多数決と法の支配

12月16日の選挙結果は、自民党公明党が合計で320議席を超える大勝となった。自民党総裁が、以前から「戦後レジームからの脱却」と言ったり、改憲志向が強いということが指摘されていたが、今回はまず憲法96条の改正に意欲を示しているということで、この点について危機感を感じる人は少なくないと思われる。
僕自身も、怖いなあと思わないところがないけれども、ただこれは、日本が1990年代から進めてきた多数決型の民主主義を重視するという発想からは、必ずしも不思議ではない。レイプハルトが議論した議会制における多数決型民主主義と合意型民主主義の比較は次に示すようなモデルが提示されていて*1、以前の中選挙区で派閥連合に基づく自民党政権が、合意型民主主義のひとつの典型と考えられてきたものを、多数決型民主主義に変更しようということになるわけだ。中央銀行を政府に引き寄せようとするところなんかも、ある意味で多数決型の典型的な志向に見える。

多数決型 合意型
執政権 単独過半数内閣への執政権の集中 広範な多党連立内閣による執政権の共有
内閣・議会関係 内閣が圧倒的権力を持つ内閣・議会関係 均衡した内閣・議会関係
政党システム 二大政党型 多党型
選挙制度 多数決型・非比例型 比例代表制
中央・地方関係 単一で集権的な政府 連邦制・分権的な政府
議会制度と立法権 一院制議会への立法権の集中 異なる選挙基盤から選出される二院制議会への立法権の分割
憲法改正 相対多数による改正が可能な軟性憲法 特別多数による改正が必要な硬性憲法
立法と司法 立法活動に関して議会が最終権限 裁判所が違憲立法審査権を持つ
中央銀行 政府に依存した中央銀行 政府から独立した中央銀行

個人的には、多数決型の政治がその志向だけで否定されるべきではないと思う。レイプハルトの議論でも、比較的同質的な社会では多数決型で良いパフォーマンスを上げやすいという議論はあったわけで。ただ重要なのは、多数決型の政治がどのように制約されるか、ということだろう。典型的な多数決型のイギリスでは、まさに「法の支配」の観念が重要となっていて、社会において裁判所などが発見する「法」が、権力を制約する上で重要な役割を果たしている。
しかし、近年の特にネットでの(政治家の発言も含めた)「法の支配」の議論についてはちょっと危惧を覚えずにはいられない。というのは、「法の支配」と「立法による行政」を混同しているところがあって、法が権力を制約するよりも、法で権力が(市民を)制約することが強調されているのではないかと感じることがあるから。「法の支配」とは、立法府で決めたらなんでもできることを意味するのではなく、社会において権力を制約する法を発見するプロセスを重視するものであるはず。「立法による行政」があって「法の支配」が弱い状態において、無制限に多数決型民主主義を志向すると、それは危険というほかない*2。まあまさに違憲状態での解散/解散の要求というのは「法の支配」の観点から非常に問題になるわけだったわけで。個人的には日本の市民社会ってよく批判されているがそれなりに信頼したいと思うし、杞憂であればそれに越したことはないが、西欧の非常に伝統的な概念である「法の支配」が日本社会においてどのように受容されているかが問題にされるべきなのかもしれない。

*1:川出良枝谷口将紀[2012]『政治学東京大学出版会、80頁を一部改変。

政治学

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民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス)

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*2:この点については、ご関心の向きには、短いものですので、ぜひハイエクの『政治学論集』に収録されている論文を読んで頂きたいところ。

政治学論集 (ハイエク全集 第2期)

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