「基本的な考え方」

地方分権改革推進委員会は5月31日に第2期分権改革の方向性を示す「基本的な考え方」を取りまとめ,安倍晋三首相に報告することになりました。その前日,5月30日に行われた第7回会合がまあその取りまとめのための最終的な会合,ということで。
第7回会合は,基本的に出てきた案について各委員が意見を言って,それについてディスカッションする,というかたちで行われてます。今回の議論はほとんど露木委員(+猪瀬委員)と丹羽委員長・増田委員長代理という構図で行われ,それに小早川委員と横尾委員が適宜付け加える,というかたちではなかったかと。こういう会議は特に公開もされているわけで,ともすれば「分権はすばらしい」からイケイケドンドン,という方向に流れ勝ちなのではないかと思ったりするわけですが,そういう「空気」に対して露木委員が「水を差す」という極めて重要な役割を果たしているのではないかと思います。まあその「水を差す」内容が常に(個人的に)賛成できるものかどうかは別として。仮に事務局長になった宮脇先生が委員として入っていた場合は,やはり理論的な支柱として事務局長「的」な役割を同時に果たすことになっていたと予想すると,このような「水を差す」役割の委員が入っていなかったかもしれないわけで,宮脇先生が委員から外れたのは非常に残念ではあるものの,その代わりとして入った露木委員も実は代役の聞かない役割を果たしているのではないかという印象です。
さてそのような議論のポイントは大きく二つ。

  • これまでの地方分権改革は必ずしもいいことばっかりではなかった
  • 地方六団体の提案を取り入れることを公式に表明すべきだ

まず前者については,今話題の社会保険庁年金混乱話がとっかかりです。地方分権改革によってそれまで市町村(の地方事務官)が行っていた社会保険事務を国が吸い上げたせいで,現在紛失した記録なんかが発生していることを考えると,こういう「影」の面についての反省が盛り込まれるべきだ,という主張です。この点に関しては,小早川委員や横尾委員が指摘しているように,市町村がやっていたのはあくまでも国民年金の徴収事務が中心であって,しかもどちらかというと社会保険庁のマネジメントの方が大きな問題だったことを考えると,逆に「分権(のみ)が悪い」とはいえないと思いますが,まあ分権によってどの程度被害が拡大(?)したかをはっきりすべきだ,ということはひとつの見識だろうなぁ,と。少なくともそれをはっきりさせることで,どの程度社会保険庁のマネジメントが悪いかがまた明らかになるとともに,中央政府から地方へ「委任」するときの問題もある程度見えてくるように思いますし。結局ここは委員長が「説明責任はありますよね」って引き取るかたちで終わります。
より議論が白熱するのは後者で,露木委員は5:5と書かなくてもいいから,少なくとも六団体の要望(提案)を聞くことはちゃんと書くべきだ,という主張を展開します。こちらは最終的に横尾委員の助け舟(?)があって,委員会が地方との意見交換をすることを述べた部分(3調査審議の方針の前文)で当初「課題」だけだったところに「課題・提案」とすることで決着がついたみたいです。いや僕は個人的には5:5ってコミットするのはどうかと思うのですが,露木委員の発言は,これまでの分権改革の中で「自治事務」で際限なく負担が増える一方,六団体の中でも比較的議論の萱の外に置かれやすい町村の叫びみたいなものがあったように思われます。特に,「六団体の要望があることを踏まえた表現を入れることで,六団体も責任を負うことになる」というのは,これまでの国と(知事会をリーダーとする)六団体の交渉の中で外されてきた町村を代表する立場として,むしろ六団体主導といって町村が翻弄されることをけん制しているように見えました。

「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)

「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)

あとは見ていた印象としては,まず猪瀬委員がずっと「地方公務員のスリム化」をほとんど文脈を無視して言いまくる,というのがどうもなぁ,っていうところでしょうか。ただ,最後の方で「地方支分部局の改革をする中で,縮減された市分部局と地方自治体が一緒になって焼け太りするのはダメなので,それを全体として抑制するべきだ」という趣旨の発言があって,それはひとつの重要な見識なのではないか,と。ただ他の部分では,文脈を無視して地方公務員はムダだーばっかり言うのは見ていてかなり辛いですが。
最後に,これはきっと政治的にはそれなりに重要だと思うのですが(深読み)。素案・案を通じて,「3調査審議の方針」の(2)に次のような表現があります。

国と地方の役割分担等を徹底して見直し,これに応じた国から地方への思い切った税源移譲を推進。その際,地方税財源の充実確保,地域間の税収偏在の是正などの観点から,税源移譲,国庫補助負担金,地方交付税等の税財政上の措置の在り方について一体的に検討し,地方債を含め分権にかなった地方税財政制度を整備

ここで,「これに応じた」という部分がはじめのほうからかなり問題になっていて,もともと増田委員長代理がちょっと前の会合で突っ込んだりしていたのですが,今回は一通り議論が終わって修文案が一度提示された後に,横尾委員が「これだと役割分担を徹底しないと税源移譲が推進されないように読める」ということで,

国と地方の役割分担等を徹底して見直し,「分権型社会にふさわしい」国から地方への思い切った税源移譲を推進。

に変えることを提案します。当初丹羽委員長は,後で検討する,と引き取ったのですが,最後の最後,まとめの段階で増田委員長代理が修文箇所としてそれを盛り込んだ結果,最終的にこの修文で通ることになったようです。まあはじめから委員会の議論の中で「これに応じた」は順番を意味しないということを強調していたものの,文章の中でも削られたということは官庁文学的にはそれなりに意味のあることなのではないかと推量したりしますが(ってポストモダン文学か,って話なのですが…)。
ともあれ,ここまではまあ悪くない滑り出しなのではないか,というのが率直な感想ですかねぇ。全国均一の公共サービスをどうやって確保するか,という論点はあんまり出てませんが,そこは義務付け・枠付けの緩和のところで議論するとして。しばしば強調してますが,委員長も,少なくとも会議の中で委員長が発揮できる限りの裁量を発揮しているように見えますし。もちろん前回のエントリで書いたように,会議の場で決定せずにあとで文案を作ってそれを諮るって言うスタイル自体問題がないわけじゃないですが,実行可能な範囲で可能な限り分権にコミットした改革を行おうという意欲は見えるのではないかと。あとは具体的に数字が入ってきたときに,この会議の場でどの程度数字にコミットできるか,というところが問題になってくるのかな,というところでしょうか。やはり会議の場で決定せずに引き取ってしまうと決定が不透明になるとともに数字も弱くなる,一方で会議で決めると数字は作れるとしてもステイクホルダーに無視されるかもしれない,というのはかなり悩ましい。まさにこれは公開の場で行われる討議だからこそ抱える悩ましさなのではないかと思うのですが,少なくとも公開されてこういう風に悩ましさがダイレクトに見えるというのは政治学的に極めて面白い経験なのではないか,と思うところです。