今年の◯冊(2014年)

恒例でやっております今年の○冊の季節になりました。2010年からやってるので5回目になりますね。年々しんどくなってく気がしますが、このコーナーだけは読んでくださる方がどうもいるようなので、気力の限りは続けていきたいと思っております。とはいえ、在外研究にでも出ると終了、ということになるかもしれませんが…。一応注意書きですが、一年のうちで出版された現代日本政治(+僕が読む政治史系)に関する博論を紹介していくものですので、ふつうの「おすすめ本」とはやや違うことを留保させてください。だいたい値段が張る本が多いので、買って読むのは敷居が高いと思われますが、ご関心のむきはぜひ近所の図書館に購入を希望を!
まず、2014年の前半でいくつか出てきたのは、市民と政治の関係についての実証分析であったように思います。日本政治の博論ではデータの制約もあるために、僕自身もそうですが選挙や財政に関する変数を使いながら、政治エリートに注目したものが多くなっていると思いますが、最近では一般の市民を対象としたサーベイを活用できる余地が大きくなっていることもあり、そういったサーベイデータを使いながら市民と政治の関係を実証的に分析できるようになっています。もちろん、雑誌に掲載される論文では少し前からも見られる傾向なわけですが、博士論文をもとにした出版というメディアでもそういう傾向が出てきたのは特筆すべきことかと。
その中で荒井紀一郎『参加のメカニズム』は、さまざなかたちでの政治参加についてのこれまでの議論を整理した上で、投票参加という最も伝統的に扱われてきた政治参加の形態について、有権者の「学習」に注目した分析を行っています。サーベイデータを使うだけではなくて、シミュレーションや実験というようなこれまで政治学ではあまり使われてこなかったような方法を用いながら、有権者が選挙ごとの判断に基づいて投票参加するわけではなく、これまでの行動とその経験に対する評価に基づいて投票参加を行っているという議論はなかなか興味深いものだと思います。ざっくり言えば、若いときに特定の政策選好を持って選挙に行く有権者は、支持政党の勝利を経験すればその後も投票参加を続けるけども、支持政党が敗北してしまうと棄権を繰り返すようになるというような、経験がその後の行動を規定するようなタイプの学習が重要になることが論じられています。他方で勝ち馬に乗るような投票行動をする人は、年をとっても「気まぐれな」参加者としての行動習慣が築かれていくと。最近の日本政治では、2005年−2012年の衆議院選挙のようにわりと極端なスイングが観察されるわけですが、このような経験は有権者のどのような学習を促すのだろうか、と考えさせるものになっています。
選挙に代表される「政治」ではなく「行政」の方に注目したものとしては、以前も紹介した松岡京美『行政の行動』では、行政と市民のインターフェイスである「政策実施」の分析が行われています。こちらは市民の変化を分析するというよりは、行政が政策実施を行う中で課題を発見するときにどのような変化が観察されるかを分析したものという感じでしょうか。また、小田切康彦『行政―市民間協働の効用』は、行政の現場(?)でしばしば口にされる市民との「協働」をおそらくはじめて分析したものでしょう。非常に捉えにくい概念ですが(便利使いされてるので)、先行研究をたどってなんとか概念化を試みたうえで、職員へのアンケートやインタビューを用いた実証分析を行う労作です。概念の変数化には相当苦労されていて、どうかなあと思うところもありますが、一定の理論的背景を基礎に実証的なアプローチを取ろうとする試みは非常に貴重だと思います。個人的には、第3章で行われていたインタビューを通じた行政における「協働」理解の概念化というアプローチがなかなか面白いと思いました。内容分析ともちょっと違うようですが、特に行政においては彼らを動かす「理論」/ドクトリンの重要性が指摘されているわけですから、それを見つけ出すような試みは行政学として非常に重要だということかもしれません。
田切先生のご著書では、「協働」が行政職員の意識に対してどのような影響を与えているのか、といった分析も行われていますが、これは非常に重要な視角だと思います。僕自身も「協働」に関する自治体の審議会などに出たりすることがあるのですが、そういった場では「協働」して行う事業が他の事業とどのように違うのか、定量的に測るのは難しいかもしれないけど定性的に何が違いうるのか、ということが議論されることがあります。それは(ヘタすると市民の「動員」と捉えられる危険性もある)「協働」の意義を説明するという観点からは非常に重要ですが、それだけではなく「協働」という営みが行政職員の行動や意識を変えるという効果も考えられるとなると、行政の内部的にもその意義を説明できる可能性が開かれることになると思います。ひとつのヒントとして、特に行政から大学院に来ている人などに読んでほしいなあ、と思いました。

参加のメカニズム―民主主義に適応する市民の動態

参加のメカニズム―民主主義に適応する市民の動態

行政―市民間協働の効用: 実証的接近

行政―市民間協働の効用: 実証的接近

次に、大規模公共事業についての歴史的な検討を行うものが目立ちました。梶原健嗣『戦後河川行政とダム開発』は、利根川を中心にダム事業についての分析を行ったもので、その内容は非常に精緻で納得できるものであると思います。おおまかな議論としては、戦後(特に1960年代後半以降)のダム開発は主に「利水」を目的としてきたものの、近年の節水技術の普及や人口の伸びの停滞によって利水需要が停滞する中で、ダム事業を実施する正統性が失われつつあること(特に八ッ場ダム徳山ダムという大規模事業)、一方ダムを作るもうひとつの重要な目的である「治水」については情報公開も十分ではなく科学的な合理性という観点から問題があること*1、そして大規模事業で「利水」を進め、しかも「治水」を非合理的なものとしている原因として多目的ダムという制度に問題があることが示されています。水需要がいかに飽和しているか、また治水のための河川計画がいかに科学的な合理性に欠けるか、という議論については、非常に専門的な分析とはなっていますが、順をおって読んでいけば著者の主張がきちんと理解できる構成になっており、「謎解き」を読んでいくような感覚もありました。また、その「謎解き」に必要不可欠な情報公開については、政権交代の影響(特に馬淵澄夫国交大臣の役割)が非常に大きいことがよくわかります。
著者は政治学者というよりは、法律や環境工学を中心に学際的に研究されている方ということですが、公共政策の妥当性を検証するという観点では、行政学や公共政策に対する貢献も非常に大きいもので、個人的には今年のベスト、という感じがあります。ただ、値段が高いし大部であって読み進めるのに根性がいるかもしれませんが…敢えて言えば、もう少し内容を絞って短くまとめたものであれば読者も増えたであろうことが惜しいような気がします。もちろん、ここまで書いていることが本書の魅力であることは間違いないのですが。個人的には、利水目的のダム開発の拡大と、東京という都市の発展の関わりが非常に興味深いものでした。大阪では淀川という天然の水源が充実していることもあって、都市水源をめぐる問題としては水道配水がメインになっている印象がありますが、東京の場合は膨張する人口を抱えて県外のダム開発に水源を求めることが要請され、それを実現するために国政レベルの意思決定がなされていると。水利権をどう調整するか、というのはまさに伝統的な政治の問題であるわけですが、首都の水不足の解消のために特例的な法律が作られ、そのもとでダム開発が進められていくというのは「国家」と「首都」の強い結びつきを改めて想起させます。稲吉晃『海港の政治史』は、タイトルのとおりですが、近代日本における「海港」をめぐる政治について論じたものです。個人的にも港湾都市を中心とした研究にちょっと関わっていることがあって、非常に興味深く読めました。本書で議論されているように、港湾には関連するアクターがたくさん存在する一方で、特別な責任を認められるアクター(=主役)がいないので、その存在をめぐる「政治」が問題になります。あとがきにあるように、主要な制度(港湾法)が結局戦後になるまで制定されなかったために、制度を作る試みが繰り返されて、関連するアクターが時間とともに変わることになります。本書はその歴史について、「ローカル・インタレスト」を中心に丁寧に描き出しているといえます。多額の費用がかかるのに、ふつうの地域住民には(物理的にも)目に見えた成果が見えにくい港湾事業を、地域全体の利益として認識させることが難しい中で、地方長官をはじめとした政治家・官僚などが「ローカル・インタレスト」として費用をかけることを認めさせ、さらに国政政党(政友会)とつながるかたちで国から資金を引き出しながら港湾整備を行ってきたことが議論されていると思います。
ポイントになるのは「港湾行政の一元化」で、これは現在でも引き続き問題になっているわけですが、端的にいうと港湾を管理する主体が港湾管理から利益を引き出し、そのために自ら費用を調達することを認めるかどうか、という点にあるのだと思います。税関を管理する大蔵省(特に大きい港湾を中心に)や、地元の有力な実業家の一部などは、いわば自律的に経営可能な港湾の存在を望むところがありますが、内務省(や府県)は必ずしもそうでないところがあるのだと思います(ここは著者の理解と違うかもしれません)。本書を読んで個人的に重要だと感じたポイントは、内務省としては港湾というのは私的な経営資源ではなく「公物」であるとみなしていたところで、まず公的なインフラとして整備することを重視した上でそこに様々な事業を乗せる、という感じであった点だと思います*2。なぜこれがポイントになるかというと、「公物」であるから国からの補助を受けながら整備するという発想が強くなるわけで、国政政党がそのような(「ローカル・インタレスト」を実現するという)「ナショナル・インタレスト」(=要するに利害調整)を背景に動きつつ、地方の側ではなんとか部分的な負担が可能になるくらいの費用を集めればよい、という行動をもたらすからです。経営が成り立つような港湾を作るほどの負担はしたくないけど立派な港湾が欲しい、という行動が可能になると、自前で港湾を整備しようする主体がいるとしても、将来国の補助を受けたライバルが出現して損をしてしまう可能性を考えてしまうのでなかなか資本投下ができない、結局補助金の出し手である国とライバルの動きを見ながら(港湾として経営は多少度外視しても)整備を進めるという行動が促されるのではないかという印象を受けました。これができるようになったのは、二章や四章などでも議論されているように、政党(というか地元利益を考える議員)が法案というかたちで議会に持ち込めるということが大きかったのでしょう。結果として、国際的に競争できる大きな港湾を作るという「ナショナル・インタレスト」がなかなか実現されないというのは、まさに今に至る問題だと思います*3
このような国の補助金の出し方に対する批判はありえますが、同時に「公物管理」の重要性はあるわけで、そのような論点は現在の地方分権でも続いています。そういう問題に改めて光を当てる本だと思いました。他にも、個人的には大阪の築港の問題についての政治的対立の叙述は特に興味深く読めるところでした。なお、戦後の港湾行政については常葉大学に行った林昌宏さんが博論で書いてますので、本書を踏まえた大きな議論を期待したいところです。
海港の政治史―明治から戦後へ―

海港の政治史―明治から戦後へ―

さらに、このような大規模公共事業を実現可能にしてきた地方財政制度についての議論も出版されています。和足憲明『地方財政赤字の実証分析』は、以前も紹介しましたが、日本のほかに英米仏独の四カ国の地方債制度について検討した上で、日本の地方財政制度において赤字が大きくなっていくメカニズムについて議論し、ラディカルと言える結論を提示しています。また、佐藤健太郎『<平等>理念と政治』では、戦前の地方財政制度における「平等」理念をたどりつつ、それが政治過程の中でどのような意味を持ってきたかについてを議論しています(本ブログでの紹介はこちら。基本的には「画一的な行政」を実施するための負担の側の議論がメインだということになりますが、大規模公共事業に対する補助がどのような「平等」を作り出すのか、ということも議論できるのかもしれません。歴史でいうと、明治の統治機構について議論をするものとして、若月剛史『戦前日本の政党内閣と官僚制』、久保田哲『元老院の研究』が目を引きました(すみません、まだちゃんと読めてません)。明治憲法下で、どのように社会を統合するかというのは非常に大きな問題であり、これは現在にも続く問題であると思いますが、「元老院」のような機関がどのような役割を果たしうるのか、また「政党」がどのような役割を果たしたかの分析は、これまでの日本社会のチャレンジから教訓を得るために非常に重要なものだと思います。特に政党についていえば、今年は博論じゃないですけどこれはおすすめということで(高いけど)すでに紹介した村井良太『政党内閣制の展開と崩壊 1927〜36年』も出版されました。
戦前日本の政党内閣と官僚制

戦前日本の政党内閣と官僚制

元老院の研究

元老院の研究

政党内閣制の展開と崩壊 一九二七~三六年

政党内閣制の展開と崩壊 一九二七~三六年

それから、年末になって最近はあまり見られなかった公務員制度についての研究が2つ出版されることになりました。ひとつは前田健太郎『市民を雇わない国家』で、本ブログでその内容を紹介したところ、これまでにないアクセスとブックマークを頂きとてもびっくりしました…。やはり公務員制度改革に対する社会的な関心が非常に高いということなのではないか、と思ったりします…*4。そしてもう一冊は、出雲明子『公務員制度改革と政治主導』ということで、共著の仕事もさせていただいたことがある出雲さんのご研究をまとめられたものになっています。まだ入手してないので読めてませんが、ぜひ年末年始に読みたい一冊ですね。
公務員制度改革と政治主導: 戦後日本の政治任用制

公務員制度改革と政治主導: 戦後日本の政治任用制

最後に、やや毛色が違いますが、池島祥文『国際機関の政治経済学』を。著者は開発経済/農業経済の方のようで、政治学とは違うのですが、分析対象は国連機関(FAOなど)の政策実施のようなところであり、加盟国に拠出金を依存する国連機関がどのような自律性を持てるのか、持っているのかという問題意識で議論されているところは、政治学の分析にも通じるところだと思いました。最近では曽我謙悟先生の『行政学』でも国際行政の話をマルチレベル・ガバナンスという枠組みの中で議論されていて、本書をそういった観点から読むこともできると思います。事例が少ないのはちょっと残念だと思いましたが、UNDPや民間セクターといった資金の出し手との関係を考えながら、具体的な政策実施を議論していくものなので、関係ある行政学系の方にも参考になるのではないかと思います*5
国際機関の政治経済学

国際機関の政治経済学

こうやってみると、最近の傾向がよく出てますね。一般市民へのサーベイ、行政の政策実施、それから統治機構+公務員制度っていう感じですか。まあ博論では社会的に問題になっているところを一生懸命研究しようとなるはずだと思いますが、まさにそういう傾向が出ている感じですね。こういう研究の社会的含意を整理して提示する、というようなこともきちんと考える必要があると思いますし、そういう仕事もなかなか面白そうだなあ、と思うところです。しかし何より来年もこのコーナーを継続できるように博論を元にした本書が出版され、僕が読む時間をとれることを祈りたいものです…。

*1:特に雨の降り方によって必要なダムについての考え方が変わってくる、というのは当たり前のようではありますが極めて重要な指摘だと思いました。最近では、降雨については地震や火山噴火など他の災害と比べて予知可能性が高く、技術的にリスクのコントロールができるようになりつつあるわけですから、防災のためにその知見を活かそうとする努力が必要なことは言を俟たないでしょう。

*2:地方分権改革推進委員会の議論を聞いていると、国交省はいまでもそんな感じのように思います。

*3:前の記事で挙げたスコッチポルの議論を参照すると、国のほうが「選択と集中」をせずに公物管理としてある程度費用を出すということになった時点で、そこに利益を感じる人々が組織化を進めて利益の実現を目指すというのはある意味真っ当な話なのでしょうが。

*4:しかし、このブログ経由で本書が一冊も売れなかったらしい(苦笑)という事実は、この問題に対する関心のもたれ方を示しているような気もします…。

*5:関連する書籍としては、僕は読めてませんが、田所昌幸先生の『国連財政』があるのかと思います。ただこれも1996年の本ですから、そろそろ新しい研究が出る頃なのかもしれません。

国連財政―予算から見た国連の実像

国連財政―予算から見た国連の実像