『指紋と近代』

朝日新聞の報道によると,りそな銀行が印鑑の取り扱いをやめて,生体認証も含めた他の方法による本人確認に移行していくという。

りそなホールディングスは3年後をめどに、住宅ローンや口座開設などの手続きで印鑑を押すことを原則として取りやめる。大手行では初の試み。利用者の手間を減らせるうえ、銀行側も、事務を減らして行員を営業の強化に回せる。印鑑の使用を取りやめる動きは他行にもあり、銀行手続きから印鑑が消える日も遠くなさそうだ。
東和浩社長が19日、朝日新聞の取材に明らかにした。東社長は「(印鑑をなくせば)業務は百八十度変わり、極力効率化できる」などと語った。
現在、りそなでは口座の開設や預金者の住所変更、住宅ローン契約を結んだときなどに、印鑑を押してもらっている。多い場合には一つの手続きで10カ所以上に押すこともあるという。
今後は、担保の設定など、行政への手続上不可欠な場合を除いて印鑑を原則不要にする。ICチップ付きのキャッシュカードや指の静脈を利用した生体認証で本人確認する。
りそな銀、印鑑やめます 大手行初、3年後めど

最近銀行にいって,外為関係の手続きをするときに,当然まあマイナンバーは要求されるだろうと思って通知カードを持って行ったものの*1,印鑑を忘れて出直しに…。あらあらとは思ったものの,しばらく使っていない銀行カードの利用だったしまあ本人確認も難しいから仕方ないなあと思いつつ,窓口では「マイナンバー入ったのにまだ印鑑使うんですねえ」と意味ない嫌味を言ってしまった*2。今回の報道によれば,りそな銀行は印鑑による本人確認を止めて,他の手段にするという方針をとることになったというわけだが,そこで出てくるのがICチップ付キャッシュカードや指の静脈を利用した生体認証ということ。本人確認をするために,その本人にしか知り得ない情報(パスワードなど:ただし忘れることがある),本人しか持ち得ない何かの実体(印鑑やICカード・免許証の券面など:ただしなくすことがある)に依拠する必要があるわけだが,本人確認の難しさは,その情報や何かの実体が本人と基本的に離れていないようにして欲しいというところにある。忘れてしまうパスワードや身につけていないものではその人本人であるという同一性の証明が難しくなるわけだ。
静脈や虹彩,そして『指紋と近代』で取り上げているような指紋などは,このように本人しか知り得ない・持ち得ないものであると同時に,基本的に常にその人とともにあるという意味で本人確認を行うために非常に適した道具であると言える。ただし,このように本人にとって便利な本人確認の手段は,国家/政府にとっても便利な本人確認の手段でもある。特に,人々が生まれた土地から切り離されて移動を行うような近代国家では,移動する人々が誰なのかということを管理する要請が強まり,指紋はそのような管理を行う便利な手段として重宝されることになったわけだ。本書では,まず指紋がどのような経緯で本人確認の手段として用いられるようになったかを明らかにしたうえで(1章),日本に指紋管理が導入されて「満州国」といういわば実験国家で主に移動する人々(主に中国からの出稼ぎの労働者)を管理する手段として利用されていたことを記述していく。1章はお話として本当に面白いし,満州国の話についてももともと「国民」を管理しようとしたものの国民自体の定義が難しくて挫折していく過程は非常に興味深い*3。そして戦後では日本における指紋管理として,国民レベルの把握とその挫折,愛知県における奇妙な継続(6章)と外国人登録制度(7章)について扱い,指紋を通じた国家による国民管理の論点について浮き彫りにしていく。つまり,戦前と連続するかたちで,指紋登録を強制的にさせられない中でどのように「自発性」を確保するか,そして戸籍で管理されていない「移動する」外国人をどのように管理するかという問題が出てくることになる。この辺りについては遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史』でも扱われているわけだが,移動する人々を管理する問題のあわせ鏡として,移動しない〜戸籍で管理される人々の問題も考えることになってくる。とはいえ最近は戸籍で管理されてきた人たちもさんざん移動してバラバラになり,戸籍の自由な閲覧も(当然に)制限される方向だから,より包括的な管理の必要が生まれているということかもしれない。
最近の状況変化は,本書の終章で議論されているように,管理する技術が長足の進歩を遂げているということももちろん極めて大きいわけだが,行政国家化・サービス国家化が進展する中で,人々が行政の提供するサービスと無縁であるわけにもいかず,「自発性」を確保しやすくなっているところにもあるのではないか。もう少し正確にいえば,「自発性」によらないで生きていくのが非常にめんどくさくなっているというべきか。しかも,りそな銀行の例があるように,国家/政府のみならず,民間企業がそのような情報を収集・管理してしまうという。近代国家が一元的に人々の情報を管理するというビッグブラザー的世界というよりも,なんかよくわからないうちに多くの企業が人々の情報を勝手に収集・管理してしまうわけで,まあよりめんどくさい話だとも言える。ビッグブラザーに対しては,政府にそんな権限を移譲してやらないっていう自由主義的なメインの話として議論されやすいと思うけども,自由な意思決定主体であるところの企業がこれをやりだすと,がんばって人々の代表でつくる政府としてきちんとコントロールするという民主主義的な解決が浮上せざるを得ないようにも思う。まあもちろんそれでビッグブラザーができてくるっていう話もありうるのかもしれないけども…。難しい…。

指紋と近代――移動する身体の管理と統治の技法

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戸籍と国籍の近現代史―民族・血統・日本人

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*1:残念ながら個人番号カードは持っていないので…実際のところ今依頼しても数ヶ月は発行されないらしいし。

*2:はあ何のことでしょう?という反応だったので嫌味にも何もなってないわけだが…。

*3:「五族共和」を謳うなかで,満州国民というのを作ろうとしたときに,日本人をそこに帰化させるかどうかという問題が出てくる。