合区と分区

少し間が開いてしまったが、8月1日の公募区長の就任がらみで出てきた興味深い案件として、「大阪都」に向けた合区問題、あるいは行政区の再編問題というものがある。そもそも区長就任の記者会見は、読売新聞の記事でわりと丁寧に書かれているが、公募区長の多くが口をそろえて「ニアイズベター」と唱え*1、さらには自分の区をどこと合区したいかということを述べるという、やや不思議な会見であった。事実として「ニアイズベター」ならば区の行政を遠くする合区という処方箋はいかがなものかと思うのだが。その他、多分大阪市の原局だと思われるが、その「局長」の権限が強いことへの批判と、それに対してイニシアティブを発揮するという抱負をみんなが述べていたのは印象的だった。おそらく、大阪市でやっている「新たな区」移行プロジェクトと平仄があった話なのだろうが、個人的には今後の展開にも注目したいところ。
まあその手のツッコミはいいとして、今回はもうちょっと歴史的な話を考えてみたい。実は、大阪市は日本の政令指定都市で珍しく既に合区を経験している都市である。他の政令指定都市はだいたい「分区」はしているのだが、「合区」をした経験があるのはおそらく神戸市と大阪市のみであり、1980年に「生田区」と「葺合区」を合併して「中央区」をつくった神戸市に続いて、大阪市は1989年に「北区」と「大淀区」を合併して「北区」を作り、「東区」と「南区」を合併して「中央区」を作っている(なおこの「南区」が、今の「ミナミ」という地名の元になっている)。他の政令指定都市は、調べた限りでは「合区」というものはしていない*2。ただ、横浜市名古屋市などの人口集中地域では、「合区」が重要なテーマになっていたにもかかわらず、なかなか進まなかったのが現実である。
これまでなぜ合区と分区が問題となっていたのか。それはわりと単純な理由である。すなわち、大都市はその創設当時、基本的にはだいたい人口・面積のバランスが取れるように行政区を設定するが、その後の都市化によって、(1)都心部行政区では人口が急激に減少し、それに伴って合区の必要性が高まり、他方(2)周辺部行政区では人口が急激に増加し、それにともなって分区の必要性が高まるからである。これまでどこの政令市も基本的に同じような傾向があって、だいたい周辺部行政区では分区を実現しているし(旧5大都市は、政令指定後に全て分区を経験済み)、合区を実現した神戸市・大阪市ではいずれも「中央区」を作っているのが象徴的だろう。
ここまでの事実的な説明でもわかるとおり、基本的には分区がしやすく、合区がしにくいと考えられてきた。誰が賛成し、誰が反対するかを考えてみると、だいたい次の通りになる。まず、政治家と団体は分区は賛成しやすく、合区には反対しがちである。基本的に分区というのは人口が伸びているところで生じるので、政治家にとっては分区によって議席が増えるというのは魅力的な話に映るだろうし、団体も分区によって団体がわかれたら補助金の合計額が増えるようなことも期待できるし利点が大きい。それに対して合区になると、人口が減少しているわけで、政治家は合区をきっかけに議席を減らされるのは強い拒否反応を示す。また単にその市の議員だけではなく、大阪であれば府議国会議員の選挙区も巻き込んだ問題となって、この辺りはこぞって反対する。さらに、団体も違う団体と統合を求められるのでそれを嫌がることになる。しかも、合区対象は大抵の場合歴史のある大都市の中心部だから、関係者のプライドは極めて高いことが多い。
次に、住民について考えてみるとなかなか難しい。まず合区について見ると、自分たちの政治的な代表が減ってしまう可能性があるし、これまで「区」という単位でもらっていた補助金などの利益が合区によって減少する可能性があるのが悩ましい。過剰な区の数を減らすという行政改革に対しては、総論賛成ではあるとしても自分たちへのサービス水準が減ることには抵抗があるということで各論反対になりがちとなる。続いて分区について見ると、合区の反対で政治的な代表が増える可能性はあるし、「区」単位での補助金が増える可能性がある。ただ、この場合は境界線上の地域において、別れた区のどちらに行くか、というのがしばしば揉めるネタとなる。川や伝統的な国道なんかで境界がはっきり分かるといいわけだが、そうでない場合、特に旧村単位や小学校区を分けようとするときの住民の抵抗は極めて大きいものになる。あと、住民に関連してマスコミというのがあるわけだが、これはまあ総論賛成各論反対の権化のようなもので、全体としては合区・分区に賛成しつつも、いざ実現となるとそれに不安を持つ住民感情にのってかなり強い現状維持バイアスを発揮する傾向がある。
この辺りの整理は、竹村[1996]の大阪市の分区と合区の経験に基づいた研究による。日本で最も古い大都市のひとつである大阪市は、ご多分に漏れず合区と分区の必要性が生じて、1974年に11区を5区へ合区し*3、同時に4区を8区に分区する*4再編案をまとめていた。分区の方は、東住吉区を中心に境界線をどこに引くかで住民の抵抗が強く、その収拾で揉めるところもあったが、結局は全て成功する。それに対して合区の方は、北区と大淀区のセットは、大淀区の反発はありつつもある程度まとまる気配があったものの、他のセットでは強硬に反対する区があり、結局合区は全て流れることになる。このとき反対の主力となったのは、各レベルの議員の他、大阪市地域振興会・大阪市赤十字奉仕団であったとされている*5
その後、1989年にもう一度合区がテーマとなり、今度は北区と大淀区、東区と南区が合区されることになる。同様に強い反対はあったものの、東区の人口が市会/府会で特例で一議席を与えられるほどに減少していたこと、また当時の行政改革の流れに乗ったことなどによって実現されることになった。ちなみに、合併後の北区・中央区の区長は、他の区長よりも格上で、市の局長級として位置づけられることになっている。これも合区を後押ししたひとつの要因と見られている。

大都市行政区再編成の研究―大阪市の事例を中心に

大都市行政区再編成の研究―大阪市の事例を中心に

そんな経緯がある上での今回の合区話だが、実は、これまでとは違うことを考える必要がある。まず重要な点は、人口が増加しているのが周辺部ではなく中心部になりつつある、ということである。分区した区のうち、住吉区東住吉区住之江区平野区なんかでは人口が減少傾向にあるし、他方で北区・中央区・西区・福島区浪速区天王寺区といった、いわゆる都心6区では人口の「都心回帰」現象が見られつつある*6。いわゆるジェントリフィケーションという、一定以上の所得層による都心回帰が進みつつある中で、これまでのように単純に都心部は合区で周辺部が分区、という話にはならない(まあ今回分区はないが)。さらに、ジェントリフィケーションが進んでいる中で、区というものをどのように設定するか、ということ自体非常に難問になる。例えば財政的な平準化を目指してジェントリフィケーションが進む豊かな地域と、人口が減る貧しい地域を単純に結合しようとしても、必ずしもうまくいかない*7
もうひとつ、こちらの方がより難しいと思うけども、将来的に合区後の特別区が権限・財源を移譲されて自立が求められるようなことが予測されると、住民の態度も変わってくるのではないか。つまり、地域の中で受益と負担を完結させてね、ということになると、裕福な区とはくっつきたいけど自分たちよりも貧しい区とはくっつきたくない、という態度が露骨に現れることが想定できる。もし仮に、「特別区」ではなくて同じ大都市・大阪市の中でどこにいても同じ受益と負担のバランスがあるのであれば、別に合区・分区は大した問題にならない。というか実のところ、これまでは「負担」は大都市の中でどこでも同じであって、「受益」が微妙に違っていたと考えられ、これが今までの合区・分区への住民の態度を規定する一つの要因であったと考えられる。それが今度は、「特別区」として「負担」の水準にも違いが出てくるということになると、どこの区に割られるか、という問題が、地方議員の身分云々よりも、(平成の大合併のときに一部でそうだったように)住民自身の負担の問題として観念される可能性がある。
もはやそういうわけにもいかないが、多分合区だけを考えるのであれば、とりあえず大都市は統合したうえで、サービス提供にかかる行政区の再編成を行う、ということにしておいた方が進めやすかった気がする。まあそうは言っても、そういう大義名分では、24区を8か9区にする、というほどの大きな統合は難しいところではあるが。

*1:どうでもいいところだが、この「ニアイズベター」ってのはどうも和製英語っぽい。グーグル先生に"near is better"で検索してもらうと、言い回しとしては「遠くの親戚より近くの他人(a nearby neighbor that is near is better than a distant brother)」とか「遠くの一人前の医者より近くの半人前の医者」(A half doctor near is better than a whole one far away)といった表現ばかりで、少なくとも英語の学術的な表現としては殆ど出てこない。そのかわり、日本語ではこの表現がかなり出てきていて「near is betterの原則」という不思議な原則まであるらしい。これは補完性の原則(原理)を意識しているのではないかと思われるが、率直に言って規範的な概念と事実的な概念を混同しているような気がしてたまらない。

*2:ただし微妙な例外は横浜市。1969年に「分区」した際に、保土ヶ谷区港北区を共に分区し、(新)保土ヶ谷区をつくった。これは業界的には「合区」というよりも「集成区」というらしい。戦前の大阪で行政区再編成が行われた時にもこういう「集成区」はいくつもできている。

*3:北区・大淀区、福島区此花区、東区・東成区、港区・西区、南区・天王寺区浪速区の5セット

*4:東淀川区淀川区東淀川区城東区城東区鶴見区住吉区住之江区住吉区東住吉区東住吉区平野区の4セット

*5:この団体に対して、歴代市長の選挙に関わってきたとして橋下市長が補助金の打ち切りを表明しているのは、そういう文脈を考えると極めてわかりやすい

*6:例えば、鯵坂学ほか、2009、「大阪市における都心回帰」『評論:社会科学』88: 1-43.

*7:このあたり、ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か』など参照。まあ正直だからどうすんねん、と言われると困るという話だが。

都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か

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