薬害と政治

薬害の問題は行政学を講義するところで最も力の入るところのひとつで,心なしか学生のみなさんの視聴率が高いような気がしているけどどうかなぁ(気のせいかもしれない)。行政学という研究分野から見ていると,どうしても一歩引いて見ているような印象を受け取られがち(な気がする)わけですが,たまにはルポのような普段読んでいるものとは違う意味でガチガチとした本を読もうと思ったりします。

薬害C型肝炎 女たちの闘い―国が屈服した日 (小学館文庫)

薬害C型肝炎 女たちの闘い―国が屈服した日 (小学館文庫)

これは結構きつかった。通勤中に電車の中で読もうかと思ったら,どうしてももらい泣きしてしまうので読めず,結局研究室で読むことに。様々なかたちを取るが,いずれにしても個人の人生が薬害という問題によって翻弄されてしまうところは,自分の周囲の身に置き換えると−安っぽい同情でしかないといわれればそれまでかもしれないが−本当に同情を禁じえない。同時に,この問題の深刻さに改めて思いを致す機会になる。
この本は,この問題の調査によって高い評価を受けたフジテレビ「ニュースJAPAN」のスタッフによるものであり,薬害被害者個人や関係者に対する慎重でしかし粘り強い取材をもとにかかれたものである。そのため,薬害を受けたことによる苦しみのレポートや,関係者の悩み(特に初期に糾弾された産婦人科の話は印象的だった)が厚く書かれている。しかし,内容はそれだけではなく,政治過程について考える上でも貴重な情報を提供するものになっている。僕自身,薬害肝炎の問題が議論になっていた2007年12月のエントリで,そのときにいわれていた「一律救済」の意味がよくわからないこと,そして,「一律救済」を強く主張することで国の「責任」が逆にぼやけてしまうのではないかという疑問を書いていた。しかし,この本を読むと原告弁護団が狙っていたことは,治療費の支出のような医療保障を患者が一律に,肝炎対策として受けられるようにすることを強く意識していることがわかる。そういう意味では,責任を問うこと自体が主目的であるというよりは,裁判の場で政治運動をしている,言い換えるならば法律を道具的に使って自らの目的−肝炎対策−の実現を図ろうとしていることがよくわかる*1
とはいえ,法律の場で争う以上,最終的には法の言説によって解決が図られることになる。それはつまり,法的責任と補償をリンクさせるものになるから,裁判で認められる責任としては,(疫学的な考え方によって幅広に取ったとしても)曝露条件とのリンクが必要になり,結果として何らかの「線引き」が出現することになる。しかし,原告側ではこれは受け容れ難い。何よりC型肝炎の恐怖やインターフェロン治療の副作用のような受けている苦しみが同じであるのに救済については差がついてしまう。また,マスコミ的にもその差が不当なものとして取り上げられやすい。
裁判の場で行われた政治運動は,最終的に「政治の場」=議会での運動に回収されることになる。この本の中でも,途中からは裁判過程よりもどの政治家に会い,どのように説得を試みているかというのが主要なポイントになってくる。政治過程においては,現存する法では救済を行うことが難しいことが問題になる。正直なところ内閣の決定としてなぜ難しいのかよくわからないが,従来の法体系を否定する(by厚生労働官僚)ということで,アジェンダセッティングができたとしても官僚からの原案が出てこないし,たぶん内閣法制局によるチェックなんかで落ちるという話になるのだろう。ただ,この問題が本来は「政権交代」とともに問題にされていてもよかったのではないかという意味で,「従来の法体系を否定する」というのはある意味で問題の本質を突いた言葉でなかったかと思われる。最後は,当時無役だった与謝野馨議員を中心として議員立法によって肝炎対策を行うことにしたわけだが,「従来の法体系を否定する」という問題に対してそういう対応を行うのは今から見てもやはりなかなかアクロバティックで,思えば最後の自民党の「知恵」だったのかもしれない。
改めて感じたのは長期政権というものの理解が非常に難しいということ。僕自身は研究者であって,なるべく外から見ようとする中で「線引き」というものを理解し,一律救済が必要だとしてもそれは「責任」とは切り離し,「責任」については公的機関も誤謬を犯しうることを前提に,どこで誤謬を犯したかを確定していく作業こそが必要だと感じることは以前と変わりません。それは,製剤を作っていた製薬会社の故意・過失が存在するかどうかというのと,国がその危険性を判断できたかどうかというのは独立で分離可能な問題と捉えることが前提にあります。しかし,長期政権の中ではまさに「仕切られた多元主義」という話ですが,官僚と業界の相互依存的な関係が強すぎて,その分離可能性が本当に担保できているのかわからない可能性も検討するべきことがあるのかもしれません。この本はもちろん被害者側からの視点ということなので,インタビューに応じない官僚・業界について強く批判的であり,そのためにそのような印象が強いということはありますが,一般的な議論として長期政権というものを考えるときには意識する論点かな,というところではあります。

*1:特に地方自治の場における法律の道具的な使用については,阿部昌樹先生の『ローカルな法秩序』をどうぞ。

ローカルな法秩序―法と交錯する共同性

ローカルな法秩序―法と交錯する共同性