野党議員から与党議員へ

ほとんど社会党の衰亡史ともなっている村山富市回顧録での、与党議員となった社会党議員に対する見方はなかなかおもしろい。ちょっと長いけど印象に残った部分を引用してみる。まるで昨日に至る民主党の話をしているようだ。

−−−ところで当時、社会党の委員長が総理で社会党が政権を担っているという意識を社会党議員の皆さんはどのくらいもっていたのですか。
村山 新党問題ばっかりだった。政権のことは他人事みたいに思っていたんかなあ。自民、社会、さきがけの三党連立ということもあった。僕は三党による内閣の運営をうまくやらなければならないので、党の方のことについては書記長に任せた。せっかく社会党委員長が総理大臣になり政権を握っているのだから、社会党はこういう機会を利用して党勢を拡大するとか、党の政策を実現するとか、いろんなやり方があると思っていた。しかし、当時の社会党議員らは「与党になったために思うようにものが言えない」「野党時代の方がよかった」と言っていたなあ。
−−−「ものが言えない」ってどういうことですか。
村山 野党時代は、国会の委員会などで頻繁に政府・与党を追及するような質問ばかりやっていた。それが与党になるとできなくなったと言うんだ。その程度のことだ。結局、長い間政権を取ったことがなかったから、どうしていいのか分からなかったんじゃあないかなあ。
−−−野党の時代は政府を批判できる。しかも、自分たちがどうするかってことは聞かれない。しかし、与党になると政府を批判できない。
村山 そうそう、野党時代は攻めるばっかりだ。自分たちはどうするかってことは影の内閣なんか作って検討したことはある。しかし、与党になったらガラッと立場が違うわけだ。細川政権の時にも六人が入閣して経験は積んでいるんだけどね。
−−−与党になれば自分たちの政策を実現できるんだということを、皆さん考えなかったのですか。
村山 まあ社会党の議員たちは自分たちが政権与党であるとか責任ある立場だということは、やっぱり残念ながらあまり意識してなかったな。閣僚に入ったメンバーはそういうことを気にしていたかもしれないが、一般の議員がそういう感覚を持っていたかといったら、なかっただろうな。(中略)
−−−社会党議員にしてみれば政策決定に関与している実感が無い上に、国会では思うように質問ができないとなると…。
村山 だから不満を言うんだ。何回も不満の声を聞いた。僕は「そりゃあ、与党と野党は役割が違うんだから、政権を取った党としての役割を果たせばいいじゃないか。責任の果たし方によってはあなたの選挙に有利になる。そういうのを考えてやればいいじゃないか」と話したことがある。与党になると今までとは違って市町村長やいろんな団体幹部の陳情が多くなる。僕は「そういう機会を大いに活用していけばいいじゃあないか」と言ったこともあるんだ。
(中略)
とにかく自民党は与党経験が長い。細川連立政権の時、一時的に野党になって野党の悲哀というものを痛いほど経験したんだと思う。だから自社さ連立政権誕生出よとうに戻ると、これは大事にしなければという意識が強かったんだろうな。それに比べると社会党のメンバーは「与党だ」「野党だ」ということはぜんぜん関係ない。陳情が増えたなあということくらいは感じていたようだが、それ以上ではなかったな。だから社会党議員に政権を守らなければならないという意識がどこまで強かったかは分からない。「与党であることなんかどうでもいい、野党の方がよっぽど議員らしいじゃないか」と思っていた議員もいただろうね。
それで僕は総理という立場は孤独だなあと感じた。それはしようがないと思う。しかし、自分の党は政権を支える与党なんだからもう少しいろんな役割を果たしてくれてもよかったと思う。また、政権党としての利点もあるわけだから、それを自分の選挙でプラスになるよう生かしていくこともできたはずだ。それは残念ながら社会党には経験がないためできなかったな。(180-183)

問題は、「与党経験が長い」自民党が、今もその経験を蓄積できているのか、というところにあるのかもしれない。小泉時代を経て自民党も変わり、以前の「与党経験」を蓄えてきた議員たちもだいぶん交代し、もはや中選挙区時代を知らない議員が多数を占めているのではないか。そうなると、次の政権交代でも同じことが繰り返されるかもしれない。「与党」「野党」通じて、この教訓をどうやって活かすかを問題にしないといけないのではないか。

村山富市回顧録

村山富市回顧録