比較政治・国際政治研究

これまで年末に頂いた本をざっと紹介していたりしたのだけど,去年は最後までバタバタしていたおかげでなかなかその時間が取れず,年明けにやろうと思っても体調を崩してこれもまた難しかった。まあ時間がないのも原因ですが,何よりたくさん研究書が出ていてそれを頂いていたりするので追いつかないというのが実情です。

せめて単著本は頑張って読みたいと思っているところですが,まず最近頂いたもののうち,比較政治・国際政治に関わるものをご紹介します。筑波大学の外山文子先生から『タイ民主化憲法改革』を頂きました。ありがとうございます。本書では,しばしばクーデターが起きて「憲法改革」が行われるタイにおいて,そこで強調される「立憲主義」と民主化について論じられるものです。最近の日本でもそうですが,一般的に,立憲主義というのは民主主義とともにある考え方で,「法の支配」というかたちで強調されるわけですが,実際のところ民主主義というよりは個人の人権を守ることを志向する自由主義の発想に近いわけです。比較政治の分野で立憲主義というと違憲審査のように通常の民主的なプロセスで作られた法よりも高次の法Higher lawがありうるか,みたいな感じで測られたりするわけですが,そこでポイントとして,誰がその自由主義の守護者になるか,という論点が出てきます。

いわゆる先進民主主義国であれば,民主的に選ばれた政府が,いわば「賢明なる自己抑制」として,専門的な裁判官を選び,政府が間違いうることを認めたうえで個人の人権を守るための機構として裁判所のような非選出の独立機関を作ります。それに対して,本書が扱うタイの事例では,必ずしも立法府の「賢明なる自己抑制」とは違っていて,むしろ(クーデターで民主政権を転覆させる)軍や官僚などが「立憲主義」という名のもとに立法府の権限を弱めていくことが論じられます。近年途上国を中心に「政治の司法化」のようなことが論じられ,民主的なプロセスを経て立法を行うところよりも,法的な判断を扱うところが政治的な争点になることが議論されることがあるわけですが,本書ではタイにおいてそういった「政治の司法化」が起きている歴史的,そして知識社会学的な背景を論じつつ,具体的に裁判所を中心とした独立機関(選挙管理委員会なども含む)が選挙・政党のあり方について詳細な規制を行ったり,汚職の定義を拡げたりしていくことで,政党や政治家という民主主義のプレイヤーに対して強い影響を与えていることが説明されています。

裁判所だけではなく選挙実施機関なんかもすごく強くなるというのは,タイに限らず他の国,アジアであればインドネシアや韓国などでも見られることで,非常に興味深い事例研究になっていると思います。なぜそれが起こるかということを確定的に論じることは難しいですが,本書の議論では,立憲主義の導入によって民主主義の質を高めるということがうたわれつつ,旧体制エリートの権益保護という側面もあるのではないかという興味深い指摘も行われています。

すごい細かい点なんですが,一個だけ気になったのが,タイの1997年憲法改革以前の選挙制度で,本書では中選挙区制(たぶん日本と同じSNTV)と書かれてるんですが,1990年代以前の制度はSNTVじゃなくてBlock Voteじゃないですかね(以前に何かで読んだ記憶とネットでざっと調べた範囲なのであんま自信ないですが)。ひとつの選挙区から複数選出なのは一緒ですが,有権者の方が複数票を持つということで,そうすると「票買いvote buying」が起こりやすいのもまあわかるかなあと。あと,たぶん2007年はSNTVなんだと思うのですが,これは基本的に定数が3以下ということのようなので,日本的な中選挙区制というよりは,小選挙区もあって二人区が多い,(悪名高い)チリの「比例制」っぽい選挙制度のように思いました。 

タイ民主化と憲法改革: 立憲主義は民主主義を救ったか (地域研究叢書)

タイ民主化と憲法改革: 立憲主義は民主主義を救ったか (地域研究叢書)

 

 続いて,早稲田大学の久保慶一先生から,『争われる正義』を頂きました。どうもありがとうございます。旧ユーゴのセルビアを中心として,戦後の移行期正義について検討された研究です。歴史的な経緯の記述や政権ごとの事例分析に加えて,新聞記事のテキスト分析や地元の研究機関と一緒に実施された社会調査の分析など,まさにマルチメソッドの非常に充実した分析だと思います。個人的には,極めて複雑な歴史的過程と,おそらく日本人には非常に覚えにくい人名・地名・政党名に苦しみましたがとても勉強になりました。これだけのものを書かれる背後にはさらに複雑・難解な事実の積み重ねがあるのだろうと想像すると,執筆は本当に大変なご苦労だったことかと思います。

本書を通じて,もちろん旧ユーゴの和解が非常に困難なプロセスだということを理解できるのですが,同時に日韓関係のような関係の難しさも浮き彫りにされているような気がします。政権や政党の立場によって責任追及や謝罪の行われ方が変わるという困難は同じでしょうし,それに加えて旧ユーゴの場合には色々問題含みであるとしても和解を促進する重要なアクターであるEUのような超国家機関があるわけですが,日韓(というか普通の二国間関係)の場合にそういう機関はないわけで…。バイの関係だとどうしてもゼロサムになりがちななか,下支えするマルチな関係というのが不可欠なのではないかと感じるところがありました。現状の東アジアだとそういう機関の構想はなかなか難しそうですが…。

争われる正義 -- 旧ユーゴ地域の政党政治と移行期正義

争われる正義 -- 旧ユーゴ地域の政党政治と移行期正義

 

 同じく早稲田大学の多湖淳先生からは『戦争とは何か』を頂きました。多湖さんは年末に日本学術振興会賞を受賞して(おめでとうございます!),さらに新書と大活躍です。本書は,「あとがき」にも書かれていますように,一緒に作った『政治学の第一歩』の10章の議論を大幅に(本になってるわけですから)増補したものになっていて,なぜ戦争が起こるのかということを,交渉の失敗という観点から,科学的な実証研究の知見を説明していくものとなっています。新書ですし広く読んでいただきたいと思うのですが,知的な関心として戦争が起きる原因を探求するというだけでなく,過去の経験に学んで原因を知り,将来の不毛な戦争を回避すべきだという著者の強い意志が感じられるものになっていると思います。

科学的な研究というと,それぞれに特性や歴史的な経緯を持つ個々の国/事例について述べることは少ないと思われがちで,だからこそ具体的な政策形成の場面などでは政治史・外交史の知識のほうが有用視されがちというところはあります。本書では,もちろんそういった知識の重要性を認めたうえで,科学的な実証研究から個別のケースである日本についてどのような示唆を得ることができるかについて1章を割いているのは重要な特徴でしょう。まず先行研究から日本の現状の安全保障環境について解説したうえで,多湖さん自身がやってるサーベイ実験などを通じて,現状の日本が抱える領土問題や抑止の問題について科学的な知見を提供しています。もちろん,そう言った実証分析が重要なのは間違いないんですが,本書がそれだけでないのは,あくまで理論的な見通しに基づいた実証分析が行われている,ということだと思います。理論があるからこそ集めたデータについて解釈できるし,それに基づいて示唆を議論できる,そういうことをきちんと示そうとする本であるように思います。 

戦争とは何か-国際政治学の挑戦 (中公新書)

戦争とは何か-国際政治学の挑戦 (中公新書)

 
政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

政治学の第一歩 (有斐閣ストゥディア)

 

 もうひとつ,これもやはり早稲田大学の政所大輔先生から『保護する責任』を頂きました。どうもありがとうございます。深刻な人道危機が起きてその当事国で危機にある人々を保護できないとき,国際社会が介入して保護を行うべきかということは,個人の普遍的な人権の尊重と国家主権への不可侵という二つの重要な命題の間で困難な問題となってきました。近年では,人道危機から個人を保護することを国家と国際社会に求め,最終的に国連を中心に武力を用いて介入することまで認められることのある「保護する責任」という発想が広がっています。本書では,この「保護する責任」という発想が,規範として形成される動態について跡付けて分析したものです。この規範を掲げるアクターが戦略的に行動し,様々な他のアクターを巻き込み規範を変容させながら,規範が具体的に保護/介入として実現されていく過程を描いています。

本書はコンストラクティビズムに依拠して規範に分析しているもので,基本的に「保護する責任」という規範自体に内在する意味や論理,それから関係者による解釈が中心となっています。しかし,こうやって「保護する責任」という概念が広がっていくのを見ると,同時期(少し前?)に日本も中心となって提示された「人間の安全保障」というよく似た概念のことを思い起こさずにはいられません。慶応の鶴岡先生が書かれているこちらの記事で,「日本が主導したはずの「人間の安全保障」についても、行動ではなく理念ばかりが議論されることになってしまったことを、緒方氏は嘆いたのである」とありますが,これは本書で議論されているようにアクターの戦略の違いや,実施との関係が重要であったということを示すのかもしれません。 

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保護する責任: 変容する主権と人道の国際規範

保護する責任: 変容する主権と人道の国際規範