日本経済新聞「経済教室」への補遺(というか言い訳など)

1月9日付けで記事を書かせていただきました。「大転換に備えよ」という4回シリーズで,それまでに書かれていたのが猪木武徳先生,白石隆先生,グレンハバード先生,というほんとにビッグネームの先生方がきて僕なので,蛇足の足のところ以外の何物でもありません。しかも読んですぐにミスを発見してしまいました。最後のところ「ライフサイクル」じゃなくて「ライフスタイル」です…校正で何回も読んだのに。
内容は,基本的に今度勁草書房から出版される竹中治堅編『二つの政権交代』を用意しているときに考えていたことやリサーチの内容を反映させたものです。もともと論じたいなあと思ったのは大きく二つあって,ひとつは複数の省庁にまたがる複合的な政策を決定するときにどういう問題があるか,どのように決定するか,ということ。もうひとつはそういった問題への対応という意味もあって実現した(と考えられる)2015年の内閣府改革の成果を紹介したいことでした。後者については,しばしば「内閣府のスリム化」として議論されてきた話ですが,それは単に業務量を減らすというだけの話じゃなくて,背景には各省にわたる調整を首相のもとで実施しようとしていたことがあります。調整案件が増えると首相と官房長官の時間資源がどんどん侵食されていくわけですが,この改革では各省大臣に総合調整の権限を与えることで首相を相対的に身軽にして,代わりに相対的に「重い」大臣を設置する可能性が開かれることになりました。まあまだ明示的に使われているとはいえませんけど,非常に意義の大きい改革だと考えられるわけです。なお,実質的にすでにそのような大臣が出現している可能性を指摘しているのは御厨貴先生だと思います。『政治の眼力』で菅官房長官や麻生大臣,甘利大臣(当時)をシニアミニスターと呼んでいるのがそれにあたります。TPPを担当していた甘利大臣はまさに拙稿で指摘したようなそういう性格を持っていたように思いますが,その辺もう少し分析できるかもしれません。

他方前者については,後者でも問題になっているような調整案件について,他の国ではどうやって処理するんだろうというような問題意識からいくつか調べたような話を下敷きにしています。初めの方で読んだのは,伊藤武先生の「現代イタリアにおける年金改革の政治--「ビスマルク型」年金改革の比較と「協調」の変容」で,社会保障制度改革を考えるときに,昔ながらのコーポラティズム的な政治過程よりも政党政治次元の方が重要になっているというような示唆をいただきました。あと参考になったのは,Silja Haeusermann氏のThe Politics of Welfare State Reform in Continental Europe: Modernization in Hard Timesでしょうか。これは日本に近い「保守主義型レジーム」大陸ヨーロッパで社会保障改革(年金改革)が行われたときに,複数の政策分野をパッケージにして提示するのが重要であったことを論じるものです。あとは子育て分野について言えば,Patricia Boling氏のThe Politics of Work-Family Policiesも参考になりました。
The Politics of Welfare State Reform in Continental Europe: Modernization in Hard Times (Cambridge Studies in Comparative Politics)

The Politics of Welfare State Reform in Continental Europe: Modernization in Hard Times (Cambridge Studies in Comparative Politics)

The Politics of Work?Family Policies: Comparing Japan, France, Germany and the United States

The Politics of Work?Family Policies: Comparing Japan, France, Germany and the United States

最後の方で「ポピュリズム」の話にちょっと触れてます。これは書いてるときに,「アウトサイダーを政治過程に組み込むこと」とポピュリズムのつながりを意識したからです。しかしながら,最近のアメリカやイギリスでの「ポピュリズム」は,どちらかといえば拙稿で指摘したようなかたちで「アウトサイダー」(=ここでは女性や移民など)を政治過程に組み込んで,それを代表するような政策を実施した結果,従来の「インサイダー」が「アウトサイダー」のようなかたちになり,ある種の「反動」のように見えているところがあるのではないかと考えています。そういう話は,まさにこの原稿を書いてから接した水島治郎先生の『ポピュリズムとは何か』を読んでクリアになったところがあります。まあ水島先生が扱っている大陸諸国は基本的に比例制であって,掲げるパッケージに応じて様々な改革連合を構想することができる(=場合によって「ポピュリズム」を飼いならすことができる??)というのは日本との大きな違いだと思いますが。ただ,小選挙区制を採用する国はもとより,比例制の国でも,国民投票や大統領選挙みたいなゼロかイチかの選択のときにどういう連合形成がなされるかということが「危険」とされる「ポピュリズム」として議論されやすいので,パッケージの話とは少しずれてくるのかもしれませんが…。この辺は今後考えていきたいところです。