地方議会に非拘束式比例制を導入するとどうなるだろうかー疑問にお答えして

大佛次郎論壇賞を受けたことで,先日朝日新聞に割と長い寄稿を行う機会を頂きました。これまでも同じ朝日新聞の「耕論」欄や日本経済新聞の「経済教室」欄で割と長い寄稿の機会を頂いて,地方議会の選挙制度の問題点について触れることがありましたが,残念ながら具体的にどういう案があるかということに触れるほどの紙幅はなかなかありませんでした。ただ先日「経済教室」欄にそのようなことを書いたこともあり,今回はせっかくなので提案についてなるべく具体的に書いてみることができました。基本的には,2015年に『地方議会人』という業界誌(?)に書いたものを縮小したものです。より具体的にはこちらをどうぞ。校正前原稿です。

具体的に非拘束式の比例制を導入してはどうか,と書いたこともあり,大変ありがたいことに,ツイッターで見る限りですが当事者である地方議員の方からも反応を頂きました。検索で確認できた範囲でのコメントとしては,地方議会の問題はその通りだと思うけど/国政との連動を強調するのは疑問,というものが多かったと思います。現に地方議員として活動されている方々から見ればもっともなお話で,できる範囲でお応えすべきではないかと思いブログを書こうと思いました。

地方議会で比例制を入れたときに,国政との具体的に関係がどうなっていくか,という問いについては,大変残念ですが確定的なことは言えないというのがまず申し上げるべきことだと思います。現状の選挙制度に問題が大きく,その問題を緩和しつつ,移行可能性の高い,よりマシな制度を考えるべきではないかというのが私の基本的なスタンスです(このあたりのスタンスについては,九州大学の岡崎先生のブログで少しお話したことがあります)。現行の衆議院総選挙での小選挙区比例代表並立制を維持するのであれば,地方議会でも小選挙区制や完全連記制が考えられると思いますが,選挙区割りをしたり議員定数削減をしたりする必要が出るでしょうし,同じような多数制である首長との役割分担をどう考えるかも難しくなります(このあたり,『地方議会人』の原稿にもう少し詳しく書いています)。

やや余談ですが,実は滞在先のバンクーバー市(人口60万弱)は,首長と市議会が並立し,市議会は定数10の完全連記という制度を採用していて,それを見るに個人的には議員定数をかなり削減して完全連記というのはアリだと思っているのですが,日本で人口60万だと50人近くいる議員を一気に40人も減らすのは政治的にあまり現実的とは言えないだろうと。また二桁の議員を完全連記で選ぶというのは,有権者に過度の負担を与えることが予想され,私にはこれも現実的とは思えません。

小選挙区制の導入で二大政党制ができる」みたいなことを言えればいいのかもしれませんが,それができないのは,国政で多数制/地方で比例制というのは例が少なく,その効果を予想するのは難しいからです。有名なところだと,国政が小選挙区制のイギリスで,スコットランドでは日本でいういわゆる連用制を使っている例がありますが,この連用制ではSNPが相当議席を取っていて,かなり小選挙区部分が強く効いているように見えます。これも滞在中のブリティッシュコロンビア州で比例制導入の議論をしてますが,ぜひその効果を見てみたいものです。

 その中であえて効果を予測するとすれば,日本の場合ポイントになるのは長の強さだと思います。長が強い影響力を持つところでは長とあゆみを同じくする地方政党みたいな政党がある程度議席を取るのではないかと思います(もちろん前提として,簡単にでも地方政党/議員グループを法定する必要があります)。また,潜在的な長の候補となるようなスター議員候補者(たくさん票を獲って仲間に分けることができる)を持つ地域政党も同じような理由で生まれるでしょう。つまり,得票の源泉になるようなところが重要であって,それが地方レベルであれば一定の議席を獲得する地方政党の伸長が予想されるわけで,その時のカギが長の職だろうということです。そうやってできる地方政党は,必ずしも国政政党との一貫した連携関係を持たないでしょうし,むしろ地方政党が支持する国政政党を選ぶという場面が出てきても不思議ではないと思います。

他方,国政レベルでの政党ラベルを票の源泉とするなら国政政党が地方でも伸びても不思議ではありません。現在の地方財政制度を前提に考えると,補助金に頼らざるを得ない地域では,国政の政権党との関係が重視され,そことのパイプを持つ政党(まあ国政与党ですね)が強くなる可能性があると思います。国政野党はどうするんだ,ということですが,これは『分裂と統合の日本政治』でも議論してきたところですが,政策的なプログラムで票を集める戦略を採らざるを得ないので,それで戦えるのはまずは都市地域となるように思います。それでも現在の分裂状況よりは一貫した戦略を持って戦いやすいのではないかと思います。

ご批判いただいた「連動」という表現ですが,私自身は,どのような選挙制度の組み合わせをとっても「連動」は生じると考えています。もちろん現在の制度でもそうで,それは国政与党と国政野党が非対称なかたちで「連動」することになるという理解です。「連動」を国政政党の影響力増大と理解するならば,特に野党の地方議員にはそのような特定のかたちでの「連動」が起きにくいのが現在の組み合わせだろう,と。つまり私の理解は,どうせ「連動」が生じるならば,もう少しこのような非対称を緩和するかたちでの「連動」を考えることが,制度改革の必要性を生み出している理由のひとつだという理解です。

ツイッターのコメントでも納得する部分があると言っていただいているように,本筋は地方議会自体の機能不全をどうするか,というのが重要な議論です。ひとつには,寄稿で論じたように,当選に必要な得票数をあげることによってアカウンタビリティを高めるということがあります。さらには私自身が『地方政府の民主主義』や『大阪』で継続的に論じてきたことですが,地方議会で議員候補者の当選の閾が低いためにどうしても関心が個別的利益によってしまうこと,そしていわゆる二元代表制のもとで地域全体の集合的利益が首長に一元的に代表されてしまう(悪く言えば,いろんな集合的利益を「何でもやる」かたちで取り込んでしまう)問題に対して,地方議会が多元的に集合的利益を代表するようにできる制度としても比例制は検討すべきだと考えています。そのうえで,有権者が,ある程度一貫性・永続性を伴って集合的利益を主張する議員のグループ(これを政党と呼んでも呼ばなくてもいいでしょう)を選ぶようにできないものかと。

今回の寄稿で,1%以下の人々を代表しようとする議員ばかりになってしまうことが弊害のひとつだと書きました。少数であっても代表されるべきだ,というのはもちろんその通りですが,その少数がまわりの人々と協力して何とか多数を作り出していくというのが議会に期待されることだと思います。厳しい言い方をすれば,議員には,少数の代表としてその立場から正論を言う,それを聞かない方が悪いという立場は求められていないのではないかと。しかし現行制度にはそのような立場を作りやすい性格があるように見えます。非拘束式の比例制になれば,もちろんそういう一人政党で実質無所属を貫くことも不可能ではありませんが,協力する仲間を作った方が色々有利なことになるだろうとは思われます。

確定的なことはわからないといって提案するのは無責任だ,というご批判もあるかもしれません。比べればマシになる蓋然性が高い理屈は用意できるという程度だと言われればその通りだと思いますが,せっかくメディアで問題提起をする機会を頂いて,真面目な反応もいただいたので,私なりに足りない部分を説明できればなあと思ったところです。議論を深めるきっかけになれば幸いです。

 

 

仕事納め

12月もあと一週間ちょっとを残すほどとなり,オフィスにはもう僕以外ほとんど誰もいなくなってしまいました…。やはりカナダではクリスマスが祝日でそれから休みということになるので基本的には仕事納めということです。まあ普通は1月の頭すぐに授業が始まったりするのですが,今年の場合はカレンダーの並びからか,少なくとも小学校は新年一週間ほど休みということになっているらしく,これから二週間は子どもの相手でほとんど仕事にならない日々ということになりそうです。
今年は生まれて初めてまるまる一年間を日本以外の土地で過ごしたことになります。僕だけ一回だけ9月に一週間ほど帰国しましたが,少なくとも家族は。通信環境の発展のおかげで,どうしても日本からの仕事が降ってくる一方,アドバイザーのイブ先生がサバティカルで授業に出ることもないので,なんだか長いことホテルに滞在してひたすらモノを書いてるような感じもあります。結局今年書いたのは,『分裂と統合の日本政治』と,『公共選択』に発表した論文を一つ,それから住宅の連載を終わらせて単行本の初稿(あとは終章だけ)ということになります。『分裂と統合の日本政治』に対しては,ありがたいことに大佛次郎論壇賞を頂くこともできました。それから,これまで書いてきたインドネシア子育て支援住民投票の論文(バラバラ…(泣))を英語で書き直して論文にしました。ひとつはリジェクト食らって検討中,あとの二つは学会報告をした後修正する時間が取れずに置いている状態になってます。まあ本の原稿をあげたら何とか修正を,というところでしょうか。あと寄稿ものとして中央公論と経済教室に,書評を3つくらい書いたかな。もうひとつ地方議会関係のプロジェクトを進めたものの,データをいろいろ見てもやや微妙でなかなか進まない,というものもありました。その他昨年のうちに書いていて,今年発表されたものとしては,年明けから『二つの政権交代』『公共政策』(教科書の3章)『災害に立ち向かう自治体間連携』がありました。

二つの政権交代: 政策は変わったのか

二つの政権交代: 政策は変わったのか

公共政策 (放送大学大学院教材)

公共政策 (放送大学大学院教材)

こうやって振り返ってみると,新しいことに着手するというよりは,(住宅の話も含めて)この数年考えてきたことをまとめることに専念した一年だったような気がします。おそらくこういう年は必要なのでしょう。ただやはりもう少し新しいことに挑戦する時間を取りたいなという気はします。日本に帰国するまでにあと三本ほど論文を考えないといけないのですが,そのうち一本は従来の延長のものとして,あと二本は少し新しい試みができればよいのかな,というようなイメージでしょうか(ただ三本となるとやはり授業は難しい…)。ひたすら何かを書いていたということもあって,例年のように専門分野の少し異なる最近の研究をじっくり読むということもあまりなかったのですが,今年面白かったのは『昭和解体』ですかね。視点も事実もある程度で尽くしてきたかなあと思ってた国鉄民営化ですが,まだこれだけのことが書けるのだ,と驚きつつ一気に読むことができました。あと似たようなノンフィクションで『東芝の悲劇』も面白かったところです(ノンフィクションは電子化が早いしあんまり高くないので趣味でも買いやすいという…)。
昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実

昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実

東芝の悲劇

東芝の悲劇

現代日本の地政学ほか

11月はバタバタしているうちに終わってしまい,久しぶりに記事を一つも書かない月になってしまいました(記録を見ると2010年9月以来とか…まあどうでもいいのですが)。なんと10月27日にBC州の条例のエントリを書いた直後に,それに近い理由で立ち退きを求められることになり,家探しに奔走するという…おかげさまで無事に決まりましたが貴重な経験となりました。
この間いくつか本を頂いておりました。まず日本再建イニシアティブによる『現代日本の地政学−13のリスクと地経学の時代』をカナダにまで送っていただきました。ありがとうございます。このテーマについては私は素人ですが,関連するシンポジウムの準備をちょっとお手伝いすることがあり,内容が非常に参考になりました。安全保障の問題を中心に,ずらっと専門家をそろえて重要な問題がわかりやすく解説されているので,ぜひ多くの方に読んでいただきたい本だと思いました。

現代日本の地政学 - 13のリスクと地経学の時代 (中公新書)

現代日本の地政学 - 13のリスクと地経学の時代 (中公新書)

その他,大学あてにいくつかの本を送っていただきました。まず笹部真理子先生から,『「自民党型政治」の形成・確立・展開』を頂きました。ありがとうございます。本書は地方における自民党の政党組織を歴史的に分析したもので,学習院大学に提出した博士論文が基になっています。笹部さんとは以前に建林先生の科研費プロジェクトでご一緒し,その成果の一部が『政党組織の政治学』で発表されていますが,この成果を発展させたものだということだと思います。
政党組織の政治学

政党組織の政治学

中央大学の磯崎初仁先生からは,『知事と権力―神奈川から拓く自治体政権の可能性』を頂きました。ありがとうございます。松沢知事時代の神奈川県政を事例として,自治体におけるマニフェストを軸とした政策的な統合について検討されているようです。松沢知事時代には,本書でも取り上げられている受動喫煙対策や,他の都道府県とは少し毛色の異なる水源環境税の導入など,興味深い政策がいくつか実現していて,本書ではそのような政策の背景を探ることができると思います。
知事と権力―神奈川から拓く自治体政権の可能性

知事と権力―神奈川から拓く自治体政権の可能性

賃貸契約更新など

昨日,BC州議会で,バンクーバーの家賃を上げてしまうloopholeをふさぐという法案が提案されたらしい。どういうものが抜け穴になっているかというと,vacate clause,なんというか追い出し条項ともいうべきもので,借家人はあらかじめ定められた契約期間が過ぎた後に,借家を立ち退くか新しい契約を結ぶかを迫られるというものである。これがあると,新しい契約が見込める貸主の側としては契約期間が来た時に高額の新しい家賃を提示することになり,借家人はそれを受け入れられなければ立ち退くしかないという話になる。立ち退こうとしても,現在のバンクーバーは歴史的に異常だと言われるほどに貸家がない状況なので,すぐに立ち退くことは難しく,その契約を飲む羽目になることが多い。で,新しい契約で支払うことになる家賃が高いので,バンクーバーの家賃が上がっていくという話になる。
今回の法案では,借家人の権利を強くして,家賃の上げ幅を限定する(2%+インフレ率)ことを定めるということ*1。日本のように「期限の定めのない」契約というのとはまだ違うとはいえ,基本的にもとの家賃に近い額を支払うならばそこに居続けていいという話ではある(事情によって無理にでも立ち退きを求めることができるのかはよくわからない)。バンクーバーの場合は,ダウンタウンとかを除くと家主の敷地の中にbasement suiteとかlaneway houseが建つことが多く,日本のように部屋の小さい集合アパートみたいなものがあんまりないので,再開発をめぐる立ち退き問題とかはあまり生じないような気もするけど,それでも最近はコンドミニアムが増えているわけで,今後その辺どうなるんだろうかなあ,という気はしないでもない。ただ全体的に移民が多く,ということは「ずっと住んでる」という理由で移動を拒否する人は日本ほどいないようにも見えるので,あまり問題にならないのかもしれないが。
もうひとつ,興味深いニュースとして,バンクーバー市でホームレスの人々の一時的なシェルターを立てる場所が決まったという話があった。実は割とうちに近いところなんだけど,周辺住民が突然だといって抗議のプラカードを立てているのがテレビでやっていた。ホームレスの人々の中には暴力的な人がいるとか,彼ら/彼女らが(おそらく薬物に)使う針を子どもが拾ったらどうするんだ*2,みたいな話が抗議の理由となっているみたい。こうなってくると典型的にNIMBY問題で,どんなところでも円満な解決は簡単ではないのでしょうが。

*1:ウチも値上げがあったけどこれ以上だったような…。まあ四捨五入もあるんだろうが。

*2:これはとても寒くて多くのホームレスの人々がコミュニティセンターに入っていた去年も問題になっていた。

「フェアなゲーム」を作るための選挙制度改革

総選挙が終わり,衆議院だけでも自民党公明党の三連勝(しかも大勝!)という結果に終わった。2012年はともかく,2014年と2017年は選挙前から広く予想されていた通りの結果となり,関心は三分の二を取るのかとか野党でどこが相対的にマシか,というようなところに限定されていたのではないかと思う。政権党としては,あらかじめ勝負の見えてる選挙をやる方が楽だという感じはあるかもしれないが,実はそれってかなり危険な話だと思う。選挙自体が「フェアなゲーム」じゃないとみなされると,政権自体の正統性が揺らいでしまって,何を言っても反発を受け,あるいは嘲笑されることもあるかもしれないからだ。そうなると政権としては,(選挙でちゃんと正統性を調達できないので)反対者に対して無理やりにでもいうことを聞かせるような行動を取らざるを得なくなるかもしれない。今もそういう兆候はあるように思うし,そうなってくると正統性の不足→無理な決定→さらに正統性の不足…みたいな悪循環に陥る恐れはある。
折しも,前回の選挙制度改革から20年が経過し,そろそろその総括をすべき時期になっているのではないだろうか。1994年当時といえば,まだShugart and Careyの極めて影響力の強い本が出た直後くらいであって,「小選挙区制が二大政党化を促す」と言ったような非常に単純化された言説は受け入れやすかったように思う。また,1990年代に入るころまでは福祉国家もそれなりに持続的で,ということは中央政府への集権の度合いも高くなっていっており,国政の主要な選挙での小選挙区制(のみ)が他の選挙にも影響を与えることで二党制の形成を促すといったところもなかったわけではないだろう。しかしその後各国で制度の多様化が進んだことを受けて行われた選挙制度研究の発展を考えれば,衆議院総選挙だけを小選挙区制にしたことで二党制が生まれるというのは相当に無理がある議論だということはわかるし,20年してその反省を踏まえて「フェアなゲーム」のルールを考え直すべきじゃないか。
制度を見直すといっても,元の中選挙区制に戻すべきではない。前回選挙制度改革での中選挙区制に対する問題意識自体は正しかったと思うし*1,世の中には元の制度と今の制度しかないというわけではない。もちろん衆議院自体で小選挙区制中心にするか比例制中心にするかという議論が極めて重要なのは言うまでもないが,どちらを中心的に採用するにしても,この時点で選挙制度改革を論じる以上は(1)安易な混合制を避ける,(2)参議院選挙制度を変える,(3)地方の選挙制度を変える,ということは論じられなくてはいけないのではないか。(1)については,最近だとAmy Catalinac氏が論じているように小選挙区部分と比例部分で異なる競争がなされてしまい,結果としていわゆる「汚染効果」が起きて野党が分裂的になりやすくなる。(2)については,参議院小選挙区制といわゆる中選挙区制が混合していることで,大きく勝とうとすると小選挙区制部分(=大都市を持たない人口の少ない県)に力を入れなくてはいけなくて,これが大票田の大都市が多くの議席を出す衆議院総選挙での力点と齟齬をきたし,特に野党に取って重要な政策プログラムの一貫性を失わせる可能性がある。(3)については,私自身が研究してきたわけだが,「二元代表制」で議会ではいわゆる中選挙区制を採用する地方自治体では都市部での多党競争と農村部での非競争が分かれていて,国政野党が都市部で政党組織を築くことが難しくなる一方,例外的に選挙区定数が小さい政令指定都市などで首長党が出現し地方での政治競争を背景に国政野党から支持を奪う傾向がある,ということが考えられる*2。いずれにしても,野党を分裂的にしてしまう傾向を持つものであり,選挙を「フェアなゲーム」から遠ざける要素になっていると思われる。
また,投票方式よりも些細なことに見える制度群の扱いも重要である。今回の選挙でも問題になった「首相の解散権」は,単に解散権として議論するのではなく,公職の任期や選挙サイクルの問題として議論すべきだろう。仮に解散に制約を書けるとすれば,衆参のサイクルを合わせるのかどうかということは問題になるだろうし,それに加えて地方選挙の統一(複数の自治体の選挙を同じタイミングで行うか,同一自治体の首長と議会の選挙を同じタイミングで行うか)をどう考えるかも議論されるべきである。さらに選挙のタイミングという問題は,どのくらいの長さで選挙運動を取るかという問題とも関わってくる。運動期間が短すぎてかつ事前の運動規制が強い状態では,本人の周知のために選挙カーで名前を連呼することはある程度やむを得ないわけで,批判の多いそういう行動を抑制するためにも,実際上の選挙運動の期間を伸ばし現職も非現職もフェアに名前を浸透させることができる必要があるように思う。選挙運動の期間を伸ばせば期日前投票の期間をそれより短く取らざるを得なくなるだろうが,そうすれば投票用紙を準備するために必要な時間の余裕もできるので,有権者の意思を適切に伝えることを阻む自書式を廃止することも容易になる。
複数の選挙の投票方式を統合的に見直す,ということに加えて,選挙に関する手続きを再整備するためには,やはり総合的に検討する機関が必要だろう。現状では,それができるのは前回の選挙制度改革の時(第8次)以来設置されていない選挙制度審議会(第9次)しかないと思われる。そこで前回改革の総括をしつつ,必要な制度についての議論をすべきではないか。ここには書ききれていないが,本来は政党組織のあり方についての議論も含めて検討される必要があると思われる。できることならそこも含めて総合的に検討する場を設置すべきだろう。
今のルールが十分にフェアであるとか,野党はそういう不利を乗り越えていくもんだ,と考える人には必要ないかもしれないが,それがマジョリティとはあまり思えない。また,たとえばしばしば取り上げられるように「年齢別選挙区」とかそうだけど,誰かにとって今の選挙制度が不利だから,それを積極的に是正してちょっと有利にしてあげるって改正をというのはあんまり望ましくないと思う。たぶん衆議院だけ見直してもまた同じようなことになるだろうし。あくまでも政治の正統性を回復するために,選挙を「フェアなゲーム」にするルールを検討しなおす時期になっているのではないか。

*1:より詳細には拙著『民主主義の条件』をご覧ください。

民主主義の条件

民主主義の条件

*2:地方についてのより具体的なお話はこちら

政党政治の制度分析

10日ほど日本に出張していたときに,建林正彦先生(っていうか千倉書房の神谷さん)に頂きました。どうもありがとうございます。私の本と似たような装幀になっていることが示すように,極めて似たような問題を扱っているところがあります。しかし本書と『分裂と統合の日本政治』の一番大きな違いは,こちらの主眼がおもに参議院にあるところというべきでしょう。私も自分の本の中で,

検討が必要だと考えられるのは,国政レベルで政党システムの制度化を阻む要因である。本書では,中央地方関係に主眼を置いて分析を進めたが,中央地方関係という垂直的な権力の分立のみならず,国政レベルでの水平的な権力の分立は,政権党による統合を困難にする可能性が指摘されているからである(Hicken 2009)。日本でいえば,強い権限を持つ第二院である参議院の存在が重要である。参議院の同意を取り付けるために,政党執行部は所属する参議院議員に対して配慮を行うことを求められるし,衆議院過半数を超える政党が参議院過半数に届かないときには,安定した意思決定を行うために連立政権を組まざるを得なくなる(竹中 2010)。現在,小選挙区制・中選挙区制比例代表制という多様な選挙制度が歪なかたちで混在する参議院通常選挙は,小選挙区中心で行われる衆議院総選挙とは異なる独特の政治的競争を生み出すことになると考えられる。また参議院では,戦後何度かの選挙制度改革が行われていることもあり,その存在が政党システムの制度化にどのような影響を与えたかについて詳細な検討も可能だろう。(174頁)

と書いていたのですが,本書では,参議院地方区(1人区と複数人区)での多数派の形成(複数人区では複数当選)が,同様にSNTVで選挙を戦う衆議院議員都道県議会議員の選挙戦略にも適合的で(要するに複数人区の場合には候補者が棲み分けを行うことになって),それが自民党の一党優位を維持するのに貢献したのではないか,という議論をしています。もう少し言えば,単に衆議院のSNTVだけ考えたときに,しばしば派閥=疑似的政党による連立政権であるとも考えられる自民党が,なぜその外延を基本的に同じままで保ち続けたかを考えたときに,参議院における多数派の形成ということが極めて重要だったのだろうと論じられるわけです*1。そして,参議院での多数派形成のために,国会議員・地方議員が知事選挙・参議院地方区選挙に勝利するために都道府県連を共通のアリーナとして協調行動をとっていたのではないか,という見立てが示されています。
これは衆議院参議院という「マルチレベル」を考えることで出てくる非常に興味深い指摘であって,めちゃくちゃ魅力的なものだと思います。本書ではそのような議論について,衆参両議員と地方議員へのサーベイを用いながら検証しています。まず2−4章では国会議員と中央省庁の官僚への調査を使って,選挙制度改革後に政党執行部への集権が進んでいたことを示したうえで,5章では参議院議員・地方議員が(衆議院議員と比べて)政党から自律性を持ちやすいこと,6章では地方議員が都道府県議会での選挙区定数によって国政政党に対する態度が異なること,そして7章では参議院選挙の定数によって都道県議会議員の政党への態度が異なるのではないかということを議論しています。実証の各章は基本的に元論文があり(7章は書下ろしに近い?),展開されている議論(あるいは用いられているデータ)がダイレクトに仮説と直結しているのか疑問に思うところもなくはないですが,しかし特に5‐7章で複数のレベルのデータを同時に考慮して分析するというのはたぶんこれまでにほとんど行われていないことであり,とても挑戦的な試みだと思います。理論とのずれを指摘するのは難しくないでしょうが,しかしどのようなデータを扱うかということを考えるのは非常に難しく,手に入りやすい観察データで議論を展開するのは簡単ではなく,このようなデータを中心的に収集されてこられた建林先生ならではの議論というのは間違いないでしょう。私の本では,結局参議院をあきらめて中央地方関係に絞ったのに対して,両方を射程に入れつつ理論的には参議院に焦点を当てている本書では,より包括的な議論,あるいは相補的な議論が展開されていると言えるのではないでしょうか。その意味ではぜひ一緒に手に取っていただければ!(宣伝)

政党政治の制度分析 - マルチレベルの政治競争における政党組織

政党政治の制度分析 - マルチレベルの政治競争における政党組織

それから,日本への出張中に,神戸学院大学の橋本圭多先生から『公共部門における評価と統制』を頂いておりました。どうもありがとうございます。時間がなくてきちんと拝読はできずに置いてきてしまいましたが,これまで書かれてきたものを博士論文としてまとめ,それを単著として出版されたようです。内容は,評価の制度を論じつつ男女共同参画や沖縄振興(両方とも内閣府マターですね!あと本書に収録されてませんが,原子力関係についてのご論文もあるようです)についても評価の観点から分析されているとか。評価についてはやはり制度の議論が盛り上がった2000年代初頭に導入された制度がそろそろ定着しているわけで,制度がどう動いているかを分析する時期というべきなのだろうと思います。
公共部門における評価と統制 (ガバナンスと評価)

公共部門における評価と統制 (ガバナンスと評価)

*1:この意味で,1993年の自民党分裂の背景として1989年の参院選の大敗と公明党民社党を含めた連立の組換えがあるのではないかと指摘する(第1章註12)は建林先生らしい指摘で非常に興味深いと思いました。

『日本のネット選挙』ほか

関西大学の岡本哲和先生に,『日本のネット選挙』を頂きました。どうもありがとうございます。これまで,日本の「ネット選挙」ことインターネットを使った政治活動・選挙運動については様々なかたちで取り上げてきた本があると思いますが,実際の政治家や有権者の判断について調査するものでは必ずしもなかったように思います。それに対して本書は,2000年ころ,まさに「ネット選挙」が人の口の端に上り始めたころから継続的に調査を続けてこられた成果を示すものとなっていて,まさに日本の「ネット選挙」の歴史を実証的に提示したものになっているように思います。やはり興味深いのは,2000年や2003年といったネット黎明期に,岡本先生が政治家ウェブサイトなどを根気よく調査されているところで,時折今ではあまり見なくなった「アクセスカウンター」や「Yahoo!JAPANへの登録」といったような文字列を見ると,そういった歴史があって今に至るのだなあという感慨すら湧くところです。そうした時期のデータというのは,(全て魚拓がとられているわけでもないので)基本的にその時期にしか取得できないものであり,データを残しておられること自体非常に重要な貢献であると思いました。
また本書では,最近よく因果推論の手法を用いて議論される,有権者による情報の選択的接触がどのように投票行動につながっているかというテーマも論じられています。サーベイ実験のような手法が用いられているわけではなく,基本的には調査会社の持つモニターから無作為抽出されたサンプルからインターネットによる情報接触を行った有権者をさらに抽出してアンケートを行うという手法が用いられており,因果推論という観点から言えば弱いところはあるかもしれません。しかし,必ずしも因果推論に限定されるわけではない問題関心から(もちろん,そういう議論が一般的になる前から継続的に調査されてきたことも重要でしょう),議員(のウェブサイト)に対する調査と有権者に対する調査をともに行って「ネット選挙」の全体像を明らかにする一つのモノグラフとして提示されたことは非常に意味のあるお仕事ではないかと思います。

日本のネット選挙: 黎明期から18歳選挙権時代まで

日本のネット選挙: 黎明期から18歳選挙権時代まで

その他,大学にいくつかご著書を頂いておりました。まず著者の皆様から,『大人のための社会科』を頂きました。どうもありがとうございます。専門の異なるもののいずれもご活躍されている4人の方々で,社会的メッセージの強い本を一冊まとめられたというのは大変なことだと思います。坂井先生のツイッターによれば発売前に重版が決まったとかで,期待の表れということだと思います。
大人のための社会科 -- 未来を語るために

大人のための社会科 -- 未来を語るために

また,東京大学の祐成保志先生から『イギリスはいかにして持ち家社会となったか:住宅政策の社会学』を頂きました。Housing debateの翻訳で,原著はイギリスの住宅政策の発展を歴史的制度論の観点から分析している本です。祐成先生は,ケメニーのハウジング論に続いて,福祉国家と住宅政策に関する政治学の観点からも重要な本の訳出をされていることになり,大変ありがたいところです。
イギリスはいかにして持ち家社会となったか:住宅政策の社会学

イギリスはいかにして持ち家社会となったか:住宅政策の社会学

ハウジングと福祉国家 居住空間の社会的構築

ハウジングと福祉国家 居住空間の社会的構築