学説史研究

いや、別に学説史を否定するつもりは毛頭ないのですが。
ただ、学説史が、世界を理解するためにどういう風な貢献をすることができる(かもしれない)ということを説明する気くらいはあってもいいんじゃないかなぁ、とこっそり思ったりして。高名な思想家/理論家が何と言っていても、それを無謬と考えて研究するのはどうも…。途中で理屈が変わってきているのであれば、それはその思想家/理論家がやっぱり従来の議論ではどっか説明できないところがあると考えたからなんじゃないか、と思ったりするのですが、そういう疑問を挟むのはやはり「空気が読めてない」のでしょうか。