社会が現れるとき

宣伝ですが,東京大学出版会から出版された『社会が現れるとき』という本に,「誰が自治体再編を決めるのか-「平成の大合併」における住民投票の再検討」という論文を寄稿しました。本書は,東京大学大学院総合文化研究科で博士課程の指導教員であった山本泰先生の退職記念論文集で,学生として指導を受けたことのある研究者が寄稿するものとなっています。まさに社会学のお歴々というような方々で,私がそこに寄稿させていただいていいのかよくわかりませんが,せっかくの機会ということで参加させていただきました。

解題で佐藤俊樹先生が「執筆者のなかには…現在では社会学者を名乗っていない人もふくまれる」と書かれてますが,まあ私もその一人ということになります。とはいえ,パラパラと見ていったところ,社会学者が中心に書いているとは言っても,対象も方法も文体もバラバラで,一貫した関心を持ってこの本を読む人がどのくらいいるのかというとよくわかりませんが…。解題の中に,「「駒場社会学」を形にしたものといえるかもしれない」とありますが,それが言い得て妙ということなのかもしれません。

佐藤先生が山本先生の大学院演習について述べているのが面白くて,少し引用してみます。

何か特定の具体的な対象がとりあげられ,その解明がめざされる。そのときに焦点になったのは,それを社会によってどこまで説明できるか,ではなかった。むしろ,社会というカードを出さずにどこまで頑張れるか,だった。…(中略)…

言い換えれば,全てを社会で説明しない,社会学にしない。例えば法や経済や政治の制度で説明できるのであれば,それでよい。あるいはその方がよい。そうした可能性を検討した上で,それでも説明できない何かが残る。そこでようやく社会が出てくる。社会なるものがはじめて議論の場に現れる。そういう語り方になっていった。…(401-2頁)

これはまさにそうなんですよね。以前,『政治学の第一歩』の座談会で,「この本の1つの特徴は、…「社会」という言葉が出てこないところなんですね。」と発言してますが,これはおそらく駒場のときに受けた教育の影響が相当に大きいということもあるのだと思います。なるべく「社会」という概念を持ってこずに説明する,それでも出てこざるを得ないときに「社会」が現れてくる,それがどこになるのかというのを考えながら読むと,意外と通読することも不可能ではないのかもしれません(本なのに…(苦笑))。

私自身は,平成の大合併で行われた住民投票がどのように始められたか,そして住民投票の結果を受けてどのように合併が行われたか/行われなかったか,さらに投票率や賛成率はどのような要因に左右されたか,というようなことを分析しています。データは総務省自治行政局が2008年に行った調査のデータを使わせて頂くことができ,大変感謝しています*1。個人的な解題をちょっとだけさせていただくと,しばしば地域社会の意思表明と理解される住民投票であっても,実際はそれが議題に乗るかどうか,あるいは表明された意思が実現に移されるか,ということは自明ではなくて,これを逆にたどっていくことで「地域社会の意思」を考えることのむずかしさの一端を示すことができれば本書の趣旨と合うかなあ,と思ったりしてました。

自分自身の研究の中での位置づけというと,これまで大阪都構想関係の住民投票を観察してきて,昨年は地方自治体の政策について行われた住民投票の比較分析の論文を発表してきたことがあり,一応これまで行われてきた住民投票についてはそれなりに網羅的に分析してきたことになったかな,と思います*2。この辺の論文と,「都市の中心」の移動がらみで書いた論文や大都市の再編関係の論文などを合わせていつか一冊の本にできれば良いのですが。この本単体だと政治学者のところにはなかなか届きにくいこともありますし。

 

社会が現れるとき

社会が現れるとき

 
政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

 

 

*1:というわけで市町村課に一冊献本したのですが,なぜこの本が来たのか…と混乱させてしまったら申し訳ありません…

*2:憲法95条に基づく住民投票について個別には見てませんが