「フェアなゲーム」を作るための選挙制度改革

総選挙が終わり,衆議院だけでも自民党公明党の三連勝(しかも大勝!)という結果に終わった。2012年はともかく,2014年と2017年は選挙前から広く予想されていた通りの結果となり,関心は三分の二を取るのかとか野党でどこが相対的にマシか,というようなところに限定されていたのではないかと思う。政権党としては,あらかじめ勝負の見えてる選挙をやる方が楽だという感じはあるかもしれないが,実はそれってかなり危険な話だと思う。選挙自体が「フェアなゲーム」じゃないとみなされると,政権自体の正統性が揺らいでしまって,何を言っても反発を受け,あるいは嘲笑されることもあるかもしれないからだ。そうなると政権としては,(選挙でちゃんと正統性を調達できないので)反対者に対して無理やりにでもいうことを聞かせるような行動を取らざるを得なくなるかもしれない。今もそういう兆候はあるように思うし,そうなってくると正統性の不足→無理な決定→さらに正統性の不足…みたいな悪循環に陥る恐れはある。
折しも,前回の選挙制度改革から20年が経過し,そろそろその総括をすべき時期になっているのではないだろうか。1994年当時といえば,まだShugart and Careyの極めて影響力の強い本が出た直後くらいであって,「小選挙区制が二大政党化を促す」と言ったような非常に単純化された言説は受け入れやすかったように思う。また,1990年代に入るころまでは福祉国家もそれなりに持続的で,ということは中央政府への集権の度合いも高くなっていっており,国政の主要な選挙での小選挙区制(のみ)が他の選挙にも影響を与えることで二党制の形成を促すといったところもなかったわけではないだろう。しかしその後各国で制度の多様化が進んだことを受けて行われた選挙制度研究の発展を考えれば,衆議院総選挙だけを小選挙区制にしたことで二党制が生まれるというのは相当に無理がある議論だということはわかるし,20年してその反省を踏まえて「フェアなゲーム」のルールを考え直すべきじゃないか。
制度を見直すといっても,元の中選挙区制に戻すべきではない。前回選挙制度改革での中選挙区制に対する問題意識自体は正しかったと思うし*1,世の中には元の制度と今の制度しかないというわけではない。もちろん衆議院自体で小選挙区制中心にするか比例制中心にするかという議論が極めて重要なのは言うまでもないが,どちらを中心的に採用するにしても,この時点で選挙制度改革を論じる以上は(1)安易な混合制を避ける,(2)参議院選挙制度を変える,(3)地方の選挙制度を変える,ということは論じられなくてはいけないのではないか。(1)については,最近だとAmy Catalinac氏が論じているように小選挙区部分と比例部分で異なる競争がなされてしまい,結果としていわゆる「汚染効果」が起きて野党が分裂的になりやすくなる。(2)については,参議院小選挙区制といわゆる中選挙区制が混合していることで,大きく勝とうとすると小選挙区制部分(=大都市を持たない人口の少ない県)に力を入れなくてはいけなくて,これが大票田の大都市が多くの議席を出す衆議院総選挙での力点と齟齬をきたし,特に野党に取って重要な政策プログラムの一貫性を失わせる可能性がある。(3)については,私自身が研究してきたわけだが,「二元代表制」で議会ではいわゆる中選挙区制を採用する地方自治体では都市部での多党競争と農村部での非競争が分かれていて,国政野党が都市部で政党組織を築くことが難しくなる一方,例外的に選挙区定数が小さい政令指定都市などで首長党が出現し地方での政治競争を背景に国政野党から支持を奪う傾向がある,ということが考えられる*2。いずれにしても,野党を分裂的にしてしまう傾向を持つものであり,選挙を「フェアなゲーム」から遠ざける要素になっていると思われる。
また,投票方式よりも些細なことに見える制度群の扱いも重要である。今回の選挙でも問題になった「首相の解散権」は,単に解散権として議論するのではなく,公職の任期や選挙サイクルの問題として議論すべきだろう。仮に解散に制約を書けるとすれば,衆参のサイクルを合わせるのかどうかということは問題になるだろうし,それに加えて地方選挙の統一(複数の自治体の選挙を同じタイミングで行うか,同一自治体の首長と議会の選挙を同じタイミングで行うか)をどう考えるかも議論されるべきである。さらに選挙のタイミングという問題は,どのくらいの長さで選挙運動を取るかという問題とも関わってくる。運動期間が短すぎてかつ事前の運動規制が強い状態では,本人の周知のために選挙カーで名前を連呼することはある程度やむを得ないわけで,批判の多いそういう行動を抑制するためにも,実際上の選挙運動の期間を伸ばし現職も非現職もフェアに名前を浸透させることができる必要があるように思う。選挙運動の期間を伸ばせば期日前投票の期間をそれより短く取らざるを得なくなるだろうが,そうすれば投票用紙を準備するために必要な時間の余裕もできるので,有権者の意思を適切に伝えることを阻む自書式を廃止することも容易になる。
複数の選挙の投票方式を統合的に見直す,ということに加えて,選挙に関する手続きを再整備するためには,やはり総合的に検討する機関が必要だろう。現状では,それができるのは前回の選挙制度改革の時(第8次)以来設置されていない選挙制度審議会(第9次)しかないと思われる。そこで前回改革の総括をしつつ,必要な制度についての議論をすべきではないか。ここには書ききれていないが,本来は政党組織のあり方についての議論も含めて検討される必要があると思われる。できることならそこも含めて総合的に検討する場を設置すべきだろう。
今のルールが十分にフェアであるとか,野党はそういう不利を乗り越えていくもんだ,と考える人には必要ないかもしれないが,それがマジョリティとはあまり思えない。また,たとえばしばしば取り上げられるように「年齢別選挙区」とかそうだけど,誰かにとって今の選挙制度が不利だから,それを積極的に是正してちょっと有利にしてあげるって改正をというのはあんまり望ましくないと思う。たぶん衆議院だけ見直してもまた同じようなことになるだろうし。あくまでも政治の正統性を回復するために,選挙を「フェアなゲーム」にするルールを検討しなおす時期になっているのではないか。

*1:より詳細には拙著『民主主義の条件』をご覧ください。

民主主義の条件

民主主義の条件

*2:地方についてのより具体的なお話はこちら

政党政治の制度分析

10日ほど日本に出張していたときに,建林正彦先生(っていうか千倉書房の神谷さん)に頂きました。どうもありがとうございます。私の本と似たような装幀になっていることが示すように,極めて似たような問題を扱っているところがあります。しかし本書と『分裂と統合の日本政治』の一番大きな違いは,こちらの主眼がおもに参議院にあるところというべきでしょう。私も自分の本の中で,

検討が必要だと考えられるのは,国政レベルで政党システムの制度化を阻む要因である。本書では,中央地方関係に主眼を置いて分析を進めたが,中央地方関係という垂直的な権力の分立のみならず,国政レベルでの水平的な権力の分立は,政権党による統合を困難にする可能性が指摘されているからである(Hicken 2009)。日本でいえば,強い権限を持つ第二院である参議院の存在が重要である。参議院の同意を取り付けるために,政党執行部は所属する参議院議員に対して配慮を行うことを求められるし,衆議院過半数を超える政党が参議院過半数に届かないときには,安定した意思決定を行うために連立政権を組まざるを得なくなる(竹中 2010)。現在,小選挙区制・中選挙区制比例代表制という多様な選挙制度が歪なかたちで混在する参議院通常選挙は,小選挙区中心で行われる衆議院総選挙とは異なる独特の政治的競争を生み出すことになると考えられる。また参議院では,戦後何度かの選挙制度改革が行われていることもあり,その存在が政党システムの制度化にどのような影響を与えたかについて詳細な検討も可能だろう。(174頁)

と書いていたのですが,本書では,参議院地方区(1人区と複数人区)での多数派の形成(複数人区では複数当選)が,同様にSNTVで選挙を戦う衆議院議員都道県議会議員の選挙戦略にも適合的で(要するに複数人区の場合には候補者が棲み分けを行うことになって),それが自民党の一党優位を維持するのに貢献したのではないか,という議論をしています。もう少し言えば,単に衆議院のSNTVだけ考えたときに,しばしば派閥=疑似的政党による連立政権であるとも考えられる自民党が,なぜその外延を基本的に同じままで保ち続けたかを考えたときに,参議院における多数派の形成ということが極めて重要だったのだろうと論じられるわけです*1。そして,参議院での多数派形成のために,国会議員・地方議員が知事選挙・参議院地方区選挙に勝利するために都道府県連を共通のアリーナとして協調行動をとっていたのではないか,という見立てが示されています。
これは衆議院参議院という「マルチレベル」を考えることで出てくる非常に興味深い指摘であって,めちゃくちゃ魅力的なものだと思います。本書ではそのような議論について,衆参両議員と地方議員へのサーベイを用いながら検証しています。まず2−4章では国会議員と中央省庁の官僚への調査を使って,選挙制度改革後に政党執行部への集権が進んでいたことを示したうえで,5章では参議院議員・地方議員が(衆議院議員と比べて)政党から自律性を持ちやすいこと,6章では地方議員が都道府県議会での選挙区定数によって国政政党に対する態度が異なること,そして7章では参議院選挙の定数によって都道県議会議員の政党への態度が異なるのではないかということを議論しています。実証の各章は基本的に元論文があり(7章は書下ろしに近い?),展開されている議論(あるいは用いられているデータ)がダイレクトに仮説と直結しているのか疑問に思うところもなくはないですが,しかし特に5‐7章で複数のレベルのデータを同時に考慮して分析するというのはたぶんこれまでにほとんど行われていないことであり,とても挑戦的な試みだと思います。理論とのずれを指摘するのは難しくないでしょうが,しかしどのようなデータを扱うかということを考えるのは非常に難しく,手に入りやすい観察データで議論を展開するのは簡単ではなく,このようなデータを中心的に収集されてこられた建林先生ならではの議論というのは間違いないでしょう。私の本では,結局参議院をあきらめて中央地方関係に絞ったのに対して,両方を射程に入れつつ理論的には参議院に焦点を当てている本書では,より包括的な議論,あるいは相補的な議論が展開されていると言えるのではないでしょうか。その意味ではぜひ一緒に手に取っていただければ!(宣伝)

政党政治の制度分析 - マルチレベルの政治競争における政党組織

政党政治の制度分析 - マルチレベルの政治競争における政党組織

それから,日本への出張中に,神戸学院大学の橋本圭多先生から『公共部門における評価と統制』を頂いておりました。どうもありがとうございます。時間がなくてきちんと拝読はできずに置いてきてしまいましたが,これまで書かれてきたものを博士論文としてまとめ,それを単著として出版されたようです。内容は,評価の制度を論じつつ男女共同参画や沖縄振興(両方とも内閣府マターですね!あと本書に収録されてませんが,原子力関係についてのご論文もあるようです)についても評価の観点から分析されているとか。評価についてはやはり制度の議論が盛り上がった2000年代初頭に導入された制度がそろそろ定着しているわけで,制度がどう動いているかを分析する時期というべきなのだろうと思います。
公共部門における評価と統制 (ガバナンスと評価)

公共部門における評価と統制 (ガバナンスと評価)

*1:この意味で,1993年の自民党分裂の背景として1989年の参院選の大敗と公明党民社党を含めた連立の組換えがあるのではないかと指摘する(第1章註12)は建林先生らしい指摘で非常に興味深いと思いました。

『日本のネット選挙』ほか

関西大学の岡本哲和先生に,『日本のネット選挙』を頂きました。どうもありがとうございます。これまで,日本の「ネット選挙」ことインターネットを使った政治活動・選挙運動については様々なかたちで取り上げてきた本があると思いますが,実際の政治家や有権者の判断について調査するものでは必ずしもなかったように思います。それに対して本書は,2000年ころ,まさに「ネット選挙」が人の口の端に上り始めたころから継続的に調査を続けてこられた成果を示すものとなっていて,まさに日本の「ネット選挙」の歴史を実証的に提示したものになっているように思います。やはり興味深いのは,2000年や2003年といったネット黎明期に,岡本先生が政治家ウェブサイトなどを根気よく調査されているところで,時折今ではあまり見なくなった「アクセスカウンター」や「Yahoo!JAPANへの登録」といったような文字列を見ると,そういった歴史があって今に至るのだなあという感慨すら湧くところです。そうした時期のデータというのは,(全て魚拓がとられているわけでもないので)基本的にその時期にしか取得できないものであり,データを残しておられること自体非常に重要な貢献であると思いました。
また本書では,最近よく因果推論の手法を用いて議論される,有権者による情報の選択的接触がどのように投票行動につながっているかというテーマも論じられています。サーベイ実験のような手法が用いられているわけではなく,基本的には調査会社の持つモニターから無作為抽出されたサンプルからインターネットによる情報接触を行った有権者をさらに抽出してアンケートを行うという手法が用いられており,因果推論という観点から言えば弱いところはあるかもしれません。しかし,必ずしも因果推論に限定されるわけではない問題関心から(もちろん,そういう議論が一般的になる前から継続的に調査されてきたことも重要でしょう),議員(のウェブサイト)に対する調査と有権者に対する調査をともに行って「ネット選挙」の全体像を明らかにする一つのモノグラフとして提示されたことは非常に意味のあるお仕事ではないかと思います。

日本のネット選挙: 黎明期から18歳選挙権時代まで

日本のネット選挙: 黎明期から18歳選挙権時代まで

その他,大学にいくつかご著書を頂いておりました。まず著者の皆様から,『大人のための社会科』を頂きました。どうもありがとうございます。専門の異なるもののいずれもご活躍されている4人の方々で,社会的メッセージの強い本を一冊まとめられたというのは大変なことだと思います。坂井先生のツイッターによれば発売前に重版が決まったとかで,期待の表れということだと思います。
大人のための社会科 -- 未来を語るために

大人のための社会科 -- 未来を語るために

また,東京大学の祐成保志先生から『イギリスはいかにして持ち家社会となったか:住宅政策の社会学』を頂きました。Housing debateの翻訳で,原著はイギリスの住宅政策の発展を歴史的制度論の観点から分析している本です。祐成先生は,ケメニーのハウジング論に続いて,福祉国家と住宅政策に関する政治学の観点からも重要な本の訳出をされていることになり,大変ありがたいところです。
イギリスはいかにして持ち家社会となったか:住宅政策の社会学

イギリスはいかにして持ち家社会となったか:住宅政策の社会学

ハウジングと福祉国家 居住空間の社会的構築

ハウジングと福祉国家 居住空間の社会的構築

住民投票の研究:「住民投票の比較分析―「拒否権」を通じた行政統制の可能性」『公共選択』68号

在外研究でUBCに来てから始めたことのひとつに,住民投票の研究があります。ただまあ以前大阪都構想の研究をしてから一応興味があり,依頼を受けてこんな小文を書いてました。この中で,住民投票の類型として(1)国の法律で決められて法的拘束力を持つもの,(2)市町村合併,(3)迷惑施設をはじめ市町村の条例で行われるもの,という風に分けています*1。(1)については,憲法95条の規定のものはもうこの60年くらい行われておらず,あえて言えば大阪都構想に絡む大都市地域特別区設置法が近い?→これは書いてきた,ということで*2,残りの(2)と(3)について一本ずつ論文を書こうということで,依頼もあってとりあえず(3)として書いた論文が『公共選択』68号に掲載されました。(2)も大分前に書いていて,まだゲラ来てないのですが年内には出てほしいなあと。
住民投票に関心を持つようになったのは,地方レベルでの政党政治がうまく機能していない裏返しとして住民投票が求められるところがあるのではないか,と考えるようになったからです。今回の論文は(も),きちんと仮説を持ってきて検証するというよりも,住民投票に関するデータを集めてきて,どういうものが住民投票にかけられているか,とか,「拒否権」としてどういう場合に機能するのか,とかを議論する感じです。最近こういう探索的なのが多くて,それはそれで面白いんですがもう少しかっちりした仮説検証みたいなものもしたいと思ったり。主に対象になるのは2016年までに行われた37の住民投票(唯一の都道府県=沖縄県のものも含む)と,住民投票が直接請求がされても否決されたケースなど(こちらは必ずしも網羅的とは言えない)。まあまだケースも少ないので,これからどのくらい妥当性が維持されるのかはわかりませんが,投票率を従属変数として行った回帰分析によると,投票率が50%に行かないと開票しない,みたいな成立条件をつけると10%くらい投票率が下げるらしいということもわかりました。分析対象にした住民投票については,論文で一覧表にして主要な変数も載せているので,ご関心の向きにはご覧いただけると嬉しいです。

公共選択 第68号 特集:まちづくりの公共選択

公共選択 第68号 特集:まちづくりの公共選択

*1:合併特例法で住民投票が規定されていたりして必ずしも相互に排他的とも言い切れないのですが。

*2:どっちかというと,この類型については「不作為」が問題になるかもしれません。沖縄の基地問題や福島の原発問題で,本来憲法95条を考えると住民投票がいるんじゃないの,思われるにもかかわらずそういう議論が起きていなことについての指摘もあります。今井照『地方自治講義』など。

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

入門 公共政策学

中央大学の秋吉貴雄先生から『入門 公共政策学』を頂きました。どうもありがとうございます。タイトルからわかるように,かなり教科書に近いスタイルの新書になっていると思います。各章で公共政策学の考え方を紹介しつつ,具体的な事例を用いてその考え方を当てはめるようなスタイルで進められています。それぞれの章で具体例となる政策を挙げられるのは,とてもわかりやすく勉強になりました。読みやすくされるために関連政策のリサーチをされるのは大変だったと思いますが…。特に一般医療品のネット販売の話は,政策決定のところということもあり,より突っ込んだ分析もぜひ知りたいと思いました。
個人的に,一番議論されていくべきだろうと感じたのは,最後の「合理的政策決定の呪縛からの解放」というところです。最近話題の『データ分析の力』を読んだのですが,この本では因果関係の議論が非常にクリアに説明されていると思いつつ,統計的因果推論だけで「合理的に」物事を決められないよなあという感想も同時に抱いていたところでした。単に外的妥当性の問題や議論が可能になるデータの制約というだけではなく,仮に期待される反応を最大にするような設計ではないとしても総合的に政策を議論する必要があるのではないかなあといいますか。もちろん,効果がないとか負の効果が出ているというのであればフィードバックされる必要はありますが。そのあたり,因果関係の議論を政策にどのように組み込んでいくかということを,より具体的にどう考えるかも「公共政策学」の今後の課題ということになるのかと思います。

データ分析の力 因果関係に迫る思考法 (光文社新書)

データ分析の力 因果関係に迫る思考法 (光文社新書)

住宅を持たせるか借りさせるか

日本でも,住宅を賃貸で借りるか,持家として購入するかというのは人生の大きな選択で,インターネットの掲示板での議論がしばしばまとめサイトに掲載されたりします。それはもちろん日本だけの問題ではなく,住宅難が社会問題になっているバンクーバーでも大きな問題です。人々が賃貸を選ぶか持家を選ぶかというのは,しばしば個人的な選択だと考えられがちですが,ジム・ケメニーという研究者は,賃貸住宅の供給に政府が責任を持つ傾向が強いかどうかが重要だ,ということを前提に,北欧など普遍主義的な福祉国家では政府が賃貸住宅の供給に責任を持つことで人々が賃貸住宅を選びやすく,イギリスなど自由主義的な福祉国家南欧などの保守主義的なところでは政府はあんまり賃貸住宅の供給に乗り出さないので賃貸はあんまり好まれず,最終的に持家で住宅更新がされるという議論をしています。なお,福祉国家をめぐる議論を勉強した人はすぐわかるように,この議論はエスピン・アンダーセンのいう「三つの世界」を意識していて,なんとなくその分類と同じ分類で議論できそうなものの,そこまでクリアではないちょっとぼんやりした議論になっているところがあります。
ケメニーは基本的にヨーロッパの国を比較した議論をしているので,日本もカナダも出てきませんが,色々な特徴を見ていると両方とも「二元モデル」,要するに政府が賃貸住宅の供給に責任を持つ傾向が弱く,最終的に多くの人が持家購入によって住宅更新をするタイプであると考えられます。日本の場合は,特に高度経済成長期のような住宅難の時代に,土地区画を細分化して大量の住宅供給を行うようなことをしましたが,カナダでは土地利用の規制が厳しく,人がたくさん流入するバンクーバーでは住宅難が厳しくなっているうえに,住宅価格が高騰して社会問題となっています。こちらでは,連邦政府ではなくBC州,あるいはバンクーバー市に主にその解決が求められているようですが,今週やや方向の異なる二つの提案がなされてきました。
ひとつは,広い区画の中で,裏庭の部分に作ったレインウェイハウスlaneway house(僕が住んでるようなところです)を切り離して売れるようにしよう,という提案です。詳細はまだよくわかりませんが,たぶん土地の一体性はそのままにして上物だけ売るということだろうと思います。大きさは,だいたい700−1000平方フィート(65-90?くらい)で,まあ正直言って狭いです。自分の家を見てる限りだと,母屋との関係で高さも少し制約があるんじゃないかなあ,と思いますが。記事の中ではこれを100万カナダドル(9千万くらい?)でって書いてましたけど,いやそら高すぎるだろうというのが実感です。いやもちろん,こちらの住宅としては相対的に安いし,給与も日本より高めなのでAffordableなのかもしれませんが…。また,記事で紹介されていたのは,比較的敷地が広い地域の話なんで,もう少し大きい家なのかもしれません。しかし,区画を割らずに持家社会を貫徹するというのはなかなか大変なことだと思ったものです。
他方で,バンクーバー市が賃貸住宅の供給を進めるという記事も出てきました。カナダで初めての試み,ということですが,バンクーバー市がオークリッジといううちの近くの最近再開発が進んでいる地域で,1000戸ほど市場価格より低い住宅あるいは社会住宅が入った集合住宅を供給すると*1。この話はテレビでもやってて,UBCのビジネススクールの教授が,何万人も入ってくるのに1000戸なんて焼け石に水だ(大意)って批判してましたが。日本の公営住宅も似たようなところがないわけではないですが,仮に市が所有して運営するとしたら,建設費や土地の取得代をどのように償却していくかということは問題になるわけで,赤字が出るようだときついようには思います。限られた1000戸のために税金使うのか,という話になりますし。そうじゃなくてももっと利益を上げられる土地なのに,逸失利益が発生しているぞと言われる可能性もあるわけで。しかし日本の公営住宅と違うところは,ホントに便利なところに住宅を作るということで,そこに入れる人はラッキーかつ不当に羨ましがられることが予想される一方,批判が強ければ売り抜けてしまうという選択肢もないわけじゃないと。
改めてつらつら考えると,持家社会はやはり強固であって,バンクーバー市の賃貸へのコミットメントの提案が「制度」を変えるほどのインパクトはないように思います。とはいえ,人口が流入している成長する都市からこういう提案が出てきていることは,単に住宅を「所有」することよりも幅広い「利用」を重視することであったり,持家と賃貸の不均衡を是正したいという普遍主義的な発想があるのかもしれません。

追記

より詳細な内容がまとめられていた。Five things about Vancouver new housing planを見ると,賃貸住宅の供給に力点を置いたものになっていることがわかる。紙の新聞記事とやや順番が違うのがなかなか興味深いが図表がついているのは素晴らしい。その右の図を見るとよくわからるけど,年収が5万ドル(400万円くらい)ない人は社会住宅とかが用意され*2ボリュームゾーンである5万-15万ドルあたりは賃貸か,買うならコンドか新しいレインウェイハウス・タウンハウスであり,15万ドルを超えたらまあ適当に買ってね,って感じか。普通の戸建てはほっといても市場に出るから政府がかかわる新規供給としては議論されないということだと思う。しかし今サレーやリッチモンドに住んでる比較的低所得の人(5万ドル以下)は,バンクーバーで働いているとすれば,新たな社会住宅にアプライして何とか住みたいと思うだろうなあ(すでに市民じゃないと権利がないかどうかはよくわからん)。その分交通費とか時間も浮くわけだし。そういう意味では,日本の公団が都心から遠い郊外に分譲住宅を建てた,というのと正反対に,政府が都心に賃貸住宅を建てよう(たぶん狭いのは同じ)という趣旨なんだろう。日本の経験を踏まえると,個人的にはその方が良いと思うけども,入居する権利を獲得した人とそうでない人の不公平感っていう問題はあるかもしれない。日本の場合は結局そこがどうしてもネックになってたように思う。


From Public Housing Soc Market

From Public Housing Soc Market

なおこの本はどうも絶版になってるらしく,図書館くらいしかありません…。日本語で読めるものとしてはこちら。
ハウジングと福祉国家 居住空間の社会的構築

ハウジングと福祉国家 居住空間の社会的構築

福祉資本主義の三つの世界 (MINERVA福祉ライブラリー)

福祉資本主義の三つの世界 (MINERVA福祉ライブラリー)

*1:まあその「市場価格より低い」価格はウチの家賃より高いくらいなんですけどねっ

*2:日本の公営住宅の感覚から見るとものすごい高い。もちろん給与水準の違いはあるが

The Democratic Party of Japan in Power: Challenges and Failures

お送りした拙著のご感想についてのお手紙とともに船橋洋一先生に頂きました。もともと中公新書で出版された『民主党政権 失敗の検証』を翻訳し,Routledgeの日本研究シリーズの一冊として出版されたものです。実はまさにこの中公新書を引用しつつ書いた論文を英語に再構成しているところだったので,偶然ですが個人的には非常に素晴らしいタイミングとなり感謝しております。最近の日本政治や行政について,日本での議論の文脈に乗りながら英語で書かれたものというのは残念ながらやはりそれほど多くはなくてこういう発信は本当に貴重だと思います。日本の文脈で書いたものをそのまま英語に直すことはできないわけで,特に困るのは定訳の見つからない組織・機関や講学的な概念の扱いが難しいところです。結果として,たとえば政策過程について英語で書かれたものはなんだか単純化が過ぎるように思うことは少なくないですし,とはいえ日本語をそのまま直訳しても文脈がないので意味が分からない(あるいは直訳できない)となるように感じます。結局,英語でも日本語でもある程度固有の文脈に沿った発信が溜まっていかないと,その次の蓄積が難しくなるわけで。本書の場合は,比較的日本の文脈をそのまま英語にしているところがあって,これは書籍だからこそできるところでもあるように思います。こういった英語の発信を蓄積していくと,それを前提に次の議論が行いやすくなり,英語と日本語で行われる議論のギャップが狭まるのではないか,と期待を感じます。もちろん,研究者個人個人がどういう方法であれ積極的に発信することが前提ですが。
なお日本再建イニシアティブはこの7月に「アジア・パシフィック・イニシアティブ」として第2ステージに進まれたということです。海外メディアへの情報発信を重視しているシンクタンクとしての発展をお祈りしております。

The Democratic Party of Japan in Power: Challenges and Failures (Nissan Institute/Routledge Japanese Studies)

The Democratic Party of Japan in Power: Challenges and Failures (Nissan Institute/Routledge Japanese Studies)

民主党政権 失敗の検証 - 日本政治は何を活かすか (中公新書)

民主党政権 失敗の検証 - 日本政治は何を活かすか (中公新書)

それから,帝京大学の渡邉公太先生に『昭和史講義3』を頂いているようです。どうもありがとうございます。この『昭和史講義』も1巻が英訳されているものですね。『3』は戦前のリーダーに注目して編まれたアンソロジーになっているようです。