専門家・専門知識

東京大学の若林悠先生に『日本気象行政史の研究』を頂きました。どうもありがとうございます。本書は,気象行政というややマイナーな領域を対象としつつ,その領域において官僚制がどのようにその専門性を発展させていったのかについて非常に刺激的な議論をしているものです。重要なのは社会における「専門性」の評価であるところの「評判」で,「専門性」と「評判」はまあ先行研究でもしばしば結び付けられる話ですが,それを考えるにあたって「エキスパート・ジャッジメント」と「機械的客観性」という聞きなれない言葉が本書の鍵概念となっています。前者は専門家としての(優れた)判断であり,後者は専門家であればいわば誰がやっても同じ結論を出すという判断,ということになるかなと。気象行政における官僚制は,もともと他にいない専門家としての「エキスパート・ジャッジメント」を社会に評価される(=評判を高める)ということを重視してきたものが*1第二次世界大戦後の気象行政の再構築の中で防災官庁としての意義を強調し「機械的客観性」を重視するようになってきた,と。しかし,1980年代ころから天気予報解説などに関わる民間の気象会社が存在感を増している中で,それとの競争のなかでの「エキスパート・ジャッジメント」を意識するかたちになっている,という感じでしょうか。 

このような議論を行うときに,気象行政というのはとてもうまい題材だったと思います。その一方で,他の分野についてはどうなんだろう,という感じもありました。普通の「専門性」といえば,まあ伝統的には技官ですし,最近であれば本書で最後にちょっと触れられている経済学者みたいなものも入ると思いますが,そういうものの場合,官庁が独占的に「専門性」を保持していたり,まあその言いかえですが,官庁の外部よりも優れた「エキスパート・ジャッジメント」ができるということはやや考えにくいのではないか,という気がするところです。多くの「専門性」が出てくる領域では,官庁の外に養成機関や試験などがあって,必ずしもその中のベスト&ブライテストが官庁に入ってくるとも言えないわけで(まあ日本はそれでも比較的優秀層が入ってたんでしょうが)。
そういう前提のもとで,「専門性」をもった領域が必ずしも自律的であるというわけではなくて,その領域の中に存在する行政組織の内と外に強い境界がある,という問題が出てくるんだと思います。専門家が行政組織で働いているというのではなくて,行政組織で働く人を専門家と呼ぶ,みたいな。日本の官庁の場合,ふつうに「エキスパート・ジャッジメント」で戦うと民間(というか官庁組織の外)に負ける可能性が低くない中で,官庁が情報を独占することによって別の土俵で競争することにしていたようなところがあるのではないか,という印象があります。気象庁の場合にはウェザーニュースに「指導」できたりするわけですが,それはやや特殊なところがあるのではないか,と。とはいえ,その特殊性自体は本書の中でも認識されているように思いましたし,うまく浮彫にされているとは思いましたが。

今後という意味では,民間の気象会社が衛星を打ち上げたりして情報を独自に獲得するようになるでしょうから,そのときにどうなるかというのが論点かもしれません。ただ個人的にはそれに加えて「防災官庁」としての行く末が気になるところです。正直,本書を拝読するまでは気象庁が「防災官庁」であるという意識はあまりなかったのですが,確かに防災においては重要な役割を果たすと思います。現在防災(復興)庁も含めていろいろ議論が出ているわけで,その中で気象庁はどういう位置に置かれるんだろうか。

日本気象行政史の研究: 天気予報における官僚制と社会

日本気象行政史の研究: 天気予報における官僚制と社会

 

もうひとつ,アジア・パシフィック・イニシアティブの船橋洋一先生から『シンクタンクとは何か』を頂きました。どうもありがとうございます。アメリカを中心とした他のシンクタンクとの比較を踏まえつつ,ご自身がシンクタンクを立ち上げるという経験をされている中で考えられたことを中心にシンクタンクについて論じられています。海外のシンクタンク事情については知らないことばかりですし,何より登場するシンクタンクの人々が活き活きと描かれているのを非常に面白く読みました。

本書で扱われているのは,基本的に社会科学系の「専門性」に依拠したシンクタンクで,そこで重要になってるのはまさに「評判」なんですよね。若林先生の分析枠組みを借りると,経済学については自然科学っぽいところもあるかもしれませんが,政策アナリストや特に国際政治に関するシンクタンクの場合は「機械的客観性」を担保するのはほとんどムリなわけですから,そこで重要になってくるのは「エキスパート・ジャッジメント」ということになってくると思います。シンクタンクにとっては他より優れた「エキスパート・ジャッジメント」ができるといったような評判を作ることが組織を維持するのに大事になるわけで,それをめぐる競争というのを垣間見ることができます。

本書では基本的にシンクタンクの方に焦点を当ててるわけですが,やはり若林先生の本を踏まえて考えてみると,そういうシンクタンク間の競争が重要だというときに,官僚組織はどういう役割を果たすんだろうというのも気になるところです。官僚組織にしかない情報やデータというのがあって,(もちろんシンクタンクが独自に情報を取るとしても)それがシンクタンクにとっても死活的に重要になってくるのだと思うのですが,官僚組織としても競争相手なので喜んでディスクローズしたいってわけでもないと思うんですよねえ。「回転ドア」という労働市場を通じてつながってるからこそ情報の流通が起きるのかもしれませんが…と,読んでるときはあんまり考えてませんでしたが,二冊一緒に読むとより面白いかもしれません。 

*1:まあ結局軍部との「エキスパート・ジャッジメント」の競合があってうまくいかないという話になるわけですが。