『熟議民主主義の困難』ほか

著者の田村哲樹先生から頂きました。バンクーバーまで送っていただきどうもありがとうございます。政治理論は私の専門ではないですが,『民主主義の条件』のような本を書いていることもあり,興味深く読ませていただきました。広い意味では私の本なども批判の対象として入ってくるのではないかなあという感じを覚えながら読むところです。それは政治理論家の,実証研究中心の議論に対する批判ではなくて,代議制民主主義を前提としつつ,その中で政党や議会の機能について議論していくもの(もっと言えばその機能不全を訴えるものも含まれるでしょう)に対して,「熟議民主主義」という異なる枠組みから批判するものと言いますか。
本書の内容は,熟議民主主義の「阻害要因」と考えられるものをテーマごとに取り上げて,それが阻害要因にはならないということを論じていくスタイルになっています。取り上げられるのは,まず「分断社会」「個人化社会」「労働中心社会」という社会のありようであり,さらには熟議民主主義の機能的代替物として考えられることがある「情念」「アーキテクチャー」,最後に熟議民主主義を論じる前提を規定しがちな問題として「親密圏」「ミニ・パブリクス」「自由民主主義」を論じると。それぞれ別に発表された論文を基にしたものであり,一部重なっているように感じるところがあります。また全体としてしばしば出てくるキーワードとして「ナッジ」「ベーシックインカム」,そして「反省性」というキーワードがあるのかなと。私の単純な理解では,熟議民主主義が擁護されるべき根拠としては,それが「反省性」の契機を含むという重要な特徴を持つところにあり,単に選好の集計を行うような(制度としての)民主主義とは違うから,ということ,そして熟議民主主義を機能させていくうえで,その参加者を対等な位置に置くことに寄与するベーシックインカムのような制度を構想する必要がある,という議論になっていくように思います。正直なところ,財源論としてそのような理屈でベーシックインカムの導入が一般にどこまで支持を受けるかという感じはありますが,政治理論的な正当化根拠として重視される可能性はあるように思います。
私自身は引用されている論文をきちんと読んでいるわけでもないので,専門的に議論する資格があるとは言えませんが,本書の中で気になったのは,「自由民主主義を超える」というのはどういうことなんだろうか,ということでした。中国やブラジルの事例も出されているところから見ると,基本的には権威主義体制でも適用可能だということなのかな,と考えたのですが,たぶんそれだけでもなく,(ここは田村先生とのメールのやり取りで感じたところですが)「自由民主義体制」というような体制レベルの議論ではなくて,集団や組織の決定としての「自由民主主義性」(ちょっとこなれない言葉ですが)の尊重(偏重?)に対するオルタナティブの提示というところがあるように思います。メンバーから選ばれた「代表」による公的な決定を集合的決定とすることに対する異議と言いますか。このあたりはなかなか上手に言語化できませんが,単に代表者がメンバーをきちんと代表できてないとか,「ボトムアップが大事」とかいうのとは違って,「反省性」をカギにしながら自由民主主義とは別の軸で評価されるシステムを議論しようということなのではないかと思います。
関連して感じるのが,「公私二元論」をどう考えるか,ということです。本書では,二元論が「自由民主主義」の重要な特徴の一つというように扱われていたと思いますが,本当にそうなのかなあと。私自身はかなり「自由民主主義」に寄った考え方をしている研究者だと思いますが,(単に勉強不足なだけという可能性はありますが)自分自身が「公私二元論」的な考え方をすることはほとんどなく,むしろほとんど一元論的な考え方を取っているように思います。はじめの著書でも,「公益」は主張の仕方によるもので私的利益と見分けがつかないという観点から書いてますし,共著の教科書でも「マンション管理組合から国際関係まで」一元的に考えていこう,というようなスタンスを取っています。なので,政治学者が一般に公私二元論に立って国家や政府というものに偏重した自由民主主義を考えているか,というとやや疑問も感じるわけですが。言い方を変えると,政治学がそういう一元論的なスタンスを取ったとき(それが支配的になるかは別として),この熟議民主主義論の居場所はどのように設定されるのだろう,と感じたわけです。自分の関心に引き付けて言えば,「マンション管理組合」の自由民主主義性というのはまあ怪しいところが多いわけで(あるいは「いかに自由民主主義的ではないか」が論点になりやすいわけで),まさに「熟議」が求められるところではありますが,そこで「熟議」がなされている状態が出現した時に,それを「自由民主主義的である」と評価してしまいそうな気はします。そこで,自由民主主義的の評価軸(まあそれも怪しいでしょうが)とは違う熟議民主主義的な評価軸があると,議論はしやすくなるのかなあ,という気がしました。この点は私にとっても重要なポイントになりそうなので,少しずつ勉強しながら田村先生にぜひ引き続き教えを請うていきたいところです。
と,専門外の人間が読んでいるので読みの正しさについてはちょっと保証できませんが,そういう人間でも思考が刺激されるという点で非常に興味深い本だと思います。

熟議民主主義の困難

熟議民主主義の困難

田村先生には,茨城大学の乙部延剛先生と共同で,もう一冊『ここから始める政治理論』もいただいておりました。ありがとうございます。こちらは有斐閣ストゥディアでの政治学シリーズ5冊目の本になります。政治を集合的決定として捉えたうえで,集合的決定が国家・政府だけで行われるものとして理解する必要はない,ということでグローバルでの正義論・民主主義論や,親密圏,フェミニズム市民社会…といったトピックについて議論されています(もちろん熟議民主主義も)。一般に政治理論というと規範を扱うという理解が多いような気がしますが(違ってたらすみません),本書では初めの方で規範的な話を扱い,そのあとは「不確実な社会における政治とは何かについて考察する」政治理論となっていきます。それは,合意について考えることであり,合意できない対立関係について考えることであるというか。挙げられるトピックは耳にすることが多い重要なものばかりですし,基礎的なところから議論されているので広く読まれるテキストになるのではないでしょうか。
ここから始める政治理論 (有斐閣ストゥディア)

ここから始める政治理論 (有斐閣ストゥディア)

また,新潟県立大学の浅羽祐樹先生には,『戦後日韓関係史』をいただきました。ありがとうございます。本書では,10年一区切りということで章をが構成されていますが,これは簡単そうに見えて難しい。スケジュールに合わせて現実が動いてくれるわけではありませんから。しかしそれぞれの10年ごとに特徴があるとすれば興味深い話だと思います。頂いて,浅羽先生のところを少し拝読しましたが,文化交流ももちろん書かれていますが基本的には外交ということで,浅羽先生の歴史編/現代政治編という感じでしょうか(あと,コラムも大変面白く読ませていただきました)。ザーッと眺めていくと,両国ともに経済成長が望めたよい時代から,お互いに成長が止まって現状維持の周辺で神経戦をせざるを得ない感じがします。個人的にも,UBCではアジア研究所にいることもあり,良くも悪くもセミナーではビッグピクチャーの話が多くなるので,それについていくためにも勉強させていただければと思っております。
戦後日韓関係史 (有斐閣アルマ)

戦後日韓関係史 (有斐閣アルマ)

それから,大学のほうに,小西砂千夫先生から『日本地方財政史』を頂いておりました。まさにこの制度についての第一人者である小西先生が,歴史的な観点から「生成と発展の論理」を論じられるのは非常に勉強になるものだと思います。歴史の本ではありますが,この分野の教科書的な性格も持っているのかもしれません。あまり取り上げられない「災害財政」や「内務省解体」についても一章を割かれているのは興味深いところです。
日本地方財政史 -- 制度の背景と文脈をとらえる

日本地方財政史 -- 制度の背景と文脈をとらえる