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政令市、現在の区を「総合区」に 役割強化で法改正へ
政令指定都市の行政区の役割を強化する地方自治法改正案の概要が19日、分かった。現在は窓口業務が中心の各区を「総合区」に格上げして予算編成や人事権の一部を持たせるほか、道府県政令市の仕事の重複をなくすために「調整会議」を設置することなどが柱。政府は通常国会への法案提出に向け、3月上旬の閣議決定を目指す。
政令市の区役所の仕事は、住民票や各種証明書の発行など行政サービスの提供が大半を占める。区長は一般職員で、独自に街づくりを発案して進める権限はない。
改正案は、現在の区を総合区に改め、総合区長を置くことを認める。総合区長は副市長などと同じ特別職。
共同通信1月19日

要するに、現在の政令市における区を格上げして、いわば行政機関から(準)政治機関にしようという議論と評価できるだろう。地方分権の中でも、大都市(政令市)から区への行政的分権ではなく政治的分権を行うということである。同時に、進め方によってはこの5年位続いた大阪都構想ネタもそろそろ終わりになるかな、と思える話である。
ポイントは、(特別)区への分権によって、「(特別)区中心のまちづくり」を行うべきだという発想である。おそらく、特別区の自治=自らの負担でサービス水準を決める、ということをお題目として、都市計画の権限なども含めて大都市から特別区へと下ろし、「基礎自治体への分権」を進める。都構想類似の議論はありうるかもしれないが、結局のところそれは一気に特別区にすると一人あたり税収の凸凹が大きく出過ぎるので(大阪の場合、中央区や北区を含む自治体)、それを旧大都市内で平準化するという機構に他ならない。その点をクリアした分市論のリバイバルとして整理する事ができるように思える。最近の大阪都構想についての法定協議会で、このように特別区への分権を強調する発想についての言及が多くなっているような感じはあった。自分の不明を恥じるばかりだが、正直言ってこの発想にここまで強い訴求力があると思ってなかった。ただ、協議会に参加するのは地方議員ばかりなのだから、協議会で地方議員の理解を得るように努力する中で(大都市への集権ではなく)区単位への分権が強調され、歓迎されるのは自明といえば自明かもしれない。Twitterでちょっと調べると、どのくらい代表性があるのかわからないが、大阪維新の会で評価している議員もいるようである(国会議員地方議員)。
もうひとつ地方自治法改正について注目すべきことは、読売新聞が報じていた「調整会議」というやつだろう。

二重行政解消へ国が調整会議…道府県政令市に
 政府は、道府県政令市の「二重行政」を解消するため、重複する事業の一本化について話し合う「調整会議」の設置を両者に義務付ける地方自治法改正案を24日召集の通常国会に提出する。
 協議が不調に終わった場合には国が仲裁することも盛り込む。両者が対立する問題に国が関与することで、一定の強制力を持たせるのが狙いだ。
 政令市は現在15道府県に20ある。文化ホールや体育館など類似する施設を道府県政令市がそれぞれ建てたり、水道や病院など重複する事業を行ったりすることが「税金の無駄遣い」と指摘されてきた。
 自治体間の争いについては、自治紛争処理委員による調停制度があるが、合意がなければ調停は成立しない。新制度では両者の意見が異なれば、市長か知事の申し出を受けて総務相が勧告することで決着を図る。
読売新聞1月18日

現状の大阪における府市統合会議のような「調整会議」であり、これを制度化すれば都構想のように行政機構を一元化する必要はない、という指摘もありうる。しかし、協議の場を作ればものが解決するというわけではない。府市統合会議が一定の成果を収めているとすれば、それは知事と市長が同じ政党に属していて、その政党の支配を(少なくとも形式的には)受けているからである。要するに、会議の外に政党という意思決定機関があることになっていて、知事と市長の合意はそこで既になされていることになるわけだ。調整会議を政党の機関のように扱えばいいじゃないか、という議論はありうるかもしれないが、そもそも知事と市長の政党が異なって全く違う方向を向いていたら、調整会議なんてものがあっても何の役にも立たない。その場合、逆に「一定の強制力」を持つ国が介入して強い影響力を行使する懸念を持つ人もいるかもしれないが、国だって関係者から恨まれるのは嫌だろうし、わざわざ敵を作りたくはないだろうから、余程のことがない限り国がそんな明確な利害調整をすることはないのではないだろうか。だいたいそこで強引に「国の意思」を反映させたら地方分権もクソもないし。
というわけで、この方向で大勢が是認されていくとすれば、ここ数年の大都市の蜂起は都市の人々もそれを望んだというかたちで鎮圧されていくことになるのではないかと思われる。政治過程を見ていてなるほど、と思うのは、正面から都市の主張を叩き潰すのではなくて、都市の側での内部的な分裂を誘いながらあくまでも都市の側の選択という形式を取ることができる、ということか。1950年代であれば周辺自治体に「市」というアイデンティティをもたせるということだろうし、現在であれば、大都市の中に「区」というアイデンティティをもたせる可能性、というか。まあもっとも、国家の側に明確にそういう意思があったかどうかはわからないし、(パターナリスティックなものも含めて)分権を強調する人も多いだろうから、あくまでも都市の側の問題だったのだろうけども。
個人的には、大阪都構想に諸手を挙げて賛成するわけではないが、都市が受益と負担のバランスというものを考えて自治を運営しようとするのは、効率性の面からも民主性という観点からもひとつのオプションであると考えていたので、それを打破するのであれば都構想のようなタイプとは別のかたちで効率性や民主性という観点から望ましい制度を提案することで潰すべきではなかったかと思う。なし崩しのみんながハッピーみたいな処理の仕方進めたときに、今よりマシになると期待されるのは、橋下氏が常々強調しているように、(特別)区レベルで受益と負担のバランスを考えるようになるかもしれない、ということだろう。それは重要なことだが、区単位でみると都心から離れたところは自立できないだろうから「受益と負担のバランス」もクソもないだろうし*1、負担が大きくなったら結局国を中心とした再分配機構に期待するだけになるだろう。ただまあ、もし仮に一部論者の期待通り、区単位で「受益と負担のバランス」が強調されるようになったとしたら、今にもまして誰も大都市インフラのために負担してやろうという気分にはならないだろう*2
なし崩しで進めるのはやむを得ないことなんだろうし、まあ実行可能性を考えるとなし崩しが前提になるのだろう。しかし、一研究者としては、大阪都構想で考えていたような大都市という単位を実質的に否定することになるのだとしたら、区のような単位も含めて受益と負担のバランスをまじめに考えることができるような政治制度がないといけないのではないかと思う。そうじゃないと、豊かじゃない地域は受益と負担の均衡にコミットする気にはなれないし、豊かな地域はそんな豊かじゃない地域への不満を募らせるばかりだからである。そして、それはおそらく大阪都構想の軽微な修正というものではなく、東京こそがターゲットになるべきものだろうと思われる。ざっくりと言えば、特別な都市というものが存在せず、全ての自治体が一様に扱われ、自治体としての責任のもとに受益と負担のバランスを考える前提として、既に退任した知事が打ち出した「東京DC構想」のようなものも含めて地方交付税の制度を抜本的に改革し、(単一国家らしく)基礎自治体の一人あたり収入を国家が平準化して、あとは限界的財政責任ね、という制度を長期的に目指すべきではないだろうか*3大阪都構想といっても大阪が特別な大都市として目覚ましい成長を遂げる、という勝負に勝つことは容易ではないだろうから、地震もあるので東京一極に賭けるリスクも小さくないとはしても、ここで大都市側の(最後の??)抵抗が終わるとしたらそれでよいのかもしれない。しかしそれは今度は東京の問題に向かうことを意味するはずだし、今回の東京都知事選が完全に「国政選挙」みたいになっていることを考えると、国家における唯一の成長のエンジン=「国政」マターというかたちで東京都の一部を切り離したほうが、普通の都民にとっては望ましいのかもしれないと思うところ。

*1:政令市によっては合併前に戻すだけじゃないかという話も出てくるだろうがまあ流石にそういうことはしないか

*2:例えば大阪で言えば、新大阪を含まない中心部の区が、新大阪と関空を結ぶ鉄道路線にカネ払うということのメリットがあるとは思えないので、まあ補助金待ちになるだけだろう。

*3:ざっくり言ってしまうと、ここで説明した「なし崩し」のように都構想が進んだとして、政令市レベルで財政調整機構が必要だとすれば、その理由は国全体の財政調整が弱い=豊かなところから取り切れていないという話なので、極端に言えば法人税を完全に国税化するなりして自治体ごとでの税・補助金等を含めた一人あたりの収入を平準化してしまえばいいという話である。北欧諸国をはじめ、「地方分権的」と呼ばれる単一国家でもそういう制度になってるところは非常に多い(というか日本は相当地方の収入多い方である)。