行政の執行過程研究

先日も少し触れたが,最近行政の執行過程に関する若手研究者の非常に興味深い著作が連続で出ている。行政の執行過程については,これまでなかなか研究がなされておらず*1,僕自身も行政学の講義では,政策のライフサイクルにおけるミッシング・リンクで…とか言ったりしてるわけだが,ここにきて執行過程についての興味深い研究が出てくるのは必ずしも偶然ではないと思われる。それは,地方分権が意識される中で(「進んでいる」というのは微妙かもしれないが),地方自治体がどのように実際の行政を執行しているのかが,ひとつの社会的な焦点になりうる状態が出現しつつあるからではないか。

行政上の義務履行確保と訴訟法務「強制する法務・争う法務」

行政上の義務履行確保と訴訟法務「強制する法務・争う法務」

行政法の実施過程―環境規制の動態と理論

行政法の実施過程―環境規制の動態と理論

まず,鈴木[2009]は,副題にあるように「行政上の義務履行確保」が重要なテーマになっている。僕は行政法学に弱いのであんまり偉そうなことは言えないが,ざっくり言えば問題になっているのは,行政が自らの意思を確実に実現するために何が必要かということ。規制者である行政は,何らかの意思を実現するために規制を決定するわけだが,場合によっては被規制者がその規制に従わないこともある。そういったときに行政はどのようにして自らの意思を実現することができるか。著者の整理からまとめ直すと,従来の手段としては,(1)民事手続き,(2)行政代執行を中心とする強制手段*2,(3)行政罰のようなサンクション,(4)違反の公表,といったことが考えられる。この「行政上の義務履行確保」が問題になる背景には,規制を行う地方自治体が,警察力のようなものを背景にした強制力をほとんど持たないということがある。もちろん(2)に挙げた行政代執行を中心とする強制手段はあって,その場合には都道府県警察と綿密な調整を行いながら強制力が行使される可能性はあるわけだが,著者によると,従来はこのような手段が取られることが稀であったという。その代わりに従来重要な手段であったのは,(1)の民事手続き,具体的に言えば裁判所に対して地方自治体が私人を相手に民事訴訟を起こすという手段であった。つまり,自らが強制力を持たない地方自治体が,裁判所の強制力を背景にして自らの意思の実現を目指すという方法になる。しかし,このような手段は,2002年の宝塚市パチンコ店等建築規制条例事件判決(説明はこちらがわかりやすい)によって,国や地方公共団体が行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は不適法であるとされたために使えなくなってしまいます。
本書では,最高裁判決によって民事訴訟という手段が封じられてしまう中で,それでは具体的にどのように行政上の義務履行確保を行うかを論じることになります。そのために,様々な自治体の事例をヒアリングして,現在行政上の義務履行確保のために行われている手段の特徴と問題点,それからこの行政上の義務履行確保にかかわる関係者にとってどのような対応が望ましいのかを検討していきます。この辺は,必ずしも理論的に体系だった説明というわけではなく,どちらかというと規範的な説明をしているかたちですが,実務に疎い僕のような人間にとっては非常に興味深いものでした。そして,著者がところどころで出しているある種の処方箋がまた興味深い。別に筆者が明示的に整理しているわけではないので,あくまで僕のまとめですが,その理解では大きく三つあって,ひとつはまあ民事訴訟ができないようになった中で代替的な制度設計をするべきだ,というような考え方。これはまあ普通にわかるように,強制力に乏しい自治体が,裁判所という強制力を持った機関をきちんと利用できるようになる方がいいだろうということでしょう。次に,自治体自身の強制力を上げていくこと。もちろん警察力を一気につけるわけではないので,(3)や(4)のようなソフトな手段を中心に,自治体が創意工夫を活かして代替的な実効性確保の手段を模索する,という話になります。そして最後,まあこれが個人的には興味深かったというわけですが(著者は必ずしもそこまで強調しているわけではない),自治体が「事前に」手続を整備しておく,というものです。つまり,そもそも行政上の義務履行確保が事後的に問題にならないようにルールを整備しておくと。きっとその通りなのだろうなぁ,と思うわけですが,地方分権改革自体が(国による)事前のコントロールから事後のチェックへ,というような発想で行われてきた中で,自治体が(例えば「まちづくり」などで)裁量を行使するときに事前のコントロールをきつくせざるを得ないところがある,というのはなかなか皮肉なところではあります。それはもちろん,自治体が現在強制力をあまりもっていないので,事後のチェックがきちんと確証されず,やむを得ないところがあります。連邦制国家のように,裁判や警察を地方レベルで置くべきか,というのはかなり性急な議論にはなりますが,地方分権を進めるという中で,自治体が自らの意思を確実に実現するために強制力をどのように位置づけるか,ということは重要な論点になるような気がします(表には出てこなさそうだけど)。
もう一冊の平田[2009]では,水質汚濁防止法を事例として,行政がどのように規制を行っていくかを議論しています。水質汚濁防止法で定められている事務は法定受託事務として,地方自治体が基本的に仕事をするわけですが,その他に警察や海上保安庁がかかわるところがあります。本書では,自治体・警察・海保に入念な聞き取りをして,その執行過程を整理した上で,それをゲーム理論によって説明しなおす,という形式を取っています。いやー,ちゃんと聞き取りを丁寧にやっているのは本当にエライと思います。最後の第三章はちょっと抽象的で僕に分かりにくいところもありましたが,第二章のゲーム論を用いた分析では,聞き取りの成果を活かしてモデリングする,という試みが十分になされていたのではないでしょうか。
本書の発見としては,要するに自治体は被規制企業に対してバンバン強制手段を出して規制を実現するのではなくて,長期的な関係を築きながら企業が自主的に規制に従うような状況を作り出しているんだ,という話。ゲーム理論のところでは,同時手番の繰り返しゲームや逐次手番ゲーム,それから行政や企業が私的情報を持っていると仮定した時の不完備情報下でのゲームなど,様々なモデルを検討しながら分析してます。個人的には,個別に読むとそれぞれまあわかるのですが,モデル間の関係をどう見てるのかはちょっとわからないところ。例えば,同時手番の調整ゲームと囚人のジレンマゲームは長期で見たときにどのくらい識別する意味があるのかよくわからないし*3,逐次手番は「繰り返し」とは違うかたちで出ていたり,とか。複数のモデルを立てることには意味があると思うのですが,単に「こういう見方もある」という羅生門的な話だとちょっと勿体無いな,と思ったりして。例えば,長期の関係の中で,企業が行政のタイプについて持っている信念ってどうなるの?と思ったりしたところです。でも行政が企業にcaptureされるようなタイプのゲームとか,それと関連して市民参加のゲームで市民が入ることで強制手段を用いてバシバシ規制することを望むと,長期的には効率的な規制にならないかもしれない,というのは面白かった。
鈴木さんの本と平田さんの本とまとめて読むとこれは非常に味わいがあるのではないか,と思うわけですがどうでしょうか。鈴木さんの本では,自治体に強制力が乏しい中でどうするか,という問題意識になると思われるのですが,平田さんの方では強制力を使わずに規制している,と。これってやっぱり長期的な社会変容(というと大きい感じがしますがw)と関わってる気がするんですよね。たぶん,従来の自治体は,確かに強制力をあまり使わずに被規制者との関係を築きながら規制を行ってきた,と思われるわけですが,それは両者の長期的な関係を前提としているところがあるのではないかと。鈴木さんの本で扱っているように,現在では社会的な流動性の向上とともにどんどん「新規参入者」が入っていて(それに加えて「市民」の参加も高まってくる),なかなか行政も長期的な関係が気づきにくくなっているところがあるのではないかと。そうすると「行政上の義務履行確保」というのがまさに問題になってくるわけですが,そのときには平田さんの本で議論されていたようなゲームのモデルを使っての分析も違うインプリケーションを持ちうるのではないかなぁ,と。まあざっくりした思いつきでしかないですけど。…しかし両方とも同世代の若手研究者による著作(いや,平田さんに至っては僕より随分年下だし…)。こうやってどんどん置いていかれる感じが出てくるのでしょうが,僕の方も自分の研究をきちんと出していかなくては,と刺激になります。

*1:とはいえ,有名なところでは,例えば森田朗,1988,許認可行政と官僚制,岩波書店,とか,畠山弘文,1989,官僚制支配の日常構造―善意による支配とは何か,三一書房,があるし,他には行政法学の研究者による興味深い実証研究もある。しかし全部絶版のようなので,なんとかして欲しいところですが…。

許認可行政と官僚制

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官僚制支配の日常構造―善意による支配とは何か

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行政執行過程と自治体

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*2:個別法で規定されている直接強制などを含む。

*3:長期の関係の中で,(短期的に)囚人のジレンマをプレイしてても,外から見た観察者からは調整ゲームに見えたりしないかなぁ,と。