イデオロギーと日本政治

少し前ですが,早稲田大学の遠藤晶久先生から『イデオロギーと日本政治-世代で異なる「保守」と「革新」』を頂いておりました。どうもありがとうございます。もともと英語での著書として書かれたものを日本語に翻訳して出版されているもので,若年層と高齢層で政党のイデオロギー位置についての認識に差異が生じるという本書の分析結果は,2014年にその原型が論文(『アステイオン』80号)として発表されたときからすでに注目を浴びていたように思います。参議院通常選挙が近づいている中で,選挙での選択には直接関係しないかもしれませんが,イデオロギーという観点から政党の位置づけを改めて考えるのにも非常に有益になるのではないでしょうか。

本書では,様々な世論調査のデータを用いて,世代ごと・グループごと,あるいは章によっては国ごとに,有権者がどのようなイデオロギーを持っていると考えられるかが議論されていきます。「イデオロギー」とは定義が難しいですが,本書では「有権者が政治的な世界の意味を理解し,様々な政策争点について政党の立場の違いを理解し,それにしたがって投票所で選択をするための地図を構成する,その枠組み」(p. 14)と定義されています。もう少しざっくり言えば,色んな主張をしている複数の政党を一元的に比較する尺度という風に考えてもよいでしょう。そのようなイデオロギーは,「右派-左派」「保守-革新」「保守-リベラル」など色々な呼ばれ方をします。その違いは,対象とするイデオロギーが何に規定されているか――安全保障に対する態度,経済政策に対する態度,価値観に対する態度,中央集権・地方分権に対する態度などによって規定されると考えらていれます――によって異なりうるわけですが,呼ばれ方はともかくまあその軸はざっくり言うと重なっていく(=一元的な尺度として理解できる)と考えられてきたわけです。日本について具体的に言えば,改憲か護憲かという安全保障での「右派-左派」と,小さな政府か大きな政府かという経済次元での「保守-革新」,伝統的価値観かジェンダー平等のような新しい価値観かという価値次元での「保守-リベラル」みたいなものがまあ大体重なると*1。実際,イデオロギーの測定の仕方は違うのですが,長年にわたる朝日新聞の調査を見てみると有権者の政策位置は中道を中心に分布していて,自民党が「右」,野党が「左」という傾向にあることがうかがえます。

www.asahi.com

本書の分析を通じた発見は,日本におけるイデオロギーが,基本的に安全保障次元(改憲自衛隊容認か護憲・自衛隊否認か)の対立に基礎づけられていたこと,そして冷戦が終わり1990年代の政治改革を経て,高齢層は従来と同じような形でイデオロギーを用いて政党の政策位置を認知する傾向を持つのに対して,若年層はそもそもイデオロギーを通じて政党間の差異を認知するのが難しくなっており,かつ「保守-革新」のようなイデオロギーでは高齢層と異なるかたちで政党を配置している――伝統的に「革新」として認知されてきた共産党が「保守」の方に位置付けられ,「保守」と理解されがちな日本維新の会みんなの党などを「革新」として認知している――ことが示されています。イデオロギーのラベル(右-左,保守-革新,保守-リベラル)が重なっているかどうかを議論した5章・6章は特に興味深くて,右-左を使うと高齢層から若年層まで比較的同じような順序で政党を配置するものの若年層には「わからない」が頻発し,保守-革新が従来のイデオロギーと違って政党が改革志向かどうかという次元で捉えられていることが示されます。

これはちょうどこの前のエントリでの,参議院選挙の対立軸について経済教室に寄稿した内容とも重なってきます。伝統的な左右の定義に挑戦するような新しい対立軸――このブログのエントリでは生活保障-社会的投資ですが,現状維持-改革と重なるところもあるでしょう――が出現して,二つの軸によって政党の政策位置が理解されるようになるのか,と。もちろん,これまでも「脱物質的価値」のように,そのような新しい軸の議論はあったわけですが,左右のイデオロギーがその争点を吸収し,次第に直交ではなく一軸上に収斂するかたちで理解される傾向があったともされます(3章)。現状の日本を考えると,左派・改革(社会的投資),右派・現状維持(生活保障)というグループが弱くて*2,左派・現状維持(生活保障) vs. 右派・改革(社会的投資)という軸に収れんする可能性がないわけではないでしょう。とはいえ,現状で若年層が伝統的なイデオロギーとは違うかたちで政党の政策位置を捉えている中で,政党の方がどのようにその支持を取り付けるか,ということが焦点になることを,本書は示唆しているように思います。

このような対立軸だけでなく,本書は多くの読みどころがあります。とりわけ,しばしば指摘される「若年層の右傾化」というようなことはデータ的には全然言えなくて,むしろ(他の国と比べるとそれほどでもないものの)「左傾化」しているという指摘(8章)は非常に貴重なものではないでしょうか。しかし自民党も野党(民主党)と同程度に左派の票を獲得することができているような状態で,しかも若年層において従来のイデオロギーによる政党の理解が弱まり「改革」を訴える右派(自民党も含む)への投票もしばしば行われています。本書の見立てでは,野党の方がそのような若年層を取り込むことができない中で「若者が政党支持を決めるときには,自民党化他の政党か無党派かという選択ではなく,自民党無党派かという2択しかない」のであり,だからこそ投票参加した人のなかでは自民党への支持が大きくなり,「右傾化」しているようにも見えるのだろうということになります。個人的にも納得できる解釈であり,この若者との関係をどのようにつかむか,ということが野党にとって最も大きな課題となることを強く示唆しているように思います。 

イデオロギーと日本政治―世代で異なる「保守」と「革新」

イデオロギーと日本政治―世代で異なる「保守」と「革新」

 
Generational Gap in Japanese Politics: A Longitudinal Study of Political Attitudes and Behaviour (English Edition)

Generational Gap in Japanese Politics: A Longitudinal Study of Political Attitudes and Behaviour (English Edition)

 

*1:中央地方軸は微妙で,ヨーロッパなんかの文脈では一般的に右派は地方分権=身近な範囲での自治を主張するのに対して左派は集権的に福祉国家を進める,という感じなのですが,日本だと右派が集権を主張して左派が地方分権を主張するねじれみたいなのがずっとあるような気がします。

*2:右派の生活保障は,日本の文脈だと公共事業ということになるでしょうか。