重厚な共同研究

重厚というにふさわしい共同研究の成果をいくつもいただいておりました。以前は何となく同じテーマのもとでの論文集が編著として出版されていることが多かったのではないかと思いますが,最近は科研で共同研究プロジェクトが行われていることや,出版不況のために出版社がまとまりのない論文集を嫌うということがあって,出版される共同研究の成果はまさに「共同研究」と呼ぶにふさわしいものが多くなっているように思います。一つの特徴は,序章や終章を設定して,それが単に出版までの経緯を書いたはしがき/あとがきではなくて,全体としての理論的な意図や含意,各章の構成などを説明しているところにあるのかな,と。
そのようなものとして,まず塚田穂高先生から『近現代日本の宗教変動』をいただきました。ありがとうございます。「宗教運動論の展開」「地域社会と宗教」「国家と宗教」という三部からなる論文集で,実証的な立場からこの150年ほどの日本における社会変動に伴う「宗教構造」の再編を議論されています。個人的にはコラム的に世俗化論・合理的選択論に関する研究動向を整理されている大場あやさんの執筆箇所が面白かったです。宗教の選択を市場での選択に見立てる宗教市場というアイディアは十分に有り得ると思いますし,また,宗教間の選択というだけではなく,宗教と世俗行動を同一平面上で(価値合理的な行動と目的合理的な行動を「合理性」という同一平面で)議論するということもあるのではないかと思います。檀家として寄付したり,きちんと墓参りするという行動にも「機会費用」があるわけで,多くの人々が費用を重視して宗教的な行動から離れていくことで,残る人々の負担がより重いものとなって離れてしまうことを促進する,というのはたとえば集合住宅のようなものでも同じようなところがあるかもしれません。宗教的な行動の場合は,それでも残る人たちのコミットメントが強くあるということが他の行動と違いうるのかもしれませんが。
塚田先生は共著で宗教運動のオーバービュー的な論文を書かれているほか,砂川訴訟の分析をされています。合理的選択論の議論とも似ていますが,宗教施設の維持という問題が政治学でいう集合行為問題と非常に関わっているわけで,どうしてもそこに地方自治体が入ってくるというのはわかるように思います。さらに,分析されている自治体調査のデータも重要で,本来は私のような行政学者も関心を持って接するべき部分なんだということを改めて感じました。公共的な施設の管理というと,PFIや指定管理という問題が出てくるわけですが,私有物でありながら公共性をもつこのような施設の管理をどう考えるかというのは非常に現代的で重要な課題だと思います。読ませていただきながらちょっと思い出して調べたのですが,有名になる前の木村草太氏も砂川市を訪れていて,その記録を残しているのですね。賛成するかは別として,この立論というのもなかなか興味深いように思いました。

近現代日本の宗教変動─実証的宗教社会学の視座から

近現代日本の宗教変動─実証的宗教社会学の視座から

待鳥聡史・赤坂幸一,南野森,伊藤武,近藤正基,浅羽祐樹の各先生からは『「憲法改正」の比較政治学』をいただきました。これは出版の前,研究会企画の段階から話題になっていたもので,憲法学者政治学者の協働によって憲法改正の規範分析と動態分析の両面から知見を集約し,「憲法改正」とは何を意味しているかを検討したものとなっています*1。まず待鳥先生と駒村圭吾先生が理論的な視座を設定し,それを踏まえてイギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・イタリア・韓国・日本のそれぞれの国で政治学者と憲法学者がそれぞれ論文を書くという構成です。それぞれの国で政治学者のほうは改正をめぐる構想や政治過程について整理して,憲法学者が各国における憲法の理論的位置づけを論じるというかたちでの統一もなされています。政治学者のほうは憲法を中心とした「基幹的政治制度」に注目しながら分析を進める一方で,憲法学者のほうは基本的に正規の憲法典によりながら議論する,という対比もなかなか興味深いところではないかと。そういった基幹的政治制度に注目する観点から,待鳥先生が(第一章),選挙制度や執政制度,司法制度などの大きな改革を行った1990年代を「憲法政治constitutional politics」の時代とよんでいるのは,先日紹介した牧原先生の指摘とも軌を一にするところがあると言えるかもしれません。個別の章は読むのがなかなか大変そうですが,機会を見て勉強させていただきたいと思います。
「憲法改正」の比較政治学

「憲法改正」の比較政治学

西川賢先生から『ポスト・オバマのアメリカ』をいただきました。久保文明先生のもとで学ばれた方々の共同研究ということで,アメリカの長期的な変動を視野に入れながらオバマ政権をその中に位置づけて,「ポスト・オバマ」を考えるという感じなのかな,と思います。制度/アクター/政策,という三部構成からなっていますが,制度のところで大統領制・官僚制・政党制という概念が出てきて,アクターのところではメディアとシンクタンクが扱われているというのはなかなか興味深いところ。アメリカ政治のアクターってなんだろうと思うと,大統領は制度のほうで扱われてるし,政党も制度のほうで扱われてるのに加えてそもそも一体感ないし…となってやっぱりこの辺りということになるんでしょうかね。あと加えるとしたらたとえば裁判所とかになるのかな,と思ったり。なお政策については,人種政策・医療政策・対外政策とこれも大どころが扱われていると言えるのではないでしょうか。
ポスト・オバマのアメリカ

ポスト・オバマのアメリカ

さいごに野田昌吾先生と今井貴子先生からは,『保守の比較政治学』をいただきました。基本的にヨーロッパの保守政党の比較分析を行ったもので,それに日本の現代政治を加えるという構成になっています。こちらも先日紹介した宇野先生の『保守主義とは何か』が出ているように,「保守」というものをどう捉えるかというのが,現代政治における重要な論点になっていることを示していると思います。この共同研究については,第一章で古賀光生先生が全体の枠組みを整理して各章を位置づける明快な議論をされていて,非常に頭に入りやすいのではないかと。論点としては,伸長する右翼ポピュリスト政党と保守政党がどのような関係を結ぶか,というところにあって,(1)右翼ポピュリスト政党が政権に参加したイタリア・オランダ・デンマーク,(2)政権に参加したこともある既存の政党が急進化したスイス・オーストリア,(3)国政レベルでは右翼ポピュリスト政党が影響力を持たず,既存の保守政党が変容したイギリス・ドイツ,(4)右翼ポピュリスト政党を政権から排除するフランス・ベルギー・ノルウェーといった整理がされています。ヨーロッパの政党政治を参照しながら議論する本書は,現在の日本政治にとっても非常に参考になるものだと思います。ご恵与くださったお二人が議論されているイギリス・ドイツでは,社民勢力/ 緑の伸長を経て,保守側が中道を意識して政権に返り咲いていくというケースだと思いますが,そのような保守の自己革新のようなものは日本政治にとってもありうるものなのかもしれないなあという気がします(単に隣の芝生は青く見えるということなのかもしれませんが)。もちろんその前には社民勢力の伸長というこ とがあったのでしょうし,また今回のBrexitにも見られるように,保守政党が中道化していく中で不満が溜まっていくような問題もあるのでしょうが。雑な感想ですが,今回ご紹介した最近の成果は,実はそれぞれに関連して読めるところもあると思います。宗教・保守・右翼ポピュリスト政党みたいな現代政治のキーワードに加えて,これらのテーマが極めて重要になっているポストオバマ,そしてそれらが関連してくる憲法改正,みたいな。

*1:憲法学者政治学者・行政学者の協働という点では,『なぜ日本型統治システムは疲弊したのか−憲法学・政治学行政学からのアプローチ』も最近出版されています。