政党化?

この数日の大阪の地方政治は、公募区長の就任のような大きな動きとともに、なかなか興味深い論点がいくつか出ていたのではないかと思う。いくつかあるが、まずは大阪維新の会が「政党化」を目指すという話。毎日新聞の記事では、かなり細かいところまでフォローされている。

クローズアップ2012:維新の会、政党へ 政界流動化に拍車
毎日新聞 2012年08月02日 東京朝刊
 「大阪維新の会」幹事長の松井一郎大阪府知事は1日の記者会見で、次期衆院選をにらみ、現職国会議員を5人以上取り込み、維新の政党化を図る方針を明らかにした。与野党国会議員有権者の既成政党離れに直面し、維新との連携に期待感が強い。維新の政党化の動きが現職国会議員の離党を促し、選挙前の政界再編につながる可能性もある。【平野光芳、坂口裕彦、木下訓明】
 「政党の形をつくらなければ、戦いにならない。悔いなく戦うためにも、政党と同じ扱いをしてもらえる体制をつくりたい」
 松井氏は1日の記者会見でこう語り、具体的な時期は避けつつも、維新の政党化に強い意欲を示した。維新はこれまで、既成政党と一線を画し、清新なイメージを強調できる地域政党のまま国政に挑戦することも検討。ある維新関係者は「野武士集団が東京に殴り込んでいくイメージがある」と分析していた。
 それでも政党化を目指すのは、次期衆院選に盤石の体制で臨むためだ。法的に政治団体と位置づけられる地域政党は、衆院小選挙区比例代表との重複立候補が認められていないなど制約が多い。松井氏は会見で「政党と地域政党では、メディアの取り扱いも全然違ってくる」と強調した。(以下略)

もともと大阪維新の会は十分に政党として機能していると考えられるので、「政党化」というのはなかなか意味分からない。しかしこれは、「日本の法律で政党として認められること」を指すマスメディア特有の言葉となっている。日本において「政党」というものが定義されている法律はふたつあって、それは政治資金規正法と政党助成法なのだが、それによる政党の定義は、「当該政治団体に所属する衆議院議員または参議院議員を5人以上有するもの」と,「直近において行われた衆議院議員総選挙または直近2回の参議院議員通常選挙のいずれかにおいて有効投票の2%以上の得票をした政治団体」である*1。これを満たしていないものは、機能的に政党であったとしても、法律的には政党として認められない、ということになる。
大阪維新の会が「政党化」を目指すというとき、後者の条件は選挙を経ないと達成できないから、必然的に前者の条件を満たすことを狙うことになる。それは言うまでもなく、現職の国会議員を引き抜くことになる。ただまあ正確に言えば、5人以上の「大阪維新の会」という政党を結成させて、現在の政治団体「大阪維新の会」がその政党に加わるという妙な手続きが必要になるのではないかと思われる。
法律が認める政党になることができれば、政党助成金を受けることができるし、選挙においては小選挙区比例区の重複立候補が認められる他、政治活動のビラを撒いたりNHK政見放送を行うことができる。ただまあ次の選挙はおそらく法的にグレーなところは残しつつ、インターネットのプレゼンスが高まることが予想されるから、問題になるのは政党助成金と重複立候補の問題に限ってもいいのではないか。報道ベースでは、とりわけ重複立候補の問題が重視されているようだが、これはまあ当然で、小選挙区でどのくらい勝てるかわからない上に、比例で一定の得票が見込めるという感じだと、(1)まずたくさんの候補が必要とされるし、(2)不確実性の高い小選挙区制に出る候補たちが、確実性の高い比例の候補たちに対して嫉妬というか不公平感を感じる可能性が高いから、だろう。重複立候補が可能であれば、この問題はある程度解決することができる。
政党になると大阪維新の会にとってはいいことずくめで、なびく議員なんていくらでもいるんだから、そんなことは適当にやればいいじゃないか、と言うのは簡単だが、多分それは違う。決定的に難しいのは、国会議員大阪維新の会のいうことを聞かせるしくみが全く欠けていることだ。特に、われわれはいま民主党の教訓をよく知っている。(相対的に)選挙活動が少なく、ほとんど政党の「風」だけで当選することができた比例名簿下位の当選者すら、民主党執行部の言うことを聞かず、結局離党することになった*2
大阪維新の会になびく国会議員たちは、選挙の前(事前)には大阪維新の会の言うことに全て従うのが合理的に見えるが(じゃないと選挙に通らない)、選挙の後(事後)には選挙が遠のくので、大阪維新の会の言うことを聞くより、自分自身や限られた支持者のいうことを聞くほうが合理的になる。そして、そういう動きを掣肘するのは解散権や人事権、あるいは財源配分なんかが必要になるけれども、連立政権だとそれを十分に使いこなすのは難しい(もし野党なんかになったら一瞬で求心力をなくすでしょう)。松井知事と橋下市長の意見の相違は多分この辺にある。実際に維新の会の府議市議にいうことを聞かせるのが難しいことを知ってる市長の方が、国会議員を取り込むことの難しさをよくわかってるんじゃないか、という気はするが。
個人的には、大阪維新の会が今後も持続可能な政党になるためには、ここで政党組織をどう作るかというのが決定的に重要になるのではないかと考えるところ。つまり、言葉の真の意味で「政党化」が必要だ、ということである。組織を作るというのは、結局のところ集団の中で序列をつけることにほかならない。上位の機関で決めたことを、下位の構成員は遵守するということになる。それは、国会議員であっても地方議員であっても同じで、もし組織として重要な決定に違反するようであれば、すぐに除名なり何なりをできるということでもある。以前に私塾と政党というエントリでも触れたが、私塾というのは、結局のところ、それを政党のように(近代組織として)ルール化して行うわけではなく、ある種の教育を通じて価値を内面化することを目指すところがあり、大阪維新の会をはじめ最近の地方政党は私塾というかたちでこの問題を解決しようとしているようにも見える。
私塾の難しさは、結局のところ塾で講じられる「教義」に対する近さを持って序列を作るくらいしか考えにくいところだろう。それっていうのは結局塾頭への忠誠競争になるような感じもある。いかにして近代政党としてリーダー(たち)を選出する仕組みを作るか、というのが問題になる。これは、以前の日本の政党(典型的には自民党)ができていたことかといえば、必ずしもそうではなくて、おそらくある時期まで続いていた戦前的秩序感が崩れたあとに自民党内で序列をつけることができた唯一のツールは「当選回数」だったんだろう。上位者が落選しない限り年功を覆せないというルールでは、それにふさわしい資質が担保されない限り求心力を保持し続けるのは難しい、というのは、自民党の教訓でもある。
政党内での選挙などのルールに基づいて序列をうまく作ることができれば、別に国会議員の引き抜きは要らないような気もする*3。名目的な序列にはあんまり意味がなくて、それこそ当選回数みたいなものが大きな根拠になるだけだから、実質的な序列を作れれば、ということだけど。例えば、序列の高い構成員は、絶対当選しそうな比例上位や大阪市内の中心部の小選挙区で処遇して、序列が低くなるに連れて比例下位や周辺的な小選挙区を戦うということがありうるかもしれない(だから重複立候補の有無は関係ない)。ポイントは、選挙よりも政党への帰属意識が重要であり、だからこそ選挙における努力を個人でするのは勝手だけど、選挙の結果(例えば得票数)が序列に反映されることはない、というところだろう。2009年総選挙直後の民主党は、これと全く真逆のことをした結果として、どんどん求心力を落としていったのではないか、と思うのだが。

Democracy Within Parties: Candidate Selection Methods and Their Political Consequences (Comparative Politics)

Democracy Within Parties: Candidate Selection Methods and Their Political Consequences (Comparative Politics)

Cohesion and Discipline in Legislatures (Library of Legislative Studies)

Cohesion and Discipline in Legislatures (Library of Legislative Studies)

*1:なお,後者の要件については,選挙区あるいは比例代表のいずれかで2%以上の得票があればよいとされている。

*2:この辺りのキッチリした議論は、例えば『「政治主導」の教訓』の木寺論文を参照。

「政治主導」の教訓: 政権交代は何をもたらしたのか

「政治主導」の教訓: 政権交代は何をもたらしたのか

*3:やや逆説的だが、国会議員も込みでうまく序列を作ることができれば、いた方がいないよりはいいわけだから、引き抜きがあったほうがいいという考え方もある。