財審建議

えっと,三回目ですが。まあメモなので。
要するに,地方のほうがプライマリーバランスなんかで見ると改善されてきて,国のほうは金利上昇に弱いし,何と言っても債務を削減していかないといけないから,交付税交付金)減らしましょうか,という議論と取られても仕方がない部分があるのではないか,という書き方ではないかと。例年通り決算乖離の問題が挙げられつつ,今回はやや踏み込んで,法定率分で余剰が出たときに回収するよ,っていうところまで建議に出たのがまあ注目点なんでしょう。それはそれでわかるんだけども,財政再建を目的とする中で,地方分権という議論を同時並行でやらなければいけないということを考えると,もうちょい地方に配慮した感じの建議がでるかなぁ,と思ったんだけどなぁ。まあ財審が地方に配慮すんのか?というところはないではないけど,補助事業から改革しようとすると,やっぱり地方からの信頼みたいなもんは必要ではないかと思ったり。まあ財務省と地方が同盟を結ぶのは難しいのかもしれませんが。
やや気になったのは,次のくだり。

地方歳出の説明責任を巡っては,岐阜県庁の裏金問題などの不適正な支出が隠されていた事例が後を絶たない。また,破綻状態に至った夕張市では,持続不可能な借入れを長年に渡り継続するなど,自治体の財政運営に係る地域住民のチェックにより,自律的で効率的な地方自治体運営が行われるような仕組みが機能していないことが浮き彫りとなった。こうした状況は,財政改革という観点を超えて,公的部門の全てに対する国民の信頼を著しく低下させかねない深刻な問題である。このように,地方において不適切な財政運営が見逃されてきた背景として,地方交付税による財源保障機能が,各自治体における受益と負担の関係を希薄化させ,チェック機能を弱体化させてきたことが考えられる。

まあよくある批判だとは思うのですが。しかし,疑問としては,交付税の使い道のチェックはホントに住民の役割なのか?というところがあったりして。いやもうもちろん,国民として税金を払ってることを考えると,そら交付税であろうが譲与税であろうが使い道のチェック,という話になってくるわけですが,ちょっとそれは置いといて,「住民」という立場であれば,さしあたり限界的な受益と限界的な負担が一致しているかどうかをチェックすることが問題であって,交付税の使い道チェックにはあまり関心がないんじゃないかなぁ,と思ったりして。まあそれが「地方交付税による財源保障機能が各自治体における受益と負担の関係を希薄化させ」という話に繋がるのではないかとは思うのですが,そうであれば,やっぱり住民のチェックではなくて,中央政府の方から,地方政府が適切な財政運営を行っているかをチェックすることの方が問題になるのではないかと。そうなると,「財源保障」が問題になるというよりは,無駄な事業をやらしているかどうか,ということのほうが問題ではないかと思う。地方のほうで「無駄な事業」に見えるものをやっていたとしても,一般交付金で概括的な事業を任せているわけだから,それを「ムダ」というのは難しいんじゃないかなぁ。まあもちろんムダはありうるけれども,それはあくまでも地方のほうの評価の問題のように思われる。*1なので,結局のところ,「財源保障するかどうか」よりも,どの程度の事業を地方に任せるか,「あるべき一般財源」がどの程度か,というのを考える必要があって,それはやっぱり役割分担の話になるんじゃないかと思うわけで。
どの程度何をやるか,っていうのは何かしら決めないとわからないわけで,わからない以上は,前年度実績を見てしまう,というのはなんとなくわからないわけでもない(それがいいかどうかは別として)。であれば,前年度に過度に引っ張られすぎたことが問題であって,「財源保障機能」自体を叩くことは何か本末転倒な気がするんだけど。
こういうのは政治学でももちろんある。交付税に政治が影響を及ぼす,っていうのはまことしやかにささやかれるのですが,でもそんなの単位費用を通じて影響できることはほとんどないだろうから,因果関係があるとしても補正係数を通じて,ということなんじゃないだろうか。そういうのを無視して,交付税総額と政治の関係を見ても擬似相関しか取れない可能性はあるわけだし,そもそも補正係数に引っ張られてるのを見て「交付税が問題だ」って言う主張をするのは早計に過ぎるのではないか。仮に補正係数を通じて影響があったとしても,その場合問題になるのはやっぱりフォーミュラが不透明だ,って言うこと以上ではないんじゃないかなぁ。にもかかわらず,「交付税(全体)が問題だ」というのは若干ミスリーディングな気がしてならないっす。

*1:それであんまりムダが多くて自分たちが増税されるのであれば,そこで「チェック機能」が働くことになるんじゃないかと。