都制・特別市制−リバイバル

備忘のためですが,以下は大阪府地方自治研究会の名前で出された『都制か特別市制かの問題』という冊子に記載された,1950年の大阪都制論。戦前から続く大阪市による特別市制の導入という主張に対する反論として用意されたものらしい。しかし,もうびっくりするくらい今とおんなじ話してますよね。

都制と特別市制とは相容れない制度ではなく,むしろ根本的な趣旨とか精神とかは同じであって,ただ区域の定め方や,区の行政組織の点で多少違っているに過ぎないのである。であるから大阪市に都制を実施するか,特別市制を実施するかは,用は大阪市の実情に照して(ママ),大阪府市をいづれの制度に当嵌めたならば,全体として無理なくうまく当嵌められおさまつていくかという観点から考えさえすればよいのであつて,それ以上神経質な議論をする必要は毛頭ないわけである。
そこで大阪府市の区域を都制と特別市制とに当嵌めて見よう。先づ大阪市の区域をもつて特別市を実施すればどうなるか。郡部,衛生都市(ママ)の区域は全然大阪市とは別になり「浪速県」という新しい県でも設けるか,さもなくば隣接の府県に編入してもらうかよりほかにゆく道がなくなる。これは恰も東京の三多摩を武蔵県とするか,それとも隣県に編入してもらうかといつた話と同じことで,いまさら浪速県といつた貧弱な県を置くことは甚だしい時代逆行であり,まして他府県へと編入することとなると,幾百年の歴史を綴つてきた関係府民にとつては大変な問題になるであろう。
それでは大阪府の区域をもつて特別市を実施すればどうなる。堺,布施を始め十四衛星都市,百三十八ヶ町村は一挙に廃止して大阪市へ編入しなければならない。そして大体現在の衛星都市及び地方事務所の区域を単位として区制を実施する。これでよいわけであつて,そうできれば東京都の場合よりも形体としてはむしろ理想的な特別市ができる。ただ実際問題として十四衛星都市百三十八ヶ町村が一挙に無理なく廃止できるかどうか。また市町村を廃止して区制を実施しても特別市制による行政区では,ただ一人の区長の選挙だけで,一人の区議会議員もなしに隅々まで行き届いた行政ができるかどうかが問題であろう。
つぎに大阪府の区域をもつて都制を実施すればどうなるか。
この場合は現在の十四衛星都市百三十八ヶ町村は,できるだけ廃合を行つて区制を実施する。直ちに区制を実施することが無理なところは,取り敢えず市町村のまま都の区域に入れて置いて,必要に応じて漸進的に区制を実施して行く。都制の場合は各区に区議会議員の選挙が行われるから,区の区域が如何ほど広くなつても,末端行政が不行届になるような虞れはない。また都制を実施すれば,府庁と市役所とは都庁に合併せられて一つになり,二重行政は解消する。大阪市の区も,今まで市長の任命する区長だけであつたのが,区長の外,一区当たり三〇人乃至四〇人の区議会議員の選挙が行われる。これは区制の大変な変革である。この場合,一部論者のいうように,大阪都行政の統一ある運営が果たして阻害されるに至るかどうか。はたまた自治論者の主張するように,住民の総意を反映し,行き届いた行政が実現するかどうか。(『大都市制度史』346-347)

この議論に対する大阪市側の反駁については,要点をまとめると…

  1. 重要なのは府県ではなく市町村自治。大阪市が特別市となり,効率的な自治体行政を実施することで,府下市町村の自治を先導する役割を果たすことができる。
  2. 残存郡部の問題については,大阪市が特別市になれば,大阪府が積極的にその問題に対応することができる。また,長期的には市町村優先の原則を貫くために府県制度の廃止を考える必要があり,特別市制度はその一里塚。
  3. 特別市の設置による行政区画の分割は,社会的・経済的・文化的関係に変化を及ぼさない。大阪市尼崎市・西宮市との関係を見て欲しい。特別市も府下市町村も対等の立場でお互いに協力できるはず。

という感じ(406-409)。他にも,戦前からの大都市の運動の結果として特別市制度が地方自治法で制定されたのだから,きちんと実施すべきだというような主張もありますが。
いやー,状況は違ってもほとんど同じ話をしているのは面白い。別にこういうのを不毛と批判するつもりはありません。やっぱりそのくらい議論する価値のあるものなんだろうなと思います。何十年という時を経て「決める」ことができるのか,あるいは「決める」べきなのか。ちょうどそういう話をしているということなんでしょう。

大都市制度史 (1984年)

大都市制度史 (1984年)