大阪都構想のふたつの哲学

大阪都構想については,どちらかというと批判的な観点から,さまざまな検証がされてきた。正面から「都構想賛成」みたいな話をしているのは,上山信一氏の『大阪維新』くらいで,残りの本はほとんど全部批判というか。ただ,そうは言っても,反対派の急先鋒とも言える村上弘氏がその論文『大阪都構想――メリット,デメリット,論点を考える――』の中で,「たしかに知事の大阪都構想は,それ自体はかなり的確な大阪への問題提起を強調しつつ,データの恣意的な利用,論理の飛躍,重要事項の説明回避によって巧みに構想を描くので,壮大で夢のある政策パッケージに見える。」(560)と書いているように,一応問題提起についてはかなり的確なのではないかと思われます。
その問題提起っていうのが何かといえば,ざっくり言うと「大阪市という自治体のサイズが中途半端」というもの。言い方を変えれば,ある面では「大阪市が小さすぎる」し,別の面では「大阪市が大きすぎる」ように見えるわけです。この点については,以前,「大阪都と東京府」というエントリーにまとめたことがあるので,詳細はそちらを見て頂ければと思います。端的に言えば,まず「大阪市が小さすぎる」という問題は,大阪の都心機能を利用する人たちは必ずしも「大阪市」に住んでいるわけではなく,都市機能から受益を受けているのにその負担はあんまりしていない,という問題です。「大阪市」に与えられた財源のもとでは,大阪市外から来る人達のために十分な都心機能を準備することができず,いわば都市の魅力が薄れてしまう,ということになります。他方,「大阪市が大きすぎる」というのは非常にわかりやすい話で,人口が250万人以上いる都市で間接民主制が機能しているのかを問う問題意識になります。その市長や市議が,基礎自治体としての民意を代表することができないんじゃないか,という話になるわけです。
で,大阪都構想がどのようにこの問題に対応することになっているのか。まず「大阪市が小さすぎる」問題というのに対しては,大阪府大阪市堺市を一緒にすることで,より広域の観点から都市機能を充実させることができる,という話になります。他方で,「大阪市が大きすぎる」という問題に対しては,基礎自治体を作ることでより民意に近い代表を選ぶことができる,という話になるわけです。それで,どっちにしてもハッピーでしょ,と。このようなかたちで問題解決を図ろうとする「大阪都構想」に対して,「理解できない」とか「説明不足」と主張する批判者に対して,橋下氏がしばしば「勉強不足」と切り返すわけですが,それはおそらく現状の重要な問題に対して個別的に議論しているのに,それが分からない方が問題だ,ということなんじゃないかという気がします。特に,都構想を議論するために大阪府に設定された研究会である大阪府自治制度研究会では,どのようにしたら制度的に問題に対応できるのか,かなり精緻な研究をしていて,その弱点や問題点なんかを明らかにしつつ理論武装ができるようになっているわけです。研究会の最終的な結論は,現行の「都区制度」を導入するよりも,若干異なった新しい大都市制度を導入すべき,という感じになっていますが,この非常に練られた議論をとりあえず「大阪都構想」と呼ぶのはそんなに違和感のある話でもないとは思います。
じゃあ何が問題になるべきなのか。あくまでも私見ですが,この「大阪市が小さすぎる」問題への対応と,「大阪市が大きすぎる」問題への対応がトレードオフになるんじゃないか,と思うのです。おそらく,制度的な両立は可能でしょう。しかし,具体的な運用において,どちらの問題により重点的に対応するかたちで進めていくかということを選択せざるを得ないのではないかと。
大阪市が小さすぎる」という観点から見れば,初期の大阪都構想で報道されていたように,吹田市豊中市といった大阪市のベッドタウンも巻き込んで大阪都の中の特別区にすることができれば,特別区内の一体性といった東京都のような議論と同様に,大阪に通勤に来る人たちが多い地域における住民税を大阪の中心部のために使うことができるかもしれません。また,大阪府自治制度研究会で「二元行政」(「二重行政」ではない)と呼ばれていた問題,要するに大阪市内のことは大阪市が仕事をして,大阪市外のことは大阪府が仕事をする,というような状態を解消できる可能性が出てきます。下の図が示すように,明らかに大阪府は市外に開発事業を行なっていて(唯一の例外が「大手前・森之宮まちづくり」),大阪市は言うまでもなく大阪市内で開発事業をしています。この「二元行政」があるために,「大阪市が小さすぎる」にも関わらず,広域自治体である大阪府大阪市内の問題にきちんと取り組むことができず,結果として大阪市内の都市機能整備が遅くなっているという問題が指摘されます。そうすると,コレを問題視する人の立場からは,これまで大阪市外に向けられてきた大阪府の投資を,大阪市に突っ込むことができるのか,ということになります。これまで大阪府大阪市外に投資してきた原資が何か,と言えば,基本的には府税収入であり,その府税収入の中で重要なのは大阪市内の企業から上がる法人二税が含まれます。まあ最近では法人二税の目減りが進んでいますが,それを大阪市内のために使っていくという方向性になるのかな,と思います。

つまり,「大阪市が小さすぎる」問題に対応するということは,これまで大阪市外に向けられてきた財源を,大阪市の都心機能を充実させるために使うということを意味すると考えられます。もちろんこれは,上述の村上氏の論文で批判されているように,非常に集権的な機構を必要とするわけで,権力の集中から批判されることはあると思われます。ただ,当初の大阪都構想に対して経済団体がある程度好意的な反応をしていたように,権力を集中して都心機能を充実させるというのは,経済界をはじめとして大阪の都心機能を利用する人たち−おそらく一般のサラリーマンも含めて−には悪くない話であると思われます。他方で,「大阪市が大きすぎる」問題に対応するということは,分市であれ特別区であれ大阪市を分割し,そこに比較的小規模な権力を生み出すことになります。トレードオフの問題は,まさにこのように権力を集中させるか分散させるか,という問題と密接に関連します。大阪市を分割して首長や議会という権力を作り出せば,当然その限定された地域において,住民の一定の負担のもとで受益を配分することを目指すのは当然でしょうし,大阪市外の自治体は依然として大阪府(もっと言えば大阪市の企業活動の上がり)から財政資源を引き出すことを目指すことが予想されます。そのように権力を分割しながら,都市機能を充実させるようなことは現実として難しい,というのが基本的なトレードオフになるのではないかと考えています。
初期の大阪都構想は,どちらかと言えば,広域行政を「都」に集約して,都市機能の充実を図ることを志向していたように思われます。典型的には,箕面市の倉田市長が「大阪“都”構想」をどう思う?というエントリの中で「僕は、人口集積地でありつつ面積の狭い狭い大阪には、府・市2つの権限が張り合うのでなく、広域的な視点をもった1つの強い都市政策が必要と感じます。そのためには、東京都モデルの方が優れている。だから「大阪“都”構想」に賛成します。」と書いているのがありますが,僕自身の印象もこれに非常に近いところがありました。ただ最近の議論は,2010年夏の「分市論」を経て,次第に「特別区」を強調して,「特別区中核市並の権限を与える」というような議論,つまり「大阪市が大きすぎる」ことを問題視する議論に傾斜していったところがあるのではないかと感じています。
ただ,大阪維新の会のこれまでの主張を見るかぎりでは,どちらの問題を重視するかという決め付けをすることなく,あくまでもどちらにも対応できるような作りになっているのも事実です。そもそもこのような過渡期の制度上,どちらかだけを重視するような制度というのはなかなか難しいと思われます(この点については,大阪都構想のアートというエントリを参照)。しかし,結局のところ財源が限られている中で,都心に集中的に投資するか,それとも今までのようなかたちで分散的に投資するかということは選択せざるを得ません。「大阪市が小さすぎる」という問題意識が強ければ都心に集中的に投資できるような(権力が集中した)制度になるでしょうし,逆に「大阪市が大きすぎる」という問題意識が強ければ大阪市を分割してより権力が分散し,集中的な投資は今より更に困難になるのではないかと思われます。別にどっちも悪いということはなくて,個人的には都市機能を充実させることを目指す方向性であれば賛成できる部分は大きいんじゃないかと思うところがありますが,もう大阪の都市機能はいいから,市外の住民サービスに金を使うべきだ,という感じで逆の方向性で賛成できる人もいるでしょう。
このトレードオフについてあまり明確な態度を取らないことが,おそらく,「大阪都構想」が「説明不足」だと何となく感じられてしまう原因となっているのではないかな,と思います。議論としては「トレードオフじゃない」と強弁することはおそらく可能で,実際橋下氏や維新の会はそういう傾向が強いでしょう。具体的には,「広域自治体である都と基礎自治体である特別区の役割分担ができるから問題ない!」っていう表現になると思います。しかし,現在の状況でも区によって様々に異なる問題を抱えていて,住民ごとに可能な負担や求める受益が異なる中で,全ての関係者が同じように納得できるルール(「役割分担」)ができるというのはナイーブと言わざるを得ないでしょう。もちろん,有り余る財政資源があればそれも不可能ではないでしょうが,現実に財政資源の制約がある以上はこれは仕方がないのではないかと*1。まあ後は「信じる」かどうかですが…維新の会の戦略は,ある意味「ここは信じて欲しい」ということを言っているような感じもする。
僕は選挙権ないですが,このトレードオフについて,どちらに重きをおくのか,ということが提示されるのであれば,大阪都構想は非常に重要な選挙の争点になりうると思います。ただ,維新の会側が(特別区を強調しているように見えますが)明確にどちらかは分かりませんし,平松氏の側はほとんど橋下氏の政治手法を非難することを争点にしているようにしか見えません…。池田市の倉田薫市長は都構想に意味はないというような態度のようですが,まあ自分自身が大阪市外の首長でかつ市外の首長の支持を背景に出馬するということであれば,基本的な態度はわかるような気もします。そして共産党は都構想の議論自体しない。まあこんな感じで,都構想の哲学は,現在の大阪において問うべき論点なはずですが,これが有効に問われておらず,これは非常に残念なところではあります。
ただ,今回知事と市長が同日選挙になったので,意外なかたちで問題を解決することができる可能性が出てきたのかな,と思います。それはまさに今回見られるように,知事と市長がペアで(しかも片方は同じ政党ということで)選出されそうだ,ということです。知事と市長がもとより連合を組んでいれば,特別区云々という話をすることなく,少なくとも「二元行政」部分の解消は相対的に容易になるのではないかと思われます。さらに,政党が知事・市長に影響を与える「権力核」になるとすれば,それは単なる知事・市長の連合よりも強い意味があると思います。大阪府大阪市という自治体同士の調整ができないところを,政党という存在が調整する,ということであれば意味があるのではないかと。そんな時間があるのかわかりませんが,こういう慣行を生み出して,長期的な問題解決の緒が生み出せるとすれば,その点こそ評価すべき選挙になるのかもしれません。まあそれで強い「特別区」が出現して,数多くの区長を同日選挙で選ぶことで調整する…みたいな話になるともうわけがわからないと思いますが…。

*1:このあたりの話については,よろしければ拙著『地方政府の民主主義』も…。

地方政府の民主主義 -- 財政資源の制約と地方政府の政策選択

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