「大阪都構想」が大阪の「地方政治」を超えるか
大阪府知事選挙・大阪市長選挙は,まあ事前にある程度予想されていたとおり,大阪維新の会がともに当選者を出すことになった。選挙については,何が争点なのかというところから始まって,橋下氏の政治手法について色々と議論もあり,考えさせられるところは多かった。特に告示直前にはかなりヒートアップしていたところが見受けられたが,告示後露出が減った関係もあって,そういう意味での悪目立ち(?)は沈静化されていたのではないかと思う。また他方で,さっきまで見てたわけだが,当選後記者会見ということで,ホントにメチャクチャ人数の多い記者から質問を受けて,それぞれに答えていたのは印象的だった。まあ答えとしては,市会がどうなるか分からない,というような話が多かった気はするが,それでもあの(突然ざこばが喋り出して止まらなくなることもあるような)雰囲気で3時間以上も質疑に答えようとするのはなかなかできないんじゃないかと思う。
最大の争点は大阪都構想,と言われたりもしていたが,以前のエントリで書いたようなトレードオフの問題が正面から問われていない以上,今回の選挙で大阪都構想が問われた,とするのはちょっと難しいところがある。告示前後では,大阪市を解体するんだ,という大阪市批判との兼ね合いで「大阪市が大きすぎる」問題がクローズアップされていたように思うが,投票日が近づくにつれて,例えば僕も見に行ってみた街頭演説なんかでは,ひたすら「大阪市が小さすぎる」問題が主張されていた。今後も大阪都構想を進めていくとすれば,記者会見で新知事・新市長も言及していたように,どこかで何らかのかたちでもう一度選挙というか投票の機会が必要になってくるんじゃないだろうか。
ひとつ,これまではそれほど明確に議論されて来なかった論点として,大阪維新の会の国政参加,というのがそれなりに現実味を帯びてきて,少なからぬ記者からの質問でもこの問題が触れられていた。「大阪府域外でどうアピールするのか」という質問に対する橋下氏の答えの中に,「大都市制度を強調することになる」という話があったわけだが,これは半ば必然的に「大阪市が小さすぎる」という数十年を超える問題に正面から向かうことになるわけで,そういう機会が来れば,改めて大阪都構想が問われることになるのではないか,という印象を受けた。
実は,それに関してちょうど一年前に,週刊エコノミストという雑誌に,「地方政治 橋下大阪府知事の「大阪維新の会」が意味するもの」という小論を書いていた。まあちょうど一年経ったし,なんやかんやあって元の原稿がよく分からないかたちで大きく変わってしまったこともあるので,当時書いた元々の原稿をちょっと公開してみたい。個人的にはちょっと気に入っていて,研究室に取材に来る記者の方に差し上げたりしてるものだし。僕自身の基本的な問題意識は変わらないのだが,一応こういう考え方の上で,今後は「大阪市が小さすぎる」問題が再度クローズアップされることになるのではないかと予想するところ。ただ,告示前に「大阪市が大きすぎる」から24区にするんだ,とか言ってしまっているところがあって,その話をどうすんだ,というのがしばらく揉めどころになるんじゃないかと思うが。
念のため:去年の10月に書いたものなので「分市論」とかいう言葉になってますが,基本的には「中核市並の権限を持つ特別区」も似たようなところがあると理解しています。
大阪で橋下徹知事が何か大きな挑戦をしているらしい。
これは,地方自治に詳しい人ではなくても,多くの人がどこかで感じたことのある話ではないだろうか。ごく最近では,鹿児島県阿久根市や名古屋市の,市長・市議会のリコール騒ぎの中でやや影が薄い感もある。しかしここ数年間において,橋下知事が,大きく変容しつつある地方自治の主役のひとりであることに異論を持つ人は少ないはずだ。
それでは橋下知事は一体何をしているのか。就任後の朝礼での女性職員との対話の場面や私学助成をめぐる女子高生との議論,「くそ教育委員会」発言,はたまた大阪府下の市町村長たちとの会議後の涙の場面など,繰り返しテレビを通じて報道される「画」は枚挙に暇がない。しかし,このように大阪府知事として行おうとしてきた政策の中で,橋下知事を象徴する政策とは何か,と聞かれたときに,簡単に答えることは難しいのではないか。
敢えて言えば,これまでに知事が見せてきた多くの言動は,いわば府民の代表として,大阪府に存在する様々な既得権益に対して問題提起を行い,それを解体しようとする姿勢に基づくものであったと要約できるだろう。だからこそ,多くの一般府民からは喝采を持って受け入れられたし,逆に知事に批判的な立場の人々からは,その手法が「ポピュリズム」として非難する余地も大きかった。
とはいえ,このような話は橋下知事だけの話ではない。中央・地方を問わず多くの支持を集める政治家は,しばしば同様に一般市民の代表として既得権益に斬り込む姿勢を見せ,その成果である「改革」を強調し,そして一部から「ポピュリズム」と批判される。だが,最近の大阪で起きている,橋下知事の「大阪都構想」を中心とする一連の動きは,その内容については当然賛否が分かれ,筆者自身も疑問に思うところは少なくないが,単に地方政治における「ポピュリズム」とする批判を超えるところがあり,今後の日本政治全体に対して重要なインパクトを与える可能性がある。
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その直接的なはじまりは,2010年4月の橋下知事を代表とする大阪の地域政党,「大阪維新の会」の設立である。「大阪維新の会」とは,「国の政党とは一線を画し,国の政党の枠組みにとらわれない政治団体」として,「『広域自治体が大都市圏域の成長を支え,基礎自治体がその果実を住民のために配分する』新たな地域経営モデルを実現すること」を目的に結成されたものである 。
会の中核的な主張である「大阪都構想」の実現とは,東京都をモデルとして,大阪府内の大阪市・堺市という政令指定都市を中心に府下の基礎自治体を再編し,新たな広域自治体・「大阪都」を創りだすことであるとされる。日本では政令指定都市として大規模な都市であると考えられるものの,国際的な大都市としてはやや狭い感のある両市を再編・統合し,より広域的な大都市圏域を包含する強い権限を持つ行政主体を設立することによって,大阪圏を経済成長のエンジンとして活性化することを志向するというのである。
「大阪都構想」を掲げた大阪維新の会は,早い段階から橋下知事を支持する独自の地域政党を設立していた6名の府議をはじめ,自民党会派からの離脱者を中心に22名の府議で設立された。そしてその後も特に自民党から大阪維新の会に流れる議員は続き,現在ではその数29名となり,既に大阪府議会において最大会派となった。
さらに大阪維新の会は,「大阪都構想」を実現するために,2011年統一地方選挙で大阪府議会・大阪市議会・堺市議会において多数を制することを目指し,地方議員を積極的にメンバーに取り込んでいる。特に大阪市においては,2010年5月24日(福島区)と7月11日(生野区)の補欠選挙において大阪維新の会の擁立する候補者が圧勝したことを追い風に,現在では13名の市議会議員を擁するに至った。そして,9月15日には大阪維新の会の統一地方選挙公認候補82名を発表し,既存政党との対立を深めている。
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なぜ,「大阪都構想」の議論がこれまでの「改革」と異なるものと考えられるのか。筆者がそのように考える理由は,「大阪都構想」が,単に大阪府という領域に閉じた既得権益に対する批判のみによって構築されているのではなく,近年における日本の政治空間の変容を衝くものであると考えられるからである。
ここで議論する日本の政治空間の変容としてまず挙げるのは,都市と地方の対立の顕在化である。近年の地方分権改革,とりわけ地方税財源に関わる改革では,地方への交付税や補助金が批判の対象となり,これらを縮減するとともに,国税を地方税として移譲することが重視されている。そのひとつの試みが小泉政権期の三位一体改革であり,帰結として財政力の弱い地方の困窮を招き,富裕な都市と地方の格差が広がったことがしばしば指摘される。
しかし,これを都市の側から見ればどうなるか。本来はより多くの地方税収入を持つはずの都市は,地方へと移転するためにその税収の多くを国に吸い上げられることになる。都市からすれば,国に対して財政移転を求める地方の財政規律の緩さが問題であり,経済活動の活発な大都市であるほど,その問題は深刻に捉えられる。それだけでなく,国が補助金などを交付するために地方自治体を強く統制することは,都市の自由な経済活動を妨げるものであるとして問題視されることになる。
政治空間の変容として次に挙げるのは,地方政治レベルにおける自民党一党優位の動揺である。国政で自民党が長期政権を築いていたとき,地方政治での重要な関心は,どのようにして中央へのパイプを築くかという問題に集約され,地方政治内部での亀裂は可能な限り封印されてきた。しかし,国政において自民党と肩を並べる民主党が出現して最終的に2009年の政権交代に至る中で,地方においても自民党とは異なる保守系の地域政党が出現し始めており,特に政権交代後には,地方政治レベルの対立から都道府県議会で自民党が分裂する例も見られている。
地域政党の出現や自民党の分裂は,地方議員の首長に対する態度に起因するものが少なくない。地方分権の流れの中で存在感を増しつつある首長を,自民党としては支持しなくても,自分は支持しようと考える地方議員は,新しい地域政党を作ったり,自民党から分裂したりして,首長のもとに向かうのである。ただし,これまでは,そのような動きはあくまでも自治体の内部で完結したものであり,各地方自治体特有の政治的な対立に沿って,地域政党が出現したり,自民党が分裂したりしていたと言える。
このように政治空間の変容という補助線を引けば,「大阪都構想」の特徴的な点は理解しやすい。それは,大阪府の中でも経済成長のエンジンとなる都市を重視する主張を鮮明にしたものであり,さらにその主張は,大阪府を超えて日本の都市部の利害に直結するものとなりうるのである。こうした地域の中での対立を辞さない主張に直面して,以前は自治体の領域内での主張の違いを封印する重石となっていた自民党は,政権交代でその影響力を大きく減退させている。顕在化した対立を調停する機能も失い,大阪維新の会に自民党籍を持ったまま参加した地方議員を離党させることになった。
一方で,橋下知事は,同様に経済成長のエンジンとして都市の機能を重視する,国政レベルの「みんなの党」や,河村たかし名古屋市長が率いる「減税日本」と地域を超えた連携を強調していくのである。全国レベルで都市を重視する勢力が連携して,国政における一定の影響力を確保すれば,現在と比べてより都市の自由度を向上するかたちで中央地方関係に変化が生まれることになるかもしれない。
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しかし,「大阪都構想」をめぐる橋下知事の言動には危うさも少なくはない。最近突然知事から提案されて,突然撤回されることになった,大阪市を9つに分ける「分市論」はその典型だろう。単に大阪市を分けるだけでは都市の重視という主張は薄まり,自治体領域内のポリティクスに過ぎないものとなる。橋下知事の「大阪都構想」が大阪の「地方政治」を超えるか,それが橋下知事と大阪府政を考えるときの重要なポイントなのである。