第54回会合(2008/7/25)

いくつか用事もあったので,週末は関西の研究会へ。場所は立命館大学で,もちろん初めて行ったわけですが,京福電車に乗ってみたり,石庭で有名な龍安寺に行ってみたり(お恥ずかしながら初めてです)でちょっとした小旅行気分。しかしそれにしても京都は暑かった。
さて金曜日に行われた分権委は54回目。今回は知事会の麻生会長との意見交換と,二次勧告前の出先機関に関する中間とりまとめの審議。知事会として最も強調することは,特に道路・河川で国から権限移譲を受けるのはいいけど,いざ国交省と折衝を始めたら(この日の午前が一回目の折衝だったらしい),やはり財源や人の裏づけについて明言されないから困る,という話。それを受けた委員の側からも,国交省ではなく内閣/政府に見解を求めた方がよいのではないか,というコメントが。ちょっとおもしろかったのは,西尾代理が今後の補助負担事業の仕分けについて知事会の協力を仰ぎたいという話をする中で,麻生会長が,三位一体以降国は都道府県に補助を出さずに市町村や民間に直接補助事業を行う傾向が強まっているということを懸念するコメントが。これまでは都道府県を経由して配っていた補助金を市町村に直接出すということは,単純に都道府県が差配する権限が減るということもあるでしょうし,財政的に弱い市町村であれば(都道府県ではなく)国に従属的になって,分権を進めることを拒むことになる可能性もあるのかもしれません。結局,これから「廃止すべき補助負担事業」,「補助負担事業としては廃止するけど財源を地方に移すべきもの」などのカテゴリで仕分けをするということになりそうですが,このような補助負担事業の仕分けというのは分権に関するひとつの鬼門であると考えられますので,状況を見ながら慎重に進めることが重要なのだろうと思われます。
麻生会長との意見交換であと強調されていたのは,その後の中間とりまとめの審議の中でも議論される「総合的な出先機関」の話。いま各省ごとにある出先機関を整理してブロックごとの「総合的な出先機関」について検討される可能性が示されているのですが,この機関が強大になりすぎるべきではないという懸念が表明されます。まあ都道府県としては権限が集中した出先機関が自分の近くにくるとまさに目の上のたんこぶになるわけで,そこはあまり賛成ではないということでしょう。この手の「総合的な出先機関」をめぐる議論は戦前から繰り返されているわけで,最近微妙に走り始めている道州制の議論との関係にも気をつけながらやはり慎重に扱うべき課題でしょうが…ちなみに戦前からの議論についてはこちらの本を。
[研究][地方分権][本]広域行政

日本広域行政の研究―理論・歴史・実態

日本広域行政の研究―理論・歴史・実態

中間報告についての審議としては,松田専門委員から原案についての説明と,猪瀬委員から出先機関の実態解明についての説明が。原案については基本的に資料の通りですが,あとで露木委員からも指摘があったとおり,特に北海道開発局の問題を受けて「ガバナンス」について言及したことが重要ではないでしょうか。猪瀬委員の説明でも,出先機関が勝手に公益法人を作ってそこに元官僚を天下りさせる,というかたちで「出先機関が自己増殖」することが指摘されているわけですが,当初の「二重行政の廃止」という問題意識に加えて,出先機関という組織形態の「ガバナンス」を重視するという意味で,今回の中間とりまとめと二次勧告の正統性を高めるという戦略があるのかな,と感じられます。それは各出先機関のスリム化を進めた上で(「モンスター」と批判されないようにしたうえで),ある程度各省の存続する出先機関や,新設が検討されるような総合事務局に出先機関の事務を集約するという問題意識にも現われていると思います。特に,資料の中に「分権化された総合事務局」という言葉が出ていて,井伊委員からこの言葉の意味がよくわからないという指摘が出たときに,宮脇事務局長から,単に「スリム化された」というのとは違う,地域の民主的統制がかかった総合事務局ということを意識しているという回答が出ていたことを考えると,これから出先機関の整理を進めるときに,二重行政が悪いというだけではなくて,出先機関の「ガバナンス」を梃子にして議論を進めるというねらいがあるのかな,という印象です。
まあ議論としてはこんなところですが,個人的には猪瀬委員と露木委員から,それぞれ道路・河川の移譲と北海道開発局の問題をめぐって,地方の側から「権限を奪い取る」という姿勢を見せることが必要だ,という指摘が出ていたのがちょっと興味深かったです。単に権限をもらっても財源や人がないからできない,というのではなくて,(リスクを背負って)権限を積極的に受けたうえで,財源や人が必要だからということで積極的に移譲を求めていくんだ,と。現状では知事会や市長会などで意見を集約して進める傾向が強いことを考えると,なかなか難しいところもあるとは思いますが,本当に迫力をもって「分権」というものを訴えるためには,そういうある種のリスクを背負うことも必要なのかもしれません。