職業としての大学教授
生協で売ってたのをチラチラと見たら興味深そうな内容だったので,半ばジャケ買い気味に。はじめはもうちょっと軽めの内容かと思ってたけど,非常に様々なデータが用いられた読み応えのある本。最近ネガティブながらもようやく取り上げられ始めた「余剰博士」(この言い方はどうかと思うが)問題について,主に国際比較を中心に,IT Mediaの「日曜日の歴史探検」で取り上げられているような,既にいろんなところで書かれてるようなものを再構成しているようなものとは違う,新しいデータ・視点が提供されている。なので,この問題について関心がある方にとっては必読かなと。
- 作者: 潮木守一
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2009/10/11
- メディア: 単行本
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大筋としては納得できる記述が多いと思うのですが,日本の現状が生み出された原因の分析が物足りないことと(例えば大学数の問題とか書いてないし),著者の「提案」ってやつは一部どうしても違和感がある。特に「博士課程の募集停止」を考えるべきだ,っていうのですが,この流れで著者が言うのはなぁ,と。著者自身,同じ大学でずっと定年までいたわけだし,何より文科省の重点化の話のときに大学院生を増やしたことに責任があると言ってるわけだし。
こうした大学院生の倍増については,筆者もまた責任の一端を担っている。…(中略)…問題の焦点は,大学院修了者に対する需要が今後どこまで伸びるのかという点であった。ただ一つその時点で明らかだったことは,大学教員に対する需要は頭打ちになることだった。…(中略)…大学教員市場が頭打ちになれば,残る問題は,民間企業の修士課程修了者に対する需要がどう変化するかである。この点についてのある程度のめどを立てるために民間企業を対象とするアンケート調査を実施した。1980年代後半は,日本の大手企業は年々大量の理工系修士修了者を採用していた。アンケート調査の結果もまた将来需要が増加することを示していた。こうしたデータをもとに報告書をまとめている最中にバブルの崩壊が起こり,民間企業の大量採用は終わりを告げた。民間企業の理工系修士修了者の需要が落ち込めば,大学院修了者の市場としては大学教員しかない。あの推計は今から振り返ってみれば,タイミングが悪かったというほかない。(pp.125-126)
それだけで責められるわけではないと思うものの,「タイミングが悪かったというほかない」ではねぇ…,とも。まあこれに代表されるように,どうも後知恵的に現在の状態を批判しているような感じが非常に強い。で,「博士課程の募集停止」ですが,著者自身が「知的好奇心にあふれる若者は国の財産だ」と言っているのにどうなんだ,というのもありますが,何よりそれって結局一回切りの解決方法なんじゃないの?って思います。きちんと教育をして後継者を育てることができず,今度は人が足りないからと言って必ずしも学術的なトレーニングを受けていない教員を大量に採用することは,長期的に大学の社会的レリバンシーを低下させてしまうのではないか*1。結局のところ,当然ですが,入口できちんと評価するとともに,入ってからも継続的に評価される環境を作ることこそが重要になるのという話だろうなぁ,と。国際比較から見出されることも,入口を広めに取って中で評価を受けて落とされる人へのある種のセーフティネットを大きめにするか,入口を狭くしてセーフティネットを小さめにするかという選択の問題のような感じがする。おそらく前者の方が競争は激しくなるだろうけど,セーフティネットを張るためのコストが大きくなる。そして,日本でいま問題になっているのは,「第一の入口」(大学院入学)と「第二の入口」(就職)という風に入口が二つに分かれていて,第一から第二に行く過程で入口がキュッと小さくなりかつそのときのセーフティネットが非常に小さい,ということではないだろうか(もちろん専門分野によるだろうけど)。
*1:この意味では,特にロースクールができてから現在のところ研究者養成の方向性がよくわからないことになりつつあるといわれる法学系では,長期的に考えなくてはいけない気がする。