尊敬する先輩であるBさんに勧められて神門先生の本を読む。実は僕は卒業論文で農業の話を書いていたことがあって,そのときに神門先生の論文をいくつか読んでいたので,懐かしいなぁと思いつつ。相変わらず,厳しく,かつ,冷静な分析をされつつ,あとがきでご本人が書かれているように,非常に政策的な議論が多くなってるなぁ,というのが第一印象。まあ昔読んでたのは論文だったので…,というところもあるんだろうけど。
- 作者: 神門善久
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2006/06/24
- メディア: 単行本
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また,本書では「市民/住民/地権者のエゴ」とそれに便乗するマスコミの姿勢が非常に厳しく批判されている。転用規制を厳格化できない原因として,「集落の和」の問題と,そもそも責任を分担して都市計画をきちんと作ることができない市民の問題が挙げられている。都市計画の話は本当にそうだなぁ,と。結語で述べられているように,何でも行政のせいにして「市民」が責任を取らないことで問題が逆行するという事例は少なくないんじゃないだろうか。そういう現象?は「ゴネる」人から距離をおきたい,っていう気分がかなり作用してるんじゃないだろうか,と思う。いちいちゴネる人と(個人的に)対決することはひとりひとりの「市民」にとってはものすごく負担になるわけで,それを全面的に行政に委ねて安全なところから眺めていると,当然たまに行政が「ゴネ得」を認めることもあるわけで。*2もちろん神門先生が書いているように,「市民の責任で」ゴネ得を排除することができればそれよりも美しいことはない。でもそれは結構難しいんじゃないだろうか(すぐ「集落の和」とか出てくるし)。やっぱり他の全篇を流れている考え方と同様に,ゴネ得自体をつぶしていくことを一方で進めるしかないんだろう。それを進めるやり方を考えるならば,少なくともゴネ得が存在する分野での過度の規制緩和や地方分権っていうのはかなり危険だ,ということになるんだろう。それは利害関係者が近いとそれこそ直接的にアプローチすることが可能だ,というのが大きいわけで。関係ある人からより「遠い」ところで物事を決定する,っていうことにたまには大きなメリットもあるんじゃないか,と思ったりするわけですが。