制度発展と政策アイディア

立命館大学の佐々田博教先生から頂きました。どうもありがとうございます。頂いてちょっと読み始めたら,文章も読みやすくて面白かったので,最後まで読ませて頂きました。
議論されている内容は,日本の開発主義的な体制・制度というものがどのような起源を持つのか,そして,なぜ日本の政策決定者が計画経済と自由経済の両方の特徴を併せ持つ開発型国家システムを採用してそれを長期にわたって維持してきたのか(pp.10-11)を検討するものになっています。これらの問題について,(1)自由経済で問題になりがちな集合行為を解決するため,(2)政策決定者の利益最大化,(3)政策に関する人(の連続性)やアイディアの存在,といったような仮説を立てて,それぞれの時代において検証するというようなかたちです。業界用語で言えば,いわゆる歴史的制度論の研究で,最近では北山先生の本など,単著の数も増えてきたと思われます。
もともと非常に自由主義的であった日本の制度が,開発主義的というか,政府の一部門(企画院−通産省)が主導して計画を立てて,民間の自主統制組織が企業にそれを遵守させていくような制度が取られたのは,著者によれば1930年代の満州の経験が大きいということ。1920年代初頭に成立していた大正期の政党政治が,1930年代前半の5・15事件のあたりで極めて弱体化し,それとともに大正期の(財閥・政党に擁護された)自由経済的な制度がだんだん変容を迫られていく,と。そのとき,石原莞爾革新官僚が行った満州国での実験が,企画院−統制会というかたちで日本本国にも持ち込まれていくというプロセスがあるとされています。また,この時に成立した開発主義的な体制は,終戦後に人的な連続性やアイディアのポジティブ・フィードバックの存在によって強化されていきます。このような話について,満州国・戦時中日本の制度についての分析に加えて,石原莞爾のような人や,その背景にあるイデオロギーに注目しながら議論が行われています。
読みながら思っていたのが,村井哲也先生の『戦後政治体制の起源』で議論されているような,「政治主導」を可能にするような制度との関係。あの本では,企画院から吉田時代の外相官邸連絡会議までの企画・統合の機関について分析が行われていたけれども,本書のようなかたちで「起源」を考えるものとはちょっと違っていました。企画院や安本などの「政治主導」の機関を作るものの,それが十全に機能を発揮することは難しく,事務次官会議に象徴される官僚による総合調整が重要になってくるという話だったかと思います。その議論では,「なぜ」企画院のような制度が導入されることになるのか,というのはあまり中心的な問いではなかったわけですが,それに対して本書はその点に焦点をあててうまく議論されている。他方で,本書では企画院や安本,通産省のようなPilot Agency(主導的官僚機構)の政策については,その企図の実現についての評価が高いが,村井先生の本ではむしろ統合的な機関にできることは限られているという評価が強かったように思われる。政治学者と歴史学者の見方の違いというのもあるかもしれないが,この辺り興味深いところ。

戦後政治体制の起源―吉田茂の「官邸主導」

戦後政治体制の起源―吉田茂の「官邸主導」