違憲審査の方法

午前中,@lawkus さんなどにコメント頂きながら少し考えたのを備忘のために整理。スタートは東京新聞の記事,「「安保」契機に民主が新制度検討 法案の違憲審査 最高裁に要請を」で,メインはたぶん「新制度案は、政府、国会が、法案や国家の行為の憲法適否に関し最高裁に意見を要求できる内容。最高裁が意見を出せば、事実上の拘束力を持つ。最高裁判事が首相の一存で選ばれることを避けるため、人選を専門家に諮問する仕組みも検討する。」というところ。拘束力を持つと書いてあるので,フランスとかドイツなどのように法律が施行される前に,具体的な事件にかかわらず抽象的違憲審査をする趣旨だと思われる。個人的には,憲法を変更しないとこういったことはできないと思うが,そうじゃないかもしれない。以下ちょっと論点。

  • まず現状の最高裁が抽象的違憲審査ができるかということ。これは基本的にはできないでしょう。基本的にはというのは,できない理由が最高裁の以前の判例警察予備隊違憲訴訟)によってできないと言っているため(もちろんこの文言にも色々解釈があるようだが)。抽象的違憲審査を行うには,少なくともこの縛りが外れる必要はある。

要するにわが現行の制度の下においては、特定の者の具体的な法律関係につき紛争の存する場合においてのみ裁判所にその判断を求めることができるのであり、裁判所がかような具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性を判断する権限を有するとの見解には、憲法上及び法令上何等の根拠も存しない。

  • じゃあこの縛りを外したら,最高裁は抽象的違憲審査を行うことができるのか。つまり,何らかの事件によってどうしても抽象的違憲審査を行う必要が出てきたら,最高裁はまさに君子豹変して,ある法律に対して具体的な事件なしに違憲と判断するのだろうか。ここは憲法の方でもいろいろ学説があると思われる。僕個人としては憲法81条(「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」)から抽象的違憲審査をする余地がないとはいえないと考えるが,しかしもともと警察予備隊違憲訴訟はこの条項を根拠に違憲審査ができる→警察予備隊違憲であるとして,最高裁はそれをダメだといったわけで,少なくとも無制限にできるというのは無理があると思われる。最高裁が根拠として挙げている考え方は,当然だが改めて認識されるべき。

なお最高裁判所が原告の主張するがごとき法律命令等の抽象的な無効宣言をなす権限を有するものとするならば、何人も違憲訴訟を最高裁判所に提起することにより法律命令等の効力を争うことが頻発し、かくして最高裁判所はすべての国権の上に位する機関たる観を呈し三権独立し、その間に均衡を保ち、相互に侵さざる民主政治の根本原理に背馳するにいたる恐れなしとしないのである。

  • 無理かもしれない違憲判断を,最高裁がするにはどうしたらいいだろうかという話。「法の支配」のようなことを考えると,社会的に抽象的違憲審査が当然行われるべきであるとして認識され,その要件についても理論的な整理が進めば行ってもよいという考え方はあるかもしれない。ただ,現状でその前提が満たされているようには思えないし,上記最高裁の「民主政治の根本原理に背馳するにいたる恐れ」を考えると,少なくとも軽々にできるようにするのは問題だろう。現在の安保法制みたいなケースで抽象的違憲審査が行われるという議論があるとすれば,その辺り十分に考える必要があると思う。
  • そこで,民主党が提案したような法律が通って,その法律自身の違憲性を裁判所に判断させるというのがあるのかもしれないと(以下思考実験)。まあわかんないけど,たぶんこの法律が通ったら,最高裁自身が法律に対して抽象的な意見(opinionの方)を出す前に,最高裁自身がそれが妥当かどうか判断せざるを得なくて,その判断は抽象的にならざるを得ないし,立法府として憲法にもとづいて授権したものであれば判例変更せざるを得ないということのような感じか。ただ,はじめの判断を回避/却下することだってあり得るような気がするが,仮に回避した場合,無理やり意見出せって言われたらどうするんだろう。店晒しにしたままずっと持ってて溜まっていくのだろうか…政権が任命した判事が過半数を超えるまで(これはブラックジョークだな)。
  • もう一つ論点があるとすれば,最高裁自身がそもそも事前に判断すべきなんだろうかということか。ドイツやフランスでは,そのための特別な裁判所があって,通常の裁判所は違憲審査を行わないという役割分担をしているわけだが,もし両方やるとなると非常に大変な業務だし考えることも変わってくるはず(ていうか二つ兼ねてる最高裁をつくってる国ってあるんだっけ?)。現行の日本国憲法だと特別裁判所を作れないから,少なくとも最高裁がやる以外はないだろうが。

民主党のような野党第一党が,政権の決定に反対するということを念頭に違憲審査に頼るのはどうなのか,とは思う。1952年に判決が出された警察予備隊違憲訴訟は,まさに当時の野党第一党であった社会党鈴木茂三郎委員長が原告となっていたもので,自民党に対抗するために裁判所の抽象的違憲審査を活用しようとしたということだろう。その意味では,直近二回の選挙でひどく負けた民主党がこの話を言い出すのはわからないわけではない(もちろん,1952年の判決をどう評価してるんだ,ってのはあるが)。
とはいえ,望ましくない決定を防ぐ/変えるためには,野党自らが政権を握ることが本来求められるわけで,そのためには,次の選挙で勝利するか,現在の政権与党の不満分子と合流するかという方法をとるしかない。だから例えばデモとか意味ない,って言いたいわけではなくて,デモをすることで政権与党の中で「これは持たない」と考える人たちが出てきたらその人達と合流するということは十分に有り得るだろう。あるいは,中期的に自分たちがちゃんと勝てるような,だけど公衆が今よりずっといいときちんと納得できるような選挙制度(あるいは執政制度の一部)の提案をすることも野党側として考えるべきことだろう。全然アピールしてなくて,おそらく党内のごく一部のこだわりだったと思うが,みんなの党投票率議席をリンクさせる条件を入れた比例制の提案みたいなのをきっちりやるとか。
本来民主的でない司法機関に頼るのは,最高裁が自身でそう言ったように,非常に危ういことであるという認識があったほうがいいわけで,民主主義を重視するなら基本的には選挙競争のあり方を考えることになるんじゃないかな,と思うところ。