多数決を疑う

慶應義塾大学の坂井豊貴先生に頂きました。自分でみてる限りAmazonだと拙著『民主主義の条件』と一緒におすすめされることが多いのですが、ぜひ一緒に読んでいただきたい本だと思います。たぶん、坂井先生と僕は、重きを置いているところがちょっと違うと思うけど、最後の結論は今考えていることと実に近く、とても我が意を得たりという感じ。
内容は、まずはじめから4章まで、前著『社会的選択理論への招待』を、さまざまなエピソードを交えながらより分かりやすく説明した感じのものとなっている。エピソードは選挙制度の話が出てくるわけだが、取り上げられているナウルとかキリバス選挙制度は詳しく知りませんでした。いやー、やっぱりいろいろな選挙制度があるものだ。また、前著同様に改憲ルールは、2/3というハードルを埋め込むべきではないか、という提案もされています。
本書は、『社会的選択理論への招待』と比べると、より現実への含意を意識した議論になっていると感じたところ。政治学を勉強している身から言えば、やはり議論したいのは5章、そしてその前の4章でしょう。印象としては、4章と5章の間に結構跳躍があって、4章はその跳躍を準備する台になっているような気がします。
その跳躍というのは「権力power」でしょう。たぶん4章までは権力っていう言葉が出てこないけど、5章になるとこれが出てくる。政治学の最重要概念のひとつで定義が難しい言葉だけども、本書に照らして考えるとすると(坂井先生が言っているというわけではなくあくまでもこちらの方で)、これは個人がそれぞれの選好とは異なる決定を受け入れるということに関係するのではないか。そう考えると、4章の不可能性定理で議論されていた「独裁者」をどう考えるのかということがややわかれるような気がする。正確にはわかってないが、「独裁者」は必ずしも「他のすべての人と異なる選好をもって、その選好を他のすべての人に押し付ける」わけではないだろうし(一部の人とは同じ意見を持つだろう)、「独裁者」の決定が後で望ましいものだったと是認される可能性がないわけでもない。
ポイントは、権力のある種の自律性をどう評価するか、ということであるように思う。『多数決を疑う』では、有権者それぞれの選択を重視する立場から言えば、そんな自律性は認めるべきではないということになるだろうし、住民投票も含めてその決定に関わることが必要だという話になる。他方で、拙著『民主主義の条件』の方は*1、ある程度権力の自律性を是認したうえで、それをコントロールすることを主張しているところがある。権力を甘く見ている、楽観的だ、という批判は甘受するしかないが、この点は谷口先生の素晴らしいご紹介を見て頂きたい。なお、個人的には住民投票については決定そのものというより拒否権として考えておいた方がよいとしているのだが、その辺とも関連するだろう。
じゃあなんでも権力集中したほうがよいかというとそれは違うと思う。最後の結論が近い、というのがポイントで、権力が関わる範囲というのは狭くできるのではないか、するべきではないかと考えている。それは『多数決を疑う』の最後でメカニズム・デザインに関連して書かれているように、公共政策の決定によってわれわれが影響を受ける範囲を狭めて、市場を通じた交換のようなかたちでわれわれが選択できる余地を広げるのがよいのではないか、ということ。ただそれは簡単にできるものではなくて、情報開示や消費者の側のエンパワーメントなどのセッティングが極めて重要になるでしょう。それを形成するのも「権力」ということになるわけで、そういった自己抑制がどのように生み出されるのか、という問題は残りますが。ひょっとするとそういうのが実質的な「民主化」なのかもしれない。
特に、最後の段落の言葉、オビのもいいですが、僕は「社会制度は天や自然から与えられるものではなく、人間が作るものだ。」がよかったですね。というわけで拙著と一緒に読んでいただくことをお勧めします(最後は宣伝かよ!)。

*1:あるいは今年中に出るはずの共著の教科書。