特別区と区長

2014年末に、突然公明党が方針を転換して大阪都構想の法定協議会・協定書に賛成し、住民投票が行われる方向で話が進むことになった。公明党は「住民投票の実施に賛成」であって協定書には賛成ではないとしているのだろうが、彼ら自身も重視していたはずの大都市地域特別区設置法の手続きでは、「議会の承認」が必要になっているわけで、彼らがどういう立場を採ろうが「承認」を与えるに決定的な役割を担ったことには変わりない。もし仮に住民投票で賛成多数となれば、公明党はその責任の一端をになって、きちんとした制度改革を実現する必要が出てくるわけだが、その用意はあるのだろうか。
住民投票について色々考えることはあるが、それはちょっと別の機会にということで、今回は特別区と区長について備忘のためにメモ。個人的に現在の協定書の大きな問題を挙げるとすれば、定数が大きいSNTVで選出される特別区の議会制度であり(今よりもさらに分極化して、総論賛成各論反対傾向が強くなるだけ)、都市計画を中心とした事業実施についての特別区の権限が強すぎる(大阪市全域のことを考えるのがより難しくなる)という二つがあると考えていて、区長公選ではなく議院内閣制っぽい制度にすると前者については解決できないにしても多少マシになる可能性があるのではないかという気がする。協定書について言えばもちろん、財政調整や債務の問題、あるいは庁舎などについても論点になるだろうが、大阪としての意思決定から見れば相対的にはマイナーな問題で、財政を議論するとすれば、大阪と他地域の紛争を作り出すものであるが(大都市地域特別区設置法に基づいた法定協議会であるために)国からの税源移譲が論点とされないところが重要な問題だと考えている(協定書にはそもそも載らないテーマ)。あとは、特別区によって将来像が違いすぎるので、それを一律に静態的な財政調整の枠に当てはめるべきかというのがありうるが、この議論はかなり難しそうで、制度的に解決すべきなのかはちょっとよく分からない。…また脱線した。
大きな問題として考えられる特別区の議会制度だが、現行の法律を考えると、大阪市(の特別区)だけ区割りをして多数制にしたり、比例制を導入したりするというのはまあ難しい。特区でやっちまえ、という気がしないでもないが、国全体のことを考えると地方ごとにバラバラの選挙制度を作り出すことが望ましいとは思えない。ポイントになるのは、議員(というか政党のような議員のまとまり)にきちんと責任を負わせることができるかどうか、という問題であって、これまで日本の地方制度が実証してきたように、SNTV at largeではムリだろう。そこで、少しでもマシにすることを考えるときに、首長(区長)との関係を強く持たせることによって責任を負わせるということができないか、という話が浮上するのではないかと思われる。
ためしに協定書を見てみると、実は特別区長をどう選ぶかという規定はないようだ。これはたぶん、公選するのが当たり前、というような感覚なのだろう。しかしながら、「特別区」については歴史的に公選区長がいなかった時代がある。GHQの主導で公選区長制が導入されたものの、1952年の地方自治法改正で「特別区の区長は、特別区の議会の議員の選挙権を有する者で年齢満25年以上のものの中から、特別区の議会が都知事の同意を得てこれを選任する」(地方自治法281条の2(当時))とされていたからである。この条項にはもちろん地方自治関係者など(どうも特に社会党共産党といった当時の革新政党からの反発が強かったもよう)から反発もあり、しばしば裁判で論点になっていた。1962年の東京地裁の一審判決で、上記地方自治法281条の2が違憲無効とする判決が出たのに対して、検察が最高裁に上告して(この裁判は議員の収賄関係の裁判だったので)判断を仰いだところ、最高裁は立法政策だから違憲無効じゃない、という判断を下したという経緯がある*1。なので、憲法的にも全く不可能な話ではないのかなあと。まあその後、やっぱり区長を選びたいという話が強まって、準公選→1974年の地方自治法改正で区長公選という流れになるわけだが。
採用された区長公選については、地方自治法特別区長を選挙で選ぶ、と書いてあるわけではなくて、「市に関する規定の適用」(283条)という形式になっているわけで、「この法律又は政令で特別の定めをするものを除く」とされているわけだから、政令で特別の規定をすれば特別区長を公選ではなく選べる余地もあるように思われる。東京都の特別区長は、議員が責任を持つのではなくて外から連れてくることが問題になっていたわけだから、議員(というか政党)をベースに区長を選ぶということは不可能ではないのではないか。これは、議員が勝手に区長を選んで好き放題、という東京都の過去の失敗を繰り返すためではなく、きちんと議員に責任を持たせるためということで考えるべき話だと思っている。選ばれた議員の誰かが区長になり、もし区長が望ましくなければその人をサポートしてる議員たちが責任を負う(=落選の憂き目にあう)という状態をつくれないか、ということである。まあもちろん、SNTV at largeを前提としてこれを行なうのはほとんど不可能に近いところはあるが、それでも区長と議員を別々に選挙して、両者が必要以上に揉めたり、区長を外部から全くコントロールできなくなるよりはマシじゃないかと思うのだが*2
ただ残念ながら、「区長を選びたい」という意識は非常に強いのだと思う。『憲法百選』を読んでると、憲法学者の多くは長を選ぶことが重要な権利であると言ってるように読めるし、現在では特別区というのは「普通地方公共団体としての性質を実質上強く持つ」(441頁)などと書かれている。重要なのは代表を選ぶことであって、それは一義的には議会だろうと思うし、地方議員のあり方が問題になっている中でどのようにして彼らに責任ある行動をうながすかを考えるべきだと思うのだが、そういうガバナンスの議論を気にせずに、とにかく「公選」に参加することが重要で、それが権利だということを法律学としてやられるとなかなか難しい。他にもいろいろあるところだが、一般に政治学の議論をしていくためには、政治家や官僚と対話することももちろん重要なのだけれども、何より憲法学者と対話することが重要であるような気がして仕方ない。憲法で講学的に正しいとされていることが、政治学の経験的な分析による理解と食い違うことは少なくないからである。それはどちらが正しいかということを議論したいわけではなくて、何を妥当とするかについて規範的・経験的に議論を積み重ねないとどうしようもないのではないかと思うからなのだけども。

*1:この辺は憲法百選を参照した。

憲法判例百選2 第6版 (別冊ジュリスト 218)

憲法判例百選2 第6版 (別冊ジュリスト 218)

*2:『大阪』にも書いたが、ここのところは大事なのではないかと思う。区長が個人として区民の意思を背負ってしまうと、他との調整がほとんどできなくなるのではないか。議員が政党単位で住民に対して責任を負い、長を統制するというのは、この点からも重要ではないか。