議員定数削減

数日前に、橋下徹大阪市長が、現在480である衆議院の議員定数を、240に半減することを提案する考えを示したとのこと。朝日新聞の記事によると、以下のとおり。

衆院定数を半減」 維新代表・橋下氏が表明
大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長は26日、松山市での講演で、次期衆院選向けの政策集「維新八策」に絡み、480の衆院定数を「240まで落とす」と述べ、定数半減の目標を明記する考えを表明した。同会が近く結成する新党に国会議員が参加する場合は定数半減への賛同を条件にする考えも示した。
橋下氏は来月上旬に国会議員意見交換会を開く意向も表明。維新の会関係者によると、意見交換会は同会がつくる新党への合流を検討する現職国会議員に参加を呼びかけ、9月9日に開く方向で調整している。
松山維新の会主催のフォーラムで橋下氏は「国全体の仕事に絞り込めば(衆院議員は)480もいらない」と強調。「(定数削減は)過半数を取れないとできない」とも述べ、次期衆院選過半数議席を獲得することに意欲を示した。
維新の会幹部によると、定数削減は道州制への移行に合わせて実施。八策にはすでに、現在の参院の廃止も視野に二院制を見直す方針が盛られ、維新内部では将来的に国会議員を100人程度まで減らす案も出ている。近く公表する八策の最終案には国会議員歳費の3割カットも盛り込む方針だ。

これまで国会での議員定数削減というのはしばしば議論になってきたわけで、それと何が違うのかと聞かれるとよくわからないのだが、報道やウェブでの反応はそこそこあるような気がする。橋下氏が発表したからだ、と言われると身も蓋もないが、(1)夏休みでニュースが少ない、(2)いつも言われる削減よりも大規模(半減!)、(3)議員定数を削減する維新の会に所属する議員が党首の言うことを聞きそう(だから実現可能性が高そう?)というくらいの理由もあるように思うところ。
まあ実現可能性はとりあえず措くとして、論点(というかツッコミどころ)は多い。ひとつはやはり「半減」という大きな削減がポイントになるだろう。朝日の記事では、「定数削減は道州制への移行に合わせて実施」とあるわけだが、これは、「国から地方に大きく分権するのだから、国会議員の仕事が減る、だから定数を大幅に削減する」という主張とセットなのではないか。
この主張は、なんとなく正しそうな気もする。けどちょっと怪しいところもある。正しそうな気がするのは、国会議員に分担されている一定の仕事を廃止すれば、その分の国会議員がいらなくなるというイメージによるだろう。内政の権限はほとんど地方/道州に移譲し、国では外交と一部の内政のみに集中する、なんてことはよく言われるが、それを真に受けて極端に考えれば、国会における多くの委員会、例えば国土交通委員会とか経済産業委員会、地方行政委員会みたいに、内政に関わる委員会を廃止して、その分の国会議員を減らせばいいじゃないか、という話になるのかもしれない。
しかし本当にそれでいいのか。たぶん問題は、「国としての決定」をするときに、どのくらいの数の代表が必要なのか、というところにある。国会にはいろんな委員会があり、個々の国会議員はそこで仕事もしているけど、重要なのは本会議の議決で国民の代表として一票を行使することである。国会は、いわば国民をデフォルメして作る箱庭みたいなもので、あんまり大きすぎる箱庭だと機能しないし*1、あんまり小さすぎるとそもそも箱庭と言えなくなる*2
議員定数を半減する、ということは、要するにこの箱庭を半分にするわけだから、代表のされ方はかなり粗くなることは間違いない。じゃあこれをどのように評価するか。そもそも480人なんていう数で作られる国会は極めて小さい箱庭で、多様な国民を代表するには粗すぎるわけで、これを240人にしたところでそんなに丁寧に代表されないのは変わらないだろう、というもの。これだけ書くと異様に乱暴だけど、国会の中では同意を取り付けるのに必要な人数が半減して合意しやすくなるというメリットはあるし、「たいして変わらない」のに倍の人件費をかけなくていいというのはメリットかもしれない。もちろん反対に、箱庭は少しでも現実に近いものであるべきなんだから、半減するのはあり得ない、という逆の主張も成り立ちうる。
「半減」というのはちょっと極端な議論でもあるので、それに賛成かどうかというのは難しいところだけど、選挙制度によって同じ「半減」でも効果が違うと考えられる。例えば、純粋に比例代表制で、政党組織がきっちりしているようなところで議員定数を「半減」しても、それほど大きな効果はないように思われる。得票率をそのまま議席率に変換できるわけではないけど、各政党が得票にそれなりに応じた議席を獲得できるのであれば、480が240になっても、(もちろん箱庭は多少なりとも粗くなるが)各政党の代表のされ方は大して変わらない。問題があるとしたら、政党を組織するための人的/金銭的な資源が半減されてしまって、政党が十分な活動をすることができない、ということがありうる。逆に言えば、政党に供与される国家的/社会的な資源にそれほど変化がないのであれば、比例代表制のもとでは議員定数が削減されることはそれほど深刻な問題でないといえるかもしれない。
他方で、日本の衆議院のように主に多数代表制から成り立ってるような選挙制度だと、ちょっと話が違ってくる*3。多数代表制で議員を選出するような選挙制度で、議員定数を減らすということは、要するに議員の選挙区を大きくすることを意味する*4。議員定数を半減すれば、単純に考えると選挙区の大きさが二倍になる。そうすると、一般的には多様な代表が選出されるのは難しくなるのではないか。典型的には「地域政党」というやつが代表されにくくなる。地域政党とは、基盤とする地域において大きな支持を得ているものの、そうでない地域ではそれほど支持を得ていないというような政党をイメージするものであって、この基盤とする地域がより大きな選挙区に包摂されてしまうと、多数代表制の選挙で勝利しにくくなるからである*5。結局のところ、選挙区が大きくなることによって、いろんな地域で満遍なく得票できる大政党の方が有利になることが予想されるのである。もうちょっと言えば、多数代表制を取ってる以上、既に得票率を議席に変換する過程で大政党が有利になっているわけだから、議員定数を削減することで、この傾向がより強まることになると考えられる*6
翻って、「地域政党」を標榜する大阪維新の会が、現在の選挙制度のもとで議員定数削減を掲げるのはなかなか興味深い。効果のことは考えていない、ということもあるかもしれないけど、既に単独で過半数を意識する大政党となっていることを示すのかもしれない。大阪維新の会は、典型的に大政党を志向しない公明党と一定の友好関係を結んでいることが報道されているが、その関係を維持しつつ、議員定数を実現しようとすると、瓢箪から駒比例代表制が導入されちゃったりして、と思わないでもないが、どうなるだろうか。

*1:例えば、2人に1人が代表、というようなことになると、議論が成立することはほぼあり得ない。

*2:「1人」で多様な国民を代表する、とは言いづらい。

*3:なお、いわゆる「中選挙区制」のような比較政治学的に例外的な制度はとりあえず措いておく。

*4:本来は選挙区をアプリオリに地域で考えるべきではないんでしょうけど。選挙区を地域で縛るのではなく、ランダムに割り当てたり、年齢で割り当てたりするような議論は、最近よく見られる。ランダムに割り当てる議論をしてるAndrew Rehfeld, 2005, The Concept of Constituency, CUPの議論がちょっと面白そうだった(全部読んでないけど)。

The Concept of Constituency: Political Representation, Democratic Legitimacy, and Institutional Design

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*5:非常に簡単な例を考えてみると、二つの選挙区1、2があって、それぞれA/B/Cという政党があるとする。選挙区1ではA/B/Cの得票率がそれぞれ0.2/0.2/0.6であり、選挙区2では0.5/0.45/0.05であったりするような場合、選挙区が二つに分かれていれば、それぞれC党・A党が当選するが、これが統合されてしまうと、A党の候補者のみが当選することになる。

*6:この辺りは、典型的に教科書だが、例えば加藤秀治郎、2003『日本の選挙』中公新書、や川人貞史ほか、2011、『現代の政党と選挙 新版』で丁寧に議論されている。

日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか (中公新書)

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現代の政党と選挙 新版 (有斐閣アルマ)

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