排除と抵抗の郊外

4月14日以降に発生した熊本地方の地震は本当に深刻な状況のようで,被害にあわれている方が不安な状態から少しでも脱せられることを願うとともに,支援に当たられている方のご無事を祈っています。このようにかなり規模の大きい揺れが連続して,建物へのダメージを蓄積させていくというタイプの地震はあまり想定されてこなかったのではないかと思いますが,都市計画などを考えるときに新たな想定が必要になるのかもしれません。
さて,森千香子先生の『排除と抵抗の郊外』を非常に興味深く読みました。はじめは住宅政策が中心の話なのかなと思って手に取ったのですが,メインはフランスにおけるエスニシティの問題というべきか。共和国としてエスニシティの問題は存在しない(たとえば民族別の統計をとるようなことも禁止されている)というフランスにおいて,高度経済成長期に入ってきた移民やその家族たちをどのように包摂しているか(していないか)という問題を,彼らが住んでいる郊外の住宅,特に公的な社会住宅での調査を中心に論じているものになります。エスニック・マイノリティに対して共和国の理念が浸透しているからこそ,疎外が生じているというのは読みながらとても納得した指摘で,社会学エスニシティ研究は専門に勉強していないので評価は難しいですが,自分自身の指導教員の研究でもあるので「門前の小僧」として触れたことを思い出しながら興味深く読みました。
後半に展開されるエスニシティと政治,マジョリティへの抵抗の議論(ラップの話なども出てくる)も非常に興味深く読んだのですが*1,今の関心である住宅政策という観点からは,やはり3-5章で扱われている郊外のジェントリフィケーションと既存住民の関係についての議論が非常に勉強になります。もともと工業地域で労働者が集中し,それゆえ自治体が左派によって占められ,公的な集合住宅が建設される,という郊外で,グローバリゼーションの進展とともに一方で工業が撤退し,もともとは工場労働者として,その後は貧困層として移民の流入が増え,郊外が「排除」された地域となっていくことが示されます。そのような状況で,「赤い」自治体も国からの補助を使いながら都市再生を試み,もともとそれなりに利便性が高い地域だったこともあって,一定の成功を収めるところもでてきますが,しかし流入した移民はその成功の恩恵にあずかれないという状況が生まれます。むしろ,所得が低い移民が一箇所に集住することが問題だ,ということでその集住を緩和して「ソーシャルミックス」を強調するような再生策がとられる中で,団地の建て替えのような再開発によって既存住民たる移民が居場所を追われ,「ソーシャルミックス」の理念のもとに(外国人比率が高すぎるという理由で)排除されるというようなプロセスが示されています。地元住民,中産階級の利益のためという理念のもとで都市再生政策が実行に移されるわけですが,本来共和国の理念のもとに人種は問われないはずなのに,現実にはそのような都市再生政策によって移民が排除されてしまうという議論は,特殊フランス的なところもあるわけですが,しかし他の国でも同じような排除のメカニズムはあるでしょう。
ひるがえって日本の場合は,1990年代ころまでは,都市再生のために再開発を行うというよりも(それがなかったわけではないですが),既存の公営住宅を残余化させつつ,自治体同士で押し付け合いながら新しい公営住宅は建てないということをやっていたので,結局のところ基本的にはすでに入っている人が行先もないので入れ替わらずに残り続ける(まさに残余化)という現象が起きたと言われます。人口が増えている時代には,必要な住宅については郊外に安いものを開発しつづけて,必要な人は無理にでも住宅金融公庫を使いながら持家,ということになっていたわけですが,人口が減少するようになってくるともう郊外は無理でしょうということで再開発が問題になるようになります。2000年代の「都市再生」は,東京などできるところで始めていたわけですが,10年代には地方都市や郊外の再編成が徐々に注目されるようになってきています。
本書でも最後に紹介されているように,日本の郊外でも,特にURや公営住宅で外国人の居住者が増えているところはあって,建て替え・再開発が出てくるときには同じようにはその排除や貧困が深刻になるというフランスと似たような状況が出てきてしまうかもしれません。さらに個人的にはニュータウン高齢化という問題に近いところを感じました。そもそもURや公営住宅の比率が小さいために移民の問題が深刻であっても全域的にはなりにくい,ということもありますが,やはりある時期に同じ世代の人々が一気に住み着くという現象が広がっているところでは似たような議論がありうるのかなあ,と。まさに若者と高齢者の「ソーシャルミックス」みたいなことが求められいてるところもあるわけですし。ただ,フランスの移民の例と違うのは,ニュータウン高齢者が政治的に排除されているとは言えない,というところでしょう。むしろシルバーデモクラシーみたいな言葉があって,高齢者向けの政策が打たれているみたいな話がある中で,「高齢者の集住が問題だ」となるときにどうなるのか。もちろん今でもややそうなっているところはあるわけですが,良くも悪くも立ち退きみたいなことが進まない/立ち退かせようとすると政治的に問題になるわけで*2。とはいえ,これから一定の再開発/都市再生が求められることを否定するのも難しい中で,都市再生の結果として排除された高齢者のようなカテゴリーが極端に集中する,というようなことが望ましくないのも間違いなく,代替的な住居とソーシャルミックスをどう考えていくのか,というのは日本でも重要な論点になっていくように思います。

*1:なおこのあたりは,昨年から話題になったウェルベックの『服従』などと併せて読むと面白いように思います。

服従

服従

*2:たとえば兵庫県の復興公営住宅の20年問題はそういうところがあるのかもしれません