『政党内閣制の展開と崩壊 1927〜36年』

以前紹介した村井良太先生の本のいわば「続編」。あとがきを読むと、もともと一本の博士論文として構想・執筆されていたものであったのに、大幅に加筆修正して二本目を送り出されたとのこと。サントリー学芸賞をとった一作目も面白いが、最近政党に対して個人的な関心を強く持っていることもあり、二冊目も非常に興味深く読むことができた。
二作目も(たぶん前作ほどではないものの)主人公のような役割を担うのは西園寺公望。その自由主義的な政治観と政党政治への信頼というかより望ましい政党政治を追求する努力は、西園寺を非常に魅力的な人物として描くことになっている。前作のあとがきで「夢に出てきた」話があったが、歴史叙述の最後が西園寺の死去となっているのは、やはりこのテーマにおける西園寺の重要性を示すものなのだろう(もちろん村井先生の個人的な思い入れもあるだろうが)。本書のポイントは、前作同様に戦前の政党政治において首相の選定をどのように行うかというところにあり、西園寺が元老のような個人による選定に頼らず、ルールによって実質的な選定が行われることを漸進的に実現させるようなかたちで行動していたこと、そしてそれが一時期実現するものの、失敗(→重臣会議による選定)を余儀なくされる過程が描写されている。
本の帯に「「憲政の常道」とは何か」というコピーが出されていて、まさにこのコピーは本書の中心的な議論になっているわけだが、本書によれば「憲政の常道」とは首相の選定を自動化するルールであるということになる。特定の個人や集団が裁量的に首相を決めるということは、政権に関わるアクターの不確実性を増し、政治の不安定につながるが、「憲政の常道」のようなルールが存在していればアクターが抱える不確実性は減り、政権を与る政党は責任をもって政治的な決定を行なうことができるようになる。元老が首相の選定を行なう状況では、政党/政治家がその選定において大きな不確実性を抱えてきちんと政党というまとまりで結束することが阻害されてしまうが、選定がルールによって自動化すれば、政権への道がはっきりするので政党というまとまりが維持しやすくなるというわけだ。西園寺は、1924年加藤高明内閣の成立以降、基本的にルールの形式化を図るように動き続け、政党内閣の発展をうながすことになったということになる。
本書では政党内閣崩壊の原因として、このルールが見えなくなってきたことを重視している。政党が政権への道筋をはっきりと理解できなくなったために統合を維持することができず、その統治能力を失って自ずから瓦解していくというわけだ。「政党の腐敗、堕落、無能と言われるが、政党の劣化が政権からの政党の排除を招いたという、いわば墓穴を掘る政党という理解は、同時代はもとより敗戦後にも引き継がれた。しかし、この理解は事実の前後関係において誤りであり、政党の劣化が政権からの排除を招いたのではなく、政権からの排除が政党の劣化を招いた。」(424)というのはなるほどと思わせる喝破となっている。
なぜルールが見えなくなっていったか。世界恐慌による困難、軍部などのテロによる政党指導者の暗殺、などももちろんあるが、首相選定のルールを混乱させるいくつかの要素が存在していたことも大きい。たとえば張作霖爆殺事件後に昭和天皇田中義一を叱責して辞職に追い込んでしまったこと、これは天皇/宮中官僚という一定の独立性を持った機関が裁量を有していることを示してしまっているので、その後にも統帥権干犯問題などで政党政治の展開を抑制する効果を持ってしまう。そして本書の議論の中心となるのが、515事件で犬養毅首相が暗殺された後に、齋藤実岡田啓介広田弘毅と続く内閣で首相選定の形式的なルールを確立できなかったこと、また、当初暫定政権の性格を持っていた齋藤内閣が長期化したことによって暫定色が薄れ、政党が政権から排除されてしまったことが大きい。政党(特に政友会)は齋藤内閣の初期には大連立的に政権に協力するのだが、だんだん政権から離れて政権批判を強めるようになる。それはおそらく政党としては自然なところもあるのだが、そのために政権に戻る道筋を自ら失わせてしまうところがあった。
ストーリーが非常に面白く、また豊富な資料にあたっているので説得的。ひとつだけあるとすれば、個人的には犬養毅以降の議論の焦点が西園寺と宮中官僚、それから政軍関係の分析にほとんど限定されているのがちょっと残念だったような。崩壊していく政党政治を前にして、政党がどのように考えていたのかをもう少し知りたいところはあった。政友会で言えば、鈴木喜三郎総裁や色々悪名高い久原房之助の意図ということになるだろう。民政党は515事件前後から井上準之助や江木翼、川崎卓吉などリーダー格がどんどん死んでいくのでなかなか難しいが、斎藤隆夫の反軍演説とその後の経緯、というのはもう少し描かれてもいいのかも、という気がした。芦田均とかは出てくるところを見ると、資料的制約ということなのかもしれないが。
最後に、本書から当然議論できることだと思うのだが、興味深かったのが433頁の注13。宇垣一成を意識しての議論だが、軍が政治的意思を持って政権に絡んでくるのではなく、タイのように政党政治を矯正する軍という役割意識が形成される可能性についてちょっとだけ触れられている。前作から続くモチーフだと思うが、政党政治は政党間の政策をめぐる対立とメタ政策である体制をめぐる対立を同時に抱えてしまうところがあって、前者(政策をめぐる対立)をやっているつもりが体制自体の信任を損なうような対立をしてしまうことが少なくない。それを政党政治の中だけで処理するのが難しいから、イギリスでは王室が出てくるというような制度外のプレイヤーの議論が出てくるわけで、田中義一内閣に対する天皇・宮中官僚もそういう問題意識があったという。王室などがその担い手になるのは、制度の外で独立性を保持しているからであって、そういう意味では軍も有資格ということになるのかもしれない。しかし、現在の日本のようなところで、そういった政党政治のアンカーになるのは一体何なんだろうと思わざるを得なかった。専門性だったりするのだろうか。

政党内閣制の展開と崩壊 一九二七~三六年

政党内閣制の展開と崩壊 一九二七~三六年

政党内閣制の成立 一九一八~二七年

政党内閣制の成立 一九一八~二七年

追記:
書こうと思って忘れてた論点を思い出した。本書で印象に残ったことのひとつは、政党政治で国防・外交を扱うことの難しさだった。この問題を政争にしてしまうと、政治体制への信認も揺らぐし、外国との協調関係を維持するのも難しくなる。国防・外交問題では相手があるので妥協を迫られることが少なくないわけだが、妥協による漸進的な改良は評価されず、ゼロかイチかのざっくりした議論が好まれるというのは今も昔も変わらない。ただまあ政党政治というものは国防・外交でなくても妥協による漸進的な改良を目指すものでしかないので、国防・外交であろうがそれができなくなってしまうのは政党政治を行なうための「コモンセンス」が十分ではないということなのかもしれない。