最高裁回顧録

行政改革会議にも参画した行政法の権威である藤田宙靖先生が、最高裁の判事として勤務した7年半を振り返った回顧録。文章がうまいということもあって、読み物としても単純に面白い。しかし、それだけではなく、なかなかわかりにくい最高裁判事の仕事ぶりを伝えるメディアとしてとても重要なお仕事でもある。たぶん、行政法をはじめとした実定法の研究者よりも、司法行政に興味を持つ人間はもちろん、政官関係を議論する行政学者にとって高い評価を受けるんじゃないか。
内容は、就任から執務の進め方、そして判事としての仕事と続く。僕は実定法学者じゃないので判事としての仕事は、そもそも評価できないけれども、就任のところなんかは特に学者という外部の人間が行政機関に入るときのひとつのモデルとして面白い。また、執務の内容にしても著者がたびたび強く批判している「持ち回り審議」、すなわち上告にあたって下級審での審理をそれぞれの判事が読み込んで、会議でなく持ち回りで決裁するようなシステムの問題点については、既に指摘されてきたところであるけれども、実際の体験談として語られると説得力がある。
担当した事件についての回想のあとで、学者と判事の違い、さらには裁判以外の公務として、司法行政や出張の話、さらには長官代行の執務や宮中との関係といったこれまでにほとんど語られてこなかった話が紹介されているのが素晴らしい。僕らのような研究してる人間には、この章(第5章)が一番興味を引くところだし、文章がうまいのでときどき(電車で読みながら)吹き出してしまった。周りからは変な人のようにしか見えないだろうけど。
この本を読んでいて非常に強く思うのは、この手の本にしては珍しくかなり明確に「敵」が意識されているのではないかということ。それはRamseyer and Rasmusenに代表される政治学者・行政学者による最高裁批判、すなわち最高裁自民党長期政権のもとで歪んだインセンティブを持たされており、そのために極めて保守的な決定を行ってきたというもの。著者は、とりわけ最近の最高裁での慣行を証拠として、この仮説が当てはまらないことを議論しようとしているところがあって、Ramseyer and Rasmusenを読んだ人じゃないと何のことか分からないような話が突然出てきたりするところも面白い。ただ、なかなか微妙なところは、著者がそういう感じで反論しようとするほどに、「最近は成り立たない」という話だとそれまではある程度そう言えたところがあるということ、また、自民党一党優位が崩れてきたからこそ「最近は成り立たない」という話なんじゃないかという気がしてならない。
しかし、そうは言っても筆者の努力も含めて最高裁憲法の番人としての役割を積極的に果たすような傾向も見られるところがあり、それは非常に興味深い。最近は特にこの最高裁違憲判決について、個別の最高裁長官に注目して分析を行なっているものもあり、司法行政という研究テーマがブレイクしそうな感じがあるな。法科大学院裁判員制度も含めた司法制度改革との関連というのも重要なトピックだと思われるところ。

最高裁回想録 --学者判事の七年半

最高裁回想録 --学者判事の七年半

Measuring Judicial Independence: The Political Economy of Judging in Japan (Studies in Law and Economics)

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最高裁の違憲判決 「伝家の宝刀」をなぜ抜かないのか (光文社新書)

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