『二重らせん』

すき間時間に読み進めていた中川一徳『二重らせん』をやっと読んだ。前著『メディアの支配者』を引き継ぐものでめちゃくちゃ面白いテーマで詳細な記述は相変わらずすごいけど,今回は(たぶん前回よりも)知らない人名がいっぱい出てくるのですき間で読むのは大変だった…。

『メディアの支配者』から引き継ぐテーマとして,電波という公共の資産を使っている放送局が,いかに公共の利益よりも私的な利益の追求に向かいがちになっているかということがこれでもかというくらい描かれる。テレ朝・旺文社の赤尾氏をはじめ,テレビ局や新聞社の創業に関わった人たちが,それ故に多くの株式をもって公益企業に影響を与えつつ,自己利益を追求しようとする姿勢は,正直読んでるだけで嫌気がさしてくる。そして,創業期に生まれたいびつな資本構成がよくわからない利益追求の余地を生み,それを狙う新規参入者が出現する…とその繰り返し。

もちろん,『メディアの支配者』以降のライブドア村上ファンドとフジテレビや関連会社・鹿内宏明氏らを含めたニッポン放送の争奪戦の部分は細かい描写も充実しているし,著者の見立てや感想も非常に面白いのだけど,個人的にはそれより前史的な第1章の話やあまり詳らかにされてこなかったテレビ朝日についての話が興味深かった。戦後,電波という希少な資源をめぐって競争が生まれる中で,いかにも「日本的」な足して二で割るみたいな解決で放送局の資本構成が決まり,全国レベルの放送局がその桎梏に苦しみながらも地方レベルで同じような放送局を巡る競争を行って,またいびつな資本構成の企業が生み出されていく,という。全国レベルの番組を買ってきて地方レベルで流すだけ,という地方局は,地方レベルの資本家にとってめちゃくちゃおいしいビジネスだし,その裁定を行う田中角栄やそれに連なる政治家が,その利益を梃子に影響力を拡大するというのはなるほどなあと。まあ「公共の資産」である電波を使って行われてることなんですが。

こういう描写っていうのは,企業における政治みたいな研究につながってくるものなんでしょうかね。企業における政治っていうと何となくアクターは従業員と資本家,って感じなのかなあという印象があったけど,こういう本を読んでいると,株式を持っている資本家が影響力や利益の最大化を図って合従連衡するのはまさに「政治」のように見える。一般化するのは難しそうだけど。 

二重らせん 欲望と喧噪のメディア

二重らせん 欲望と喧噪のメディア