事業仕分け(第二弾)

2010年に入ってからなかなかブログを書く機会がなかった。ひとつはTwitterにかける時間が長くなったということもあるし,集中講義を始めとしてバタバタと仕事が入ってたこともある。まあなにより大きいのは家族と一緒にいる時間が長くなったというところだと思うけど。ただ,たぶんブログを書くというのは時事的な出来事を自分の研究に引きつけて少しゆっくり考えるという機会だったので,その時間が減るというのはあまりよくないことのような気もする。とかいいながら,結局のところはこの2ヶ月ほどあんまりブログに書くネタがなかっただけなのかもしれない。最近テレビのワイドショーで(僕が見る限りでは)政治ネタをやる頻度が落ちているような感じもするし,政権交代の熱気のあとで,「政治とカネ」が強くクローズアップされ,その後ちょっとした閉塞状態にあるということなのかも。と,よくわからない前口上をしつつ4月から予定されているという第二弾の事業仕分けについて少し整理してようかなと。実は先月某先生経由で,某市で事業仕分けについてちょっとお話をする機会を頂いて,これがそのまま論文になったりすることはないと思うので,そのときに色々考えてみたことを少し整理してみたいというわけなのですが。
事業仕分けは今のところ,現民主党の「最大のヒット」と言われている状況であり,年明けの政治ネタで「政治とカネ」以外でおそらく最も大きくクローズアップされた,事業仕分けの功労者である枝野議員の行政刷新担当相就任とも関連するものになっていると考えられる。今はこの読売の記事とか典型的だけど,事業仕分けに「ムダ」の削減を期待し,しかしそれが難しいのではないかというかたちで議論がされているわけだがそういうものなのだろうかと。
日本における「事業仕分け」の歴史を見ると,当然だが構想日本の役割は外せない。2002年に当時の三位一体改革の文脈で,地方自治体において国・地方・民間の役割を再定義して,地方にとって真に必要な事業は何かを明らかにすることをひ目標に行われることになった「事業仕分け」だが,構想日本が入ったものだけでも自治体ではもう既に40回くらい行われている。非常に興味深いのは,当初はとても幅広い範囲で事業を選定し,非常に短い時間で事業に関する判断を行っていたものが,だんだんと対象となる事業を限定し,ひとつの事業にかける時間を長くしていったということ*1。これは直接的には「そんな短時間で何がわかる」という批判に対応するものだと思うが,要するに,個別の事業をよりじっくりと評価する姿勢を強めたということだろう。2005年から事業仕分けが国の方でも問題になりはじめ,福田政権期から自民党無駄撲滅PT(ムダボ)をやってるわけですが,これは構想日本と一緒にやっていることもあって,対象事業を限定してまあ細かく評価していくという姿勢は踏襲しているかたち。
11月に話題になった民主党の「事業仕分け」も基本的にはその路線を踏襲しているわけです。つまり,対象事業を限定して厳しく評価し,無駄をあぶり出すと。ただその成果はなかなか微妙なところ。11月には1.7兆円の削減とか色々言われていて,僕自身あんまりよくわかってなかったのですが,第5回行政刷新会議に提出された資料からざっくりまとめると次のような感じ。

–目標:過去最大の概算要求から3兆円削減

    • 計9日間の議論,約450事業を仕分け
    • 100程度の事業について廃止や予算計上見送り裁定

–結果:一般会計約2.3兆円/国庫返納等約1兆円

    • H21年度当初予算からの概算要求段階での削減は約1.3兆円
    • 22年度概算要求額から22年度当初予算額へさらに1兆円削減
    • 国庫返納等は税外収入(いわゆる埋蔵金),その他,補助金の一部組み換え

これを見ると,国庫返納は別としても2.3兆円も削れたように見えるわけですが,実際のところ21年度当初予算から概算要求段階での削減というのが既に1.3兆円で,事業仕分けによって22年度概算要求から削られたものは1兆円くらいということになってます。なにより微妙なのは,個別の仕分けを見ると,無駄だということで廃止された事業は全体的に予算額がそもそも小さいうえに(特に多いのは広報広聴関係とか微妙なモデル事業とか),平成21年度当初予算で予算化されていなかったもので,22年度概算要求で盛り込まれたものが廃止となっていることが少なくない,つまりややマッチポンプな感がなきにしもあらず,という感じなわけです。
事業仕分け」への反応としては,まあとりあえずは行政の無駄に切り込んだんだ,という肯定的な反応が強かったと考えられるわけですが,一方で「事業仕分け」が短時間で行われて,いわゆる仕分け人の議論が乱暴だという批判も少なくはなかったのではないかと思われます。一部穿った見方も含めて多様な評価があるという意味では,このJMMの論者の議論がひとつよくまとまっているのではないかと。この中でも指摘されていますが,「事業仕分け」を見て多くの人が持ったと思われる感想は,官僚の説明があまりうまくはなかったということ。優秀とされる日本の官僚がやり込められる,という姿が公開されたことが人々の耳目を集めたということもありますが,まあそれだけ言うのもやや可哀そうで,政治家を中心としたより幅広い専門家が短時間で様々な問題を判断しようとするために,個別の分野におけるロジックよりも,より一般性の高い説明が要求される中で,やや長期的な視点から立案をする官僚の説明とうまく噛みあっていなかったところもあるのではないかと思われます。
で,こっから先が今後の話になるわけですが,「事業仕分け」が終わった直後に,この「事業仕分け」を来年度もやるのかということが議論になりました。好評だったしやるべきだ,という人と,民主党が予算を握ってるんだからやる意味はないという人と出ていたものの,結局あんまり議論が深まらないままにウヤムヤになった気がします。でもこの問題は非常に重要ではないかと思われます。はじめのほうで前振りしておいたように,これまで構想日本の当初の「事業仕分け」から現在に至るまで,対象を絞り込んできちんと評価するという方向に進んでるわけです。この傾向は,いわば非常にNPM的な「評価」に向かっているのではないかと。つまり,インクリメンタリズムを否定するとともに,重要な事業へ資源配分を目指し,自己評価ではなく外部者=仕分け人を導入する,というかたち。そういう「評価」の発想だと,この「事業仕分け」って基本的には一回でいいのではないかと思われます。外部の専門家がきちんと評価してインクルメンタルに決められてきた無駄を排除するというわけで,そこから先はまた必要な政策決定を積み重ねていって,澱がたまったらまた評価する,というような感じではないかと。
他方で,「事業仕分け」については,予算編成の透明化に資するものとする捉え方も強いわけです。そもそも今回の事業仕分けは予算編成の中で行われたわけだし,一定の批判を浴びた仙谷大臣の「文化大革命」発言も,もともとは,「これまで一切見えなかった予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」という予算編成の透明化を強調した発言だったわけです。それを意識するなら,毎年の予算編成過程を透明にするわけですから,当然「事業仕分け」も毎年行われることになります。この前の『公共政策研究』の高安先生の論文を読みながら思っていたところですが*2,予算編成の透明化の中にある種の評価を組み込むというのは,イギリスの労働党がやっている(Comprehensive) Spending Reviewに近いようなところがあります。ただ違いは,イギリスの方では中長期の戦略的な計画と一体的に予算の見直しを行っているというところ。日本でも当初,国家戦略局行政刷新会議は「車の両輪」と言われたわけで,これはイギリスを意識すればまさにその通りということになろうかと思われます。しかし,結局のところ日本の「事業仕分け」では,中長期の戦略的な計画がないままに非常に強い「評価」として行われることになったと。
日本においては,当初の構想日本による「事業仕分け」,自民党の「無駄撲滅PT」,民主党の「事業仕分け」ともに対象を絞って内容を精査し,無駄を明るみに出すことを目的としてきました。おそらく今後予定されている事業仕分け第二弾も,独法を対象にするということで,まさにNPM型の「評価」ということになるのかと思われます。今回の民主党政権はもちろん,2000年以降の様々な試みは自民党の長期政権に対する批判を背景にしているところがあるのは間違いないわけで,従来の決定を見直すNPM的な「評価」が重要であることは否定できないと思われます。ただ一方で,今後の展開を考えると,それ一辺倒でも難しいと。個人的には,1990年代後半に出現した「改革派首長」の歴史を思い出さずにはいられません。(一部の)「改革派首長」はまさにNPM的な改革を行い,公共事業の削減を中心に,従来では難しかったとされる意思決定を行ってきたと考えられます*3。しかし,おそらくこれから検証されていくべきところだと思いますが,「改革派首長」がNPM的な「評価」を重視したあとにどのように展開していったかというと,今のところそこはほとんど議論されていません。
個人的には,長期で「事業仕分け」のような方式の活用を考えるならば,やはり予算編成過程の透明化というものを意識する必要があるのだろうと思うところです。もちろん現状の「評価」が,予算編成過程の透明化に資することがない,というわけではないと思いますが,やっぱり両者の性格は多少違ってくるのではないかなと。そうすると,まず重要なのは対象になる事業がどのように選定されるかというのが非常に重要になってくるわけです。「評価」の場合はまあとにかく対象をピックアップして,そこで無駄を見つけていけばいいわけですが,予算編成過程を透明化するという問題意識であれば,どういう事業が「無駄がある」としてピックアップされるか,ということ自体が重要になるだろう,と。今回ここは財務省を中心とした事前の折衝で終わってしまったわけですが,ここのところを透明にすることこそが重要で,本来はこの時点でこそ「仕分け」が進むべきではないかと考えます。そのうえで,一部問題になるものを,少数ピックアップして専門家が集中的に審議するというこれまでのやり方を活かすこともできると思いますし。
もうひとつ,特に予算編成過程の透明化として意識するならば,「仕分け人」というか作業を行う人の性格を再考する余地があると思われます。民主党の「事業仕分け」における「仕分け人」は,専門的な見地から判断を下す人という役割でしたが,予算編成過程の透明化を目指すのであれば,重要なのはその前提となる中長期の戦略的な計画であって,この計画に照らして仕分けが妥当であったかを(普通の人でも)判断することができる,ということが透明化なのではないかと思われます。そうであるならば,「仕分け人」には政治家を始め非専門家とされる人が入って判断を行い,その判断を一般公衆に対して説明するということが重要で,専門家は非専門家が官僚に丸め込まれるのを防ぐ役割*4を担う,というかたちで役割が再定義されることも必要になるかもしれません。
とはいえ,2009年11月の「事業仕分け」が激しいインパクトを持っていたのは事実。これを名前はそのままで予算編成過程の透明化に活かすことはもはや難しいとも思います。恣意的に選定された事業を無駄だ無駄だと叩くよりは,将来の見通しをもとに透明性の高い議論をして欲しい,と思うわけですが。これは「事業仕分け」第三弾?以降の議論で考えるところなのかもしれません。

*1:構想日本による事業仕分けの詳細は,ウェブサイトの他,構想日本,2007,「入門 行政の「事業仕分け」―「現場」発!行財政改革の切り札」ぎょうせい,でも読める。

入門 行政の「事業仕分け」―「現場」発!行財政改革の切り札

入門 行政の「事業仕分け」―「現場」発!行財政改革の切り札

*2:高安健将,2009,「議論・調整・決定──戦後英国における執政府中枢の変容」『公共政策研究』9号.

公共政策研究 第9号 小特集:政策と議論

公共政策研究 第9号 小特集:政策と議論

*3:この辺は三田さんの議論でしょうか。ってまだ未読っていうか未購入なのでズレてたらごめんなさい。三田妃路佳,2010,『公共事業改革の政治過程―自民党政権下の公共事業と改革アクター』慶応義塾大学出版会

公共事業改革の政治過程―自民党政権下の公共事業と改革アクター

公共事業改革の政治過程―自民党政権下の公共事業と改革アクター

*4:こういう表現はあまり好きではないですが。また逆に一般的には専門家の方が「丸め込まれ」やすい印象なのかもしれません…。