神戸市長選挙と選挙管理−自書式は止めるべき

神戸市長選挙が終わり、総務省の行政局長経験者が副市長を経て市長になることになった。同じ日に行われた川崎市長選挙でも、比較的年若の総務省元官僚が立候補していて、ともに自公民の相乗りとして擁立され、前回選挙で次点だった候補と競うことになり、こちらの方は選挙に敗れている。総務官僚が相乗りで立候補して厳しい選挙戦を強いられる、ということ自体なかなか興味は尽きないが、ここでは神戸市長選挙における選挙管理の問題について。
選挙結果は次の通り。▽久元喜造(無所属・新)、当選、16万1889票▽樫野孝人(無所属・新)、15万6214票▽森下やす子(無所属・新)、5万3393票▽貫名ユウナ(無所属・新)、4万6692票▽久本信也(無所属・新)、2万6548票。3位の候補は元市議で、4位は共産党から国政選挙に立候補した経験を持つ候補。要するにまあそれなりに基礎票があると考えられる候補である。それに対して一番最後の候補は、告示直前に立候補を表明したものの、選挙ポスターが貼られることもなく、ほとんど選挙運動が行われていなかったという。また、ざっとウェブで検索した限りでは、以前の立候補歴も特にないように思われる。基礎票が有るかどうか不明だが、それでも2万票以上の得票をしている。
実際にどの程度なのかわからないが、「久元」と書こうと思っていたのに「久本」と書いてしまえば、もちろんこの候補への投票としてカウントされることになる。どちらかといえば「久本」の方が一般的だと思われるので、このかたちで間違えた有権者もいるとは考えられる。さらに、「ひさもと」のようにどちらか判別できないかたちで記入されていれば、按分という方法が取られることになる。これは、「ひさもと」と書かれていた表の数を久元氏の得票数と久本氏の得票数を用いて比例配分することを意味する。つまり、「ひさもと」票が1600票あたっとして、久元氏の得票が15万票、久本氏の得票が1万票だとしたら、久元氏には1500票、久本氏には100票が入るということだ。「ひさもと」と書いた人の15/16が久元氏にいき、1/16が久本氏に行くという非常に不思議な制度になっている。
これは、神戸市長選挙が、有権者自身が投票用紙に候補者名を書く「自書式」という方法で行われていることによるものである*1。違う漢字を書けば自分が望まない候補に投票することになってしまうし、ひらがなで書いた人の場合は、(間違えた人たちの投票も含めて)他の人たちの投票結果によってその人達の投票の価値が決まることになる。1:1に近い形で競っているときは競っている候補者それぞれに同じくらいの投票価値が配分されるし、大差であるときは特定の候補への投票と変わらないようなかたちでカウントされる。候補者名をちゃんと書けないことへのペナルティ、として見なす向きもひょっとしたらあるのかもしれないが、有権者の意思がまず自分自身の投票において反映されないというむちゃくちゃな制度である。
この問題に対する対応は極めて簡単なことで、要するに記号式の投票方式にすればいい。今回であれば5人の名前を書いた紙を投票用紙として用意して、それにチェックする形式にすれば、一人の投票が(他の人たちの投票によって価値が決められるかたちで)複数の候補者に行くようなことはなくなるし、漢字間違いのようなかたちで本来の意思が反映されないということもなくなるだろう。もっと言えば、今回は経緯からして「久元」氏への支持が多いように推定しているが、ほんとのところは全くわからないわけで、「久本」と書こうとして「久元」と書いた人もいるかもしれないし、「ひさもと」と書いていた人たちが実はみんな「久本」氏に投票しようとしてたかもしれない。後者の問題は深刻で、例えば比例配分による按分というのに根拠を認めずに、「ひさもと」と書いていた人たちがみんな「久本」であるとしたら選挙結果がひょっとしたら変わるかもしれない、とか言って訴訟になったらどうするんだろうか(もちろん極論過ぎるのでそんなことはないだろうが)。
記号式は法律で認められていない、と思われる方もいるかもしれないが、少なくとも地方選挙では認められている。公職選挙法46条の2であり、これは電子投票システム導入との関係もあって導入されたものだが、この方式を用いて選挙をしている自治体も一定数存在している。優れた(というか簡単な)代替制度があるにもかかわらず、それを採用しないというのは本来ならばきちんとした挙証責任が必要になると思われる。しかも新市長は以前総務省で選挙部長の経験もあるわけだから、この点については当然熟知しているものと思われる。ぜひ次回以降は記号式投票の導入を行っていただきたいものである。
もうひとつ、選挙管理との関係で言えば、ほとんど選挙運動をしないような「久本」氏が、供託金さえ払えば簡単に立候補できるというのがどうかという問題もある。今回について、関係者の意図がどのようなものか、当然知る由はないが、この結果を見て特定候補の落選運動というかたちで立候補を手段に使う戦略立候補(?)も出てくるかもしれない。特に日本の地方選挙では、政党化されていないところが多いので、政党ブランドよりも候補者の名前を見て投票する有権者が多く、自書式である限りこの方法は効果を持ちやすい。個人の立候補について、一定数の署名やそれまでの政治活動の経験を要件として課す国もあるが、日本では供託金というハードルのみが存在するだけであり、最近ではそのハードルも高すぎるという批判がされることすらある。本来的には政党の重要性を高めることによって立候補におけるハードルを実質化することが望ましいと思われるが、それが進んでいない以上、供託金だけではないハードルを考える必要も、ひょっとしたら出てくるのかもしれない。
まあこういった問題を考えるためにも、神戸市選挙管理委員会には按分の対象となった票数を公開して欲しいところ。情報公開請求したらできるのかしら。

追記

ツイッター等でもご指摘いただいたが、記号式にすると、確かに按分はなくなるけども、逆に思い込みで間違える人が増えるのではないか、とも考えられる。その可能性は確かにあるわけで、それがなくなるように投票の運営を行う必要があるだろう。具体的には、投票をするときに選挙公報の閲覧を可能にしたり、候補者の名前だけではなく写真やシンボルマークをつけることがありうる。まず後者については、現在の公選法では、46条を見る限りだと写真やシンボルマークについての規定はないと思うが(氏名を書くことは書いてあるけどそれ以外のことは書いてない)、記号式投票を定める条例でそれが可能であれば行っても良いようには思う。写真をカラーコピーにすると金がかかるからどうするんだ、という話はあるが。
前者についてややこしいのは、ここも驚かれる方は多いと思うが、選挙公報がない自治体選挙もあるのである。例えばパッと思いつくところだと、愛知県議会議員選挙では選挙公報が用意されず、われわれの分析でも使うことができなかった*2。ちょっと調べてみると、愛知県では民主党選挙公報条例を提案したものの、自民党公明党が事務体制や費用対効果を問題として否決したらしい(こちら)。言うまでもなく、選挙公報のようなものがなければ、投票の時に参照するものがなにもないわけで、まずはこちらから解決、ということになるだろう。

*1:こうなることは誰にでも予想ができるわけで、神戸新聞でも選挙前にこの点指摘がされている。

*2:密かに宣伝:砂原庸介・Hjino, Ken Victor Leonard、「地方政党の台頭と地方議員候補者の選挙戦略ー地方議会議員選挙公報の分析から」『レヴァイアサン』53号