今年の○冊(2015年)

もう年末ということになりました。この数年続けている博士論文をもとにした著書の紹介の季節ということで。もともとは2010年に日本政治関連の博論出版が相次いだのを見てそれを紹介しようと思って始めたのですが,当時と比べると最近は現代日本政治関係の博論出版がちょっと減ってるのかな,という感じがします。その中で唯一(?)多いのは地方自治関係だと思いますが,辻陽『戦後日本地方政治史論』稲垣浩『戦後地方自治と組織編成』ヒジノ・ケン『日本のローカルデモクラシー』といった本が出ていました。

日本のローカルデモクラシー

日本のローカルデモクラシー

ここ数年,政治史を専門にされている人が対象とする時代もずいぶん下ってきました。今年個人的に一番面白かったのが,戦時中の政党政治を分析した米山忠寛先生の『昭和立憲制の再建1932-1945』です。戦時中と言えば,大正デモクラシーで花開いた政党政治が「崩壊」したあとの暗黒時代であって,大政翼賛会を中心とした翼賛選挙とその後の軍部による政権掌握(軍事政権??)で政党の存在感というものはなくなってしまった,つまり政党政治が存続したとして分析するような視野からは外れているというような見方が強いのではないかと思います。しかし本書では,515事件後の挙国一致内閣(斉藤実→岡田啓介),広田弘毅林銑十郎内閣を経て近衛文麿内閣以降でも政治家たちが政党形成・再建を考えながら行動している様子が描かれています。議会があり選挙がある以上,政治家は民意を背にして「合理的」に多数派形成や政権に近づくことを考えるということだと思いますが,そういった営みが戦時中でもきちんと繰り広げられているのは当たり前のようで,しかしこれまでそういう分析がなされていたわけでもないように思います。時代ごとに区切られた3章について,それぞれ政党・議会の様子を追う1節,その正統性についての関係者の説明(憲政論)を追う2節,そして具体的な政策対立の存在する問題として戦時税制を扱う3節が続く構成になっていて,それも非常に読みやすいと思いました。本書の試みは,本書でも書かれているように,戦時中の政治をすべて戦争に従属させるような理解をするのではなく,さまざまな制約がありながらも議会・政党が戦争をコントロールしようとするという見方でこの間の政党政治を説明するものということだと思います。戦争というのはあまりにも多方面に強い影響があるので,何でもそれを起点に議論がなされることがありますが,そうではなくて議会の政党政治家としては将来のこと(勝っても負けても生じるインフレとか)を考えながら意思決定をしなくてはいけないし,実際にやろうとしていたところがあるということで,戦時税制をテーマにするのは非常に納得できる話でした。
とりわけ興味深く読んだのが,さまざまなアクターが国内の統合を試みていくプロセスです。大正デモクラシー期までは統合の主体となっていた政党が腐敗などに対する批判でその機能を失っていく中で,まずは政党自身が外部から新たな統合のきっかけ(具体的には近衛文麿,のちに阿部信行)を招いて新党を創設することでもう一度統合の主体になろうとしたこと,そして「軍は継続して体制の破壊者であった訳ではない」(334頁)という観点から,当初政党の腐敗を批判していた軍部がいやでも「執政」を行うことになっていくわけで,そうすると自分たち自身が責任をもって執政を行わなくてはいけない中で,その体制それ自体を否定するわけにもいかず,議会に対して国民の統合を求める立場として体制運営を進めるようになるというのも目から鱗というところがありました。特に軍部内閣の初期には政党が政権崩壊の引き金を引くようなこともあり,また太平洋戦争がはじまるともとの政党政治家たちが従来の政党の枠を外しながらも,「挙国一致」を名目にそれを調達できる議会として国内のほかの政治勢力に対して影響力を行使しようとしていくわけです。そういう過程がタイトルの「昭和立憲制の再建」に込められているということだろうと。
上記辻さんや稲垣さんの分析が歴史よりで,1950年代ころからの分析になっているのに対して,政治史のほうがもう戦時中まで分析の対象となってきて,両者の境目は何なんだろうという感じが強くなってきたと言えるかもしれません。さらに日本政治外交史に至っては,すでに田中内閣や大平内閣までが分析対象になっています。まだ読めていないのですが,武田悠先生の『「経済大国」日本の対米協調』や白鳥潤一郎先生の『「経済大国」日本の外交』などは1970年代の外交について分析しているようで,当時の首相の政治指導を議論するとすれば,まさに「政治学」の分析対象とも重なってくるわけです。歴史家のアプローチによる内政についての分析は資料的な制約からまだ難しい,とも言われますが,別に現代政治をやっているから資料を無視していいわけでもなく,これまでに行われてきた研究のより詳細な検討やオーラルヒストリーの活用などが論点になっていくのかもしれません*1
昭和立憲制の再建 1932?1945年

昭和立憲制の再建 1932?1945年

次に,「政治学」というよりも隣接ディシプリンから現代日本政治の分析を行なっている研究が面白かったという感じがありました。まず塚田穂高先生の『宗教と政治の転轍点』は宗教学からの分析で,天皇制とは全く異質な思想史的系譜を持つ宗教が独自のユートピアを掲げて新党を結成し,政治進出してきたという主張が分析されています。公明党についての分析は結党時から政界進出時が中心ですが,現在の公明党を考えるときの示唆は大きいでしょう。最近でいえば幸福実現党についての記述は非常に厚いですし,女性党とかこれまで(ネタとしてはしられていたものの)ほとんど焦点を当てられてこなかった政党についてきちんと調べているのも素晴らしい。逆に天皇制に親和的な宗教は新党結成ではないかたちで政治との関係を持つということで,最近地方議会関係でもよく話題になる「日本会議」についても豊富な情報があります。さまざまな意味で、政治学(や憲法)でも議論すべきだがなかなかできて来なかったところに光を当てた研究だと思いました。塚田先生の日本会議についての議論はこちらでも。
宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学

宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学

それから,稲増一憲先生の『政治を語るフレーム』。こちらは社会心理学から日本政治を分析したもので,政治家やマスコミなどの政治エリートが提示する公的な政治を見るフレームと,一般の有権者が政治を語るフレームがどのように違っているか,そして有権者の政治をみるフレームが政治関心や参加にどのように影響するか,と言ったことをサーベイデータやインタビューを使って分析されています。マスメディアが「争点」として掲げているテーマがあっても有権者が実はそれで投票行動を決めているわけではないということはありうるわけで(本書でも2007年参院選を対象に分析されています),両者がずれることは十分にありうるわけです。有権者が基本的に直接経験しないこと(安保問題など)では公的な語りが争点を構造化しやすいのに対して,一般の有権者が直接体験したことがあるテーマではそれがズレるというのは非常に興味深い指摘で,イグナティエフが書いていた「すべての政治はローカルである」という話を思い出します*2。個人的には,特に質的な調査(半構造化面接)で一般有権者の政治を語るフレームを抽出していく6章がすごく面白かったです。洗練された公的な理解であるところの抽象的な政治の概念化だけではない,(それに対する抵抗も含めて)私的な関心から公共性を見出していくことを評価する,ということが,公私の境界が見えにくくなっている現代において重要だというのは全く指摘の通りだと思いました。あと,気のせいかもしれませんが今年は比較政治の博論をよく読んだと思います。当然以前から比較政治や地域研究で博論をもとにした本はたくさん出ていたと思うのですが,自分がやっているのと似たようなアプローチや関心の本が今年はすごく多かったような気がします。増えたのか,と一瞬思ったのですが,たぶん僕の関心がそっちに近づいているんでしょう。日本政治を中心に紹介するエントリ(だったはず)ですが,面白いと思った本が多いのでそちらもすこし。日本語で書かれているものの,海外の研究に新しい知見を加えようという野心的なものが多くて,これから先こういう書籍の出版はどうなっていくんだろうか,と思うところがあります。
まずは「バルト三国」のラトビアエストニアを比較した中井遼先生の『デモクラシーと民族問題』。こちらで詳細を書いてますが,これは非常に素晴らしい本だったと思います。そしてお隣のロシア連邦について,地方政治を中心に分析した油本真理先生の『現代ロシアの政治変容と地方』も面白く読みました。1990年代には安定した与党が存在しなかったのに2000年代に入るとプーチンが指導する「統一ロシア」という圧倒的な政権党ができるようになった変化のプロセスで何が起きたのか,ということに注目して議論します。本書によれば,重要なのは政治に関与する地方エリートと政党の関係であり,地方エリートが連邦レベルでの安定与党に積極的に参加しようとしたことであると言います。分析では州政府と州都行政府の関係にも焦点が当てられていますが*3,中央集権化で州政府の知事が中央の政権党に取り込まれていく中で,(都市地域である)州都行政府が民主化勢力の拠点になったりする/反対に州都行政府が弱い州では一党優位が浸透する,というのは日本の府県と県庁所在市の関係となんとなく比べてみても興味深いものだと思います。両書とも,日本から見るとやや縁遠い地域だと思いますが,そこでフィールドワークを進めつつ,優れたリサーチデザインを立てて議論するというのは素晴らしいものだと思います。より法的な議論に近いところでの本として,まず荒木隆人先生の『カナダ連邦政治とケベック政治闘争』も勉強になりました。カナダは連邦国家の代表例として挙げられる国のひとつで,僕も教科書や講義で説明していますが,やはり詳細を見ると非常に複雑な過程を背負った連邦制だということがよくわかります。もともとオンタリオ(アッパーカナダ/英語圏)とケベック(ロウワ―カナダ/仏語圏)の結合として生まれたカナダ(自治領)が,西側に広がっていくとともに英語話者が増えていき,その中でケベックを「ネイション」として認めるかどうかという問題が深刻になっていきます。本書では,1967年から82年まで(イギリスからカナダに正式に憲法が移管されるのが1982年)のケベックの問題をめぐる「憲法闘争」をピエール・トルドー連邦首相(今のカナダ首相のお父さん)とルネ・レヴェックケベック州首相の主張を丁寧に読み解く形で分析しています。カナダが一つの「ネイション」か,カナダの中にケベックという特別な「ネイション」を認めるかという問題について,特にフランス語話者の権利をどのように保護するかということに沿って分析していますが,言語の決定は個人的なものである(トルドー)か集団的・社会的なものである(レヴェック)かという議論は,連邦制という枠組みを超えて参照されるところがあるように思います。個人的にもカナダの連邦政治の展開について非常に勉強になりました*4
もうひとつ,梅川健先生の『大統領が変えるアメリカの三権分立』も政治についてのメタルールを扱っているものだと思います。具体的には,憲法が変わらずそのため大統領−議会関係が変わらない中で,大統領が政策実現に影響力を行使する手法として,議会が決めた立法の一部について独自解釈のもとで議会の意図に従った執行をしないこともあるという「署名時声明」(法案を正式に法律にする大統領署名を行うときに出す声明)という行動がどのようにとられてきたのかということを分析したものです。これが「制度」と呼ぶべきものかはよく分かりませんが,大統領を有利にするような単独行動の慣行をどのように作ってきたか,ということが分析の中心になるわけですが,カーターのときの大統領の執行に対する議会拒否権に対する牽制からはじまって,大統領の法解釈を法曹に伝える道具となり(レーガン),それがさらに大統領が独自に政策を変更する手段(ブッシュ)となっていく様子を,司法省や大統領の法律顧問など政権内部の法律家の議論を追いながら分析しています。憲法にそのまま書いていないところで,その解釈をめぐって立法府・司法府・執政府での相互作用を通じて落とし所として制度化がされていくのは,まさに憲法政治の事例ということで非常に興味深いものでしょう。あとは,自分の最近の仕事関係ですが,インドネシア関係で地方政治を扱っているものを2つ。岡本先生のはすでに紹介したものですが,日本のインドネシア研究というのは非常に層が厚いようなので,これから先も増えていくのではないかというように思います。今年もいろいろ読むものが多く,気のせいかもしれませんが,主張が明確で分析の水準が高いものが増えているように思います。やはり博論を出さないといけないというのが徹底されてきて,しかもその中でよいものが書籍になるということで単にセレクションバイアスなのかもしれませんが。
この今年の○冊も6回目になりましたが,まあそろそろ潮時かなと思います。6年たつ中で,僕の同世代の人たちの博論が一通り出てきて,今年はかなり年下の人たちの本も多くて,なんかえらそうに紹介するのも気が引けますし(上の人のほうがこういう紹介はやっぱり書きやすい)。最近はいただきものの紹介だけで手いっぱいですが,まあできれば読んでるときにちょこちょこ紹介するものを増やせれば…と思うところです。

*1:博論ではないですがごく最近出版されたものを見ても同じことが言えるように思います。たとえば福永文夫先生編の『「第二の戦後」の形成過程』や服部龍二先生の『中曽根康弘』があります。

あと福永先生の本にひきつけて言うと,今年は編集方針が明確で力の入った編著本が多かったように思います。『統治の条件』『アカウンタビリティ改革の政治学』『自民党政治の源流』『野党とは何か』など。これからこういう本が増えていくと良いのですが。
統治の条件-民主党に見る政権運営と党内統治

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アカウンタビリティ改革の政治学

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自民党政治の源流―事前審査制の史的検証

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*2:マイケル・イグナティエフ『火と灰』,風行社,2015年

火と灰―アマチュア政治家の成功と失敗

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*3:あともうひとつ共産党地方委員会も

*4:ただちょっと気になったのは,1992年の国民投票の結果(152頁)ちょっと間違ってるというかやや文章変じゃないですかね?賛成が上回ったのはニューファンドランド・プリンスエドワードアイランド・ニューブルスウィックのように思います。ブリティッシュコロンビアはともかく「ほとんどの州で全く支持されなかった」というのはちょっと強いような