クロス選挙?雑感

大阪府知事大阪市長が辞職し,2019年4月の統一地方選挙にあわせて選挙が行われることになりました。辞めた知事が市長に,市長が知事に立候補するということで「クロス(ダブル)選挙」と呼ばれることがあるようです。やってる研究上,私自身もこの件についてしばしば取材を受けるんですが,お話していることが担当の記者さんレベルではよく伝わっているものの,まあなんかほとんどボツになったりするみたいなので,こちらの方に掲載しておきたいと思います。

まず「どう思いますか?」と聞かれるんですが,まあこれまでに維新がやってきたことを考えると,こういう手法を取ることについて不思議は全くないと。法律で明確に禁止されていないことについては基本的に選択肢に入れていると思いますし*1,それについてはあんまり躊躇がない印象だと思います。それが望ましいかどうかと言われると別問題で,個人的にはアンフェアだと思います。その理由は,基本的に11月に選挙だと考えている相手陣営に十分容易をする時間を与えていないからであって,強い立場にある現職が自由に選挙時期を変更するのは一般的にフェアではないと考えるからです(その辺については下のリンク)。で,もう10年近く大阪で政権取ってる維新は,挑戦者というより権力者という立場なわけですから,それがアンフェアな手法を取ると政治不信を招くので好ましくないでしょう,と。

ただそうは言っても,こういう手法に出ようというのはまあわかることはわかります。結局のところ,都構想の方は,地方レベルの自民党公明党の反対でどうも動かない,中央から手を回そうとしてもダメ(この辺は旧いですがたとえば『中央公論』の拙論文,状況はあんま変わってないと思います)ということで,維新が府議会・市議会で過半数を取らないとどうしようもない,と。本来は都構想の内容で府市民の注目を集めて議会での過半数を取ることを狙うのが筋なのでしょうが,内容へのアピールだけではどうにもならず,橋下氏というリーダーも居なくなった中で,注目を集めて地方議会で過半数を取ることができる仕掛けがこれしかないと言えばたぶんそうなんだろうなあと。

注目が高まれば維新が有利かというのは,(住民投票でそういうところがあったように)必ずしも良くわかりませんが,少なくとも地方議会の選挙を考えると有利という判断は働きやすいように思います。大阪市が発表した年齢別の投票率を見ると,市議会では若年層が圧倒的に少なくて中年から投票率が上がる傾向が強く,それに対して市長選挙では若年層が参加しています(この辺を『18歳からの民主主義』に寄稿しました)。大阪市は比較的定数が少ないですが,それでも中選挙区制に見られる個人投票の傾向があって,政党が有権者にとって有効なラベルになりにくく,候補者を知らない/特に関係ないと思う若年有権者はあまり投票に行かないのだろうと。それが同時選挙によって投票に行くと議員でも維新に入れてくれる→普通に考えたら過半数が厳しい市議会でも戦える,という計算はありうると思います。個人的にはそういう計算自体を否定する気はないし,(少なくとも現状では)どっちかというと統一選挙でやった方がよいと思っているので,たとえば1年くらい前からクロスで同時選挙やるぞ!とか言っていれば,アンフェアだと思うことはなかったでしょう。

で,一生懸命記者の方に話しても基本的にボツになっているのですが,今回の一連の決定で一番興味深い点は,維新にとって現知事・現市長のパーソナリティが二の次になっている点だと思います。まあ市長が知事をやっても知事が市長をやっても大して変わらないと。これは言い換えると,政党としての意思決定こそが重要で,個々の意思決定なんてあんまり意味がないと言っているようでもあります。維新という政党にとって,知事や市長のポストというのは,政党としての政策実現を果たすためのリソースに過ぎず,候補者個人にとってどういう意味を持つかということはあまり注目されていない。これは「政党がなじまない」と言われ続けてきた日本の地方政治にとってすごく大きな出来事だと思うんですよね。その背景には,私がこれまでいろいろ書いてきたように,大阪府市というのが日本の地方政治の中で特別に小選挙区「っぽい」選挙制度になっているということもありますし,善教さんが書いているように維新が採ってきた政党中心の戦略が定着しているということもあると思いますが*2

この間の動きが脱法的と批判を受けてる理由のひとつは,地方政治をめぐる議論がこういう「政党としての動き」に慣れていないことにもあるように思います。知事・市長が極めて強い自律性と個性を持つ存在であるべき,という見方からすればそういう入れ替えは受け入れられないでしょう。しかし,個人よりも組織としての決定が重要な政党から見れば,まあ知事と市長を入れ替えてもあんま変わらんし何が問題かわからん,という感覚はありうると思います。もしそれがダメだというなら,あらかじめ政党としての行動を念頭においてダメだという規制をしておくべきだと思いますが,そもそも私たちの地方政治ではその辺をほとんど考えてこなかったんじゃないか,と感じるところです。そういったことを考え合わせると,政党としての維新に,政党になり切れない連合が政党っぽく戦うというのはまあ非常に厳しい話になるわけで,結局個人に焦点を合わせようとするように思います。まあ今後の報道の展開などにも左右されるのでしょうし,予測は仕事の外ですが,それなりに求心力のある政党に対して個人で戦うには,ある程度のストーリーがないと大変だろうなあという気がします。 

維新支持の分析 -- ポピュリズムか,有権者の合理性か

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民主主義の条件

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18歳からの民主主義 (岩波新書)

18歳からの民主主義 (岩波新書)

 

*1:明確にダメだとされていることについて検討するとしたのが某「専決処分」でしたが,これは結局やっていません。この点については当然ながら正しい判断だったと思います。

*2:どうでもいい余談ですが,だからあの本のタイトルを『地方政党の誕生』にしたらどうかと言ったんですが一蹴されました。全く正しい判断だと思いますがw