地方参政権

今回開会した通常国会で外国人の地方参政権が大きな争点になるということ。論点は色々とあって,そもそも国政の参政権地方参政権が違うものなのか,とか,外国人に付与する場合には相互主義が原則になるのではないか,とかいずれも本質的で簡単に答えが出ない問題だと思うが,地方分権(というか国と地方の役割分担)の観点からの議論があってもよいのではないかと思ったり。ちょっと見た限りでは,猪瀬直樹氏が書いてるが,わかると思うところと首をかしげるところがあるので,まあ自分の整理として。
地方財政の理論的な議論からすると,地方自治体の運営は基本的には受益と負担が一致するような応益性の原則が重要になる。つまり,地方自治体が行うサービスは地方税の対価としての性格を持つということ。なお,国税の場合は応益的なものだけではなく,応能的に税を払うので地方のように受益と負担の一致が求められるわけではない。だから,地方自治体において地方税負担をしている場合は,外国人であっても自らが受ける公共サービスの水準についての意思決定に関与することができるのだ,という議論はその意味ではそれほど違和感はない*1。というのも,世耕議員のつぶやきで「高市議員「人口比率の20%以上が外国人となっている自治体あり。選挙結果を左右する。地方議会にきちっと反対表明してもらう必要あり」」というつぶやきがあり,まあこれがきっかけでこんなエントリを考えることになったわけだが,公共サービスの対価であるとされる地方税を払っていて,でも公共サービスの水準決定に関与できない人が20%いるならそれは逆に問題じゃないか,と思ったりしたわけですが。ちなみに本当に勉強不足で恥ずかしいのだが,実際どの辺りに自治体で「人口比率の20%が外国人」となっているのだろうか。もしそういうところがあるとすれば,いわば(最近の法定外税のように)地域の外から収入を得ているようなものなわけだから,これを使って公共サービスの水準(特に国籍要件が必要なサービス,どのくらいあるかわからないけど)が過大になるかもしれない。そういうデータにも当たってみたいところ。
話がかなり脱線したが,国と地方の役割分担という観点からは,仮に(1)国と地方の仕事が完全に分離され(地方の仕事は公共サービスの提供に限定),(2)地方は自らの税で公共サービスを賄う,という状態であったとき,まあいわゆる分離型で連邦国家の州みたいなイメージのとき,地方税という負担と公共サービスという受益の一致を考えれば,外国人に地方参政権を付与するのはまあそうかなぁ,と思う。ていうか,たぶんそれ自体地方で決めるっていう話になるのが筋かもしれない。
とはいえ,今の日本あるいは他の多くの単一国家でもそうだが,必ずしも上記のような分離型になっているわけではない。基本的には全国一律のサービスを国税地方税で提供しつつ,それを上回るサービスを,限界的な負担とセットで提供していくというのが理念型。もちろん,現実に地方自治体は住民に対して地方税負担を求めずに国の(コモンプールからの)補助金を通じて追加的なサービスを行おうとしているところはあるが。この状態で,もしも地方にできることが,国が定めた一律のサービスへの上乗せのみ(つまり,地方で独自の事業=横出しのようなことはダメ)とするなら,これはまさに限界的な負担に応じた公共サービスの水準を決めるだけ,という話だから,外国人への参政権を許容しやすいと思われる。
国と地方の役割分担という観点から考える必要があるのではないか,というのは上記のようなモデルと現状を比較して考えたとき。まず,個人的にそこまで行くのは別の問題が出てくると思うが,地方分権の帰結として「分離型」を目指すとき,やはり応益性は重要な理念になるので(地方自治体によっては)外国人に参政権を,という話はありうると思うが,そのときに地方自治体にできることというのは公共サービスの中でも限定が必要,という話になるのではないか。まあ「分離型」は極端としても,日本のような「融合型」の中央地方関係のとき,地方自治体が上乗せのみをするならいいけども,現実には日本の地方自治体は横出しをするInitiativeを持っている(インセンティブじゃないですよ念のため)。これを限定するなら外国人への参政権付与はそれほど大きな問題ではないと思うけど,現実にはInitiativeを持っているから地方自治体がその立場から「国益」に関わってくることもできないわけではない。結局のところ,参政権を場合によっては外国人に付与することを考えるのであれば,国と地方の役割分担の議論の中では地方の役割を限定することも考えないといけないのではないかということ。猪瀬氏の論考を読むと話は逆で,地方に大きな権限を与えるから外国人参政権を制限する,という論理構造になっていて,そういう話もあるのかもしれない。僕が個人的に「地方分権の推進」にそこまで重要な意味づけを与えていないということで,「地方分権の推進」と「外国人への政治的権利の拡大」がトレードオフの関係になっているのではないかと思うわけですが。少なくとも現状から国と地方の役割分担を整理することなく外国人の地方参政権の問題を考えるのは,やや片手落ちという印象があるところか。
またややこしいのはこれが選挙にも関係してくるという話。参政権付与に強く反対する人のなかでは,民主党が韓国系の団体との関係上法律改正を目指すのだ,という議論があるようで,これが正しいのかどうかはちょっと判断する根拠が足りない。ただ,特定の国家のグループが大きなコアとなっている状況というのは政治的なインセンティブを生み出しやすいような気はする。男子普通選挙の導入に当たって問題になっていたのは(革命を起こすかもしれない)中産階級や相対的な貧困層というまとまったグループだったわけで,それがある種の政治的インセンティブになっていたという議論もあるわけだが。今回の場合は革命のようなものよりも,個別の利益集団と政治エリートの関係で議論できるのかもしれない。そうすると,外国人参政権付与の国際比較のようなことも可能かもしれない。

Economic Origins of Dictatorship and Democracy

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*1:逆に言うと,国の場合には単に国税に見合った公共サービスの提供を行う,というわけではないので,選挙権の制限も理屈が立たないわけではないように思う。