第62回会合(2008/10/21)

この二週間ほど博士論文の詰めのところで全く身動きがとれなくなっていたおかげで,分権委のレポートも二週間遅れに…。提出稿(予定)はできたので,あとは頑張って追いかけなくては(+他の〆切も…すみません)。
62回会合は,都道府県の不正経理の問題を受けて冒頭で丹羽委員長がコメント。中央に依存する地方自治体が「自分の金」でないという意識でおきた問題と解釈して,むしろ地方分権を進める必要があると。そういうところも大きいのかもしれないとは思いますが,本来の話としては,会合の最後で議論になっていたように,現在の制度ではなるべくお金を浮かせようという努力がなかなか報われにくくなっているというのが問題ではないかと。まあそうはいっても,「現状の予算の中で節約すると次年度の予算を減らされるから使ったことにして預けておく」のが問題だ,とする考え方も,それはそれで既存の部局単位で予算消化をするという前提に侵されすぎかな,と反省。組織をいじるコストがどのくらいかかるかはわからないけど,基本的には組織のトップである首長が「権限による調整」を行って組織を必要に応じて組み変えるというのを筋として考えるべきなのかもしれない。ただそれでも会計年度を硬直的に設定することについては検討しなくてはいけないのかもしれないが。
それから,国交省から国道の移管候補リストが出てきた,という話があって,猪瀬委員から今後の交渉について,交渉の一方の当事者である都道府県の土木関係部局の幹部に国交省からの出向者が多いという問題提起が。出向している部長では交渉にならない,という話なわけですが,これはそういうところがあるだろうなぁ,と。日経地域情報や総務省の報告を見る限りでは,97年ころから出向の幹部ってかなり減る方向には進んでいるような感じがあるのですが,まだ結構いると。猪瀬委員はグダグダと都道府県の幹部の役職を読み上げていましたが,それらの幹部がどのくらい地方への権限移譲をちゃんと要求するかはわからないわけで,首長から見るとスクリーニングがうまくできずに逆選択,みたいな話になってる可能性があるのは事実かな,と。ただ逆に言えば現状ではそれだけ国と地方が融合的に仕事をしていることを示すわけで,実は整備局の現業の人を移すというだけではなく,そういう出向してるキャリアを移す(地方自治体側からの求めがどのくらいあるのかしりませんが)ということもひとつの論点かな,と。

文部科学省

ヒアリングは文科省環境省。まず文科省については,分権委から幼稚園・小学校・中学校・高等学校の設置基準(文部科学省令)や幼稚園・高等学校・特別支援学級の教育課程(学習指導要領)について,地方の裁量を拡大せよ,という指摘。それに対する文科省の回答は,学校設置基準や学習指導要領に基づく教育課程については設置者を問わずに適用されるものであって,国立・公立・私立(学校法人)の別は問わず同一の義務付けをしているから地方分権という文脈での取り扱いは違う,というもの。まあ要するに,別に地方自治体に対して特別に義務付けをしているわけではないので,規制改革委員会で扱うべき問題であり分権委の話ではない,と。委員側としては,日本の教育体制では公立学校が大きな位置を占めているから,実質的には分権の問題として議論できる,という主張も。両方とも言いたいことがわからないわけでもないですが,本来的には規制改革委員会と合同でギシギシとやっていくのが筋なのかなぁ,という気も。
また,小早川委員からは,規制改革の一環として,というのは私立学校への規制もあわせて緩和するというだけではなく,学校のいろいろなルールについての決定権を国・地方でどう分けるか,という問題意識が出されています。つまり,設置基準を省令として定めるのではなくて地域ごとに基準を定めるとか,都道府県・市町村が教育課程を作ればいい,という趣旨になって,規制改革の話とは一線を画すわけですが,これに対しては文科省の方は,全国的にひとつの学校制度で仕組みが定着しているし現実にはそぐわない,むしろどのくらいの弾力性を持たせるかが重要で,それは地方自治体単位ではなく学校単位で考えている,という主張。結局のところ自治体(都道府県or市町村?)単位でその領域内の私学も含めて自治体が「その自治体なりの教育」を目指していくべきか,あるいは文科省が言うように学校単位で「その学校なりの教育」を目指していくか,という論点になるようですが,これは結構難しい。というのは後でも出ていたように,文科省は教育課程や学校の設備などについて学校長の裁量を拡大させるといいつつ,結局学校の設置者は市町村で,教員の給与負担は都道府県なわけですから…。「その学校なりの教育」を目指すのは十分に理屈があると思いますが,そのときに,学校が人事権や給与負担をするという仕組みを取るようなことを考えるのか(まあ私学はそうなんでしょうが)というのは将来的に問題になってくるんだろうな,と。一方で「その自治体なりの教育」はこういう制度面では比較的現在と親和性があるとしても,私学はどうするんだ,という問題はどうしても出てくる気がします。既に実質的に混合診療状態だ,とは言われてるわけですし。
あとは幼保一元化や僻地手当ての問題も出ていたものの,こちらはほとんど議論は深まらず,という感じ。井伊委員や松田専門委員から,認定子ども園として認定されるために幼稚園から基準が厳しくなるところがあるのは問題,という指摘が出るものの,回答としては,「その問題は意識しているが現在内閣府厚労省を含めて検討会を行っており,制度改革については年度内に」というもので,具体的にはよくわからず。また,僻地の問題とも絡んで教員人事権の権限移譲の話も露木委員から出されるものの,これも「年内に一定の整理」ということのみ。ちょっと全体的に論点が拡散しすぎている感じは否めないのかなぁ,と。

環境省

こちらは論点は一本。国の自然環境保全地域に準ずる区域である都道府県自然環境保全地域のうち,特に保全が必要な「特別地区」の指定について,国の行政機関との協議を義務付ける必要はなかろう,というのが分権委の指摘。これは正直言って僕にはよくわかりませんでした。「特別地区」というからには自然環境を保全するために,地方自治体が地域住民や関係者に対して一定の権利の制限を行う種類のものだと思うんですが,だとすると,地方から権利の制限を行うというものを,国と協議する必要があるのかよくわかりません。地方が「制限を緩める」のであれば,開発主義に走る可能性があるから国が協議して計画に待ったをかけるかもしれない,というのは極めてよくわかるしそういうのは必要だと思うわけですが,地方が自分で制限をかけようとしているならそれはそれでいいんじゃないかと…。ひょっとしたら都道府県が「特別地区」への指定をすることで補助金などのメリットがあるのに対して実際の仕事はしない,という話なのかなぁ,とも思ったのですが,そういうわけでもなさそうだし…。
あとは環境省がメルクマール該当の理由として,「特別地区内の行為について相当厳重な規制を課すことが可能であり、道路整備、農林水産業、鉱業等の他の公益や産業に及ぼす影響が大きいことから、指定や拡張の際には、各省(国土交通省農林水産省等)大臣との協議を行い、諸行政及び諸産業との調整を図ることが必要である。なお、原生自然環境保全地域及び自然環境保全地域の指定等の際にも環境大臣が各省大臣と同様の協議を行っている。」というのを挙げてるんですが,これって規制されすぎると他の省庁が困るからとりあえず環境省が聞いておく,っていうことなんでしょうか…だとすると環境省って…。
結局環境省の話としては「一定の基準に達していないような保全計画で「特別地区」を名乗らせない」という主張なのかとすら思ったのですが,どうなんでしょうか。また逆に言うと,地方の側でもわざわざそんな「特別地区」と名乗らなくても,環境省はほっといて自前の条例で環境保全を謳えばいいのになんで??というところがあるのですが…。要するに「特別地区」になることのメリット?がいまいち見えないので,話の全体像もわからん,というのが率直なところです。

沖縄ヒアリング報告(露木委員)

最後は露木委員の沖縄ヒアリングのレポート。冒頭で述べられていたように,沖縄は辺境で遅れてるから何とかするという考え方のではなく沖縄にこそフロンティアがある,沖縄の問題は「遅れ」の問題ではなく沖縄の問題が今後日本全国で起こることも考えられる,という問題意識は頷かされるところはあります。ただ,総論として「自治とは?」のような大きな問題から入っていくのはわかるわけですが,各論というか個別部分がちょっと多様すぎて議論としては難しいのではないかと。ただの感想でしかないですが,なんと言うか,抽象的な観念を制度としてどう表現していくことが改めて必要だなぁ,と。もちろん反省をこめてですが,僕も含め制度の整合性ばかりを気にすることでは現状の問題を適切に扱うことはできないと思うところです。しかし逆に理念の話をして,「理念を実現する制度」は法技術の専門家にお任せということにすると,「この制度は理念を実現することになります」と主張する専門家が技術的に制度を扱って,なんとなく骨抜きになったような感じがする,というのがこれまでしばしば起きてきたのではないかなぁ,と。技術論ばかりするのは好ましくないと思うところですが,たぶん今回の分権改革も含めて,改革と呼ばれるものは理念を(整合的な)制度として表現する能力が必要になるように思われます。「成功した」といわれるこれまでの改革でとられてきた手段は,結局そういう表現能力を持つ官僚の中から理念が近い人を見つけて委任する,というものだったと思いますが*1。そう考えると,最近,委員の中で官僚の人たち(事務局を含めて)に声を荒らげる場面が増えてる人がいると思われるわけですが,ちょっとどうかと…別に従来と同じように官僚を使うべきだ考えてるわけではないですが,少なくとも重要なひとつのオプションを制限するのは勿体無いなぁ,と思うところも。それに何より,他者の話を聞かずに自分の話を聞け,というのは成り立たないわけで,他者の話を聞くのは最低限のルールだと思うわけですが。しかし会合にはマスコミ関係の記者も出ているはずなのにそういう最低限のルールを守れないことについては論評しないんですかね。そういうものだと思ってるのかしらん。

*1:これはそれこそ北海学園の木寺先生の某年報の論文のような気もしますが…^^;