政治工学?

ダイアモンドの,「若手学者が激論する!−経済学・政治学・社会学のコラボレーションで日本を変える」は,一応「若手学者」の端くれとしては興味を持って見ていたのだけど,一回目に続き二回目もなんだかなぁ…。これは「二大政党制はバラ色」っていうお花畑な主張と戦うのだろうか。まあそれは相当キツイ命題だろうから,検証したら違うっていうことになるのは同感だが,新しく「多党制はの方がバラ色かもしれない」っていう違うお花畑を作っても仕方がないのではないか。多党制は多党制で,拒否権をコントロールするのが難しくて政策決定が非常に現状維持的になりやすい,という問題をはじめとしたいくつかの難点があるわけだから,その辺にもちゃんと触れていくべきではないか。そもそも,最近の政治学の議論だと,政党制と選挙制度だけで権力の話をするのはいまやあまりに乱暴に見えるわけで,二院制や中央地方関係についての理解が外せなくなっている*1。まあ紙幅の問題がある(ウェブだけど?)というのはわからないわけではないが。
特に気になったところについて二つほど。

二大政党制の弊害は大きくいって2つあります。まず、政策が中道化していくこと、次にその反作用が起こることです。大きな政党が2つしかないと、有権者の層が厚い中道の票を求めて政策がどんどん似通っていく。これが常態です。そして、真ん中の票が底を突くと、今度は逆に小泉改革のような急進的改革が行われることになり、これが社会に大きな負荷をかけます。

前者はいいとして,後者はどういう理論的な根拠になるのだろうか。不勉強なのでよくわからないが,例えばLipset and Rokkanとかの議論の延長で,「凍結」で動かない票が固定されて,残りの票がレバレッジを効かす,とかそういう話なのだろうか。よくわからなかったので,著者の本を見てみたが,ひとつは急進的な政党としてヨーロッパの極右政党の例が挙げられていた。これは極右政党がpivotal voteをもっているから連合政権の中に入るところに問題が生じうるわけで,むしろ比例代表制によって様々な政党が議席を取ることによって問題が深刻化する例ではないかと思われる。だからきっとこの議論とは違うのではないかと思ったが,他の議論としては122ページにある「二党制のもとで片方の党が中央へと押し流されるとき,急進派支持者が,党のもともとの政策を実現させるため,新たな政党を組織する傾向が生じる」という話くらいしか見つけられなかったが,これは小泉政権には関係ないだろう。もうひとつ,Prasad[2006]という本*2を挙げて二大政党型の(?この辺はよくわからない,読んでないので)政党政治新自由主義を招くとする議論をしているが,一方で英米新自由主義に向かい,他方で仏独などが多党制のもとで経済成長を志向するというのはやや片手落ちではないか。仏独だって経済成長にブレーキがかかっていて従来の方法では難しくなってるわけで(極右政党などはその顕れかもしれない)。敢えて肯定的に捉えるのならば,自民党という政権党内での急進的な勢力(例えば小泉総理も所属していた清和会?)を重視することもできるかもしれないが,それはたぶん二大政党制の問題というよりも自民党という政党の政党組織の問題として捉えるべきではないか(有権者はあくまでも「自民党」あるいは候補者個人に投票するわけで「清和会」に投票するわけではない)。
小泉改革のような急進的改革」(この表現をそのまま受け容れるわけではないが)が行われたのは,確かに選挙制度改革などの政治改革の効果が重要だろうと思うが,それは政権政党内でVeto(いわば抵抗勢力?)を発揮できる余地が少なくなったことによるものだと考えられる。だとすると,議論すべきはその「小泉改革のような急進的改革」が本当に「急進的」だったか,というところであって,それを確かめるのに必要な郵政選挙後の選挙を,当事者である小泉総理がその選挙の洗礼を受けずに辞任することを許した政治制度*3にこそ問題があるというところではないか。

本のなかでは「プログラム化された政治」と呼んでいますが、マニフェスト選挙は、政党が提示した政権公約有権者がお墨付きを与える、というかたちの政治です。政治学用語では「エージェント・スリック」などと呼びますが、これは政策がいったん動きだしてしまうと、トップダウン型であることもあって、有権者によるチェックと修正が難しくなるのです。だから今、政権の「情報公開」が問われているわけです。
これとは反対に、かつての自民党政治のように利益を媒介にした政治だと、有権者の目やチェックはつねに厳しくなる。政党や政治家は「これをあげる」と有権者に約束するわけですが、有権者は実際に利益が配分されないと、すぐに政治家に対してチェックを入れることになる。ルソーの言葉に「私たちは選挙のときだけ奴隷から解放される」というのがありますが、マニフェスト型の選挙だと、次の選挙まで民意は表明できないですよね。そうした意味では、中選挙区時代の多党制による政治の方が、実は民主的だったという見方もできるんです。

前段については納得できないわけではない。ただ,本の中でも「マニフェスト」を僕なんかは「何でそこまで?」っていうくらい批判しているが,別にマニフェストとかはある意味どうでもよくて,問題は上述したように,選挙で委任された人たちがその期間きちんと責任をもってやって,その仕事について評価を受けるかどうかではないか。マニフェスト金科玉条のように(最近は『毛沢東語録』なる表現がはやってるらしい)扱うかどうかは,単にそれで政権党についた政党のスタイルでしかないと思うけど。有権者は「約束を破ったか」どうかで判断しないといけないということは決まってないわけで,約束とは別に「成果を上げたか」で判断する途だって普通に開かれてる。だから単に政治的レトリックの問題だと思うけど。ちなみに「エージェント・スリック」は何のことだかよくわからない,Agency slackのことだと思って理解してるけど,間違ってたらすみません。もし誤植なら早めに直っていることを期待したい。
後段については,もちろんクライエンタリズムが好ましい,という話をしたいというわけではないと思うのだが。中選挙区制廃止のときに,少なくとも真剣に議論しようとしている人は,まさにここで書かれている政治家が提供する利益と有権者のチェックについて意識して,「誰にとって民主的」かを問題にしてたのではないだろうか。Estevez-Abeが議論するように,中選挙区制でうまく代表を送り出せない,「組織化されない利益」を選好するような人たちは,そもそも「選挙のときにも奴隷から解放されない」ということにならないのだろうか。

Welfare and Capitalism in Postwar Japan: Party, Bureaucracy, and Business (Cambridge Studies in Comparative Politics)

Welfare and Capitalism in Postwar Japan: Party, Bureaucracy, and Business (Cambridge Studies in Comparative Politics)

なお,4ページ以降は,僕には批判するような実証的な根拠がないのでよくわかりません。筆者が特に本で批判している「政治工学」については,その批判はよくわかるし,同意できるところもある*4。一方で,僕はどちらかというと「制度」を中心に分析する方で,制度のインプリケーションとかいうから「政治工学」の側の人間だと思われやすいかもしれないし,別に実証研究の結果ある程度納得できるインプリケーションを踏まえて制度設計を行うこと自体を否定するつもりもない。現存する制度をなくす,ということだってある種の制度設計になるわけで,その前に一定の実証研究の蓄積があって判断した方がベターだと思うし。
あと,読んでて何かすごい不思議だったのは,そんなに「政治工学」やってる人のいうことを,政治家は聞いてくれてると思うのかなぁ,ということ。小選挙区制は別に天から降ってきたわけではなくて,やはりそのときの政治家の多数にとっての利益に合致したということではないか。その意味でもう少し内生的に考えるべきだと思うし,(牧原先生的に言えば*5)「ドクトリン」が受容される過程でのアクターの利益や行動が重要になるのではないかと思う。そう考えると,しばしば中選挙区制回帰論は出てるし,こういう主張自体も「ドクトリン」として分析していく観点も必要になるのかもしれないが。

*1:例えば,何回か引用しているが,Chhibber and Kollman[2004]によれば,小選挙区制をとる国だって多党化している。

The Formation of National Party Systems: Federalism and Party Competition in Canada, Great Britain, India, and the United States

The Formation of National Party Systems: Federalism and Party Competition in Canada, Great Britain, India, and the United States

*2:Prasad, M., 2006, The Politics of Free Market: The Rise of Neoliberal Economic Policies in Britain, France, Germany, And the United States, Univ. of Chicago Press.

The Politics of Free Markets: The Rise of Neoliberal Economic Policies in Britain, France, Germany, And the United States

The Politics of Free Markets: The Rise of Neoliberal Economic Policies in Britain, France, Germany, And the United States

*3:あるいは,8月の総選挙の直前に総理が「行き過ぎた市場原理主義からの訣別」とまで言っているわけで,一度選挙によって構成された政権が,その後連立の組み換えなどなしに本格的に変質してしまう制度と言っていいかもしれない。

*4:ただ「日本を変える」のは「政治工学」じゃないのかと思ったりもするんですが。

*5:牧原出,2009,『行政改革と調整のシステム』東京大学出版会

行政改革と調整のシステム (行政学叢書)

行政改革と調整のシステム (行政学叢書)