てくるので,もっと伝記風なのかなあと思っていたのですが,元老による外交のほか,加藤高明・本野一郎といった外相の政治指導についても多く紙幅が割かれています。非常に図式的に言うならば,加藤高明を中心とした日英同盟を何より重視する路線と,元老や本野一郎のようにロシアとの関係を重視する路線の対立がこの間の基軸になっている中で,ドイツの潜在的脅威を重視する石井菊次郎が両者の中でバランスを取りつつ,ロシア革命後に大きな問題となっていったアメリカとの外交交渉を行っていったという感じでしょうか。高校日本史で止まっている知識で出てくる「石井-ランシング協定」はその成果,ということになるのかと思います。

歴史的な状況をすぐに現代に当てはめようとするのはよくないですが,現代政治を研究している人間としては,やはり現代へのインプリケーションを考えてしまうところがあります。英国という覇権国家との強い関係が続いてきて,それを見直すような議論が出てくる中で,近接するロシアとの関係を強化することで自国の権益を守りたい。ロシアの方もヨーロッパとの関係が厳しいときは日本に接近してきて権益を譲るようなことも言うけど,ヨーロッパの方でのバランスが回復してくると日本との交渉は厳しくなる。その間出現した新興大国であるアメリカが中国市場に強い関心を持ち,長期的に国力が太刀打ちできなくなることが明らかな中でより厳しい交渉を行うことになる。まあそんなまとめ方をすると何となく現代にも通じる「バランスオブパワーの変化の中でどういう選択をするか」というケーススタディにもなっているように思います。

なお本書のなかでは中心的なテーマでないと思いますが,個人的には「外交調査会」による意思決定の一元化のところが興味深かったです。元老や外相,軍部が多元的に行ってしまうような従来の外交から,政党も含めてまとめて調整するしくみ,ということだと思います。結局ここでは何も決まらなくなる,ということもよくわかるのですが,まあおそらく現代の安全保障会議に通じるところもあるわけで,その辺の歴史を描く研究もできるのではないかなあ,と思ったり。 

第一次世界大戦期日本の戦時外交―石井菊次郎とその周辺

第一次世界大戦期日本の戦時外交―石井菊次郎とその周辺

 

村松岐夫先生に『政と官の五十年』を頂いておりました。ありがとうございます。村松先生が書かれてきて,これまでに単行本に収録されていない論文のうち,主に国政レベルの政治行政過程の実証研究を扱われたものと,中央地方関係や地方分権をテーマとされたものが収録されています。全体としては,はしがきにある通り,「政党と官僚の間では,「官僚が優位の関係に立っている」という通説に対しては,政党の影響力優位と見るのが適切」,「「地方自治体が自律的でなく,中央に支配されている,また地方議会に影響力がない」といった言説に対しては,種々の調査のうえ,これらの地方諸アクターに独自の影響力があること」が示されています。今となっては目新しい主張ではありませんが,村松先生がこれらの論文を書かれていた時には極めて革新的な主張であったわけで,現在の研究に至る「源流」をまとめて読むことができる本だと思います。 

政と官の五十年

政と官の五十年

 

 著者の先生方から『日本の連立政権』を頂きました。どうもありがとうございます。1993年の細川政権以降民主党を経て現在の第二次安倍政権に至るまで,日本で常態となった連立政権について,各首相ごとに分析が行われています。本書の編者のおひとりであり,選挙学会の会長を務められていた岩渕先生の還暦を記念して,関係の方々で始められたプロジェクトということですが,残念なことに途中で岩渕先生がご逝去されました。ご冥福を祈りつつ,勉強させていただきたいと思います。 

日本の連立政権

日本の連立政権

 

これも著者の先生方から『縮減社会の合意形成』を頂きました。ありがとうございます。副題が「人口減少時代の空間制御と自治」となっていて,「合意形成」に焦点を当てながら都市計画のような都市空間管理について分析するものになっていると思います。あとがきにある通り,本書の問題意識では,これまでの合意形成システムが「国政という全国レベルでの十分な合意形成を欠いたまま政策決定を行い,実際に影響の及ぶ地域レベルで,都道府県・市区町村・地元団体という3層の事実上の「自治行政単位」を媒介に,経済的便宜供与によって,国策への同意を求めるという「同意調達システム」」であったことが前提とされています。それを批判しつつ,縮減社会のなかで機能する合意形成システムの理論を構築しようとした,というのが本書のもとになったプロジェクトの狙いとなっているそうです。「自治行政単位」の境界をどのくらい自明視すべきなのか,という論点などもありそうですが,全国で様々なNIMBY問題が噴出している現在の日本において,取り組まれるべき課題ではないかと思います。 

縮減社会の合意形成-人口減少時代の空間制御と自治-

縮減社会の合意形成-人口減少時代の空間制御と自治-

 

 もうひとつ著者の先生方から『「18歳選挙権」時代のシティズンシップ教育』を頂きました。ありがとうございます。龍谷大学の先生方を中心としたプロジェクトで,シティズンシップ教育の現状や諸外国での経験,さらには龍谷大学で行われてきた取り組みについてまとめられています。基本的に大学生は有権者,という時代になっているわけで,政治学の研究者としても大学教育の中でやるべき仕事が増えている、ということなのかもしれません。自分の大学のことを思いつつ勉強させていただきたいと思います。 

「18歳選挙権」時代のシティズンシップ教育: 日本と諸外国の経験と模索

「18歳選挙権」時代のシティズンシップ教育: 日本と諸外国の経験と模索