政府与党一元化

『ゼミナール現代日本政治』,というか『政権交代の600日』を読んでいたら,ここ数年の微妙な疑問に答えが書いてあったので。ちょっと長いですが,以下125頁から引用。

ゼミナール 現代日本政治

ゼミナール 現代日本政治

(前略)…首相の鳩山由紀夫と幹事長の小沢一郎自民党のような与党の「族議員」跋扈を防ぎ,政策決定を内閣に一元化する,として政権発足直後に政調会を廃止していた。
玄葉も一元化を支持していた。ただ,内閣が国会に提出する法案を法的な権限や責任のない与党が事前に審査・承認した自民党流の不透明な二元体制をやめようとした反面,与党内の政策論議の場が消えた。中長期的な課題の検討や若手・新人議員が研鑽を積む機会も失われた。玄葉は衆院の常任委員長を務めながら,与党の事前承認を経ない内閣提出法案の党議拘束をいつかけるか,国会での法案修正をどう考えるべきかなどの課題にも直面していた。
「あらゆる政策をめぐる党内の議論,知見の蓄積がなくなりつつある。中長期的な政策テーマで議論を重ね,次のマニフェストづくりに活かすサイクルを創り上げないと,持続可能な政権政党にはなれない」
「内閣一元化の核心は与党が内閣提出法案の厳格な事前審査・承認をしないことだ。その前提なら,与党の政調会で政策の議論をしても構わない。今は何でも幹事長室で政治的にグリップしてしまうので,議員一人ひとりが生かされていない」
玄葉は潜在する「小沢一元化」への不満や批判を,「反小沢」を正面から唱えるのではなく,「持続可能な政権政党をどう構築するか」という旗印の下に糾合し,党内世論を盛り上げようと動き出した。…(後略)

同じ著者が『官邸主導』で,「政府・与党二元体制」とか「双頭の鷲モデル」といった形容で,政府と与党自民党がひとつのことを「二元的に」決定するという議論はまあよくわかったわけです。しかし,じゃあそれを改善するための方策として議論される「政府与党一元化」というのが,結局どういうことになるのかいまいちイメージを掴むことができず,どんなものだろうか,と思ってたところでした。ふつうに一元化すると言えば,内閣が法案を国会に提出する前に一元的に意思決定をするというものなんじゃないかなぁ,と思うわけです。ポイントになるのはもちろん国会で与党議員の賛成を取り付けることにあるわけですから,与党がどこかで機関決定をする必要がある。他方で,その内容はいわゆる政務三役を中心とした政府=内閣が独占的に決定することを「一元化」と読んでいるわけです(=与党の「族議員」跋扈を防ぎ,政策決定を内閣に一元化する)。帰結として,与党が内閣の決定に対して何でもかんでもラバースタンプで承認を与えていくことを求める,というえらく激しい話になって,与党の平議員(バックベンチャー)が,「執行部に対してそこまでの委任はしていない」と激高する状況になるのは,ここ2年くらいずっと繰り返されてきた光景でした。
そういう状況への対応はまあ二つ考えられるわけです。ひとつは(1)与党の決定を内閣が受け入れていくという話で,2010年度予算だと,これがまあ「小沢一元化」とされていたというか。(機関決定された)党の要請というかたちで与党議員の国会での賛成は保証され,それを政府=内閣が受け入れて国会に提案すると。これもまあ「一元化」のような気はしますが,本来内閣が決めること,あるいは実際に議論していることを別ルートで与党が独自に決定し,内閣に影響を与えるということで「政府与党二元体制」とか「権力の二重構造」みたいな感じで批判されてるのだと理解してます。もうひとつは,(2)内閣の決定を与党の機関決定とみなすことで,要はここ2年くらいの話の延長ですが,そのために与党の平議員を内閣に取り込んで内閣の決定を与党の決定として受け入れられる余地を広げていく,という話になろうかと思います。
で,実は選択肢はもう一個あって,それは(3)内閣が内閣として国会に法案を提出するとき与党で機関決定を行わず(与党議員に対して事前の党議拘束をかけず),国会での修正を行うという方法です。ただこれは,大山礼子先生の『日本の国会』で議論されているように,現在の日本では,内閣が国会での主導権を持ってないので,実質的に法案の帰趨を与党に丸投げするかたちになります。だから結局何らかのかたちで与党で機関決定を行わないと法案は通らず,「政府与党二元体制」とか「権力の二重構造」といった批判がつきまとうことになります。
よく分からなかったのは,民主党としては少なくとも(1)を志向するわけではないらしい,というのは分かるのですが,(2)なのか(3)なのかが分からん,というところでした。例えば最終的に撤回されましたが,民主党政権交代以来通そうとした政府の政策決定過程における政治主導の確立のための内閣法等の一部を改正する法律案,いわゆる政治主導確立法案なのですが,これは内閣法・内閣府設置法国家行政組織法といった行政機構の制度変更がメインで,国会については国会法の一部改正をしてますが,それは政治家が就任できる「国家戦略官」の位置づけをするにとどまっています。まあ要はこれは完全に(2)の対応なわけで,この法案を準備した2009年時点での執行部はそのように志向しているわけです。しかし他方で,たまに国会議員から(3)のような話もでるしどうなんだろう,と思ってたものの,その内容はいまいちはっきり出てきませんでした。しかし本書にあるように,政調会長というその要の位置にいる玄葉議員が(3)のようなコメントをハッキリしているわけで,民主党内でもキッチリ割れてたというのがよく分かり,かつその割れ方も非常に明瞭なかたちで表されていると思います(『ゼミナール現代日本政治』的に言えば,マニフェスト策定から続くロジ vs. サブのような感じ)。
本来(3)を志向するなら,引用にもあるように,国会での法案修正について議論されるべきですが,結局ここのところは表面に出てこなかった。だから玄葉議員が言ってる「内閣一元化の核心」が実現するとすれば,それはひょっとすると「政府与党二元体制」ではないのかもしれませんが,「内閣国会二元体制」のような感じになるのかもしれません。政権交代から二年を経て,ある程度「内閣一元化」が進んでいるとすれば(ちょっとそういう気もします),実は,不信任案が出されて内閣(というか総理)に反発する勢力が与野党問わず存在する現状は,このようないわば「内閣国会二元体制」という状況の現れなのかもしれませんが。
しかし返す返すも民主党としては,政権交代時に参院議席が足りずに社民党国民新党と連立を組まざるを得なかったことが決定的に痛かった。民主党内の機関決定だけでもどうしようかという話なのに,両党との合意を確保しながら進める必要が出てきたのは,どうしても政策決定過程の混乱に拍車をかけることになったわけで。しかも平議員から見たら,あんな少数政党が引っかき回せるなら自分たちだってできるだろうと思っても不思議じゃないし。両党の存在(というか連立政権)を考えると,(3)のような対応が重要になってくると思うけど,そういうかたちで「政治主導確立法案」を用意できなかったところからボタンの掛け違いが始まったのかもしれません(もちろん両党がそのようなメタ−制度の変更に合意したかは分かりませんが)。

官邸主導―小泉純一郎の革命

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日本の国会――審議する立法府へ (岩波新書)

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