第86回会合(2009/6/5)

今回の会合は,まず猪瀬委員から直轄事業負担金について主に東京都と国交省のやり取りについての報告から。次回の会合で国交省ヒアリングがあるのでその前振り,という位置づけだったのかと思いますが,東京都での直轄事業交付金の精査からは,費目にある「業務取扱費」というのが不透明さの原因ではないか,というコメントが出ていました。他の意見としては,委員長から,工事のための資材費が大規模で価格の変動も激しいのをどう処理しているのか,という以前と同様のコメントが。まあ今回の会合では相手がいないので,次回の国交省ヒアリングで厳しく追及する,という話で。
この日のメインは小早川委員による義務付け・枠付けの中間報告について。前回の報告ではいわゆる3つの重点事項について,「具体的に構ずべき措置の方針」について小早川委員が説明し,委員の了解を得るというプロセスだったわけですが,今回はそれに加えて前後に「第三次勧告に向けた考え方」と「第三次勧告に向けた進め方」という部分が加えられて中間報告としての装いを強めています。順番に見ていくと,まず「第三次勧告に向けた考え方」では,以下のようにかなり強い表現で,政府に対して義務付け・枠付けを緩めて地方自治体の自主性を尊重すべきことを求めています。

全国知事会全国市長会の提言等に盛り込まれている事項では、現行の基準の変更を求め、また、国の関与からより自由な地方自治体の施策を求める具体的なニーズを主張しているものも多い。しかしながら、こうした現実の具体的なニーズに対して、国の基準であることを維持したままで、また、国の関与を残したままで、その都度、国が個々に基準の見直し措置を講じたり、関与の行使内容を変化させたりするだけでは、地方分権改革の名には値しない。地方分権改革を進め、「地方政府」を確立する観点からは、地方自治体がサービス、施策等のあり方についての説明責任を負うべきであり、何らかのニーズに対応する見直しの必要性の判断も、地方自治体の責任において行うようにしなければならないというのが当委員会の基本認識である。

次に,前回も報告した「3つの重点事項について具体的に構ずべき措置の方針」では,前回他の委員からいろいろと要請のあった「わかりやすい」「イメージ図」のようなものを提示することが中心になっている他,特に西尾代理から指摘があった「上書き」と「参酌すべき基準」の関係については,

この「参酌すべき基準」については、その法的性格をここで整理したとおり,地域の実情に応じて、地方自治体が条例で異なる内容を定めることを許容するものであることから(注)、地方自治体の条例による国の法令の基準の「上書き」を許容するものということができる。
(注)当委員会では、これまで、事務の処理又はその方法(手続、判断基準等)の法令による義務付けについて条例による補正(補充・調整・差し替え)を許容することを、「地方自治体による法令の『上書き』を確保しようとするもの」と位置付けてきた。一方、この「参酌すべき基準」の場合には、同様に法律から条例に委任するときに条例の制定基準の一種として設定されるものであるものの、法令は一定の「基準」を示しつつ、これを(「従うべき」ではなく)「参酌すべき」ということが「法令の規範内容」である。このような「法令の規範内容」そのものは「上書き」されるものではないが、法令が示す一定の「基準」については「法令の規範内容」に沿って「参酌」されるものであり、その結果、法令が示す一定の「基準」と異なる「基準」が条例で定められることは許容されるものである。したがって、現在、国の法令で設定されている基準を条例に委任することとした上で、必要最小限のものを「参酌すべき基準」に移行させる見直しについても、地方自治体の条例による国の法令の基準の「上書き」を許容するものということができる。

として,その性格を明確にしようと努められています。さらに最後の「第三次勧告に向けた進め方」では今後の法令の制定や改正による新たな義務付け・枠付けについての議論で,今後の法律が今次の地方分権改革で定立する義務付け・枠付けの立法原則に沿ったものとするべき,ということが触れられてはいますが,そのための制度設計(自治体(の代表)が何らかのかたちで国政の意思決定に参加する??)に関する話は謳われておらず,問題点を確認するに留まっています。
意見交換ではまず露木委員から,「参酌すべき基準」といってもどの程度参酌したらよいのかわからない,というコメントが。これに対して小早川委員は「地方の方で主体的に判断して対応されることを期待する」という答えなわけですが,これは結局のところ,「進め方」でも触れられていた,今後の地方自治体に対する規制についての国と地方の関係をどのように制度設計するかという論点があまり明確ではないので,どうしても国・地方ともに両者の良心?に頼らざるを得ないということを反映しているのかもしれません。最後の方でちょっと国地方係争処理委員会を活用して国・地方の主張の正当性を判断するべき,みたいな話も出ていましたが,全体としてはやはり制度設計に踏み込むというよりは両者の「誠実さ」に任されているというか。
さらに露木委員は補助金要綱との関係にも触れていて,参酌した結果,補助金がつかないというのがわかると,参酌というと事実上今と変わらないこともあるのではないか,と。でもここで出されている例は微妙で,基準より大きなものを作ってよりたくさん補助金がいるのに(例えば50%定率であれば)十分な補助金が出ないのは困る,という話。本当に地方の裁量を重視するなら作ったものの規模によって補助金額が変わるような定率のしくみよりも,規模にかかわらず一定額の補助金がもらえる定額補助金の方が好ましいのではないかと思うわけですが。なお会合の中でも,この部分では宮脇事務局長が,補助金を定率でやるか定額でやるか自体論点ではないか,と突っ込んでいます。で,微妙というのは,一方で定率補助金を残しつつ「参酌」では上限を設定するようなかたちになると,結局のところ従来の補助金の上限のところに地方の意思決定が張り付いてしまうような気がしないでもないかな,と。まあこの辺は現状もどうなっているのかわからないのでなんともいえませんが。
もうひとつ重要な論点だと思われるのは,横尾委員から出た,現行の法定受託事務はどうするのか,というポイントではありますが,残念ながらここのところはほとんど議論が深まらず。まあ今回は自治事務の義務付け・枠付けが(全体としても)メイン,というところなのでしょうが,そうするとまたこれからも「分権委」は続いていくのだろうか,と。で,最終的には横尾委員から指摘があった本文中の見出しをひとつ変えることでこの報告は了承,ということで。
そのあとは早稲田大学の林正寿教授のヒアリング。中央政府財政赤字の問題を重視しつつ地方財政制度の話をする,というスタイルでしたが,重要なのは林教授の主張の中では日本が単一国家であるということを踏まえた議論をするべきだということではないかと思われます。いわゆるナショナル・ミニマム(ナショナル・スタンダード?)の水準の地方公共財・サービスを,すべての地方公共団体が供給するには貧困団体に対する財源の移転が不可欠であるという認識から,地方自治の本旨を尊重しながら財源の再配分をする制度として現行の地方交付税制度を高く評価するという感じ。ただし,交付税制度における基準財政需要の計算が複雑であることは認められていて,しかしそれは精緻に計算しているとして,地方のおかれた状況は千差万別なので,それに適切に対応するようにすれば複雑になることを強調される,と。具体的な資料は出ていませんでしたが,以前の研究で,基準財政需要について人口と面積で計算したところ,全体としては97%くらいは説明できるものの,現在の水準から10%以上乖離する団体も出てくるということで,簡素化と正確性はトレードオフだろう,とされています。この点は委員長がかなり関心を持たれていて,現行の基準財政需要額を人口と面積で配分すると一部の自治体では乖離が大きくなるのですか,ということを何回か確認されていました。
議論の中で単一国家であることを強調されているのは重要だと思われます。分権の議論では,しばしばもはや連邦国家です,みたいな話も多いわけですから。ただ他方で,林教授の議論では,「財源保障と財政調整の分離は不可能で無意味」とされていて,国の仕事を地方がやる,というときにも交付税制度を活用するという議論なわけですが,この場合本当に地方の「自由度」が高いのかどうか,という問題点があると思われるのです。この点についてまさに「財源保障と財政調整の分離」を主張している井伊委員がコメントされています。

まず交付税に関して,配分されたものが自由財源であると林先生おっしゃっていますけど,まず現状認識として地方交付税というのは自由財源なのかどうか。制度として確かに一般財源であると思います。けれども義務付け枠付けが存在してますので,地方公共団体が自由に使えるお金とは必ずしもなっていないと思います。仮に自由に使える部分があったとしても,交付税を決めるときに福祉であるとか教育であるとか,ナショナルミニマムを確保するという名目で交付税をもらいながら違うことに使っているということは,やはり国民の立場からしますと,福祉のために使うといいながら意図したように使っていないのではないかと,国民にとって非常にわかりにくい制度ではないでしょうか。
私が資料で提出したときに考えていた具体的な制度というのは,地方にその仕事をやるかどうかの裁量がない義務的なもの,たとえば生活保護とか義務教育のようなものをカバーするというふうに考えています。使い道は制限されていますので,林先生がおっしゃっているように地方公共団体の裁量の余地というものはないわけですけど,使い方に関しては裁量の余地を増やして多様化すると。たとえば義務教育の場合は,義務教育に使用する交付金額というのは決められていますが,その交付金を何に使うか,教員を増やすかとか校舎を作るかとか,そのときに立派な校舎を作るのか簡素な校舎を作るのか,そういった裁量というのは地方公共団体に任せている,この委員会で行ってきた義務付け・枠付けの見直しともつながってくると思うんです。こういう風に考えて,国が決めた福祉とか教育とかいった分野には関しては財源保障して,財政力の格差で地方公共団体の基本的なサービスが地方公共団体の間で大きな差がないようにする。それでもやっぱり差ができてしまうと思いますし,地方が自主的な判断で仕事をするための財源は,新しい交付税で財源調整をすると。そういう風に財源保障と財政調整の制度を分けることが国民にとってわかりやすい制度ではないかな,という風に考えています。

林教授の答えは次のようなかたち。

一般財源特定財源でない一般財源は何に使ってもいいんですよね,ひもつきではないというのが大前提なんですよね。イギリスの制度でも、僕はレイフィールド報告なんかもずいぶん勉強したんですが,確かに地方の役人からはイギリスですとRevenue Support Grant,日本の交付税のように一般財源を交付する制度なんですけど,やっぱり地方からは自由財源と政府はいっても冗談じゃない,実は特定補助金と変わらないぞ,という不満が出ているんですよね。確かに日本も建前として一般財源となって,一般財源のように使う慣行であってほしいんですけど,ただ計算の仕方を見ると全部国の法律に基づいて警察官は何人,という風に決まっていくんですよね。基準財政需要が決まって,それをもとに計算して,基準財政需要と基準財政収入との差額を補填すると。もうひとつ恐ろしい点は,確かに一般財源とはいっているけどあまりに勝手にへんな使い方をしたら,それは許さないみたいな…ただ総務省の役人にお聞きしたら,これまであまりに変な使い方をしたから地方交付税を返還せよということはいちどもなかったというふうに言っているんですけど,それは地方がまじめに基準財政需要額を計算したようにちゃんとやっているからそうなのか。本来ならば自由財源だから何に使おうと,というのが建前ですけど,実際にはそうではないというのが、そのへんが私自身も疑問をもっているところですけど…。ただまあやはり,ひもつきの特定補助金と明確に区別して,基本的に自由財源,自由に使える財源と,もし現実にそうでないとしたら,それをむしろ直すべきであって,本来はそういう財源なんですよね。そこが特定補助金と明確に違っている点と認識しているわけです。
それから,財源保障というときに,すでに地方に与えたサービス,義務教育も含めて,それに対して基準財政需要額なんかを計算して,その部分はナショナルミニマムが計上できるかたちで地方交付税を配布しているわけで,現在の制度でも財政保障はできているのではないかと思うんですね。それをもっと分けて,これを財源保障の部分でということによって,むしろ特定補助金のような縛りが出てくるのではないかと私思ったわけで。そういう面では今のほうが…さっきいったように,自由財源といっても相当縛られているというのは私も認識しておりますが。

個人的には,交付税が「自由財源」といってもそれなりの縛りがある,ということを認めてお答えされているのでやや苦しいかな,という感じを受けるところではあります。ただ,財源保障について現行では基準財政需要額を計算してできているのではないか,という問題意識もおそらくは重要なのではないかと思われます。定率の補助金という制度を使っているわけで,そのときに「補助金による財源保障」と「交付税による財源保障」が一応別々に運営されているのはどういうことなんだろうなぁ,というところなわけですが。この点についても,交付税で裏負担というのがわかりにくい,とそのあと井伊委員が指摘されていますが,なかなか難しい。もう少しこのあたり議論が詰まるとよかったのではないかと思うのですが,この回はかなり時間が押していたらしく,残念ながらやや中途半端なかたちで終了。もう少しこのあたりについて委員間での議論がほしいかな,というところでしょうか。