売文生活

日垣隆がTVのワイドショーに出ていたとき、ものすごくまともなことをいうわりに非常にエキセントリックな人として扱われているなぁ、となんとなく思っていたのですが。まあ彼が言っていることは「社会規範」というよりもなんか世の中の期待していることと違うんでしょうな。やっぱり一瞬でTVで見なくなっちゃったし(最近出てるのかなぁ)。404 Blog Not FoundのDanさんも、TVで昔見たときに(最近も出ているらしいが)すごくエキセントリックな人扱いされてたし。いや、「空気」は怖い。
さて、日垣隆は本を次のように締めくくっている。

文士には、金銭欲や出世欲など不釣合いです。しかし、思う存分に得心の行く作品を書き続けるためには、一家のやりくりにエネルギーを削がれない程度の収入はなければなりません。
それこそが、「お金も自由も」という、今後掲げられるべき売文生活のスローガンです。

別に彼は、何かを書く人に無条件にお金を遣れなんていっているわけではなくて、需要のある文章を書いている人にはそれなりに報酬があるべきという当然のことを言っているに過ぎない。少なくとも重要なのは、「お金か自由か」という二者択一ではなくて、それを共に(ある程度)満たすことは認められるべきだ、という主張。
これはまあ一部我々研究者についても言えることじゃないだろうか。まあ正直なところ需要が少ない分、百歩譲っていただいて「公共財」ということにしていただいたとして、供給する意味のある財かどうか、ということはいつも考えておかないといけないわけで。評価は難しいけど。少なくとも、それが認められているのであれば、同じように「お金(というより生活)も自由も」ということは普通に主張してもいいような気がしますが。少なくとも、(常勤の)大学教員であればOKで、大学院生あるいはテニュアもっていない研究者であればNG、というのはロジックが立たないように思うのですが。もちろん、大学教員と呼ばれる人たちは「意味のある」公共財を供給していて、そうでない人はそうでない、という風にカテゴリと供給する財が一致するならそうなんでしょうが…そうなんすか?
しかし、この一文は僕らにも当てはまることで自戒しつつ面白かった。

さて、あなたの原稿は売れはじめ、あちこちから依頼が来はじめた。あなたはその依頼を、ひとつでも、ことわってはならない。どんなに原稿料が安かろうと、どんなに自分に向いていないテーマの依頼が来ようと、全部引き受けなさい。それこそが量産の練習であって、よく言われるような、才能の浪費などではない。その程度のことでダメになるようなら、あなたはもともとダメなのだし、何をやったってダメだ。よくよく気に食わない依頼をことわるようになるのは、流行作家になってからである。(筒井康隆の文章からの引用、p.130)

基本的に研究者も同じだと思うんだけどな。違うのかなぁ…。

売文生活 (ちくま新書)

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