金融政策?財政政策?

上川さんの本の感想で,一つ目の問い,つまり「小泉政権における景気回復は,供給面を重視し需要面を軽視した経済政策によって実現されたものなのか」というのはよく解らなくて経済学者の仕事なのかと書いていたわけですが,日本銀行追加的な金融の緩和を行ったということで,最近またもや金融政策の議論が盛り上がっているらしい。とはいえ,もう10年近くこの手の議論を見てることになるものの,ただまあ外野にはやっぱり微妙に解らないところが多い。ただ何となく収束が見られるような気がしてきたので,個人的にメモ。
見えてきた気がするのは,ある種の「リフレ派」(この言葉の定義はよくわからんが,ここでは特に日銀を責める人たち)が日本銀行に対して追加的な金融緩和を求めるのが,実は金融政策ではなくて財政政策と考えられる側面があるのではないかということ。典型的には,池尾先生の解説「日銀に“政治的判断”を押し付けるな 」というものかと思われるわけです。具体的にはこんな感じ。

──しかし、与野党共に、日銀に対していっそうの金融緩和を望んでいることを隠そうとしない。
 それは、金融政策に名を借りた財政政策を推し進めるためだ。
 伝統的金融政策は、やり尽くした。これ以上の金融緩和のためには、非伝統的金融政策に踏み込むことになる。たとえば、量的緩和もその一つだ。だがそれは、日銀がエージェントとして実施主体になるが、本質は財政政策だ。

同じように,いわゆる非伝統的金融政策というやつが,金融政策なのかどうかというところに疑問を呈しているものとして,岩本先生のブログでの金融政策と財政政策の間(その2) 「包括的な金融緩和政策」についてという辺りが興味深かった。日本銀行国債を含めて多様な資産を買っていくというのが財政政策であると理解されるのであれば,少なくとも財政民主主義の観点からはおそらく望ましくないものだろう。個人的には,ちょっと前の磯崎哲也氏の記事日銀がお札を刷ると「儲かる」のか?以来,これは要するに財政政策なのではないかと思うところがあったので,そういう意味では池尾先生や岩本先生の議論は納得出来るところが大きい。
しかし,やはり外野としては経済学者がどう考えているのだろうか,あるいはどのようなコンセンサスがあるのだろうか,というのは気になるところ。変動相場制のもとで金融政策が効果を持ち,固定相場制のもとで財政政策が効果を持つ,というような教科書的な理解は有名だし,それを根拠に現代において金融政策の重要性を主張する人は少なくないわけだが,肝心の「何が金融政策/財政政策か」というところの定義が曖昧になると,そもそも議論できないんじゃないか,というところがある*1。まあこれは,しばしば経済学の枠組を使いながら,政治経済を分析しようとする政治学者や政策分析屋さんにとっても跳ね返ってくる話であって,そもそも自分が何分析してるの?という話になると悲しいことになる(そういうのがあるから政治学者がなかなか入ってきにくいのかもしれない)。まあ政治学者や政策分析屋さんはいいとして,それ以外の人たちにとっても困るわけだから,ある程度かっちりした定義が欲しいなぁ,と思うところ。あるいは「定義できないよ」というのでもいいですが。
もうひとつ,ついでに書いておけば,これはより細かい話であんまり良く解らない話を書くべきではないのだろうけども,結局日本銀行国債,特に長期国債を買うということがどのような効果を持つのだろうかというのもよく解らない。まあ日本銀行が直接に国債引き受けをしてマネタイズを行うと貨幣に対する信用が失われるのが問題だ,というのは保守的な政策運営の観点から割と直感的に納得することはできるけれども,その直感があってるのかはよくわからない。それに対して,デフレから脱却するために日本銀行は長期国債を買え,という主張をしばしば目にするものの,細かい理屈はいまいち解らないものの*2,例えば,堀古英司氏の為替介入(米国債購入)vs 日本国債購入という記事にあるように,通貨介入なんかの局面で外国債を買うくらいだったら自国の国債を買って国の借金を減らしたらいい,という主張は,なるほどなぁと思うところがあります。もちろん,公平を期して言うと,堀古氏は円高が進む局面で,という条件のもとで日本銀行による日本国債の購入を主張しているわけで,円高が問題にならない状況ではどうなるのか解らないですし,さらには「いやいや実質実効為替レートから見るといまは円高じゃない」という主張が絡んでくるとどうなるのか全然解りませんが。
まあ何と言っても言い訳にはなるわけですが,政治学者がなかなか金融政策について議論しないのは,この辺の定義や条件付けに突っ込んでいくのを好まない,言い方変えると定義や条件付けで引っかかって議論したいところが議論できない,というのを嫌がるところがあるのではないかと思ったり(あくまでも好意的な見方として)。それに対して財政政策であれば,実際の支出の中身を解釈することができるから,政治学者としても分析しやすいところがあるような。あるいは,そもそも「何が金融政策で何が財政政策か」という定義上の争い自体が,政治的な対立と密接に関連しているのかもしれません。そうだとすれば,政治学者や政策分析を行う研究者にとっても,参入することもできるでしょうし,しばしば公理的な体系で構築されていると思われがちな経済学の枠組をずらしていくような試みもできるのかもしれません。

*1:Twitterでは,池尾先生・岩本先生・土居先生がこのテーマについて議論していて,それが早くもまとめられたらしい。

*2:それは僕が一般向けの本を流し読みしてるだけだから,ということなのかもしれないですが。